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ある日、海辺で

作者: 朝霧幸太



 腑に落ちなかった。



 何故なんだ?



 どうして【ある日】なんだ?



 その疑問が数日来、頭を離れない。



 事の発端は、こうだ。



「今回のお薦めは、リチャード・マシスンの『ある日どこかで』よ。是非、読んでみて」と彼女は言った。いや、正確には、僕の伝言板に送信して来た。



 ネットで繋がる文芸サークル仲間の京野直美は、群を抜く読書家だ。その上に速読だから、僕は、いつまで経っても彼女の読書量に追いつけない。



 悔しいが、これほど圧倒的に差がついてしまうと競争心は失せて、ただ素直に敬服する他はない。






 事実、豊穣な語彙力を駆使して書かれた彼女の作品には、凡そ誤字や語法の間違いが無い。



それは膨大な読書量と絶えざる研鑽の成せる業なのだ。



 そんな彼女が薦めるのだから、名作に違いない。



 折に触れて彼女から紹介された書籍の数々は、いずれも僕の習作の作風に影響を与えた。それは習作を書く度に実感出来た。



 彼女は僕の作品を読む毎に、上達の度合いを計り、そして可能性を斟酌しながら書籍を紹介して来るのだ。



 今度は、どんな物語なのだろう?



 僕は、心踊らせながら書店に足を運んだ。



 だが、その本は在庫が無く、取り寄せになると言う。恐らく他の書店を当たっても同じことだろう。



以前にも同様の事があったのだ。



 ならば、図書館で借りるまでだ。



 僕は、その日に読む事を断念し、日を改めて図書館で探そうと決めた。



 仕事の合間に立ち寄ればいい。そう考えたのだが、結果的には仕事に振り回され、それは日曜日になってしまった。




 午前11時に図書館へ到着した。数億円を投じて建造された市立図書館は北側を除いて、壁面が全面ガラス張りだ。館内が明るく、お洒落な雰囲気で評判がいい。



 その日も多数の来館者で賑わっていた。しかし、図書館らしく、喧騒は無い。



 早速、目当ての本を見つけるべく僕は書架へは向かわず、検索装置を使った。



 いつもなら書架を巡りながら、ゆっくりと探すのだが、この日は、はやる気持ちを抑えられなかった。



 タッチパネルに【あるひどこかで】と入力し検索ボタンに触れる。



 ヒットした。



 画面には《書庫に1点あります。カウンターで、お尋ね下さい》と表示されている。



「こちらですね」



 職員の探してくれた本は厚みが2㎝ほどの文庫本だった。



 礼を述べて、僕は早足で図書館をあとにした。そして、その足で喫茶店に飛び込んだ。




 表紙には、懐中時計を象った円の中に大人のカップルのイラストが描かれている。





 ラブストーリーなのだろうか?



『ある日どこかで』のタイトルの他に、中央部分にはSOMEWHERE IN TIMEと記されている。



 そのまま直訳すれば、『時間のどこかで』だろう。



 ある日どこかでと言う表現は、おかしい。



 ある日……とくれば、次に続く言葉は具体的な場所を記すのが自然だろう。



 例えば『ある日、湖で』とか、『ある日、病院で』とか、『ある日、山道で』と言うように書くのが普通だ。



 もし、【どこかで】を使うとすれば、『いつかどこかで』とすべきだ。



 これは、【いつ】【どこで】【どうした】の構文に当てはめてみると解り易い。



 ある日、どこかで会った。



 これは変だ。


 ある日、どこかで会いましょう。



 やはり、おかしい。



 ある日、湖で会った。



 これなら自然だ。



 いつか、どこかで、また会いましょう。



 これなら収まりがいい。



 つまり、この『ある日どこかで』と言うタイトルは文法的に変なのだ。



 彼女から、この本を紹介されて以来、頭を離れない疑問とは、このことだった。



 だが、この本を読めば、その謎が解けるかも知れない。



 僕は、それを喫茶店で半分まで読んだ。



 しかし【ある日どこかで】のタイトルの不審は、まだ晴れない。



 後半は自宅へ持ち帰って読んだ。



 そうして物語を読み終えて、僕は溜め息を吐いた。



 物語は素晴らしい。



大人の夢を叶えるファンタジーと言っていいだろう。



 誰でも一度は、こんな願望を抱くことがあるのではないか?



 この物語は、そんな願望を叶えるものだった。



 しかし、僕の疑問は、まだ解けない。



 それは巻末に付された解説によって、漸く明らかになるのである。



 この作品が映画化されるに当たって、タイトルを決める際に作者の意向が通らなかったのだ。



『愛はとこしえに甘美なり』が作者の原案だったのだが、プロデューサー夫人により、『SOMEWHERE IN TIME』に改題されたのだ。



『ある日、どこかで』とは翻訳者の意訳だった。





 この名作は30年以上も前から、小説も映画も共に、このタイトルで世界中に知れ渡っている。



 今更、何を言っても無駄なのだ。『ある日どこかで』こそが、この作品に定着した符帳なのだから。





 しかし、それでも僕は思うのだ。



 この物語のタイトルは『ある日、海辺で』であるべきだと。



 何故なら



 75年の時を越え、二人は海辺で出逢ったのだから。



 このことを彼女に伝えるべく、僕はパソコンを起動した。



―了―

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