わたくしを狂わせる運命の番なんて要らない
こちら単体でも読めますが、前作短編『運命の番は祝福か?呪いか?』を読んでいただいていると、さらに楽しんでいただけると思います。
運命の番とは、獣人にとって祝福である。
それは古くから語り継がれてきた。
獣人たちは皆、幼いころから聞かされる。いつか神が選び給うただ一人と出会うのだ、と。その瞬間、世界は色づき、胸の奥に満ち足りた光が灯るのだ、と。
番に出会えた者は幸いだ。
番に出会えぬまま生涯を終える者は、どこか欠けたままなのだ、と。
――それが、彼らの常識だった。
***
グレイシア・ランドールは、オオヤマネコの獣人である。
そして、公爵家に生まれた令嬢でもあった。
淡い灰色の豊かな髪と同じ色の耳と、夜の空に浮かぶ月のような金の瞳。
まだ年若くありながら、誇り高く聡明な少女だった。
彼女には、かけがえのない幼なじみがいた。
同い年の王子、ルスラン。
従妹という縁もあり、二人は幼いころから共に育った。
城の庭園を駆け、秘密の約束を交わし、未来を疑いもせず語り合った。
城の庭園は、いつも二人だけの世界だった。
陽光を浴びて揺れる白薔薇のアーチの下で、グレイシアはルスランと並んで歩く。彼は彼女の歩幅に合わせるように、ほんの少しだけゆっくりと進む。そんな些細な気遣いが、グレイシアの胸の奥をくすぐった。
「ほら、グレイシア。今日も行こうよ、僕たちの秘密基地」
彼が指さすのは、大きな楡の木。
枝葉が深く影を落とし、外からは見えにくいその場所を、二人はそう呼んでいた。
幹に背を預け他愛もない話を交わすのが、いつしか日課になっていた。
「……今日も授業が厳しくて。これくらい、なぜ出来ないのかって、お父様に叱られてしまったの」
ぽつりとこぼす。
「成績が良かったときは、公爵家の娘だから当然だ、って……褒めてもくださらないのに」
ルスランは優しかった。
グレイシアの愚痴にも、嫌な顔ひとつせず耳を傾けてくれる。
「……それは、つらかったね。グレイシアは、あんなに頑張っているのに」
「ええ……」
小さく頷くと、彼は少しだけ声を和らげて言った。
「君の努力は、俺がちゃんと知っているよ」
そして、グレイシアの父をすぐに悪く言うこともしなかった。
「公爵家当主の仕事ぶりは、周囲からも聞いている。きっとご本人が優秀だからこそ、娘にも同じだけのものを求めてしまうのだろうね」
「……でも」
「うん、それではいけない。たとえ親子でも、違う個を持つ獣人だ。君は君だよ、グレイシア」
一拍置いて、彼は静かに続けた。
「君の父君には……機会を見て、俺からも話してみよう」
「ありがとう……」
小さく、ほとんど息に紛れるような声で感謝の気持ちを告げる。
じんわりと頬が熱を帯びていくのを自覚した。
ルスランは王族でありながら偉ぶらず、人の気持ちを汲み取り、さりげなく気を配る。そんな人だった。だからこそ周囲は、彼を次代の王として期待していた。グレイシア自身もまた、同じように信じていた。
そして、そんな彼を――。
「俺が立派な王になったら、その時も君は側にいてくれるかい?」
まだ少年らしい無邪気な問い。けれどその声音は、どこか本気だった。
グレイシアは笑って答える。けれど、尻尾の先は落ち着きなく揺れてしまう。
「……わたくしは、公爵家の令嬢ですもの。王子殿下にお仕えするのは当然でしょう?」
本心を隠すとき、彼女は少しだけ澄ました声を出す。
ルスランはそれに気づいているのか、いないのか。ただ柔らかく笑うだけだった。
優しいルスラン。
今日のように挫けそうになった時には、優しく慰めてくれて。
転びそうになれば必ず手を差し伸べ、冷たい風が吹けば外套をそっと掛けてくれる。学問も剣術も優秀で、それでいて威張らない。
彼の隣は、あたたかかった。
グレイシアはいつからか、彼を見ると胸がきゅうと締めつけられるようになった。
指先が触れるだけで、耳の奥まで熱くなる。
これはきっと――恋なのだと、気づいていた。
けれど、その想いを口にすることはなかった。
なぜなら。獣人には“運命の番”がいるのだから。
神が選ぶ、ただ一人。本能が告げる、抗いようのない絆。
もし、それが自分でなかったら――?
そんな問いが、夜ごと胸に影を落とす。それでも、月明かりの差し込む窓辺でグレイシアはそっと祈るのだ。
(……もし、神様が本当にいらっしゃるのなら)
どうか。わたくしの番が、ルスランでありますように。
彼の隣に立つ資格を、どうか――わたくしに。
その祈りは、まだ誰にも知られていない。彼女の小さな、甘くて臆病な秘密だった。
しかし、現実はあまりにも残酷だった。
王となったルスランの運命の相手、はグレイシアではなかった。選ばれたのはひとりの娘だった。人間の国からというその娘を見た瞬間、ルスランの表情が変わった。それはグレイシアが一度も見たことのない笑顔だった。
胸が裂けるように痛んだ。はじめて知った恋は、あまりにも呆気なく終わりを迎えた。それでもグレイシアは微笑みを崩さず、祝福した。
「……おめでとうございます、陛下」
自国の王が運命の番に出会えたこと。すなわち世継ぎに恵まれ、揺るぎない繁栄を意味するのだから。国の未来の為ならば、この痛みさえ飲み込めると思った。
「幸せになってください……」
痛みを堪えながらも、誓いのキスを交わす二人に心の中でそう囁いた。
***
そして、数年の時が経ち――
グレイシアは、すっかり怖くなってしまった。
あんなにも優しくて、誰よりも他人の事を思いやる人だったルスランが。運命の番の事になると、まるで別人のように変わってしまったからだ。
ルスランは人間の娘へ、惜しみなく愛情を注いだ。
宝石も、衣装も、庭園も、彼女が望むままに、国の最高級品のすべてを与えた。朝は共に食卓につき、昼は政務の合間を縫って顔を見せ、夜は必ず彼女の部屋を訪れる。片時も離れまいとするその様子は、周囲の目には深い愛情として移り、誰もが微笑ましく見守っていた。
だが、いつからだろう。あんなにも威厳に満ちて、揺るぎなかった王の面影は、次第に薄れていった。番にわずかでも害が及ぶ気配を感じれば、彼は躊躇なく牙を剥いた。周囲の全てを敵をみなすかのように警戒し、近づくものを遠ざける。
あんなにも周囲の事を気配りを欠かさない人だったのに……、運命の番の事になると性格が変わったようだった。
確かに、番を得た彼は幸せそうだった。古くから伝承に語られるとおり。
けれど、彼の最後は悲惨なものだった。
運命の番であるはずの人間の娘は、なんと。ルスランの寵愛を受け入れることができなかったのだという。
ルスランは彼女を守ろうとした。外の世界から遠ざけ、誰の手にも触れさせまいとした。彼女が望んでも、政務への関与も許さなかった。危険を遠ざける為には当然のことだった。
獣の国と人間の国では、文化も価値観も違う。そもそもどこの馬の骨とも知れない人間の娘が政略に関わる事を快く思わない獣人は少なくなかった。
だからこそ彼は、彼女を周囲から遠ざけていた。悪意から守る為に。
だが、故郷を離れて孤独だったのだろうか……。あんなにも愛情を惜しみなく与えられたというのに――なにが不満だったというのか。理由は分からないままだが、人間の娘は自死してしまった。
そして、運命の番を失ったルスランは発狂した。
絶叫が、喉の奥から引き裂かれるように溢れ出た。涙を流しながら、何度も何度も彼女の名を呼び、返事がないことに気が付くと、怒りをあらわにした。「どうしてだ」と叫び、近くにいた人間に牙を剥いた。彼女を傷つけたのだと、誰彼かまわずに。制止の声も届かず、壊れたように暴れつづけた。最後には、みずからその首を掻き切った。世にも恐ろしい光景だったという。
あんなにも優しかったルスランが、まさか。信じられなかった。彼をそこまで変えてしまった運命の番が、祝福だとはとても思えなかったーー。
王であるルスランが亡くなった後、国は大きく揺らいだ。統治の要を失い、混乱した。隣国との関係も悪化した。
ルスランの死の要因は、運命の番の喪失だ。そして、その番は隣国の生まれだった。隣の国が自死するように命じたのではないか、あるいは人間の娘を送り込んできたこと自体が巧妙な罠だったのではないか。そんな疑念が、一部の獣人のあいだで広がっていく。
やがて不信は敵意へと変わり、両国の間には戦争の気配が濃く漂い始めた。しかし、反対する者も両国にはいた。かろうじて残された道として、和平の為の縁談が持ち上がった。
その縁談にグレイシアは立候補した。皆が驚いた。
「高位の貴族が嫁がなければ、和平の意味を成さないでしょう?」
そう、彼女は淡々と言った。
しかし、それは表向きの理由に過ぎず、彼女の本心は――。
ただ、逃げたかっただけだ。運命の番から。
ルスランの番は人間の娘だったが、それは稀なことだった。多くの場合、運命の番は同じ獣人のなかに現れる。ならば、獣人の国よりも人間の国にいれば、出会う可能性は低くなると踏んだのだ。
そして、グレイシアは人間の国へと嫁いだ。
相手は同格の公爵家の当主だった。国の規模は祖国の方が大きい為、いくらか見劣りはしたが、それは不満に思うことはなかった。美丈夫だったルスランと比べれば、当主の男はどこか冴えない風貌であったし、エスコートも洗練されているとは言い難かったが、グレイシアは政略結婚だと割り切った。
けれど、男は不器用なりに誠実だった。慣れない土地で不便はないかと、気遣ってくれた。言葉は少なくとも、その分だけ行動で示そうとする人だった。少しずつではあるが二人の距離は縮まっていき、ふとした瞬間に視線が重なれば、どちらからともなく微笑みあうようになっていき――。
子供を授かった頃には、しっかりとした愛情が芽生えていた。
やがて、生まれた小さな命を腕に抱いたあの瞬間を。
グレイシアは生涯、忘れることはないだろうと思った。
「……こんなに、小さいのね」
かすれた声で呟きながら、何度も確かめるように見つめる。彼女の横顔に浮かんだのは、戸惑いと……どうしようもないほどの愛しさだった。指を差し出せば握り返してくる、可愛い我が子。その温もりに胸が満たされていく。
「グレイシア、ありがとう……」
「ふふ、貴方にそっくりね」
目元を潤ませる夫に笑みを零す。
子どもが成長するにつれ、屋敷は賑やかさを増していく。無邪気に駆け回る姿を二人で見守る。あどけない笑顔に、二人とも自然と頬を緩める。
この穏やかな日々こそが自分が望んだものなのだと、疑うことなく信じられた。
運命の番に出会えず不幸な人生だと言うなら、不幸で構わない。
これからも、ずっと。愛する旦那様と子供と一緒に過ごせるだけで十分なのだから。
このまま運命の番には出会わずに済めばいい。
そう願っていたのに。
ーー出会ってしまった。
***
子供を連れて街を歩いていた、何気ない昼下がりのことだった。通りの角を曲がると、ふいに視線を奪われた。目の前に現れたのは、どこにでもいそうな平凡な青年だった。それなのに、なぜか目が離せない。
ふわりと、甘い匂いがした。
青年がこちらを向いた。視線と視線が絡み合う。どくん、と心臓が跳ねた。
彼の瞳に、わたくしが映っている。それだけで、言いようのない幸福感に満たされた。
――番だ。
わたくしの、番。
この人こそ運命の番なのだと、一目見ただけで分かった。理屈ではなく、もっと原子指摘原始的で逃れようのない本能。その瞬間、世界は変わった。色を失っていた景色が、一世一斉に鮮やかさを取り戻したように。胸の奥に満ち足りた光が灯った。まさに伝承の通りだった。
ああ、ようやく……ルシアンの気持ちが分かる。あの時のルシアンの、狂気じみた執着を。きっと、この人を失ってしまえば正気ではいられない。まだ言葉を交わしてもいないのに、愛情が溢れて止まらない。
欲しい、この人が欲しい。
好き、大好き。愛してる。欲しい、この人が欲しい。一瞬たりとも、手放したくない。
この人はわたしくのものだ。わたくしの、運命の番なのだから。
好き好き大好き愛してる欲しいこの人が欲しい絶対に離さない他の物はなにも要らないから――
「おかあ……さま」
子供の声が遠くに聞こえた気がした。
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運命の番って……残酷だと思います。気遣いのできる優しい人物も番の事になると相手の気持ちを考えずに執着してしまうし、愛情深いお母さんも豹変してしまうのかなあと。運命の番について色々と思うところがあるので、需要があれば“運命の番”をテーマにした連作を引き続き書いてみたいですね。
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どうぞよろしくお願いいたします。




