祖母の語り
「ばーば。 起きた?」
目を覚ますと、孫娘の梨沙が心配そうな顔でのぞき込んでいた。
「ばーばのお家、帰ってきたよ。でも、どうしてこっちのお家がいいの? 梨沙の家のほうがクーラーもあるし、住みやすいのに。入院してたんだから、梨沙の家のほうが絶対いいよ。ワガママ言ったらいけないって、ママもいつも言うのに」
なんて返そうか迷っていると、息子の真和が口を挟む。
「ずっと住んでいた家だもん。落ち着くんだろうさ」
「でもさ、坂も登らないといけないし、エアコンも無いし、お部屋だって二間しか無いじゃん。梨沙の家のほうが広いし快適だよ?」
私は気怠い身体を起こしながら答える。
「ここには、思い出と椿がたくさんあるから」
「椿?」
梨沙の目がきらりと光る。
「ばーば、椿大好きなの? お庭にいっぱいいっぱいあるよね。さっき坂の下で“椿のお家の人?”って聞かれたよ。好きだからこんなに植えてるの? それとも意味があるの?」
真っ直ぐ向けられたその目に、あの人の面影が重なる。
「遠い昔の約束なの。周りがどれだけ変わってしまっても、その人が帰ってきたとき、すぐ分かるようにって。約束したの」
「えー、誰と? 梨沙の知ってる人?」
少しだけ不満そうな顔。
「梨沙は会ったことがないわ。残念だけれどね。じーじとばーば以外は会ったことがないの。でも、とても深く繋がっている人なのよ」
穏やかなぬくもりが胸に広がる。
「なぞなぞみたい。気になるじゃん。詳しく教えてよ」
ころころ変わる表情を愛おしく思いながら、私は微笑む。
「昔々のお話よ。ばーばにとって、とても大切なお話。全部話すには時間がかかるわ。梨沙ちゃん、眠くなっちゃうかも」
はぐらかすつもりだったのに、梨沙は少し黙り込み、やがてぱっと顔を上げた。
「じゃあ、分けて教えて!」
そう言って飛びついてくる。
受け止めようとしたが、思うように身体に力が入らず、そのまま一緒にベッドへ倒れ込んだ。
入院のせいか、年のせいか。
どちらにしても、もう以前の身体ではない。
「梨沙ちゃん。びっくりするじゃない。もうあなたを支えることは出来ないのよ。もう少しお手柔らかにお願いするわ」
「ごめんごめん!」
まるで反省していない顔で笑いながら、なおもきらきらした目を向ける。
「で? 梨沙の考え、いいでしょ?」
「梨沙! ばーばに飛びつかないの! 退院したばかりなんだから」
加奈子さんに引き剥がされる。
「お義母さん、大丈夫ですか?」
私は手を借りて身体を起こす。
「ありがとう。梨沙ちゃん一人も受け止められないなんてね。情けないわ」
「梨沙が悪いんです。本当にお転婆で……」
呆れた声の奥に、優しさが滲んでいる。
この人と結婚できた息子は、幸せ者だ。
あぁ、あなた。
あれから本当にいろいろなことがありました。
苦労もしました。でも今は、幸せな人生だったと胸を張って言えますよ。
あなたに会う前に、ちゃんと伝えておいたほうがいいでしょうか。
開け放した窓の向こうで、椿の葉が風に揺れる。
そうだね、と答えたような気がした。
その時、玄関が開き今の主人の真一が顔を覗かせた。
「起きたか?」
そう言って、買い物袋をテーブルに置いた。
「よく寝ていたから、買い物行ってきたよ」
「あら。すみません。留守中も、色々とご不便お掛けしましたね」
「そんな事ないさ。加奈子さんも、色々と家の事をしてくれたからね。」
「梨沙もいっぱいお手伝いしたもんね!」
「そうだね。梨沙が居たから賑やかだったね」
目尻を下げながら真一が梨沙と向き合う。
「じーじ。何持ってるの?」
「梨沙が来るって聞いたから、ジュース買ってきたんだ。」
「えー。なんのジュース?」
言いながら、袋をのぞき込む。
「オレンジだ!梨沙これ好き!じーじ。梨沙のコップに入れて!」
「梨沙のコップ?」
「イチゴのヤツ」
茶箪笥を探している真一に梨沙が言う。
「あのね、今、ばーばが昔の話してくれるって。じーじも一緒に聞こう?」
真一はたえを見つめ、「そうか」と、短く答えた。その目は、少しの緊張と漸く伝えられるという安堵のような物が混ざっていた。たえは、良いですか?と言う眼差しで見つめると、真一は軽く頷いた。「真和。加奈子さん。あなたたちにも、きちんと話しておきたいの。時間、取れるかしら」
「急だな。まぁ、数日は休みを取ってるけど」
「私もここに泊まるつもりでしたから」
二人の返事を聞いてから、私は梨沙を見る。
いちばん聞きたいのは、この子だろう。
「じゃあ、今日は少しだけ話しましょうか」
そして、たえは語り始めた。
忘れることの出来ない、初めの夫の事を。




