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青いばかりは春なのか

作者: 水卜清

 あの日、制服を捨てた。

 あの日、クラスメイトを捨てた。

 あの日、通学路を捨てた。

 それからはいつも一人だった。


 最後の登校日、母は泣いていた。あたしは笑っていた。泣いたら、何かが壊れる気がして。

 車の中でも母は嗚咽を漏らした。あたしは笑って、涙を堪えた。目の端がぼんやりと熱を持ったまま。

 制服を来ていたのはあたしなのに。

 まるで自分が捨てたみたいだった。


 それから母に嫉妬した。

 私の涙を奪ったから。


 お門違いだと思う。笑える話。

 でも、そうしないと耐えられなかった。今だって、そう。


(……くだらない。馬鹿か、あたしは)


 課題を前に机に伏していた。

 何も手につかない。一応学生の身ではあるから、昼は勉学に勤しむ。

 鳥の囀り、自転車の音、近所の布団を叩く音。教室じゃ聞こえない音ばかり。


(それから、玄関の呼び鈴も)


 ピンポン、と鳴る。家にはあたし一人。

 階段を降りて、戸を開けた。


「……よお」


 幼なじみが立っていた、制服を着て。

 胸元の校章は、少し前まであたしのとこにもあったやつだ。

 気分を晴らすかのように、彼を睨む。


「なに」


 へらっと笑って紙を差し出した。


「文化祭あるんだけど……って」


 目が固まった。

 最悪の、最悪。

 地獄の果てに突き落とされた気分だ。


 空気の読めなさ、随一なのは知っていた。こいつに対する、迷惑や戸惑い、苛立ちの相談を何度も受けた。

 あたしが幼なじみだったから。

 ……ここまできても縛るのか。

 制服と一緒に捨てたと思ったのに。


 あたしは受け取らないで、無理やり彼の胸に押し付ける。

 氷のような眼差しで


「――――もうこないで」


 突き放した。


 玄関の戸に寄りかかる。

 青春の香りがまだ残っていた。捨てたもの、自分で手放すと決めたこと。

 ばかだなぁ、と我ながら思う。勝手に涙が溜まっていく。玄関のタイルが歪んで、縁がわかめのように揺らいだ。

 アレルギー反応だった。堪えきれずに、嗚咽が漏れる。

 あいつは向こうにいるだろうか。

 恥ずかしいけど、少し知って欲しくて、声を大きく出す。

 自転車のチェーンの回る音が耳に入った。


 その後、気が済むまで泣いた。止め方を忘れたみたいに。

 散々泣き腫らして、課題に手をつけた。

 スッキリしたからか、空白がどんどん埋まっていく。レポートもついでにメールで送信した。


 どさっとベッドに倒れ込む。

 目をあげる。デジタル時計が『20:00』とキリのいい数字を出していた。

 きゅ〜、と情けない音が体から出る。


(ご飯、食べてないや)


 母とはあまり話さない。

 用意はしてくれるが、ご飯はそれぞれ取る形。あの日から、母と目が合わない。

 きっと呆れられたのだろう。それでもよかった。

 小さい頃から、あたしはあの人が苦手だったから。


 ピコン、とスマホがなった。

 上体を起こして腕を伸ばす。充電ケーブルから抜いて、画面を見た。


『ごめん』


 あいつからだった。


(なにがごめんだよ……)


 トーク画面を開く。気持ちとは裏腹、『大丈夫!』のスタンプを返す。

 すぐに既読がついた。


『俺、昔から空気読めなくて』


 知ってる。


『文化祭来てくれたら、って本当に思って。クラスのやつには、やめといた方がって言われたんだけど……』


 なんでそっちに従わないの。

 純粋な善意は、汚物のまみれの悪意より厄介だ。

 深いため息が出る。

 瞼を閉じて、もう一度体を伏す。

 自己が強いのか、単におせっかい気質の空回りか。誰か手綱を握っといてほしい。

 胸裏の悪態は、波をもって量を増す。

 悶々とし始めた頃、通知音がなる。

 ちら、と画面を見た。


『でも、俺はまた一緒に回りたかったから』


『制服なしで回ろうよ』


『春はまだあるよ』


 身体を起こす。

 何気なく、ちゃんと足を下ろして座った。


 送信スペースに親指を当てる。出てきたキーボードで、軽快に文字を打つ。


『あたし、まだ青春あるのかな』


 ポン、と画面に言葉が乗る。既読はすぐについた。

 画面が動かない、いやな沈黙。

 少し呼吸が浅くなる。

 向こうは真っ盛り。こんな重たい質問、投げ捨てたいだろう。

 でも、私は欲しかった。軽くてもなんでもいい。肯定が欲しかった。

 他の誰でもない、こいつから。


 じっと画面を見続けた。

 トーク欄が沈黙を破る。

 届いた言葉に、ほんの少し呆れと安堵が混ざって、笑みになる。


(馬鹿だなぁ、ほんと)


 ありがとう、のスタンプを押してスリープモードにする。

 それから、腹を満たすため部屋を出た。




 ――――『死ぬまで!』

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