彼女というもの
2日後、月曜日。
本当に昨日は何もせずに1日が終わってしまったと思いながら、僕は学校に登校していた。
「おはよう!」
教室に向かって歩いている廊下で、後ろから飛びつかれる。
「おはよう、亜美。」
飛びついてきた犯人、亜美の方を振り返って応える。
その時、後ろの方にいた誠二と視線が合うも、小さく手を上げてくるだけだった。
『カップルの邪魔はしないから安心していちゃつきな。』そんな思いが伝わってくる。
せっかくの気遣いを無駄にすることはなく、僕は亜美との会話に花を咲かせる。
「今日部活がオフらしいから、放課後にはカフェでも行こうよ!
今週末の花火の予定も決めないとだし。」
目を細めながら、嬉しそうに亜美は言っている。
僕は亜美と付き合っていていいのだろうか。
急に、そんな気持ちが湧いてくる。
「翔?聞いてる?」
「え?あ、あぁごめん。
ちょっと考え事してた。」
「えー?もしかして白石先輩のこととか?
そりゃああんな可愛い人と1日デートしたら嬉しいのはわかるけどさぁ…
2日も前のことだし、なんなら彼女の前でそれ考える〜?」
未だに土曜日のことを思い返していると思った亜美が、そんなことを言ってくる。
「いやいや、そんなの考えてないって。
週末の花火、亜美に楽しんでもらうためにはどうすればいいか考えてたんだよ。」
「ふぅ〜ん?」
怪しげな目を向けてきてはいるものの、心の奥ではまんざらでもなさそうだ。
とりあえずご機嫌取りに成功した僕は、安堵する。
今日も平和な1日の始まりだ。
そう思っていたはずだったのだが………
昼食の時間、僕は亜美と共に空き部屋に来ていた。
僕と2人でゆっくり過ごしたいという彼女の要望に応え、亜美が作ってきてくれた弁当を開ける。
「美味しそう。」
弁当箱から顔を上げて亜美を見た僕に、
「美味しそうなだけじゃなくてちゃんと美味しかったらいいんだけど。」と冗談混じりに言う。
「亜美が作ってくれる料理はいつも美味しいから大丈夫だよ。」
そう言って箸をとり、いただきますと呟いて箸を伸ばす。
その時、すっと亜美の手が伸びてきて、僕の手を制する。
取ろうとしていた卵焼きを自分の箸で掴み、
「はい、あーん。」と言ってそれを僕の口元まで運んでくる。
小さく微笑んでから、卵焼きを食べ、美味しいということをしっかり伝える。
最初から自信があったのか、特に安心する様子もなく、笑みを浮かべている亜美。
その後も、食べさせ合いをしていると、突如としてガラガラと部屋の扉が開けられる。
「あっ」
「あっ」
「え?」
僕と由花さん……いや、今は白石会長か。
と、僕の顔が重なり、亜美は素っ頓狂な声をあげる。………なんというタイミングだろうか。
僕に向かって唐揚げを食べさせようと身を乗り出した状態で、亜美の体が硬直している。
そんな緊迫する状況で、言葉を発したのは白石会長。
「すごくラブラブなカップルですね。」
恥ずかしさの上塗りをするようなそんな言葉に、亜美の顔がみるみる赤くなっていく。
「それで、会長はどうしてここに?」
そう言いかけた僕の方を見て、少し言いたいことがありそうな顔をする。僕が小さく頷くと、亜美へ向き直って会長は続ける。
「斎藤亜美さん、この間は私の翔くんへの恩返しの許可をいただき、ありがとうございました。」
そう言って少し頭を下げた会長に、亜美は慌てて立ち上がり、とんでもないですと返答する。
今日は珍しくポニーテールなんですね。
そんなことを今この場で言ったら後で亜美に殺されるだろうから、気づいたけど黙っておく。
ちょっと前に髪を切った切っていない論争で揉めた時から、女子というのは髪に結構な執着があると知っているからだ。
2人の会話が終わったところで、会長がなぜここにきたのかを尋ねる。
「ここ部屋の扉の窓に暗幕が貼ってあったもので。
普段使わない部屋のため外しておこうと思っただけなんです。」と申し訳なさそうに言ってくる。
「別に責めるつもりも理由もないですし、そんなに申し訳なさそうにしないでください。
勝手に暗幕を貼ったのは僕ですから。」
そう言って、どちらの行動も問題ではないことを伝える。
「そう言っていただけるとありがたいです。
それでは、お2人のラブラブを邪魔するのはここまでにして、私は教室に戻らせていただきますね。」
最後にちゃっかり爆弾を置いていったことで、亜美の顔が再び赤くなる。
振り返って歩き出した会長の後ろ姿を見送っていると、スイレンの花の髪飾りが目に映る。
ヘアゴムとしても使ってみたかったからポニーテールを………?
いや、まさかね。
地味にあり得そうなまさかの選択肢を胸に抱いた時、扉を閉めようとした会長の顔色が一瞬で曇ったのを僕は見落とさなかった。
廊下の方を睨みつけるような目で、扉を閉めようとする会長の方に歩いていく。
「え?ど、どうしたの翔。」
困惑する亜美に、ちょっと待っててと断りを入れ、返事を待たずに扉のところまで来る。
その僕に気づくこともなく、会長は廊下を凝視し続けている。
「どうしたんですか━━━━━」
そう言いながら彼女と同じ方を見ると、すぐにその要因がわかる。
大柄な男が、制服を着崩したまま歩いてくる。
平和だった1日が、吹き飛んでいくような音と共に、高切が現れた。
あの後傷を癒すための出席停止を、言い渡されていたようだが、それも昨日までだったということだろう。
対峙した高切から放たれた第一声は、死ねとか消えろとかではなく、邪魔だ。でも退け。でもなく、
「こんちわっす。」だった。
あまりに訳のわからない展開に、僕と白石会長は顔を見合わせる。
人違い…でもないだろう。向こうが僕らのことを間違えているという可能性もないと考えられる。
つまり………どういうことだ?
おそらく、会長も僕と同じ思考をしているはずだ。
今、何が起きているのか。
しかし、黙り込んでいても何も進まないため、僕は口を開く。
「えっと…その挨拶は誰に向けてですか?」
白石会長がいるからというわけではないが、ここは相手を先輩としてみて敬語を使う。
「誰に…?
そりゃもちろん、あんただよ。」そう言って僕を見る。
やっぱりどういうことかわからず、僕と会長は再び顔を見合わせる。
「一体、どういう風の吹き回しですか?」
そう問いかける会長に、特にめんどくさがるような仕草も見せずに高切は答える。
「喧嘩っていうのは、勝った方が強い。
敗者は勝者の下につく。それは当たり前のルールだ。」
なるほど、と僕は理解を示す。
つまり、僕にこの前負けたため、自分は僕の下につく、そういうことだろう。
白石会長への態度が強いままなのは、喧嘩に勝ったのは僕であって白石会長では無いから。ただそれだけ。
しかし、前と比べたら幾分かマシになってはいると感じ取れる。
「この前もあんたに言ったが、俺が本気で喧嘩をする時は一騎打ち。
それで負けたんだから、完敗だ。」
そう言って、高切は少し頭をかく。
「もちろん、あんたがそこの女と金輪際近づくなと言うなら、俺はそれを守る。
よっぽどの理不尽を言われたら、再戦を申し出る可能性もあるけどな。」
そう言い切る高切からは、その本気度が伺える。
前に路地裏で戦った際、この人の手下たちは心配して近寄ってきただけで、僕を攻撃しようとはしていなかった。
喧嘩が始まった限り、自分たちは手出しするのは主義に反するということを理解していたためだろう。
勝手な想像かもしれないが、それが僕が見た現実であることも確か。
だからこそ、この男の言葉は信用に値すると、思ってしまう。
「それじゃあ、今後は白石会長に手荒なことはしないでください。
白石会長が良いと言うなら、あらゆる接触をするなとは言いません。」
そう言って、決定権を会長に託す。
少しの時間の後、返ってきた答えは、
「私は、できる限り多くの生徒と仲良く、親しくしていきたいと思っています。
ですので、これからは是非、お友達としてよろしくお願いしたいのですが。」と言うものだった。
予想外の答えだったのか、高切は目を開く。
「と言うことらしいので、僕の方もこれからよろしくお願いします。」
そう伝えると、一礼、深々と頭を下げた。
「本当に申し訳ないことをした。」
「顔を上げてください。
そこまで謝罪していただいて責める気は起きません。」
そう言って手を差し伸べる彼女の姿は、土曜日の由花さんの姿ではなく、生徒会長としての白石由花だった。
少し躊躇いながらも、その手をとり、続けて僕とも握手をする。
「そうだ、高切先輩も生徒会に入ったらどうですか?」
僕の口からぽろっと出たその言葉に、彼は戸惑う。
「い、いや…そういうのは俺の主義とは違うっていうか…性に合わないというか…」
そんなことをボソボソと言う横で、
「良いじゃないですか。
学校に貢献できて、それでいて不良たちを仕切る悪役。
なかなか面白いですよ。」
うんうんと頷いている会長を見て、その言い方はどうなのかと思いつつも、返事を待つ。
「少しだけ考える時間が欲しい。」
そう言われたので、連絡先を交換して僕は部屋の中に、会長と高切は2人して教室がある方へ向かって歩いていった。
こうして嵐のように過ぎ去った昼食の時間は、最後に残しておいた甘い卵焼きの味と共に終わりを告げた。
カフェで亜美との時間を過ごした後、駅まで送ってから僕は家に帰ってきていた。
「おかえり。」
いつも通りの無機質な声を聞きながら、部屋の扉を開けて中へと入る。
机の引き出しに入っているいくつかの中から、一冊のノートを取り出す。
“学内支配構造解析”
現在、第二段階まで書かれているその計画。
指名されて生徒会に入ったことにより、本来第三、第四段階に来ていた行程はすっ飛ばされた。
ほんの小さい可能性ではあるが、そうなるケースも考えていたため、その先の段階の計画を書き換えることに抵抗はなかった。
一度白紙になった第三段階以降の計画を修正して書き直そうとも思ったが、時期を待つ。
丸々今年一年をかけてやろうとしていたことが、たった半分も待たずに終わったのだ。大幅な修正、それを余儀なくされている。
しかし、大幅な修正を必要としながらも悠長にしていられる理由は、単に時間ができたからと言うわけではない。
白石由花………彼女が僕に対して与える影響が、思ったよりも大きい。
そして、彼女の影響も相まって、亜美から感じ取れるものも、少しだけだが変わってきた。
人から信頼され、支持される。
そんな人間との交際を周囲に知らしめることで、必然的に僕への信頼度も増すことができる。もっとも、普段から素行が悪かったり一切の信用がない人間がそれをしても無駄なわけだが、僕は違う。
数ヶ月という短い期間内で、多々クラスから信用されることがあった。
信用が信頼に変わり、そこから奥へ踏み込んでいくことで、支配が生まれる。
それを知っていた僕は、その考え通りに今まで計画を遂行してきた。
亜美、誠二、真琴などのクラスのメインとなる人物を中心に交流を深め、その中に自然と溶け込んだ。
どれだけのことであっても、目的を達成するためなら安いもの。所詮高校生活の3年間など、人生全てにしてみれば軽いもの。
3人分の人生ともなれば尚更だ。
他人を利用することも、切り捨てることも容易いと思ってきた。
実際、今の時点で100%そんな気が無くなったかと言われれば即答でノーと言える。
だが、身近な人たち…僕を信頼してくれている人たちを利用して、使い捨てにしてまで、この計画を進める必要があるのか。確実性は落ちると言っても、他の方法もあるのではないか。
そんな思いが、なぜか頭に残るようになった。
あいつへの思いは絶対に消えない。
それもまた、変わることなき事実。
だとしたら…どうすればいいのだろうか。
そんなことを考えつつ、引き出しから取り出したそのノートを、やはり手をつけずに片付ける。
あれだけの覚悟と意思を持っていたのにも関わらず、なぜこんなことで悩んでいるのか。
自分でも訳がわからなくなり、僕は少し上を向いてため息をついた。
週末、夏休みが終わってから結構経っているが、花火を見に僕たちは出向いた。
昔から色々なものが無くなり、復興され、新しくなり、古いものに戻りを繰り返しているが、花火もまたそのうちの一つらしい。
2150年、多くの花火は実際の火薬を使わなくなり、電気のみで構成されるようになった。
地方や地域て行う数百、せいぜい数千発の花火は、火薬を用いたものも残っていたが、都市部で行われる花火大会は多くが電気、もしくは立体映像化された。
そうなるにつれて起こった現象は、観客の激減。
しかし、花火職人が減り、立体映像導入のコストを考えると、即座に火薬に戻すことはできない。
そんな中、一部の花火職人と科学技術者が集まり、花火職人が形を決め、花火本体の製作はロボットが行うという、花火職人減少に対する方法がとられ、だんだんと復興が進んだ。
今では、全ての工程を職人が行い、伝統を復活させた地域もあるという。
2500年の世の中になっても、夏の風物詩=花火という常識が通用するのがその証拠だろう。
そんなことを思いながら、駅に着く。
千葉(ほぼ東京と言える場所にあるが)まで行く必要があるため、千葉行きの電車に乗る。
ちょうど関東電車圏の駅であるため、電車一本で行けるのがいいところだ。
亜美の街の駅まで来て、そこで彼女を待つ。
ふと見ると、結構先ではあるが地域の祭りのポスター。
「そういえば祭りがあるとか言ってたか…」そう呟いた時、視線の端で大きく何かが動く。
そちらを見ると、浴衣姿に身を包んだ亜美が、手を振りながら小走りで近づいてくる。
下駄を履き、いかにも和という感じの服装だが、鞄だけは違う。
浴衣に似合う鞄がないと嘆いていたけど、本当にそのようだ。
都内を散歩する、もしくは夜に高級レストランや展望台から夜景を見下ろすときに使いそうな、いかにも近代的ファションの鞄だ。本人は少し嫌だったみたいだが、それに関しては問題ない。
そんなことを思いながら、こちらも手を振りかえし、彼女が改札を越えるのを待つ。
ピッと電子音が鳴り、
「遅くなってごめ〜ん!」と言って近づいてくる。
「あんまり走るとあぶな━━━━━━」言いかけた時、目の前で亜美は前のめりになる。
反射的に走り出し、転びそうになったその体を支える。
「大丈夫?」
ゆっくりと体を離しつつ、僕は聞く。
「大丈夫大丈夫。ありがと。」テヘッと恥ずかしそうにしながら、彼女は笑う。
怪我もなさそうだし、特に問題もなさそうだな。
それを確認し、僕は助けに動くときに落とした袋を拾う。
「あ!花火買ってきてくれたの!?
翔にお金出させちゃうのは悪いよ…」
申し訳なさそうに、亜美はどうすればいいのか困惑の表情を浮かべる。
「全然いいよ。
僕も亜美に楽しんでほしいし。」
そう言って、僕は手を伸ばす。
驚きつつも、亜美はその手を取って僕の横につく。
目的地までの電車はあと5分で来る。
それだけあれば十分ホームまで行けるなんて思いながら、結ばれた手を少し強く握る。
到着した電車の中は、浴衣を着ている人もちらほらいる。
「あ、そうだ。」
電車の中なので小声ではあるが、思い出したような雰囲気を出して、僕は下げていた持ってきた紙袋からあるものを取り出す。
「これさ…結構昔から持ってた僕のやつなんだけど、全然使う時がなくて。
亜美だったら僕よりも上手に使ってくれるだろうからって思って持ってきたんだけど…どうかな?」
そう言って、籐を使って作られたショルダーバックを亜美に見せる。
これを買ってもらった後から高校に入るまでに花火や祭りなんて行くことがなかったので、完全に忘れていた。
肩掛けの長さは調節できるため、亜美でも十分余裕を持ってかけれる上、流石に現代のものというだけあって耐久性も申し分ない。
そのことを伝えた上で、受け取るかどうかの判断を亜美に任せる。
「ほ、本当にいいの?」
「僕のでよかったらだけどね。」
そう言葉を返した僕の手をぎゅっと握り、亜美は笑顔を見せる。
「ありがとう、翔!」
相変わらず電車の中での会話なので声は抑えめだが、その笑顔からはいつも以上の喜びが伺える。
目的地までの時間の中で、持ってきた鞄から僕が渡した鞄へと物を入れ替える。
電車から降り、人が少なくなったところで心ゆくまでお披露目してくれた浴衣姿は、僕の持ってきた物のおかげもあってか、この子が本当に僕なんかの彼女でいいのかと思わせるほど、可愛いと感じた。