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未体験の経験

「ごめんなさい。

遅くなってしまって。」

土曜日の午後12時50分、東京駅の壁にもたれていたところに、白石会長が到着する。

道ゆく人たちが、その綺麗な人物に一瞬目を奪われているのがわかる。何せ僕もそのうちの1人だからだ。

少しウェーブのかかった髪で、膝丈よりも少し高いところに端がきているスカート。

全体的に白を基調とした整った服に、僕は釣り合いが取れているのかと心配になってくる。

それに、遅れてしまったと言っているが、待ち合わせは午後1時。

少し早めにくるのが社交辞令だと思い、僕は45分に到着していたけど、ちょうどよかったみたいだ。

「全然大丈夫ですよ。そもそも遅刻じゃないですし、僕も今さっき来たところなので。」

そう言って、僕はこの後の行程について聞く。

「えぇと、とりあえずこのまま名古屋まで行って、名古屋でショッピングをしようかと。」

うんうん、やはりこの駅の近くのショッピングモールで買い物という流r━━━━━

「え?」

「へ?」

思わず声が漏れてしまい、こほんと目を逸らして咳払いをする。

名古屋まで行くって言ったか?

ここは東京なのだが…名古屋?

高校生が休日に東京から名古屋まで行ってショッピングとは……なかなかすごい計画を立ててきたものだ。

「だ、ダメだったでしょうか?」

焦りを見せる会長に、僕は慌てて言う。

「い、いえごめんなさい。

ここら辺の店を回るとかだと思っていたので…」

まさか名古屋まで行くと思っていなかったことへの驚きだったと伝える。

「確かに距離的には遠いかもしれませんが…

名古屋まで行くのに時間はかかりませんから。」

そう言って彼女は笑みを見せる。

確かに、全都道府県を通っている超速新幹線、“神雷“を使えば名古屋までは20数分だ。

そう考えると別に時間はかからないか…

そんなことを考えると同時に、超速新幹線とか神雷とか、中学生が考えそうな名前をしているなと感じる。

新幹線を使うことはほとんどなかったため、唐突に生まれた疑問に、後で調べておこうという意思が芽生える。

「これ、チケットです。」

そう言って、白石先輩は1枚のチケットを差し出してくる。

チケット入れの中にはもう1枚の姿が見えるため、自分の分も買っていたのだろう。

今はスマホで予約をとり、スマホを改札口にかざすだけでも乗れるはずだが、それでは僕は僕で予約しておく必要性が出てくる。そのためにチケットにしたと思うと、僕よりも前にこの駅に来てチケットを買っていたということだ。

「ありがとうございます。

ですが、代金は払わせてください。こんなところまで白石会長にしてもらうほどのことはしていません。」

東京━名古屋━大阪間は、基本のチケット代が高い。その上休日料金でチケット代はさらに高くなっている。

2枚も買ったとなると1万5千円ほどはいってしまうはずだ。

財布を取り出そうと鞄のチャックを開けると、優しく手を掴まれる。

「ご心配には及びません。

実は、私の父は全日本軌道管理局の局長でして。

今回のチケットはたまたま余りがあったから貰ったものなんです。」

微笑みを浮かべたままそう言う会長に、それは職権濫用なのでは?と言いたい気持ちを抑えて、代わりに感謝の言葉を伝える。

「それじゃあ、行きましょうか。」

そう言って先を歩いていく会長の横につき、ある場所を見てから僕は言う。

「会長、お昼ご飯食べてないですよね。」

ビクッと、小さく会長の体が跳ねる。

「い、いえ。

集合時間はお昼から1時間もありましたから…

食べてきましたよ?」

いつもの微笑みと共にそう言う彼女を見て、それなら大丈夫ですと返す。

僕が食べていないのかもと気を使わせないよう、緊張で夜が遅くなったこと、寝坊しそうになったことで急いでおにぎりを食べてきたことを話す。事実そうだったのだから何か言われることもあるまい。

終始笑いながらその話を聞いていた会長は、いつも学校にいる時より一回り楽しそうだった。






「そういえば、この新幹線の名前がなぜ神雷なのかわかりますか?」

改札を通る前から電車の中まで続く雑談の延長線上で、その話が出る。

先ほど気になったことを伝えつつ、話を聞く。

「神雷開通に伴って、全国の小中学校の子どもたちに名前を募集したそうです。

最初からいくつかの案を出しておいて選ばせるやり方ではなく、新しくすごく早い新幹線を作るため名前を考えてくださいと言ったところ、10分の1ほどが神雷だったらしいですよ?」

「10分の1?

それはなかなかすごいですね…」

現在の日本の人口は3億人。

そのうちの30%ちょっとが20歳未満の子供にあたる。ここで20歳という年が利用されるのは、ベビーブームと言われた1950年代の成人年齢と比較をするためだ。

今の小中学校の生徒が何人いるのかという明確な数字はわからないが、そのうちの10分の1というのはとてつもないことだろう。

そんなことをバカ真面目に考えていると、横に座った白石会長が覗き込んでくる。

「大丈夫ですか?」

不思議そうな顔で言われ、今自分が置かれている状況を思い出す。

「あ、ごめんなさい。ちょっと考え事を。」

そう言うと、それ以上は突っ込んでくることなく顔を引っ込めた。

「そうだ、おやつ食べませんか?」

僕は鞄の中から箱に入ったお菓子を取り出す。昼食直後であるため僕はそこまでお腹は空いていないが、白石会長はお腹が減っているだろう。

取り出された箱を見て、少しだけ目を輝かせている。

数100年の歴史を誇る、あのお菓子会社のチョコレートでコーティングされた棒状のビスケットのお菓子だ。今までにも何度もブームになることがあり、根強い人気を博している。

箱の中の袋を開け、1本取り出して会長の方に差し出すと、手で受け取ることもなくそのまま口で咥え込んできた。

「ほいひいです。」

ポキポキと口の中でビスケットが折れる音を鳴らしながら、会長は笑みを浮かべる。

なんか…とんでもないほど既視感がある。

今の会長の姿は、僕と一緒にいる時の亜美と同じそれだ。

もちろん、亜美と違って1本をそれぞれ反対から食べようとかは言い出さないだろうが。

他の生徒会メンバーや会長の同級生にもこんな姿を見せるのだろうか。

そんなことを考えつつ、

「会長が喜んでくれるならよかったです。」と言う。

すると、1本目を食べ終えた会長はこちらを見て、

「会長とかそんな堅苦しい呼び方はやめてください。

今はプライベートな時間なんですから。」と微笑む。

一時期、由花という名前で認識していた時期もあったが、彼女の凄さを知ってからは尊敬的な意味も込めて白石会長として認識していた。

それをやめろと言われると…なんと呼ぶべきだろうか。

「でしたら、なんて呼べばいいですか?」

白石会長の呼び方なのだから、会長本人が決めればいいかと思い、そう問いかける。

「そうですね…由花ちゃんとか?」

…………………………

「忘れてください。」

「はい。」

「無難に白石先輩とか由花先輩…

もっと親しい感じで行くなら由花さんとかですか?」

そう言って、再び選択権をこちらに戻してくる。

なんか一つなんとも呼びにくそうな名前が混ざっていた気がしたが、もう忘れたことだ。

「じゃあ、白石先輩で。」

「わかりました。

由花さんですね。」

そう言って微笑む彼女を見て思うのは、えぇ…という感情のみ。

なんというか、この人といると調子が狂ってくる気がする。いつもの自分が出せないとでもいうべきだろうか。

しかし、向こうは向こうで僕と同じような状況に陥っている気がしなくもない。

そんなことを思いながら電車に揺られ、定刻通りに名古屋に着く。

名古屋も東京駅と同じようにショッピングモールが一体化されており、東京では行き慣れているからという理由で名古屋まで来ることにしたそうだ。

僕自身名古屋に詳しいわけではないため、遠慮なく白石会長……由花さんのエスコートを受けることにする。

「それじゃあ、行きましょうか。」

そう言って一つ目のショップを指差す。見たところ………なんの店かさっぱりわからない。

全面ガラス張りになっているのだが、こちらから中は見えなくなっている。

出入り口から見える部分にも、その店だとすぐにわかるものは置いていない。

一体どんな店なんだ。

強い好奇心と共に、先を歩く由花さんを追いかけていく。

中に入ると、そこは受付と通路のみ。

すでに予約をとっていたようで、

「2名様ですね。ご案内します」とすぐに案内してもらう。

通路を歩いて右に曲がると、そこから続く通路には左右3つずつ、合計6つの扉が見える。

「こちらです。」

1番手前の部屋に案内され、由花さんは黒い扉を開ける。

部屋の中は真っ暗な空間が広がっていて、通路からの光がなければどこに扉があるのかすらわからなさそうだ。

「どうぞお楽しみください。」

パタン、と小さな音で扉が閉められ、いよいよどっちが右でどっちが左なのかすらわからなくなってきた。

とりあえず、横に由花さんがいるのはわかるため、ぶつからない程度にできるだけ距離を詰める。

「あ、あの。

ここはどういう━━━━━━」

僕が言い終わる前に、前方が光る。

目を瞑りそうになるほどの光が走り、次の瞬間、再び真っ暗になる。

否、真っ暗ではなく、小さな光の粉のようなものが舞っている。

すぐ真横を舞っている粉を掴もうとするも、その手は粉をすり抜ける。

これは………立体映像?

そんなことを考えている間に、その粉や少し大きい物体が集まっていく。

ぶつかり、砕け、くっつき、融け合いながら、それらは形を作っていく。

そこまできて、ついに僕は何を見ているのか理解する。

「…………地球の誕生……………」

「正解です。」

僕の口から溢れた言葉を拾い上げ、由花さんは笑みを浮かべる。

気づけば、由花さんの顔が見えるほどには僕たちのいる場所も明るくなっている。

少しの時が経つと、ついに地球の元となる原始地球と呼ばれる頃の時代の形になる。

火山のようなものが姿を現し、隕石が降り注ぎ、雨が降る。

大気、水、月、そして生物。

知っているものが次々と作られていき、それを宇宙空間の視点から見ていた僕たちの場所は、地球の中へと変わっていく。

いくつもの時代を通り過ぎ、生物の移り変わりを目の当たりにする。

歴史で学ぶだけではなく、実際にその場に立っているような経験をすることで、当時の環境の過酷さなどが、ひしひしと伝わってくる。

この部屋に入って約10分が経った頃、ついに人間の時代へと移り変わる。

しかし、その長さは今までと比べてはるかに短く終わった。

地球の歴史に比べ、人類の歩みなどまだまだだというのを教えられているような感覚だ。

視点が宇宙空間に戻り、今の地球が映し出されたところで部屋が明るくなる。

多少の感動のようなものを覚えつつ、僕たちは放送に従って部屋を出る。

「いやぁ…すごかったです。

あんなに立体的に見ることができる施設もあるんですね。」

興奮冷め切らないような中で、由花さんに向けて言う。

「ふふっ。

喜んでいただけたようで何よりです。

東京にも似たような場所が一応あるのですが、ここ名古屋は世界最大のプラネタリウムが作られた場所でもありますので。

プラネタリウム自体は老朽化で無くなったと言っても、こういうことにも力を入れているみたいです。」

僕が喜んでいることが嬉しかったのか、由花さんも喜びをあらわにしている。

「翔くんのクラス、文化祭の出し物は宇宙だったでしょう?

誠二くんにも聞いたところ、だいぶ熱心に出し物を作るのに協力していたみたいだったので、興味があるのかなと思ったんです。」

そんなこといちいち言わなくてもいいだろ、と誠二に向けて心の中で訴えつつも、いい経験ができたので良しとしておく。

「それじゃあ、次はショッピングタイムですね。」

先ほどの店を出たところで、由花さんは次なる場所へ向かっていく。

まず最初についたのは服屋だ。

「翔くんは何か欲しい服ありますか?」

そんなことを言いながら、

「あ、これ似合いそう。」なんて言って服を持ってくる。

「持ってください。」

そう言われて服を胸に当て、それを由花さんは少し離れて見る。

「ちょっと違いますね」と言っては次の服を持ってきて、似合うかどうかのチェックをしてくる。

こういう経験もあまりないため、斬新だ。

「これ良いですね!」

そう言って選ばれた3着をカゴに入れ、由花さんはルンルンで会計へ向かっていく。

普段服にさほど興味はないが、こうして来ると結構楽しいものだな…

なんてその後ろ姿を見て、いやいやちょっと待てと思い出す。

確かに、これは由花さんからの恩返しということのようだが、いくらなんでも色々してもらいすぎだ。

服が3着で1万円、チケット代も僕だけでも往復となれば1万を超えてくる。今時の物価で3着1万の服もだいぶ高いが、この後には夕食も行くと言っていた。

流石にまずいと感じた僕は、歩いていく由花さんの腕を引く。

「へ?」

突然の状況に素っ頓狂な声を上げながらも、由花さんは歩くのを止める。

「せっかくなので、由花さんの服も買いましょう。

もちろん、その分のお代は僕が出しますから。」

その言葉に、少し慌てるように由花さんは言う。

「い、いやそんな気を使って頂かなくても…

これは私から翔くんへの恩返しなわけですし…」

そう返され、どうにかして上手く説得する方法はないものかと僕は思案する。

そして、最高とも言える返答を思いつく。

「でしたら、一緒に楽しみましょうよ。

その思い出は僕にとってすごく貴重なものになると思いますし!」

僕の言い分を聞き、私はもう十分に楽しいと言いたげな由花さんは、しかしブルブルと首を横に振る。

「わかりました。

翔くんがそれで良いのなら、そうしましょう!」

どうやら、僕に合わせてくれるようだ。

恩返しをする対象が望んでいるならば、どう言う形であってもその望みを叶える。由花さんならそうするだろうと考えたのが、しっかりと当たった。

時々、由花さんが僕の服以外のものに視線を飛ばしていたのも感じていたため、本当は自分の服も買いたいと思っているのかもしれない。

結局、それは勘違いだとわかることになるのだが、それからは、由花さんの服を探して店の中を右往左往。

「どうですか?」

似合いそうだと思ったものを片っ端から持っていったのはいいけど、服選びというのはなんとも難しい。

由花さんの家にあるのがどんな服なのかわからない以上、完璧な解答を出すのは110%無理だ。

もちろん、今日ここで一式全部揃えるとなればできるかもしれないが、それでは由花さんが僕の服を買う分の代金を超えてしまう。

向こうの厚意を無下にしないためにも、少し低いくらい、最低でも同額くらいのものをプレゼントするのが普通だろう。

僕の服を選んできた由花さんのセンスは抜群で、自分でもこれは良いと思うようなものばかりだった。

それに対し、今の僕は完全なるヌーブ。これから先亜美と服を買いに行く可能性も十分にあるため、服について学んだほうがいいのかなんて思いも頭をよぎる。

そんなこんなで、僕の服を選ぶだけなら20分で終わったところを、由花さんの服を選んでいたことで50分も追加で時間がかかってしまった。

夕食の予約が6時であるため、それまでは全然大丈夫と言ってくれたけど、こちらとしてはずっと立ちっぱなしで1時間以上もごめんなさいとしか言いようがない。

けれども、最終9000円ちょっとで収まった3着の服の入った袋を嬉しそうに腕にかけ、由花さんは横を歩いている。

「次はどうするんですか?」

服を買い終わり、トイレに行くと言ってその場を離れて5分後、戻ってきた僕のその問いかけに、

「少しはしゃぎすぎたので、カフェにでもいきましょう。」と返してくる。

地下のカフェに行き、コーヒーブレイクをすることに。

いや、勉強などをしているわけではないためこの言葉選びは間違っているかもしれないな。

カフェに入って席につき、注文をしたところで、お手洗いに行くと言って由花さんが席を立つ。

1人になった待ち時間を利用して、全日本軌道管理局という言葉を検索にかける。

すると、組織についての解説の3文目に、白石凌次郎という名前が出てくる。髭の生えた、少し気の強そうな、いかにもお偉いさんポジションにいそうな顔の人だ。

そんなことを思いつつ、この局の役割について深く見ていく。

日本全体における新幹線、電車の管理運営、その他一部道路や高速の権利も持つ公的機関と書いてある。

国土交通省の下についているのではなく、単独の象徴として力を持っているようだ。近年では、庁や委員会と名がつくものでも独立した組織が多いため、それほど不思議ではない。

大まかに組織について調べ終えたところで、由花さんを視界の隅に捉えてスマホをしまう。

「お待たせいたしました。」

由花さんの方をずっと見ているわけにもいかずガラス越しに慌ただしく行き交う人を見ていたため、不意に後ろからかけられた声に少し驚く。

「こちらミルクティーとカフェオレになります。

ごゆっくりどうぞ。」

伝票と共に置かれた飲み物が間違っていないかを一応確認し、ありがとうございますと言って小さく頭を下げる。

入れ替わるように席に座った由花さんにミルクティーを差し出し、

「ありがとうございます。」と感謝を受ける。

「翔くんはカフェオレでしたよね。少し意外です。」

「そうですか?

由花さんがミルクティーを頼むと言われれば想像するのは容易いんですけど…」

「それは私にコーヒーなどの苦いものが飲めそうにないという意味ですか?」

「え…!?

いやいや、違いますよ。

なんていうか…うーん。」

とりあえず違うということだけは伝えておくも、いい感じの言葉が出てこない。

「まぁ、違うならいいですけど。」

口先を尖らせながら小声でそう言う由花さんを見て、僕はクスッと笑うのだった。





「ちょうどお腹も減ってきましたし、6時でちょうどよかったです。」

おそらくずっとだったと思うが、昼ごはんを食べてきたと言ってしまった手前そんなことを言うことはできず、由花さんはスマホを出して何かの画面を開く。

このエレベーターの最上階、そこに食事をするところがあると言うのだが、超巨大ショッピングモールの最上階にある食事どころが、安くコスパ良く食べられるなんてのをウリにしているわけがないだろう。

カフェに行った後も本を買ったり高校生らしくゲームセンターへ行ったりと色々して、なんだかんだ追加で5、6千円は使わせてしまっている。ちなみに、ゲームセンターではUFOキャッチャーで大きなぬいぐるみを取った。荷物が多くなるため郵送にしたが、明日には由花さんの家に届くだろう。

しかし、これ以上は申し訳ないと思っているのは確かで、食事代の半分は自分が持とうと考えながら、最上階に着く。

まだ秋に差し掛かっていると言えるかどうかという時期であるため、窓から見える景色は暗くないが、沈んで行く陽を見ることができる。

そんな窓側の席をとり、メニュー表を開く。

入り口から薄々感じではいたが、やはり高級感漂うメニューばかりだ。

フランス料理のコースを見て、おひとり様3万円と言う文字に驚愕する。

その他のメニューを探してみるも、酒類ばかりで単品のメニューというものがない。

由花さんの開いているメニュー表も僕のと同じであるため、どれを選ぶのだろうか。

そんなことを考えていると、まだ呼んでもいないのにウェイターが来て、何になさいますかと聞いてくる。

由花さんはなんと答えるのか、今日1番の緊張の中で僕は彼女の言葉を待つ。

開かれた口から言われたのは、

「フランス料理のコースを2人分お願いします。」だった。

「かしこまりました。」

そう言って席を後にしたウェイターの後ろ姿を視線で追うこともなく、僕は由花さんに言う。

「ゆ、由花さん。

いくらなんでもこんな高いものはダメですよ!

少なくとも学生が食べるような金額のものじゃないですって。」

頼んでしまったのだからもうどうしようもないと言われればそれまでかもしれないが、なんとか思い直してもらおうと反対側に座っている由花さんに訴えかける。

しかし、彼女はずっと落ち着いている。

「気にしないでください。

メニュー表の後ろの1番下を見てください。」

由花さんの注文に驚き、握り締め続けていたメニュー表の裏を急いで見る。

そこには、“全日本軌道管理局”の文字。

まさか………

目線を上げる僕を見て、由花さんはふふっと笑う。

いやだから職権濫用ですって…

そんなことを言うこともできず、僕たちは料理を堪能したのだった。




「今日は……楽しかったですか?」

こちらを見上げ、帰りの新幹線の中で由花さんは聞いてくる。

「はい。とっても。」

その返答を聞き、安堵したように顔を下す。

時刻は午後8時。

1日というものはこんなに早いのかと言いたくなるほど、時間はすぐに過ぎ去っていく。

しばらく沈黙が続き、由花さんの方を見る。

そこには、目を瞑ってコクリコクリと首が動いている由花さんがいる。

小さな寝息をたて、眠っているようだ。

たった6時間と言っても、彼女にはずっと気を遣わせてしまっただろう。

申し訳なさを感じつつも、それ以上に今日という日をセッティングしてくれたことへの感謝の方が大きい。

それに、今まで知らなかった新たな事実も知ることができた。

今日1日で得ることができたものは大きいだろう。

眠っている由花さんの横顔を見て、不覚にも可愛いなと思ってしまう。

こんなことを思っていることを亜美に聞かれたら、殴り飛ばされるか号泣されるだろう。

羽織っていた薄手の服を脱ぎ、そっと前からかける。

「んっ……翔くん………」

どんな夢を見てるんだか。

眠りながら僕の名を呼ぶ由花さんから目を離す。

僕は、利用できるものは全て利用して、目的を達成しようとしていた。

亜美と付き合うことにしたのも、亜美のことが本心から好きということとは違う。

生徒会に入ったのも、この人を助けたのも、もっと言えばこの学校に入学したことでさえ、目的を達成するため以外の理由はない。

しかし、最近ではその思いが薄れてきている……いや、中和されてきていると言った方が正しいだろうか。

今一度、自分に喝を入れるように昔のことを思い出す。

その時、

「しょ、翔くん?」

不意に声をかけられ、はっと顔を上げる。

「どうしたんですか?」

目をさすりながらも、彼女は僕を見つめてくる。

「今、すっごく怖い顔をしていました。」

その言葉に、

「なんでもないですよ。」と返す。

「そうですか……」

そう言って退いてくれたが、内心では絶対に納得していないだろう。

失敗したと思いながらも、どうしようもないため黙り込む。

沈黙のまま数分が過ぎ去り、僕たちは東京駅に着く。

自転車を止めておいたところへと行かなければならないため、新幹線の改札口を出たところで由花さんと別れることになる。

「今日は、ありがとうございました。」

そう言って、僕は由花さんの方を見る。

「こちらこそ、楽しかったです。」

そう言って笑みを浮かべてはいるものの、新幹線に乗った時ほどの楽しそうな感じは見えない。

踏み込んではいけないところに踏み込んでしまった。

そういう思いがあるのだろう。

「そ、それじゃあまた学校で。」

足早に去って行こうとする由花さんを、僕は名前を呼んで引き留める。

「これ、どうぞ。」

服を入れている紙袋から、小さな小袋を取り出して渡す。

「これは…?」

中には入っている箱を見て、僕に目線を上げる。

「開けてみてください。」

せっかくの楽しい1日を、最悪な空気で終わらせることはしたくない。

最後に渡そうと思っていたものだが、意外な形でより良いタイミングになった。

箱を取り出し、袋を腕にかけて、由花さんはそれを開ける。

「え━━━━━━」

その中に入っていたものを見て、彼女は声をあげる。

中に入っているのは、白いスイレンの形をしたヘアアクセサリーだ。

ピンをつけて髪につけることも、ゴムを通すことでヘアゴムとしても利用できる優れ物。

箱の中は2段になっていて、上段にはスレインのアクセサリー本体、下段にはピンやヘアゴムといった補助品が入っている。

「ど、どうしてこれを…?」

喜びよりも驚きが勝っている由花さんに、

「由花さん、僕の服を見ていた時から時々それを見ていたでしょう?

言ったじゃないですか。楽しむなら一緒に楽しみたいのが僕の思いだって。

それは、今日1日楽しませてくれた由花さんへのお礼のプレゼントです。

だから、これ以上僕のことで深く思い詰めないでください。」

そう言って笑う僕を見て、一瞬だけ彼女の目に涙のようなものが浮かぶ。

それをすぐに拭って、スイレンのアクセサリーとヘアピンを取り出す。

「に、似合ってますか?」

髪にそれを付け、由花さんは視線を逸らして聞いてくる。

「すごく似合ってますよ。」

その言葉を聞き、嬉しそうに頬を赤らめる。

「本当に、今日はありがとうございました。」

改めてお礼を伝え、由花さんからもお礼が返される。

このままだとお礼をしてお礼を返されるという状況が永遠に続きそうなので、そろそろ母親が帰ってくるため僕も帰りますと伝える。

「じゃあ、また学校で。」

「はい。

おやすみなさい。」

「おやすみなさい。」

そう言って別れつつも、10数歩歩いて行ったところで振り返る。

同じくらいのタイミングで、由花さんも振り返る。

互いに笑みを浮かべて、また前を向いて歩いていく。





「ただいま。」

家の扉を開け、部屋まで歩いていく。

明日は日曜日。

何かすると決まっているわけではないが…

久しぶりに一日中ゆっくりするのもありか。

そんなことを思いつつ、亜美に帰宅のメッセージを送り、風呂に入ることにするのだった。

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