日常?
「えー、それでは、我が校の評議会からの表彰を祝しまして、乾杯!」
校長が乾杯の音頭を取り、グラスがぶつかり合う音が生徒会室に響く。
僕の発案から早3ヶ月ちょっとが過ぎ、評議会は正式にこの計画を後押ししていくことを決めた。それに伴い、発案校であるうちの学校は地域貢献度が高いとして表彰を受けたようだ。
日本政府附属教育高等学校と大々的に書かれた名前とよくあるコメントがつけられているその表彰状を、校長は嬉しそうに額縁に入れる。
うちの学校は将来エリートやアスリートを目指すものが多く集まる学校であるため、個人単位や部活単位での表彰というのは少なくない。
しかし、学校単位として表彰されるのは、今までの歴史の中で数回程度しかないらしい。
取り組みが生徒会内のみから有志の募集に変わり、その上参加すれば履歴書等にも書ける可能性があると言われれば、参加する人間が多いのも頷ける。
各々生徒会メンバーがグラスに注がれたジュースを飲み、今回の一件に携わった教師たちは1缶のビールが注がれているグラスに口をつけ、美味しそうに喉を鳴らす。
500年と少し前…第二次世界大戦と呼ばれる戦いがあった頃からしばらくの間は、こんな感じで学校内では教師が台頭していたこともあったそうだが、平成、令和といった時代を通る過程で状況は劇的に変化。次の時代である晴曜や翠煌と言ったインターネット技術が目まぐるしく発展した時代では、教師という立場はただのブラック職に変化した。
子供たちが家から学校に通うことがなくなり、家で授業を受ける。
時々学校に来る日が設けられるも、そこでの教師への反発やほとんど会話することがない同級生たちとのコミュニケーションに対する癇癪などが問題になった。
そこからさらにAIが授業をするという形に変化した結果、善悪の区別がつきにくくなったことから犯罪が増えまくり、治安は悪化。
結局元の形が1番なのではないかということで、今の形となったらしい。
設備は進化しているが、学校に来て同級生たちと学び日々を過ごす。
寺子屋なんてものがあった時代からの、人と人とのコミュニケーションというものが、今の日本では再度重要視されているのだ。
だからこそ教師という職は、暗黒の教育時代と呼ばれた頃よりもだいぶ自由になったのではないかとも思える。
そんなことを考えつつ、手にしたグラスを机に置くと、人影が近づいてくる。
「すごいじゃないか斎藤くん!
君のおかげでうちの学校の評判は鰻登りだよ!
これからも、何かあったらなんでも相談してくれよ。」
そう言ってくるのはうちの学校の校長だ。
いや…僕の苗字は斎藤じゃないんだが……
亜美の人気が高いのもあり、なぜか知らないが僕のことを斎藤と呼んだということだろうが……
教師の間にも僕の恋愛事情は広がっているのか?
そんな疑問を感じつつも、僕の苗字が暁であることを訂正する。
一瞬焦るような表情をしたが、すぐにすまんと言って手を合わせる。
ふくよかな体つきで、教師と生徒の間でも優しい人というイメージが持たれている。
だがまぁ、内心はどうかわからない。学校のためではなく、自分の地位のためならばなんでもするというだけの可能性は捨てきれない。
そんな校長に、僕は先ほど言われたことの返答をする。
「僕の力じゃありません。
学校の生徒一人一人の努力と協力あってのものですから。」
「そう謙遜しなくてもいいんだ。
でも、それが君の良さなのかもしれないねぇ。」
そう言って僕の肩を優しく叩き、会議があるから失礼すると言って部屋を出ていく。
「先生方の間でもヒーローのような感じですね。」
隣に座った白石会長が、話しかけてくる。
「そうですかね?
僕は僕の仕事をこなしているだけなんですが…」
「ふふっ。
そういうところ、やっぱり翔くんらしいですね。」
そこまで言い終わったところで、会長が浮かべていた笑みがスッと消える。
周りを見ると、全員の視線が僕たち2人から離れた瞬間だというのがわかる。
机の下で差し出された一枚の紙を受け取り、目を通す。
「これは…?」
小さな声で聞き返した僕に、白石会長も声を抑えて答える。
「先ほど、自販機にくために一階を歩いていたとき、下駄箱のところで不審な動きをしている男子生徒を見かけたのです。
上履きの色から二年生であると判断することができ、なぜ一年生の下駄箱のことろで周りの目を気にしてコソコソしているのかと疑問に思って隠れていたところ、翔くんの下駄箱の中にこれを入れたのを見ました。」
僕を見るよりは周囲を気にするような視線で、彼女は周りを観察しながら続ける。
「ラブレターとかだったらどうしようとも思ったのですが、ついつい好奇心が勝ってしまい、翔くんの下駄箱を開けたんです。」
「そうしたら、そこからこれが出てきた、と?」
「そう言うことです。」
事情を聞き、僕は席を立ち上がる。
「わざわざありがとうございました。」
そう言った僕を見て、白石先輩は息を呑む。
「大丈夫…ですか?
本来なら、あなたは無関係だったはずの問題…
私に言う権利がないのはわかっていますが、自分から命を捨てるような選択はして欲しくないんです。
翔くんならなんとかしてくれるかもしれない…けど……」
自分も立ち上がって僕を見つめる白石先輩に、軽く目配せをする。ハッとした表情で振り返り、今自分たちが置かれている状況を理解しようとする。
“周りに注目されていますよ”
そんな意味を持った、僕からのメッセージ。
彼女が振り返った隙に、僕は生徒会室から出ていく。
スマホを取り出してある人に連絡を送り、廊下を歩いて空き部屋となっている特別室の扉を開く。
「よう、待ってたぜ。」
「なんで僕が呼ばれたんですか?」
とりあえず、すっとぼけるようにそう言う。
相手が先輩であるため、一応敬語を使っておく。
「ふざけんじゃねぇよ。
テメェが邪魔したせいで、俺の計画が台無しになっちまった。そのツケはしっかり払ってもらう。」
まぁ、やっぱりそういうことだろうなと思いつつ、僕は凍てつくようなその目に視線を合わせる。
恐ろしさを持ってはいるが、その奥には僕への復讐心の炎が燃えたぎっているのがわかる。
「だとしたらどうするんですか?」
「決まってんだろ?
今からお前をボコボコにすんだよ!」
そう言うが早いか、高切は僕に向かって掴みかかってくる。
避けることもせず、胸ぐらを掴み上げられる。
その瞬間、ちらりと下に目線が動く。この前白石会長の蹴りが当たったことで絶好の好機を逃したため、今回は同じ目には合わないという意志が見えている。
ただの筋肉バカとか暴力バカというワケではなく、この学校に通っている通り、一定数頭の良さはあるということなのだとわかる。
「やけにおとなしいじゃねぇか。
もしかして、生徒会長がいないとガッツが出ないとかそういうことか?」
高切がそう言うと同時に、僕の頬に痛みが走る。
その勢いを正面から受け、後ろに向かって吹き飛ばされる。
ドアに当たったことで感じる、背中への鈍い痛み。
距離が詰められ、再び拳が振り上げられたところで、扉が開く。
もたれていた場所がなくなり、僕の体は後ろへと倒れる。
「お前たち、何をしているんだ!」
姿を現したのはうちのクラスの担任、吉田宗兵先生。
もちろん、偶然通りかかった訳ではなく、先ほど僕が呼んでおいた人物だ。
高切の行動には学校側も困り果てているようで、この芝居に一役買ってくれた。僕が大怪我をすると言うこと前提の芝居であるのに変わりはないのだが…
流石に痛む頬をさすりながら、僕は起き上がろうとする。
「大丈夫か?」
差し出された手を取ろうとするも、後ろから蹴りが飛んできていることに気づいて先生を素早く突き飛ばす。
なんとか右手で受け身を取り、致命傷を回避。
数歩分の距離をとったところで右手に力を入れ、骨折していないことを確認する。
「センコーが邪魔しにきてんじゃねぇよ。
これは俺とこいつの喧嘩なんだ。」
どいておけと言うように、高切は手をぱっぱと払う。
「正々堂々一騎打ち。
それが俺のやり方なんでな。」
普通、本気で一対一の戦いを喧嘩でする奴はいないだろう。しかし、この男が言っていることが正しいのではないかと思えるような証拠はある。
「それをあなたが手下にしている人たちにも教え込んでいるんですか?」
その言葉を聞き、高切は怪訝そうにこちらを見る。
「あぁ?
なんでテメェにそんなことがわかるんだ?」
「それは………」
言葉を続けようとしたところを無理やり遮るように、前から拳が突き出される。
それを回避し、視界の中にしっかりと高切を捉える。
勝者絶対主義。それを自分の信念とし、その中でも一対一のフェアな戦いを望む。
つまりは、自身の実力だけを持って相手を叩き潰し、服従させる。たったそれだけのことを言っているだけなのに、この人間の言葉は重みが違う。
そう思わせてくるほど、幾つもの修羅場を潜り抜けてきたのだろう。
対してこちらは護身術のために習っていた武術の覚えのみ。
がしかし、強くなるために力を求めた心は、僕の方が勝っていると思えるほどの鍛錬を積んできた。
今までの自分の努力を胸に、その男と対峙する。
「それじゃあ、いくぜ!」
一歩踏み込んで繰り出された拳をギリギリまで近づいてくるのを待って躱し、背負い投げの姿勢を作る。
その瞬間、部屋の天井に頭がぶつかるのではないかというほどの跳躍を見せ、僕の動きも躱される。
落下する重力を活かし、上空から蹴りを放ってくる。
それを回避したとろで、床に降り立った高切が机を蹴り上げる。
武道と喧嘩の違い。
それは、決められたルールがあるかどうかとも言えるだろう。
現に、高切はこの教室内にある机という物体を武器として用いてきた。
空手、剣道、柔道、その他どんな競技であっても、机を使って戦うことなんてルール違反をしない限りないだろう。
だが、喧嘩にルールは存在しない。よって、この高切の行動も不正だなんだと言うことは誰にもできないのだ。
飛んできた机の脚を掴み、机を投げ返す。
驚きの顔を隠せなくなっていた高切だが、すぐに冷静さを取り戻して屈んで机を躱す。
これだけ音が出ていれば、他の教師たちが状況を聞きつけてこちらにくるのは必定。
しかし、ここで高切に勝たなければ、また白石会長に危害を加えようとしてくる可能性は十分にある。
「このままじゃそのうち先生が来ます。
その前に、完全に肉弾戦で決着をつけませんか?」
僕が持ちかけたその提案に、高切は不敵な笑みで答える。
次の瞬間、数歩分空いていた距離を一気に詰め、拳が突き出される。
躱すことはせず、右の手のひらでガッチリ受け止め、蹴りを放つ。
その攻撃は空いた片方の手で受け止められる。
1本の腕を使い、1本の脚も動かせない。そしてもう片方の脚は立つために使っている。
それに対し、高切は2本の脚が残っている。
そこでとってくる方法はただ1つ━━━━━
蹴り上げられた力強い一撃を、僕は掴んでいた右手を即座に離し、体を捻って躱す。
そして、床についている脚を思いっきり蹴り上げる。
高切が驚きの顔を見せたその時には、僕の膝蹴りが彼の顎に直撃していた。
「お、終わった……のか?」
戦争の終わりを見届けたような言葉が、廊下から漏れてくる。
もちろん、声の主は吉田先生だ。さらに遠くからバタバタといくつかの足音が聞こえてくる。
業務に支障が出ないようにするため、職員室の上の部屋が空き部屋になっているという側面もあるからだろう。
「これは……なんと言って報告すればいいんだ?」
頭を抱える吉田先生を見て、巻き込んだことに対する罪悪感を感じていた時、後方から小さな唸り声が聞こえる。
頭を摩りながら、高切が起き上がったのだ。
膝蹴りを顎に食らい、倒れる際に頭を強打してなお、復帰まで数分とは。
だがしかし、高切が起きたとなればなんとでも言い訳ができる。
「僕と先輩が手押し相撲をしていたことにしてください。
それを先生が目撃し、注意して今に至ると。」
だいぶこじつけな僕の考えに一瞬戸惑うも、吉田先生は頷く。
「それでいいでs━━━━━」
後ろを振り返ると、高切の姿はそこにはない。
よく見ると後ろのドアが開いているため、たった数秒の間にこの部屋から出て行ったということか。
こっちで何があったかを好きに言えると考え、向こうからやってきた先生たちに事情を説明し、高切と僕のせいだと言って謝罪をしておいた。
「そうですか…
本当にご迷惑をかけて申し訳ありません。」
電話の向こう側でそう言っている白石会長に対し、全然大丈夫ですよと何度目かの言葉を返す。
あのあと、日頃の行いから僕強くお咎めを受けることはなかった。高切に巻き込まれたに違いないという考えが先生たちにもあったのか、気をつけて帰るようにと言われた。
吉田先生に非があるわけでもないため、穏やかに問題は収束したと言えるだろう。
先ほどからそう言って報告しているのだが、白石会長は自分が不甲斐ないばかりに僕を巻き込んでしまったと言って聞かない。
行って返ってのやり取りが続いていく中で、白石会長の言葉は謝罪から恩返しへとシフトしていった。
もちろん、こちらが勝手に首を突っ込んだのだから必要ないと言ったのだが、どうしてもと言われ続け、結局ご厚意に甘えることにした。
「それで……明後日は空いていますか?」
「明後日?
となると土曜日ですね?」
「そうです。
土曜日の午後1時くらいからお時間をいただけないでしょうか。」
「それは…2人きりでということですか?」
「もちろんそうです。」
そう言った束の間、少し焦ったように言葉を続ける。
「いえ、すみません。
翔くんには彼女さんがいますもんね……
2人きりというのは忘れてください。」
突如として訪れた沈黙の中で、僕は思う。
この前部屋に来た時もだったけど、どこかいつも見ている白石会長ではないような部分がある。冷静さを失っているとでも言うべきだろうか。
しかし、いつまでも沈黙を続けているわけにもいかないため、僕は話を切り出す。
「難しいことかもしれませんが、彼女になんとか理解してもらいます。
経緯を説明すればわかってくれる人だと思いますから。
もちろん、細かいことまでは話しませんし、僕から聞いたことも他言しないようにしっかり言っておきます。」
返答に悩んでいるのか、こいつは本当に彼女持ちの男なのだろうかと考えているのかはわからないが、静かな時間が終わることはない。
自分の彼氏なら、いくら先輩で生徒会の付き合いがある人と言っても、異性と2人きりで休日に会うなんていうのは許せないと考えているのではないかなんて思いが、頭の中を巡る。
生徒会、よく知っている人だからこそ起きる問題もあるかもしれない。
相手の気持ちになって考える。
白石会長が得意とする分野だろう。
無言のまま数十秒が過ぎ、ぎこちなさそうにしながらも会長は口を開く。
「わかりました亜美さんが良いと仰るなら、2人で行きましょう。
私は亜美さんと接点があるわけではないので、翔くんにお任せしてもいいですか?」
「わかりました。
今日の夜になったら聞いてみます。」
「私が言うのも何ですが、そういうお話は直接会ってした方がいいのではないかと思います。」
白石会長に諭され、そういうものなのかと新たな知識を得る。異性交流というのはやはり難しい。
それから数分の間雑談をして、僕は電話を切った。
「な〜るほど?
全然いいよ?」
次の日の放課後、部活終わりの亜美を待ち、僕はその隣を歩いている。
白石会長と明日出かけることへの許可を出してくれたところだ。
随分あっさり認めてくれたので、昨日会長が言っていたことが何だったのかと思いつつ、亜美の横顔を眺める。
そんな僕の視線に気付いたのか、亜美は少しだけ顔を赤くして、
「ど、どうしたの?
私の顔になんかついてる?」と聞いてくる。
「いや…すごいあっさり認めてくれたからさ。」
そう言うと、視線を少しだけ逸らして、
「別に私は翔を束縛しようなんて思ってないから…」と言う。
「え、そ、それとも束縛してほしい系男子だった!?」
ハッとしたようにこちらを見てくるが、僕は首を横に振る。変な勘違いはしてほしくないものだ。
「ありがとう、亜美。」
僕がそう言うと、彼女は歩みを止める。
「どうかした?」
数歩進んだところで振り返ると、彼女はちょっと駆けてくる。
後ろから僕に抱きつき、小さな声で、
「大好き。」と言われる。
「僕も好きだよ。」
そう返すと、数秒して亜美は僕から離れる。
なぜか、その顔は真っ赤になっている。
「だ、大丈夫?」
「あ、あ、えーっと……
ごめん!先帰るね!」
嬉しさと恥ずかしさが半々で混ざり合った顔で、亜美は僕を追い越して駆けていく。
「なんだあいつ。」
ふっと笑みを浮かべながら、僕は声を漏らす。
「わからないなら教えてあげます。
あなたの可愛い彼女ですよ。」
その声に、僕の体は飛び上がりそうになる。
「きゅ、急に驚かせないでくださいよ。」
突如として横から現れた白石会長にそう言い返す。
「ごめんなさい。
後ろ姿を見つめられている彼女に少し嫉妬してしまって。」
「え?なんて言いました?」
「いえ、何でもありませんよ。」
そう言って、白石会長は笑みを浮かべる。
会長が口を開いた時に通っていった馬鹿でかい音を鳴らしていたバイクにイラッとしながらも、僕は歩き出す。
何となく聞き取れたが、そんなことを白石会長が言うとは思えないため、完全に聞き間違えをしているだろう。
「今日は自転車じゃないんですね。」
話題を逸らすように、そんなことを言ってくる。
「ちょっとパンクしてしまって。
今日はちょっと早めに家を出ていたので助かりました。」
「学校と家が近いのはやっぱり便利ですね。」
帰り道を進んでいくと、分かれ道にくる。
僕の家と駅は方向がずれているため、そこで別れることになる。
「それでは、また明日、東京駅で会いましょう。」
東京駅……あそこは大型ショッピングモールが一体になっているため、そこで買い物をするつもりだろうか。
全て任せてほしいと言われているため、楽しみにしつつ、それじゃあと言って別れる。
「ふぅ」
小さくため息をつき、僕は家に向かって歩いていく。
最近は学生らしいことばかりが続いているな…そんなことを空を見上げながら思うのだった。