危ない橋
「これも、狙ってやったことなんですか?」
生徒会活動は今日は休みだと聞かされたのに生徒会室に呼ばれ、不安の中にいた僕は問い詰められていた。
相手は、もちろん生徒会長。
いつもの優しい笑みの裏には、絶対に答えを聞き出しやろうという強い意思が見え隠れしている。
この人を完全に信用しているわけではないが、今回のこのプロジェクトが成功すれば、得をするのは評議会と学校と生徒会だ。
たとえどんな形であっても、僕に敵対してくる必要性はない。
失敗した時の矛先を僕に向けると言う可能性は無きにしもあらずだが、こちらとしてはそもそも失敗するつもりなんて一切ない。逆を言えば、失敗する要素がない。
邪魔をする必要性がある者が出てくるとは思わないし、なんと言っても一度賛成した側の奴らが失敗したからと言って自分たちは悪くないなんて言い出す方が難しい。
だが、一応の可能性を考えて行動した方がいいだろう。
そして僕は、
「何かを狙ったということではありません。
純粋に自分がやりたいと思ったことを進めて行ったら、こんな大事になったというだけです。」と答える。
しかし、そんなことだけで白石生徒会長がこちらの意見を丸々飲み込むとは思えない。
その考えを裏切らず、会長は続けて言う。
「大事になった?
あなたの計画で大事にならない方がおかしいことです。
学校内だけで完結させるなんてことは不可能ですし、あなたがこの案を出した時から、生徒会メンバーに大変だけど頑張ろうと言う声かけをしていたのも見ています。そんな簡単には逃しませんよ?」
少し口調を強くして、会長は言ってくる。
なんというか、やはりこの人は生徒会長という肩書と共に名前があった方がしっくりくる。
人の呼び方なんていうどうでもいい考えをすぐに頭から消し、この場を解決することを思案する。
その時、白石会長のスカートから小さな音が漏れる。微弱ではあるが、振動音がしたのに気づいた白石会長はスカートのポケットに手を入れる。
「すみません。」
そう断りを入れ、スマホを取り出して赤いボタンを押す。
「いいんですか?
出なくて。」
「大丈夫です。
今は翔くんとの話の方が大切ですから。」
そう言ってスマホをポケットにしまい、彼女は向き直る。
先ほどより少しだけ元気がないようにも見えたが、そんなことばかり考えてはいられない。今は僕の方がピンチなのだ。
このまま続けたところで水掛け論になるだけというのは目に見えている。
確実に否定することはできないため、こちらの逃げ口は曖昧にすることしかない。しかし、 白石会長がそう簡単に話してくれるとはやはり考えられない。
何度かスマホの振動音が鳴り、いっそのこと開き直ろうと思い立った僕は口を開く。
「正直に言うと、全て思い描いていた通りのシナリオです。」
多くは語らない。
最低限の言葉だけで納得させるように動いていく。
どれだけ問いただされようと、僕が思い描いているビジョンを全て説明する必要はない。
「校外の組織まで巻き込んで、これをやろうとした理由はなんですか?」
「なんででしょうね。
単純に、僕も最近この国の色々な問題を解決したかったから。って感じですかね。」
その言葉を聞いた白石生徒会長が完全に納得するとは思えないが、理由としては十分だろう。
もっと詰め寄られたとしても、これ以上のことはないと言い続ければいい。
もちろん、水掛け論が始まる可能性が0とは言い切れないが━━━━━
「そう言うことでしたか。」
やはりだ。
ここで話を打ち切ってきた。
「聞かせていただいてありがとうございました。
これを聞いて私が何かすることはない…というかする理由がないので、そこは安心してください。」
そう言って微笑み、鞄を持ち上げる。
「鍵はやっておきます。」
僕が部屋から出るのを待つように立っていた白石会長に僕は言う。
「まだ残っていくんですか?」
よくあるアニメの展開とかだと、ここから一緒に帰ることになったり途中でカフェや公園に寄ったりということも多いだろう。いつも冷静な白石会長がそういうことを当たり前のようにするような人である感じは全くしないが、ついついそんな展開を想像してしまう。
だが、今日に限ってそんなことはないと理解している。
「な、なんか目が怖いですよ…?」
変なものを見るような少し引いた目でそう言われ、そうですか?となんとか躱す。
2人で部屋を出て、鍵を閉める。
「それでは、よろしくお願いします。」
「わかりました。」
「じゃあ、また明日。」
「はい。」
短く別れの挨拶を済ませ、僕らは別々の方向に向かって歩いていく。
廊下を曲がったところで、少し小走りに職員室に向かって行く。
鍵を返し、部活終わりまで解放されている自習室へと立ち寄る。
もちろん、誰もいないことを確認し、人がいなかったからこそこの部屋を選んだ。
すぐにスマホを取り出し、ある人に向けて電話をかける。
3コールなったところで、相手は電話に出る。
「どうした?」
「ひとつ聞きたいことがあるんだが…
高切颯ってやつを知っているか?」
時間を必要とすることもなく、
「あぁ、うちの学校の生徒にしては珍しく、俗に言う不良ってやつだな。
この辺りのチンピラたちを暴力でねじ伏せ、配下においたとかなんとか。」という答えが返ってくる。
「それにしても、急にそんなことを聞いてきてどうしたんだ?」
不思議そうな声に、僕は嘘で答える。
「たまたま名前を聞いて、有名人なのかと思ったんだ。
気をつけておくよ。
ありがとう。誠二。」
そう言って電話を切り、再び小走りに自習室を出る。
下駄箱で靴を履き替え、3年生の下駄箱を見た後に門を抜けて学校から出て人影を探す。
だいぶ遠くに、見知った人が1人で歩いているのがわかる。
一定の距離感を空けて、僕はその後ろを歩いていく。
その人が歩いて行く方向を見るに、やはり誠二が言っていたことは本当なのだろう。
なんでこんな危険なことをしているのかはわからないが、それは後で聞けばいい。
前を行く人が角を曲がり、少し時間を空けてから僕もその角を曲がる。
一気に風景が変わるな………
今までの道は高層ビルが立ち並ぶ大都会とはいかないが、十分に道も整備されている上に建物も新しい綺麗なものが多い街だ。
だが、今僕が見ているのはそんな街とは違う。全体的に廃工場のような雰囲気。廃れて忘れ去られた街の中の汚点といった印象を持たざるを得ない。
そして、僕は再びその人を探そうと歩き出す。
その時、
「嫌っ!やめてください!」と声が響く。
左右を確認しながら駆け出し、1つの路地裏に数人ほどの人影を見つける。
角からそっと覗くと、そこには思っていた通りの光景が待っている。
学校の制服の上に一枚の黒いコートを羽織った、少し時期が早いような厚着をした男に、薄手の服を一枚だけ着たようないかにもチンピラと言った感じの男たちが数人。
その目線の先には、ぶちまけられた鞄と1人の少女。
他でもない、白石由花だ。
次の瞬間、彼女は厚着の男に首を締め上げられ、悶え苦しむ。
「それで?
俺の彼女になるんだよな?」
そう言って強気に迫っているのは、二年生の高切颯だろう。
楽々と校則を破っているその金髪の髪型からも、相当な覚悟だと伺える。
「あなたなんかの言いなりになるわけがないじゃないですか…!」
苦しみながらもキッパリと言い切った白石会長の首を、高切は一層強く締め上げる。
「うっ」と声が漏れ、会長の顔には苦痛のみが残っている。
それを見るのが目的だったのか、周りの男たちはニヤニヤしてその光景を眺めている。
どうする……?
相手は腕っぷしの強いやつが5人。
ここからの距離は約10メートルないくらいだろう。刃物を持っている危険性、場合によっては拳銃を所持している可能性も捨てきれない。
会長を人質として取られた時点で勝ち目は0。痛めつけられて最悪殺されて終わりだ。
だが、僕が考えを巡らせている間にも、状況は刻一刻と悪化する。
いつまでも自分に従わない会長に嫌気がさしたか、高切は自分のスマホをチンピラに渡し、動画を撮るように指示を出す。すぐに動画を撮る音が甲高く鳴り、今なお苦しんでいる会長にレンズを向ける。
「さぁ、会長さんよぉ。いつも学校の人気者のお前のこんな動画、流されたら立場揺らいじゃうんじゃねぇのか?」
自分が上の立場にいることを最大限アピールし、高切は会長の頬を舌を出して舐める。
激しい嫌悪感と共に会長はなんとか顔を動かそうとするも、高切も右腕の力が強まって強引にロックされる。2、3度、目の横のあたりから顎あたりまで頬を舐め、その屈辱を受けても屈服しない会長から、舌打ちをして腕を離す。
どさりとその場に倒れこみ、会長は咳を繰り返す。
それでもなんとか息を整え、高切を睨んで言い放つ。
「何をされようと、私があなたの言いなりになることはありません……!」
その言葉を聞いた高切は不敵な笑みを浮かべ、小さく笑い声を漏らす。
「いいねぇ…そういう自分を信じている奴の自信をぶっ壊すのはたまんねぇ。今までもそうだ。自分の力を誇示するやつ、威勢を張って力をアピールするやつを片っ端から叩き潰してきた。
自信が消えて絶望と敗北感に打ちひしがれる人間の顔ほど、美味いものはないんだよ!」
そう言って、高切は生徒会長の胸ぐらを掴んで強引に引っ張る。
衣服が擦れ合う音と共に、会長の制服が裂けていく。
その光景に、周りのチンピラたちが嬉しそうに声を上げる。
「このままお前を丸裸にして、その動画をネットにあげてやってもいいんだぜ?」
高切のその言葉を聞き、動画を撮っている男が進み出てきて怯える会長の顔をしっかりと撮影する。
「お前が俺の彼女になるって言うまで、お前の恥態は撮られ続けるぞ?」
そう言って、ブレザーが破れたことにより見えるようになったスクールシャツに、高切は手を伸ばす。
「嫌っ!」
伸ばされた手を止めようとして、逆にその手は高切に引き寄せられる。
束の間、ビリッという音が路地裏に響き渡り、周りの声が一段と大きくなる。会長が咄嗟に服で身体を隠そうとするも、その手は力によって押さえつけられ、両手を上げた状態で壁に押し付けられる。
荒い息の会長に、追い討ちをかけるように高切は下着に手を伸ばす。必死に抵抗しようとするも、男と女。しかも、喧嘩慣れしている暴力主義の不良男子と、お淑やかな女子生徒会長。その力の差は歴然だ。
しかし、そこで僕がずっと狙っていたシチュエーションとなる。
がむしゃらに動いた会長の足が、高切に当たり、少しだが顔を顰めて彼女を放り投げた。
地面に倒れ込み、なんとか起きあがろうとしようとするが動けない会長を見下すように、高切は言う。
「無駄に暴れてんじゃねぇぞ!さっさと俺の言う通りにしやがれ!」
ずっと溜まっていたイライラが爆発したのか、高切が怒鳴り声を上げる。
ここしかない。
そう判断した僕は、動画の再生ボタンを押す。
それと同時に流れ始めるのは、パトカーのサイレン音。ずいぶん前に見た何かのアニメでやっていた方法だが、この利用方法は悪くないのではないかと感じていた。
すぐ近くでサイレン音が聞こえたことで、その場にいる男たちは否が応でもその音に反応する。その場にスマホを隠し、僕は姿を見せる。
そして、男たちはそこに立っている僕を視界に捉える。
「あ?なんだテメェ。
サツを呼んでこいつを助けようってか?
悪いがこっちは捕まる気はさらさらねぇ。
今撮ったこいつの動画を拡散するのもいいが、そんなことしたらこいつの価値が下がっちまうからな。もう少し遊ばせてもらうぜ?」
そう言って視線を会長に戻した瞬間、僕は駆け出す。
熟練の経験からか、すぐに僕の接近を察知し、高切は視線をこちらに飛ばす。殴りかかった僕の拳を掌で受け止め、舌打ちをする。
「時間がねぇって言ってんだから大人しくそこで見てろや!」
大声ともに繰り出された拳を躱し、すぐそこにあったゴミ箱を蹴り飛ばす。
直撃しそうになったそれを手で払い除けるも、高切は飛び散ったゴミを頭から被る。
「テメェこのクソ野郎!」
狙いを定めたその拳を姿勢を低くして避ける。
ここは路地裏。
その狭い空間の中で大柄の男が拳を突き出し、当たるはずだった対象がその場からいなくなれば、起こることは一つ。
高切の拳が壁に強く打ちつけられ、鈍い音が響く。
その顔に一瞬苦痛の色が走った瞬間を見逃すことなく、その腹に回し蹴りを叩き込む。
ほんの少し前まで、護身用にと習っていた空手だ。
綺麗に腹を捉えた1発をくらい、高切は声も出せずに倒れ伏す。
「た、高切さん!」
そう言って近づいくるチンピラ共たちを側面から殴り倒し、その場を制圧する。静まり返った空間の中、僕は白石会長の方に向けて歩いていく。
0距離で会長と男たちがいるところに突っ込んでいっては危険すぎるため、高切が会長と離れるタイミングを待っていた。そうすれば人質を取られそうになったとしても間に合わせ、なんとかできると確信していたからだ。
しかし……白石会長が怖い思いをしたのもまた、紛れもない事実だろう。
「大丈夫ですか?」
そう言って声をかけるも、返事はない。地面に激しく打ちつけられて気絶してしまったのだろう。
しばらく悩んだが、制服が破れて下着と肌が露出した会長を連れたままここから出ていくことはできないため、僕のブレザーを着せ、その身体を抱え上げる。
この暗い路地裏にそぐわない、ほんのりとした優しい香りが鼻をくすぐる。
高切たちも、大怪我をしている感じはない。救急車を呼ぶ必要もないだろう。
そう判断し、白石会長を抱えたまま、僕は路地裏を後にするのだった。
「目、覚めましたか?」
うぅ〜んという可愛らしい声と共に、白石会長が起き上がる。それを感じ取った僕は、勉強机に向けて座っていた椅子をクルリと回し、会長の姿を視界に捉える。
「あんまり動かない方が…」
そう言いかけた僕の前で、白石会長は
「イタタタタ━━━━━」と小さく悲鳴をあげ、再び倒れる。
なんというか、僕に妹がいたらこんな感じなのだろうかというふうに勝手に想像する。
「えっと……翔くん?
ここはどこですか?」
多分分かりきってはいると思うのだが、一応といった感じで会長は聞いてくる。
「僕の部屋ですね。」
短く答える僕を見て、
「も、もしかして私が寝ている間にあんなことやこんなことを……!?」なんて言い始める。
あの窮地から脱して嬉しいのはわかるが、いつものイメージが崩壊するほどの荒れっぷりだ。ため息をつきながらも、僕は否定に入る。
「何にもしてませんよ。
そもそも僕には彼女がいますから。」
「彼女がいるのにベッドに入っている女子生徒と自分の部屋で2人っきりなのはいいんですか?」
あれ?否定したはずなのに悪ノリが止まらない…
さてはこの会長結構甘えたい派の人間か?
そんなことを思いつつ、僕は立ち上がる。
「もういいです。
僕は塾に行きますので、あとは1人でなんとかしてください。」
そう言って部屋を出て行こうとすると、
「翔くんは塾へ行ってないですよね。」と鋭い言葉が飛んでくる。
この人ストーカー?
逃げ道を失った僕は行き先を変えることで脱出を試みる。
「それじゃあ、僕はスーパーに買い物へ行くので。」
「それでは、私はイチゴジュースをお願いします。」
にっこりとした満面の笑みで、白石会長は言ってくる。
このまま居座るつもりしかないと言うことを理解し、僕は諦める。
「どうすれば帰ってくれるんですか?」
隠すこともなく、なるべく早くお引き取りいただきたいという旨を伝える。
今の時間は午後5時半を回っている。4時くらいに路地裏を出たことを考えれば、もうすでに1時間半以上の時間が経っているのだ。
それに、僕はこのあと一つ約束が入っている。
「何か、予定があるということですね?」
見透かしたように言われ、僕は頷く。
「生徒たちの長として、生徒同士の恋愛を邪魔するわけにはいきませんね。」
少し寂しそうにしながらも、彼女はそう言って僕を見る。
そこまでわかるんですか…と心の中で呟く。
「それでは、お邪魔なようですし帰るとしましょう。」
ちょっとした嫌味のような言葉と共に、会長は起き上がる。
そんな嫌味を言われる筋合いはないんですけどね…
そう思いながら、床に足を下ろして立ち上がり、よろっとふらついた会長の体を支える。
束の間、僕と会長の場所がくるっと入れ替わるように、会長は素早く動く。そのままベッドに突き飛ばされ、背中からベッドに身体を預ける。
「えぇっと…どういうおつもりですか?」
ブレザーのボタンが開いているため、会長の下着と胸元がモロに見える。
流石に直視するのはやばいと感じ、視線を逸らす。
「やっぱり、いつもクールな人ってこういうところが苦手なんですね。」
甘い吐息がかかるほど顔を近づけ、白石会長は微笑む。
彼女である亜美とすらここまでの距離感になったことはそう多くない。彼女でも幼馴染でもない、先輩である生徒会長とこんな状況になることなど、考えたこともなかった。
スッと手が伸びてきて、指の先で頬が触られる。少しずつ、心が落ち着きを失っていく。
心臓の鼓動が少しだけ早くなってくるが、それを止めるかのようにスマホの音が部屋に響く。
5時40分……亜美との約束の時間がやってきたのだ。この音は、亜美からの着信音ということだろう。
「会長…どいて頂いてもいいですか?」
「この楽しい時間はもう終わりですか?」
そう言っているが、半分以上身体が乗りかかっているため、冷静さを取り戻した今だとよくわかる。
ここまでやられていれば、多少仕返しをしてもいいだろう。
少し悪ガキ感が出てきた僕は、白石先輩の耳に口を近づけて囁く。
「今、すごい恥ずかしいんですよね?」
その言葉を聞くやいなや、その身体が少しビクッとする。
やっぱりな…
「どうします?
僕はいたって冷静ですし、このままだと会長が1人で恥ずかしいことをしているだけになりますよ?
それとも、この状況を動画にでも収めて欲しいんですか?」
着信音が鳴り止んだスマホを手に取り、白石会長の視線に映り込むようにする。
もう既に、会長の身体は誤魔化しが効かないほど震えている。冷静さを取り戻した時も、若干の震えを感じたため恥ずかしがっているのではないかと考えたが、当たっていたようだ。
すぐに身体を僕から離した拍子に、逆に後ろに向かって倒れそうになる。
素早く起き上がり、その身体を支えると、目と目が合う。
真っ赤に恥ずかしがっている顔をして、表情から笑みは消えて羞恥と困惑のようなものが入り混じっている。
からかってみるかとも思うも、亜美からの電話が来ていることを思い出してこれ以上は踏みとどまる。
「あ、あの、もう大丈夫ですから離してください……」
視線を逸らし、会長は言う。
言われた通りに離すと、そこにあった鞄を拾い上げて距離を取る。
「えーっと…えー……」
今の状況に言葉が思い浮かばないのか、考え込むようなそぶりを見せ、鞄で顔を隠しながら、
「きょ、今日は助けていただいてありがとうございました━━━━━」という言葉をなんとか口から出す。
「全然大丈夫ですよ。」
内心はまだ少しドキドキしながらも、いつもの調子を取り戻しながら僕は答える。
「あ、これを…」
そう言ってブレザーを返そうとする会長を止め、そのまま着て帰るように促す。もうそろそろ冬が近づいてくるため、ブレザーを着ていた方がいい時もあるだろう。
それ以上に、今の会長の姿を見たらまた痴漢とかに襲われかねないからな…
破れた服に乱れた姿、それでいて校内1のマドンナとなれば、同じ学校の生徒に見つかった時のダメージも大きいだろう。
玄関先まで送り出し、まだ恥ずかしさを残しながらも、会長は別れの言葉を言って歩いていく。
その後ろ姿を見送り、部屋に戻ってから僕は大きく深呼吸をする。
もうこのまま寝てしまいたい……
そう思って布団に飛び込んだところで、会長の香りが鼻に入ってくる。そういえば、ついさっきまでここで寝ていたんだったか…
なんて思った時、スマホが鳴り始める。
電話か…と思った刹那、僕は時計に目をやる。時刻は5時50分。
やっちまった。
それだけを思いながら、その電話に出る。
「あ!翔!何してたの?」
余程今日の電話を楽しみにしていたのだろう。心配と少しのイラつきが見え隠れする声で亜美が言う。
「いや、本当にごめん。
夕食の準備をするためにレシピを見ていたらスマホを水が入った桶の中に入れちゃったんだ。」
「そうだったんだ…
いつも時間を決めた電話には絶対でるから心配したよ。」
なんとも言い訳らしい言い訳だが、亜美は信じてくれたらしい。
白石先輩のことを話すわけもなく、季節外れではあるけど行われる花火大会に行こうという話を聞かされ、予定も入っていないので即座にOKを出す。
『帰りに2人で線香花火でもして、ゆっくりしたいなぁ。』
「じゃあ、買っておくよ。花火の帰りに火防公園でやろうか。」
『うん!』
元気なことを確認し、その上機嫌な声から電話に出るのが遅れたことについてもう怒っていないことも理解する。
「それじゃあ、また明日。」
午後7時を回り、亜美が夕食の時間になって電話を切る。
話に花を咲かせている間に着替えた部屋着でベッドに入り、アラームを2時間後にセットする。我が家の夕食のスタートは午後10時だからな。
その時間には起きておかないと夕飯がなくなる。
「なんだかんだで今日は疲れたな…」
そう呟きながらスマホを枕元に置き、僕は目を瞑った。