新しい課題
「どうしたの?急に。」
いつものような雰囲気で、僕は目の前に立つ女子生徒に問いかける。
呼び出されたのは、校舎の影になっている部分。この辺りにはトイレもないため、誰かが来ることも考えにくい。
体育祭の歓声が聞こえてくるため、そこまで遠く離れた場所ではないことは言うまでもない。
「ここに来てもらったのは…その……」
言い出しにくそうに、目の前に立つ少女は口ごもる。
その少女は、佐伯でも真琴でもない。
竹野原仁美。
今年同じクラスになった少女で、そこまで意識していた人間ではない。
よって、僕が呼び出される理由はわからないが、ここで交流を築いておけば後々有利になることもあるかもしれない。
それだけを理由に、こうしてついてきたというわけだ。
「あ、あの!
あたしたち、あんまり接点なかったけどさ………」
竹野原からの言葉を静かに待っていた僕の目を見上げて、彼女は言う。
「私と、お付き合いしてください!」
……………ん?
唐突に放たれたその言葉に、思考が一瞬だけ止まる。
強く瞑った目から、彼女の勇気は理解できる。それにしても、急すぎないか?
彼女も言うように、僕と竹野原には関わりがほとんどなかった。
そもそも論、一応僕には彼女がいるのだ。ここで竹野原と付き合うということはできない。
「えっと………ごめん。
知ってる人は少ないかもしれないけどさ、僕にはもう彼女がいるんだ……。
僕を好きになってくれたのは嬉しいけど、期待には応えられない。」
こちらも誠意を示して、彼女の思いに対する是非を答える。
「え……えっと……暁くんって彼女いたんだ………」
その可能性を考えてはいなかったのだろう。
「多分名前くらいは知ってると思うけど、白石由花っていう去年まで生徒会長してた人。
あんまり広まらないようにしてたから、竹野原さんは僕たちのこと知らなかったかもしれない。
頑張って言ってくれたその想いは伝わったよ。ありがとう。」
告白を断ったことはないので、こんな言い方が正しいのかはわからない。
だが、何か引っ掛かりを覚える。
普通に考えると、好きな人に告白をして断られたら悲しむものだろう。
だが、今の竹野原は何か違う。
どこか、ほっとしているような安堵と申し訳なさそうな本意なさを感じる。突然こんなことを言って申し訳なかったというのはわからなくない。
ならばなぜ安堵の表情を浮かべている?
その理由が確定しない。
「あの━━━━」
言いかけて、僕は言葉を飲み込む。
本人に聞くより先に、状況を把握した方がいい。
情報が集められないと決定されているわけじゃない以上、こちら側から調べをつけることも可能だろう。
「まだ体育祭も少し残ってるし、頑張って応援しよう。」
そう彼女に微笑んで、僕は生徒会の仕事があるからと言ってその場から離れる。
「ちょっといいか?」
スマホを耳に当て、ある人物に連絡を取る。
佐伯綾香の事件の犯人を捕まえる時にも協力してくれた、心強い助っ人だ。
「竹野原仁美ってやつを知ってるか?
そう、その通りだ。
なるべく早くお願いしたいのだが、彼女の周辺を調べてみてほしい。」
わかったという返事を聞いて、僕は電話を終える。
僕の予想が正しければ、帰ってくる答えは一つ。
その結果が出るまでゆっくりと待つとしよう。
はぁ、と小さく息を吐く。
なんでこの世界は他人のために自分を犠牲にしようとする奴が多いのだろうか。
愛も、憎悪も、贖罪も。
その感情を持つことさえ、誰かに影響を受けた結果と言えるだろう。
どれだけ馬鹿げているとわかっていても、非効率だと思っていても、一部の人間は誰かのための行動を取る。
僕が父の意思を継ぎたいと思ったように、人は人からの影響を大きく受ける。
おそらく竹野原も同じということだ。
ただ、良い方ではなく、よくない方の影響をもろに受けた可能性が高い。
その影響が強制されたものなのか自分からなのかは調べていけばわかることだ。
だから、解放してあげればいい。
たったそれだけのことを、1年前の僕ならやらなかったかもしれない。
多くの人が知らない1人の少女の努力。それを僕は影から見ていた。
人との交流を持とうとしていなかった佐伯に声をかけたり、自ら接触を避けようとしていることを理解すると大人数で集まる時には彼女が来ない理由を上手く作り上げたり。
自分のためにならないことを他人のために何度もして、それなのに失敗をしたら周りから覚めた目で見られて。
そうやって誰かを支えている人が、この世界には一定数いる。
辛いの一言も言えず、本当に限界が来て吐き出した言葉が、もっと早く言えばよかったのにという言葉で一蹴される。
そんな苦痛な人生を味わっている人は、この世にどれくらいいるだろうか。
きっと、数えられないほどいるのだろう。
周りの人間にできることは、そういう人たちを見つけて少しでも支えてあげることだと、教えてもらった。
他人は自分が生きていく上の道具で、目的を達成するための駒でしかないと思っていた僕にそんなことを思わせるほど、彼女の存在は大きかった。
だから、僕は竹野原を助ける。
偽善かもしれないが、ほんの少しでも本心から助けてやりたいという思いがあるのなら、それだけでいい。
視線を上げ、もと来た道を辿っていく。
ラストスパートに向けて段々とボルテージが上がっていく会場と人々の中を、林を抜ける風のように静かに歩いて席に戻るのだった。
「よっしゃー!乾杯!」
今までの興奮をそのままに、誠二のその声とグラスがぶつかり合う音が周囲に響く。
体育祭で僕たちのクラスは、学校と学年の両方で1位を取るという結果を叩き出した。もっとも、全学年で1位ということは学年でも1位になるのが決まるため、実質的には一つの賞状と言えるかもしれないが。
正直、特に勝ち負けを気にせずに純粋に競技を見ていたため、自分のクラスがどれくらい勝っているかなんて考えていなかった。
自分もクラスに貢献したことへの自負があるからかもしれないが、だいぶ嬉しい結果だ。
一度解散した後に再び集まり、教室を使って打ち上げを行なっている。
どこかの店に行ったりするものじゃないかと思っていたが、新島先生が打ち上げ代金の多くを持ってくれるということで教室でやるようになったらしい。
教壇で少しだけ高そうな小瓶の日本酒を片手に頬を緩めている姿を見ると、その気の持ちようが手に取るようにわかる。
ちなみに、佐伯も女子グループの中に混ざって時折会話をしている。
周りの生徒からの変化を気にする目はあるだろうが、今の彼女にとっては些細なことだろう。
自分の殻を破るのは簡単じゃない。
自分が周りをあえて遠ざけているつもりでも、本当は本心から遠ざけ、それでも本心の奥底にはやはり友達がほしいという思いを抱いている可能性もある。
その可能性を認めた上で、今までの自分に別れを告げて他人との交流を欲した。
これだけのことで、今の佐伯にとっては十分だろう。
あとは周りとの交流の中でゆっくりと関係を築いていけばいい。
そして、僕は僕の状況に応じて彼女に助力させることだ。
なんのメリットもなく僕が自分を助けるわけないと思っていることは、この前の会話からも簡単にわかる。
相手の心を読み取ることが得意になったこと故の不幸、とも受け取っていいだろうか。
結局、僕は変わっていないということだろう。
だが、もうこれでいい。
「もう、こうして生きていく他ないんだ。」
哀れな男の呟きは、それぞれの勇姿の労いと讃美の声の渦に飲み込まれて消えていった。




