それぞれの想い
最後の最後に急展開が訪れたことで楽しくなったデートから1日。僕は1年の一学期と同じようなことをしていた。
クラスメイトの観察だ。
誠二、真琴、その他の元から同じクラスの面々のことは大体把握できているため、注意を割く必要はない。
授業中から放課中まで、気づかれないように周りを窺っていた中で、友好関係を持っていた方がいいと感じている人間は2人。
高道永徳と狩野奈津子だ。
それぞれ男子と女子の間での人気が高く、男子は高道、誠二、僕の3人を中心に。女子は狩野と真琴を中心に回っていると言っても過言ではないだろう。
そしてもう1人、警戒しておかなければならない人物が新たに浮上する。
それが、去年も同じクラスだった佐伯綾香だ。
一年前の学園祭準備をしていた頃、優しすぎて少し怖いと言ってきた少女。ほとんど関わりのない相手に対してきっぱりと言いたいことを言える心の強さは褒められるべきところがあると感じたが、当の本人はあまり人と接していない。
人との繋がりがないからこそ言えることなのかとも思っていたが、その考えは僕の中で徐々に変わりつつある。
去年は、高校生活の3年を送る上でミスが許されない最初の1年に意識を割いていたため気付けなかった、彼女なりのやり方。
視線を感じ、気づいていないふりをして振り返った時、視線の発信源に佐伯がいた。
それから、少しだけ佐伯を意識して観察してみることにした。
1日、また1日と過ぎ去っていくと、彼女も僕と同じように周りを気にしながら過ごしていると読み解けた。
一年前のあの接触はなんのためだったのか。
その疑問を解決するために、僕は歩く。
「ちょっといいかな。」
席を立った佐伯に声をかける。
驚いたような顔で振り返った彼女は、すぐにいつもの冷静そうな表情になって、
「どうしたの?」と返してくる。
「去年僕に、少し怖いって言ったでしょ?
あれがどういうことなのかと疑問に思って。」
最初から直球で理由を尋ねる。
「純粋に、そう思ったから。
いつもクラスを見回して、誰がどんな人なのかを分析してたでしょ?
私みたいなことをする人だなと思っただけ。」
動じることもなく、彼女は答える。
だが、そこにいたのは今までの彼女じゃない。少なくとも、去年僕に少し怖いと言ってきた時の佐伯綾香とは大きく異なっている。
一切の焦りもなく、ブレもない。
まるで、戦いへ赴くことを覚悟したかのような、精神の統一感。
クラスメイトからの佐伯綾香に対するイメージは言われたら誰もが想像する通りの文系女子、明るくなく、人との関わりをできるだけ遮断して自分の世界に引きこもっていそうという感じだ。
完全にと言うわけではないが、大部分。少なくとも半分ほどはこのイメージが的確であると感じていた。
しかし、その考えは誤りであるとたった今証明された。
想像通りの人間であれば、直球の質問をされた時になんと返せばいいか戸惑ってしまうものだろう。場合によっては、あの時のことはもう忘れて欲しいと言ってきてもおかしくはない。
去年話しかけてきた時の彼女なら、確実にそんな態度をとってきただろう。
そう思っていた僕に対し、彼女は全く違う回答をした。その上、私も同じだと自らカミングアウトまでしてきた。
「私みたいなことっていうのは、佐伯さんもクラスメイトを分析してるってこと?」
僕はしていないと否定することも肯定することもなく、質問する。
その問いに、彼女はきつい口調で返答してくる。
「わざわざ聞かなくてもわかってるんでしょ?
少し前に後ろを振り返った時、私の視線に気づいたあなたは私を注意対象に入れた。
そして、今こうして声をかけた。」
違う?といった視線に、僕は素直に感心する。
たった1秒にも満たないほどの視線の交差でこちらの思いを完璧に見抜き、その上行動まで言い当てた。とてつもないほどの観察眼だ。
「でも、翔くんは何か変わったね。」
「僕が?」
「そう。斎藤亜美、彼女の存在が大きいんじゃない?」
オブラートに包む必要などないと言うように、佐伯は踏み込んでくる。
「そりゃあ、僕にとって亜美は大切な存在だった。
それがどうかしたの?」
僕の問いかけに、彼女は小さくため息をつく。
「そろそろ普通に話したら?まぁ、学校にいる間はいっときも気を抜けないってその気持ちは想像つくけどさ。
去年のあなたは、誰かに対して好意を持つような存在には見えなかった。思春期の高校生ってさ、異性にめっちゃ距離を詰められたら基本的にちょっとは心にくるもんだと思うんだよね。
そんな中で、君だけは決定的に違った。」
まくし立てるようにそう言って、彼女は距離を詰めてくる。
ゼロ距離まで来て少しだけ視線を周囲に飛ばし、その細い指で僕の頬をなぞる。
それを防ぐこともせず、彼女のこの後の対応を待つ。
少しだけ時間が経ち、佐伯は口を開く。
「ほら。こんなことしても、一切動じない。
やっぱり、君はどこか普通の人間とは違う。
そんな君にいつもと違う感覚を持ち始めたのは、少し前。
影響を与えたのは斎藤亜美だと踏んでいたんけど、さっき名前を出した時も君は動じなかった。
正直言うと、彼女が死んだと知った時も君を観察していたけど、君には変化が見られていない。だから斎藤亜美じゃないと感じていたけど、それは今ので明白になった。」
先ほど亜美の名を出したのは誘導だったと白状し、佐伯は話を続ける。誰かがこの状況を見たら、佐伯はこんなに話す生徒なのかと驚くレベルだろう。
いや……その前に、なんで佐伯が僕の頬に触れているのかという戸惑いの方が勝つかもしれない。
「で、誰が君を変えたのか教えてもらうことはできるの?」
僕から手を離しつつ、彼女は聞いてくる。
「僕は変わってないよ。もちろん、亜美の存在が大きかったのは認めるけどね。」
「そんな嘘はいらない。」被せるようにして、僕の言い分は弾き飛ばされる。
「斎藤亜美が死んだときに流していた君の涙、あれが本物じゃないことくらい私にはわかる。
私がどれだけ人を見抜く力があるかは、私自身が1番わかってるんだから。」
その言葉に、僕は思わずははっと声を漏らす。
「すごいな。そんなことがわかるんだ。」
一度だけ瞬きをして、鋭い視線で佐伯を射抜く。
「それで?それを知ってどうしたい。」
たった一言で、ビクリと佐伯の体が震える。
今までただの廊下だった場所が、極寒の地に変わったかのような静けさに囲まれ、外部の音は僕と佐伯綾香の耳に届かない。
「え……い、いや……その………」
今まで終始冷静で淡々と話していた彼女が、視線を逸らして次の言葉に迷う。
「僕は別に、佐伯に対してどうかしようなんて思ってないし、勝手に僕の身辺を探ろうとすることを止めることもしない。
ただ、僕の邪魔をしようって言うならそれは話が別だ。
そう感じた時、僕は君を排除するように動く可能性があることを考えた方がいい。」
声を潜め、僕は彼女に通告する。
「今の目………いつもと違うどころじゃない………
あなたはいったい━━━━━━━」
彼女からの言葉を背に、僕はその場から離れる。
いくら近くのクラスが移動教室と言っても、そろそろ帰ってきてもおかしくない。これ以上の長居は無用だ。
やはり、佐伯綾香は異質…か。
1年前の段階で気づいておけなかったのはミスだったかもしれないな。
そう思いながら、僕はいつもの笑顔を作って教室に戻るのだった。
その後、僕は佐伯に意識を向けていた。
彼女はこちらに視線を飛ばしてくることもなくなり、他のクラスメイトを観察するようなことも無くなった。
要観察ではあるが、さっきのことで何か心が変わったのかもしれない。
とりあえず、なぜ佐伯があんな二面性のような性格になったのかは調べておいた方がいいだろう。
そう思っていると、
「よう、今時間あるか。」と横に人影を感じる。
そう言って声をかけてきたのは、僕が注目している人間の1人である高道永徳だった。
「いいよ。」と返し、僕たちは雑談を始める。
「あ、そういえば今日だっけか?体育祭の種目決め。」
「そうだね。永徳はなんか得意な競技とかあるの?」
「俺は昔からリレーと50メートル走が専門だな。ま、あんまり期待されすぎるのも困るけど。
どーんと任せとけ!」
期待してほしいのかしてほしくないのかよくわからないが、自信はありそうだ。
去年僕が出たのもリレーと50メートルだったか。
両方1位をとったため、成績としては十分だろう。もちろん、この二つの種目を選んだ理由は最も注目を集めるからだ。
リレーは状況によって大逆転という演出をアピールできるし、50メートルは純粋な本人の力だけが求められる競技だ。他の人からの手助けや関与がない方が存在感をアピールできる。
今年は何をしようか。
団体戦に出ることでクラスに貢献しておくことも悪くはない。事実、学校的には生徒会副会長ということで多少のアピールは常にできる状況なのだ。
「確か翔って、去年50メートル1位だったよな。」
「ん?まぁそうだったね。」
「じゃあよ、50メートルかリレーどっちかくらい出てくれよ。そうすればこのクラスの走る系の競技は勝ち確だぜ。」
50メートルに関しては去年と同じなら1クラス2人まで。リレーは5人で500メートルを走るものだったはずだ。
「今年は団体戦に出てほしいって言われてるから、1種目は団体戦に出るよ。
もう一つはリレーにしようかな。」
1人の生徒が選択して出場できる種目は二つまでなので、団体戦とリレーでちょうどいいだろう。
今回はクラスメイトとの協力関係を築き上げるという方向にシフトし、その後の話し合いで僕の種目は考えていた通りになった。
クラスは一丸となって体育祭に取り組むとして団結した。
帰宅後、ちょうどいい気温の中で僕はベッドに横になる。
布団をかけることもなく天井を見上げ、顔の前にスマホを持ってくる。
写真フォルダーを開くと、今まで壁紙にしていた画像として僕と亜美のツーショットが出てくる。学園祭の時に撮ったもので、亜美の撮影技術に感服した。
いくつかのタブの中から、彼女の映る画像がまとめられているものを開く。
アイスを食べる亜美。写真を撮っていることに気づいてそのアイスを差し出してくる彼女。
花火の下で目を輝かせている彼女に、線香花火をして目を潤ませている彼女。
街のイルミネーションを見上げる彼女から、手の冷たさを和らげるために白い息を吹きかけている彼女。
今まで見てきた斎藤亜美という人物のほんのひとかけらが、その中に入っている。
ほんのひとかけらに見えて、これが彼女の存在のほとんどを物語っているとも言えるかもしれない。
亜美が死んだ時に流した涙は本物じゃない……か。
あの電車の前から学校に戻り、1、2回分の放課。
早退したこともあり、たったそれだけの短い時間で僕の涙を理解できたということだ。
想像を遥かに超えてくるほどの観察力に、感銘を受ける。
だが、佐伯は大きな間違いをしている。
僕を大きく変えたのは斎藤亜美で間違いない。そして、そのきっかけを作ったのは白石由花だ。
その点に関しては、感謝を覚える。
僕に、“それ“を気づかせてくれた。
そのことに比べたら、たった数年の交際期間なんて安いものだ。
実際に付き合うことで色々とメリットができることも理解している。
だからこそ、しばらくの間は彼女の我儘に付き合ってやればいい。
やられっぱなしは癪だが、別に苦ではない。
…………いや……苦かもしれないな。
割り切ったつもりではあったが、いまだに割り切れていないらしい。
亜美と過ごしたあの日々が、色褪せていってしまわないように。
今会えない彼女の写真をこうして眺めるのは、そういう思いが心のどこかに残っているからだろう。
流した涙が、本物でない理由もある。
そう………その理由は、たった一つ。
スマホの画面を消して起き上がる。
部屋の壁ではない遥か遠く、白く濁っている透き通った世界の先を見て、誰も知り得ないその理由を呟く。
「俺が、斎藤亜美を殺したから。」




