気づき
亜美と一度も顔を合わすことなく、メッセージと電話だけでやり取りする日々だった冬休みが明け、僕は学校に行く。
いってらっしゃいのない、少し早めの朝。
僕は登校ルートを歩いていく。
理由は簡単、亜美に会うためだ。
駅で待ち合わせをして、改札から出てくる彼女の姿を見つける。
いつもなら手を振って駆け寄ってくる彼女だが、今日はそんな気配は見えない。
無理もないだろう。
彼女にとって後1人しかいなかったおばあちゃんが亡くなったのだ。
もうその日から10日経っている。
すでに10日。だが、たった10日だ。
亜美の元に駆けつけたい思いを必死に抑え、この日を待った。
僕が行ったら、亜美は泣いてしまうと言った。
僕に迷惑をかけるなんてことなら、すぐにでも行こうと思った。
しかし、彼女が口にした理由は違った。
『おばあちゃんに、成長したところを、強くなったところを見せたい。
だから、泣く事はできない。』そういうものだった。
連絡を毎日取り合い、今日も泣かなかった、大丈夫だった。そんな言葉を聞いた。
そんな時くらい泣けばいい、悲しいということを伝えてあげればいい、耐える必要なんてない。
そう言おうとして、伝えようとして、何度もやめた。
本当は、僕からのそんな言葉を待っていたのかもしれない。
そう思いながらも、僕は言えなかった。
だから、決めた。
頑張った彼女を、心ゆくまで労ってあげようと。
「おは…よう。」
ぎこちない言葉で、亜美は僕に言う。
「大丈夫?」
そう言って、僕は思い直す。
「うん、だいじょ━━━━━」
そう言いかけた彼女を、思いっきり抱きしめる。
「ごめん。大丈夫なわけない。
苦しいのに、悲しいのに、酷いこと言った。
よく頑張ったね。亜美。」
今の僕の感情に、嘘偽りはない。はっきりと、亜美を助けたいという思いを持っている。
僕の制服を掴んだ亜美の手に、グッと力がこもる。
「よく頑張ったね。本当に。
もう、我慢しなくていい。
泣きたいだけ泣けばいい。」
この言葉を言うか迷ったが、僕は口に出す。
「ここなら、大丈夫だ。僕がいる。」
「うっ……うぅっ━━━━━」
ゆっくりと、亜美の背に手を当てて撫でる。
ほんの数週間前に触った背よりも、何倍も小さいような感覚がする。
亜美が見てきた全てが、その小さな背に乗っかっているような錯覚をする。
いや…錯覚なんかじゃない。本当にそうなんだろう。
大切な人を失う感覚………あの時の感覚が、鮮明に蘇ってくる。
それを人生の芯として、僕は生き方を決めた。
喪失感、悲しみ、寂しさ、感じるものは同じだとしても、僕と亜美では状況が違う。
寿命というものに、復讐はできない。
生者にできることは、死者を尊重し、温かく手を合わせることだけ。
そんなこと、誰もがわかっている。
わかっていて、認められない。
「もう………学校へ行かないと…………」
顔を上げ、亜美は呟く。
その顔には、涙が溢れそうになった目がある。
しかし、それがこぼれ落ちた気配はない。
恐ろしいほど強く、弱い女の子だと知る。
こんな状況になって、学校へ行こうと言うk彼女に、僕は感銘を受ける。
しかし、僕は言う。
「今日は学校へ行くのをやめよう。」
僕がなんと言われるかはわからないが、亜美が休むことくらいは、学校側も理解してくれるはずだ。
そう思って、僕は亜美を片手で抱きしめたまま、スマホを取り出す。
「だ、だめだよ。翔まで休んだら…迷惑をかけちゃう!」
なんとか思い留めさせようとしてくる亜美に、僕は笑顔を向けて言う。
「迷惑をかけられる立場の僕が言うなら、いいんじゃない?」
この言葉を聞いて、亜美が僕に迷惑をかけていると思う事はないだろう。
事実、視線を落として反論ができなくなっている。
「もしもし、暁翔ですが。」
「おぉ、翔か。どうした?」
ちょうどよく担任が電話に出たため、僕は欠席することを伝え、亜美も一緒に休むことを話した。
「その件は保護者の方からも聞いている。
だが、お前の方は出席停止にはならないぞ?」
「はい、それで構いません。
というか、その言い方からすると亜美の方は出席停止になるんですか?」
「あぁ、ご親族が亡くなった場合は15日間の間、最大で3日まで出席停止扱いとして休むことができる。
もちろん、亡くなったその日と次の日は無関係だ。
その2日と、追加で3かということになる。
なんて話をしていていいのか?
彼女を待たせるなよ。」
「わかりました。ありがとうございます。」
「あぁ、それじゃあ、頑張れよ。」
そう言って、電話が切れる。
担任からの応援を受けながら、僕は亜美と共にあるところへ向かうことを決めた。
電車に揺られ10数分、目的地の駅について僕と亜美は電車を降りる。
「ここは…?」
「僕の思い出の場所……いや、思い出なんていう生優しいものじゃない。
僕の人生が捻じ曲がったところだよ。」
駅を出て、さらに数分歩いていく。
一軒の家の前に立ち、それを見上げる。
「ここの辺りで、原因が全くわからない炎が上がったの覚えてる?」
「い、いや…全然。」
「まぁ、そうだよね。
それが起きたのは、僕たちが小学校5年生の時なんだから。」
そう前置きをして、僕は語ることを決める。
僕の過去と、僕の人生についての物語を━━━━━━
この場所についてから10数分、僕たちは隣り合って座り、亜美は僕の話に耳を傾けていた。
「今の話…本当なの?」
僕の話が終わり、ずいぶん長い沈黙の後、そう言って聞いてくる彼女は僕の目を見てすぐにその考えを打ち消す。
「本当…なんだね。」
「亜美が僕のことをどうしたいかは、亜美に任せる。
でも、どこからでもその話が漏れた時、僕は確実に死ぬ。
それだけはわかっておいて。」
「翔は………なんでそのことを私に話したの?私が裏切ったら、翔は死んじゃうんだよね。
それとも…なんとか逃げ切る方法がわかっているとか?」
「残念だけど、逃げ切る方法なんてない。
日本から出て行ったとしても、いつかは見つかるだろうね。
同じ方法だって、2度通じるとは思えない。」
「そっか………」
こんな話をして、はいそうですかと飲み込める話じゃないのは当たり前だ。
「それと…もう一つある。」
「私にその話をした理由?」
「うん。」
彼女の方を向き直って、その綺麗な目をしっかりと見つめる。
「亜美に、僕にちゃんと本当のこと伝えて欲しいって思ったから。」
「え?」
「亜美のおばあちゃんこと。
大切な人がいなくなって、悲しんでるのは亜美だけじゃない。当たり前のことだけど、誰かに言われないと考えられない時もあるから。」
そう言っておいて、僕は心につっかかりを感じる。
本当にこの二つだけが亜美に僕の過去を話した理由なのか、自問自答する。
しかし、今は亜美のことだけを考えることにして、その思考を切り捨てる。
「私のために……
ごめんね。弱いところ見せちゃったんだ。」
亜美は、遠くを眺める。
こんな状況で、彼女は僕のことを考えてくれている。本当に、優しい人だ。
しかし、今は優しいだけではどうにもできない。優しさは、自分を責める凶器になる。
「翔も、その話をするためにすごい覚悟が必要だったよね………
本当にごめ━━━━━━」
言いかけたその唇に、僕は自分の唇を重ねて無理やりその言葉を止める。
温かい感触が、それと共に震えが、口から伝わってくる。
亜美が、目を見開いて驚いている。
10秒に満たない僅かな時間、僕たちは未だかつてない経験をする。
顔を離し、僕は言う。
「もういいよ。我慢しなくて。
ちゃんと、話して。」
「だって…!
私よりも翔の方が多分何倍も苦しい思いした…!
それなのに……私だけ弱音吐くなんて━━━━」
「もういい!」
昼の住宅街に、僕の怒声が反響する。
亜美の目をまっすぐに見る。
「そんなに僕に気持ちを話すのが嫌なら、僕は亜美を嫌いになる。」
なぜ、こんなことを言っているのだろう。
亜美と別れることで、僕の計画にとってメリットとなる事は何もない。
それなのに、なぜこんなことを言っているのか。
いや、違う。
本当は言いたくないのだ。
それなのに、僕の口からはこの言葉が出た。
それも、計画への損得感情などではなく、僕の本音として。
「そんなの…ずるいよ。
私が翔のこと大好きなの知ってるのに………」
「だったら、話してよ。1人で抱え込んで、自分を隠して、僕だって心配でしかない!
僕に迷惑とか、僕への同情なんて必要ない。だから、言いたいこと全部言ってほしい。」
何を必死になっているんだろう。焦っているんだろう。
いつものように冷静に話せばいいんじゃないのか。
そんな思いが、僕の思考の中で行ったり来たりする。
その時だった。
「翔は……翔は今、私のこと、好き?」
亜美の口から放たれたその言葉に、僕はハッとする。
なんて答えるか。それを脳内で考える。
しかし、考えようとしても、何かが引っかかってうまく考えられない。
「やっぱり……好きじゃないんだね。」
僕の返事を待たずして、亜美は決定づける。
違うのか、違わないのか、どちらでもないのか。
その3つのうちのどれかを答えるだけなのに、それは声にならない。
もしも僕が亜美を好きになっているとして、好きなんていう感情を今まで知らなかった僕が口に出せるはずもない。
それ以上に、最初計画のうちの一つのピースとしてしか見ていなかった彼女に、申し訳なさを覚えている。
なんでこの気持ちを理解できないのか、自分のことを理解できないのか、僕の頭は狂い始める。
そんな僕を置いてけぼりにするかのように、亜美は再び口を開く。
「私は、翔が大好き。初めてこの気持ちに気づいた時から、今まで。
ううん、今も大好き。
でも今、もしかしたら翔にはずっと我慢させてたんじゃないかって思った。
私が悲しまないように、私が苦しまないように、私の告白を受けてくれて、ずっと近くにいてくれて、そして自分の過去まで話してくれた。」
違う…そんなんじゃない。
「翔は出会った時からずっと優しい人だった。
だから………本当は私と一緒にいたくないのに、優しさが出ちゃったんじゃないの?」
違う……僕はそんな優しい人間じゃない。
「だからごめんね、翔。」
違う………亜美が謝る必要なんてない。
「別れよ、翔。」
なんで…なんでそんなこと言うんだよ……
「翔は、翔が好きな人と付き合って、一緒の時間を過ごしていけばいい。
私も、時間はすごくかかると思うけど、気持ちを切り替えていけるようにするから。」
どうして…どうしてこうなった……?
僕が考えたあの計画さえなければ━━━━━
もし、僕が過去を全て破り捨てて高校生活を送っていたら━━━━━
亜美とずっと一緒にいることができたのだろうか?
仲良く、隣り合って笑って、時には喧嘩して、時には泣いて。
それでもずっと隣にいる。
そんな存在になれたのだろうか?
「じゃあまたね、翔。」
そう言って、亜美は立ちあがろうとする。
本当に、このままでいいのか?
僕は………こんな結末を望んで過去を話したのか?亜美と話をしようと思ったのか?
いや、絶対に違う。
だから……伝えなければいけない。本当のことを。
わからない思いだからといって、伝えなければそれで終わりだ。
亜美に隠さずに思いを話してくれといいながら、僕は何も話していない。
自分の過去を話すだけでいいと、勝手に自己満足していた。
だから………たとえ自覚できない気持ちだとしても伝えることを決める。
「待って━━━━!」
立ち上がりかけたその手を取ると、亜美はバランスを崩してその場に倒れ込みそうになる。
反射的に亜美の頭に腕を回し、地面との直撃を避ける。
「あ、ありがとう……」
右腕の激痛を感じながら、僕は目を開く。
その瞬間、心臓が大きく跳ねる。
距離数ミリ、そんなところに亜美の顔がある。
さっきキスをした時には感じなかった感情。感じていたかもしれないが、小さすぎて理解できなかった感情が、一気に胸全体に広がってくる。
緊張と焦りで視線をずらす。
道端から見たら、女子高校生を押し倒している男子高校生という認識以外されないだろう。
しかし今はそんなことを考えている場合じゃない。
「あ、亜美。
僕は…その……」
言葉が、紡げない。
それでも必死に、言いたいことを引き出してくる。
「正直言うと……最初はなんとも思ってなかった………
ずっとそのままだと思ってたけど、時間が経つにつれて、なんか……僕は違う感情を亜美に持つようになった。
それがなんなのかはわからない。
でも、クリスマスイブに渡したプレゼントも、花火を見に行った時に渡した鞄も、僕は純粋に亜美に喜んで欲しいと思って渡したんだ。
それだけは確かって言うか━━━━━
ごめん………うまく言葉にできない………」
僕が本気で考えているということだけでも伝えようと亜美に視線を戻すと、彼女の目からは涙が溢れていた。
「あ、亜美?」
どうしたのか聞くために口を開こうとしたところを、温かい感触に止められる。
突然の出来事に、思考がフリーズする。
今日2度目の、亜美の温かさ。
先ほどよりも長い時間が経過し、僕たちは顔を離す。
「翔、私の話、聞いてくれるかな…?」
「うん。」
僕は体を起こし、亜美の体も起こす。
しかし、起こした時の勢いそのまま、亜美は僕の胸の中に飛び込んでくる。
「うぅ……あ゛あっ……おばあちゃんっ…………!」
言葉にならないような嗚咽が、僕の胸元に落ちていく。その身体の熱さと声の重さから、僕は実感する。彼女がどれだけ大切な人を失ったのかを。
いつも大きく、誰のことでも支えられそうな彼女が、壊れそうなくらい震えていた。
「……ごめん……っ……おばあちゃん……
もっと一緒にいれたのにっ………もっと一緒に過ごせたのにっ………いなくなっちゃった……うわぁああああっ……!」
僕には、何もできなかった。ただ彼女を強く抱きしめ、頭と背を撫でることしか。もしも僕が、もっと早くに彼女のことを知ろうとしておばあちゃんの話を聞いていたら、亜美のこの感情を理解できたかもしれない。一緒になって悲しんであげられたもしれない。
こんなにも僕のことを思ってくれていた彼女のことを、僕は考えてあげれなかった。
自分の今までの行動に、嫌気がさす。
そして、僕は気づく。
確実なのだとは言えないが、僕は亜美のことを好きなのだという自覚が、心の中にゆっくりと広がっていくことを。
冷たい風が、僕たちをなぞるようにして吹き抜けていった。




