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第九話 『月島さんとごへいもちん⑦』


 「そうそう、さっきの話で思い出したんだけど、この子ったら小学生の頃、体育の授業で二人組になってくださーいってやつの時に、『私は人気者でみんなから引っ張りだこになるんだから、大混乱が起きないように隅っこで待機してなくちゃいけないの!!』って言って一人で体育座りしてたら、びっくりするくらい誰からも声かけられなくて半泣きになったことがあるんだけど、その時にね、菜々子ちゃんがこの子の肩を叩いて助けてくれたことがあるのよ〜。しょっちゅうポリ公に職質されてるし、たまーに衣服に返り血が付いたりしてるんだけど、あの子はね、本当はとっても優しくて面倒見の良い素敵な女の子なのよ〜。菜々子ちゃんが男の子だったら、ウチのカスをよろしくお願いしますって言って、押し付けられるんだけどねぇ〜。・・・はぁ〜。どこかにコレをもらってくれる、いい男はいないものかしら〜」

 そう言って、柳田さんのお母さんは僕の方をチラチラと見てきた。とんでもないババを押し付けられようとしている気配をひしひしと感じながら、僕は「あ、はい」と言って目を逸らした。

 「あ、そうそう! それでね・・」

 柳田さんのお母さんのマシンガントークは止まることを知らなかった。この年代の親御さんは大体こんな感じだが、この人のは幾分度が過ぎているような気がする。たぶん、話し相手になってくれる人があんまりいないんだろうなぁと思っていると、ちょいちょいと服を引っ張られた。

 振り向くと、月島さんが何かをねだるような上目遣いで僕を見ていた。

 「ポテチ食ってもいいにょにょんか?」

 何故僕に聞くのか分からないが、「やめといた方がいいんじゃないかなぁ」と答えておいた。

 「じゃあコーラ・・」

 「それもやめといた方がいいと思うよ」

 「・・・にょにょん」

 月島さんは拗ねたような顔をする。そんな僕らを置き去りにして、柳田さんのお母さんのマシンガントークは加速していく。

 「『みすとっ!!』って有名な鬱映画あるじゃない? 家族でアレを見てた時のことなんだけど、この子ったら例のラストシーンのところで、急に壊れた猿みたいに手を叩いて大爆笑し始めたのよぉ〜。私、来るべき時がついに来たのかと思って『どうしたの? 狂ったの?』って聞いたら、このバカ、キョトンとした顔でテレビの画面指差して『え、だってこいつクソ間抜けの大バカじゃん。ここって笑うところでしょ?』って言うのよぉ〜? 信じられるぅ? もう随分と昔に、この子に人の心とか倫理とか、そういうのを期待するのはやめたんだけど、あの時は久しぶりにガックリきたわねぇ〜。ホントにもうこの子ったら、本当に本当にどうしようもないんだから・・」

 獣が牙を剥いているような表情で上機嫌に話していた柳田さんのお母さんは、ふいに笑顔を引っ込めると、カァァァァ、と、空手の達人みたいな呼吸音を発し始めた。どうやらこれは、人間でいうところの『ため息』らしい。

 「・・・もういっそのこと、ここで終わらせてあげた方がこの子のためなのかしら?」

 そして、いきなり物騒なことを言い始めた。

 ここは止める流れなのは分かっているが、不思議なことにお口が動かない。月島さんにいたっては、小声で「やれ、やれ、やっちまえにょにょん」と呟いている。

 柳田さんのお母さんの周囲の空間がぐにゃりと歪み、地面の小石や砂が重力に逆らってゴゴゴ…と浮き始めた。たぶん気のせいだと思うけど、目が真っ赤に光っている。僕は月島さんを庇うように前に進み出てて、

 「あ、あのっ、すいません・・。僕らはこれからちょっと用事というか、やらなくちゃいけないことがあるので、すいませんがここで失礼させていただきます・・」

 と、言った。

 すると、柳田さんのお母さんは殺気を引っ込め、「あら?」という表情をして僕らを見た。そして、両手を口元に当てると、

 「あらやだぁ〜ごめんなさぁい〜。私ったら気が利かなくて・・オホホ」

 と言い、横たわる柳田さんの片足を乱暴に掴んで引きずり上げると、風呂上がりのジジイが背中にタオルをビターンっと叩きつけるのと同じ要領で肩に担ぎ上げた。えげつない音がした。

 「それじゃあ、お邪魔虫は退散しますねぇ〜」

 柳田さんのお母さんはそう言って、何故かいそいそと僕らに背を向けた。が、ふいに何かを思い出したように振り返ると、怪しげな笑みを浮かべてこう言った。

 「あ、そうそう。これはおばちゃんのお節介だと思って聞き流して欲しいんだけど、アナタたち、あんまり若い内からそういうマニアックなのを憶えちゃダメよ? 首輪に鎖だなんて・・もうっ、最近の若い子ったら進んでるんだからぁ〜」

 そう言われて、僕はハッとなって我が身を省みた。金属のトゲトゲとゴツい鎖がついた赤い首輪を身につけた男と、その鎖を握るドS丸出しの美少女。

 今の僕らは、誰がどう見ても不純であった。

 違うんです。僕と月島さんはそういう関係ではないのです。そういうことをしようとしているわけでもないのです。という言い訳が頭の中にぶわっと広がったが、口を開く前に、柳田さんのお母さんは二階建ての民家の屋根に一瞬で飛び上がると、『オホホホホホホホッ』というクソ怖い高笑いを上げて何処かへと走り去っていってしまった。

 「・・・」

 僕は、ちょっと待ってくださいよ、という格好のまま、しばらく固まっていた。

 これはまた月島さんがキレるパターンではあるまいか? 僕は恐る恐る月島さんの方へ目を向けた。しかし━━

 「にょにょん〜」

 予想に反し、月島さんは上機嫌そうにポテチを食べているだけだった。アレ? 月島さんって、ああいう性的なイジリは大嫌いなハズなんだけど・・。

 「そういえば、あのおっかないおばちゃん、去り際にへんなこと言ってたにょにょんな」

 ポテチをパリパリ食べながら、月島さんは僕の方を向いて言った。

 「首輪と鎖をお前のようなカスにつけて街中を引き摺り回すなんて、別にマニアックでも何でも無いにょにょん。うちのババアや風間が週三くらいでやってることだにょにょん。普通だにょにょん」

 絶対に普通ではないよねと思ったが、ここを深掘りすると碌なことにはならないので黙っておいた。

 「・・・ちっ、もうないにょにょん。最近のポテチは量が少なくてけしからんにょにょん。成敗してやりたいにょにょん」

 ポテチの袋を逆さにしながら、月島さんが頬を膨らませる。一番デカいやつを三袋も買っておいたはずなのに、もう全部平らげてしまったらしい。

 「おい、クソ犬。お前家までダッシュして通帳持ってこいにょにょん」

 「まだ食べる気なの!? もうやめといた方がいいんじゃない?」

 「うっさい、口ごたえすんなにょにょん。ポテチとコーラは別腹だから大丈夫だにょにょん」

 「別腹とかじゃなくて、身体の健康的な意味で大丈夫じゃなさそうなんだけど・・というか」

 僕は、ちらりと空を見上げた。そして、



 「もうそろそろ行かないと、頂上につく前に日が暮れちゃうよ?」



 と、言った。

 「・・・」

 月島さんは、何とも形容し難い複雑な表情をして僕を見つめた。

 「・・・お前、思い出したにょにょんか?」

 しばらくして、月島さんがポツリと呟いた。

 「正直に言うと、ついさっき、ようやく思い出した」



 ━━━そういえば、今日は満月の日だったな、と。



 「ごめんね月島さん。言い訳するようだけど、ここ最近色々と━━本当に色々あって、今日のことをすっかり忘れてたんだ」

 ごめん、と言って、僕は月島さんに頭を下げた。

 月島さんはしばらく黙っていたが、「ふんっ」と鼻を鳴らしてそっぽを向くと、

 「私はてっきり、お前が柳田とイチャイチャするのに忙しくて忘れちまってるものとばかり思っていたにょにょん」

 と、言った。

 僕は苦笑しつつ、首を横に振った。

 「違う違う。そういうのじゃなくてさ、本当に色々あったんだよ。一昨日なんか、ウチの妹が変な女の二人組に連れ去られそうになったし・・」

 ため息混じりにそう言うと、月島さんはギョッとした表情で僕を見た。

 「お前それ大丈夫だったにょにょんか? 洒落にならないやつだにょにょん」

 「へんなイタズラされたとか、そういう話じゃないから一応大丈夫だよ。ウチの妹も『遊んでもらっただけ』って言ってたし。ただね、その妹を連れ回した二人組っていうのが結構問題のある奴ららしくてさ・・」

 お巡りさんが言うには、その女二人組は、この辺では知らぬ者はいないレベルの超問題児であるらしい。

 その内の一人は特にやばくて、ボコボコにしたヤンキーを町中引き摺り回した後にスクラップヤードの門を叩いて、「サーセン、即日殺処分お願いしまーす!」と訳のわからないことを言ったり、そいつの首を目当てに学校に攻めてきたレディースの一団を返り討ちにした後に横一列に並ばせて端から端まで順にビンタしていくのを六時間繰り返したりと、まるで風間さんみたいな激ヤバチンピラエピソードをいくつも持っているらしい。障りがあるかもしれないということで、僕はそいつらの顔も名前も教えてはもらえなかったが、その二人は絶対に野放しにしてはいけない種類の人間だと思う。

 「刑事さんたちも『これでやっと、あのクソガキを年少にぶち込めるぞ!』ってクリスマスパーティみたいに大喜びしてたんだけど、その後に何か色々あったらしくてさ、結局そいつらを逮捕することは出来なかったんだよね、残念なことに」

 僕は、軽く首を左右に振った。月島さんは慰めるようにそんな僕の肩を軽く叩くと、

 「それは世知辛いにょにょんな。こういう時、法律は無力だにょにょん」

 と言って、コーラの蓋をゆっくりと開けた。ぷしゅう、と小気味良い音がする。音だけ聞いたら、まるで場末の居酒屋だった。

 「しかし、風間が睨みを効かしているこの地区で、まだそんな気合の入った悪さをする奴らが残ってたにょにょんな。風間が寺から帰ってきたら、そいつらを駆除してくれるよう頼むといいにょにょん。アイツこの前、『最近人間を三十分以上殴ってねぇから鈍るわ』って嘆いていたから、喜んで狩りに行くと思うにょにょんよ」

 月島さんはそう言って、ぐびぐびと2リットルのコーラをラッパ飲みし始めた。

 しかし、いくらその女二人組が札付きのワルとはいえ、風間さんをけしかけるのは少々やり過ぎな気がする。・・・いや、妹のことを考えるなら、二度とアイツに近づかせないよう、入念にシメてもらうべきなのだろうか? 何もなかったとはいえ、警察が駆けつけたとき、妹は何故か二人組に服を脱がされかけていたらしい。そいつらは『着替えの手伝いをしてただけ』と主張したそうだが、どうにも信用出来ない。柳田さんもさっき似たようなことを言ってたが、あの手の輩の口から出る言葉は全て信用出来ないものと思っておいた方がいいだろう。

 (でも・・果たして僕に、風間さんに何かをお願いする資格はあるのだろうか?)

 チェスボクシング部の部室で、目出し帽をかぶって座っていた風間さんの姿を思い出す。あの時の風間さんは、いつもより数段弱々しく見えた。



 ━━━私のカンピューターは、絶対キミが悪いって囁いているんだけどね!



 先程の柳田さんの言葉が脳裏に蘇る。僕に心当たりはない。ないのだが・・何故だろう? どうにも柳田さんの言葉が正しいように思えて仕方ないのだ。

 (やっぱり一度、風間さんとはちゃんと話をした方がいいのかもしれないな・・)

 風間さんが寺から帰ってきたら、もう一度チェスボクシング部の門を叩きに行こう。僕はそう決意した。



 その時、ポーンっという時報のような音がした。



 『ごへいもちんは、キミのことが大好きだにょにょん〜』

 例のボイスが、再び流れてくる。

 「・・・」

 僕は静かに目を瞑り、来るべき衝撃に備えた。

 「・・・?」

 だが、覚悟した衝撃は中々やってこなかった。どうしたのだろうと思い目を開けると、



 信じられないくらい柔らかい何かが、僕の背中に激突した。



 視界の端に、月島さんの美しい金髪がふわっと舞い上がるのが見える。

 僕は今、月島さんに背後から抱きしめられているらしい。

 その事実に気付くのに、数瞬の時を用した。

 「つ、月島さん・・?」

 僕はあたふたしながら首を後ろに回す。月島さんは僕の背中に顔を埋めている。表情を読み取ることは出来なかった。

 コレ何? 何のイベントが発生したの? 

 混乱する僕の後ろで、月島さんがそっと息を呑む気配がした。

 「・・・みかん畑」

 「は、はい・・」

 何故か敬語になってしまう。月島さんは、緊張でガチガチになった僕の身体をぎゅっと抱きしめると、



 おもむろに、顔面を鷲掴みにしてきた。



 「・・へ?」

 思っていたのと違う。全然違う。僕は目だけを動かして月島さんの顔を見やる。

 月島さんは頬を赤らめ、恥ずかしそうに目を伏せると、

 「今からお前に、人間の記憶を五秒しか保たなくする秘伝の技を打つにょにょん。失敗すると、お前は『ぱいなっぽぅ』としか喋れなくなるにょにょんけど、恨まないで欲しいにょにょん・・。えへへ。私、この技を一度人間に使ってみたいと思ってたにょにょんな」

 と言い、おもちゃを買ってもらった子どものような笑みを浮かべた。声に隠しきれない歓喜が滲み出ていた。

 「それ成功しても失敗してもダメなやつじゃなかっ!! そんな技を人間に使っちゃいけません!!人に使う技は、人から使われてもいい技だけだって、学校で習ったよね!?」

 「習ってないし、使われても別に構わんにょにょん。打たれる前に返り討ちにしてやるにょにょん」

 「そういうことを言いたいんじゃなくて・・あのっ! すいませんっ!! 誰か助けてください!! 僕は今、頭のおかしい女に危険な技をかけられようとしています!! 誰か助けてください!!!」

 僕はあらん限りの声を出して叫んだが、通行人は白けた目を向けるだけで立ち止まりすらしなかった。何と嘆かわしい。日本はいつの間にこんな薄情な国になってしまったのだろうか?

 足をばたつかせる僕を凄まじい力で抑え込み、月島さんは僕の耳元でそっと囁く。いかなる技術によるものなのか、声がASMRになっていた。そんな技術を埋め込む余裕があるのなら、電流を流す機能をつけておいて欲しい。そして今、それを全出力で流してほしい。僕は心の底からそう願った。

 「それじゃあいくにょにょんよ? どうなるか楽しみだにょにょん。3、2、1・・」

 月島さんの吐息が耳元にかかる。ASMR特有の耳がムズムズする艶っぽい声で、まるで焦らすようにゆっくりと、



 「━━━ゼぇ〜ロ」



 と、宣告される。

 僕は覚悟して目を瞑った。そして、次の瞬間、



 ━━━はむ。はむはむはむ。



 耳たぶを甘噛みされた。

 ぞわぞわぞわっと、人生で終ぞ感じたことのない刺激が足元から這い上がってきた。僕は身体を大きく震わせ、大慌てで月島さんを振りほどく。心臓がバクバクする。耳を抑えながら顔を真っ赤にする僕とは対照的に、月島さんはいたずらっ子のような表情で僕を見ていた。

 「びびったにょにょんか?」

 月島さんはそう言って、きししっと笑った。

 「・・・」



 ━━━たぶん、月島さんが思っているのとは全く違う意味で、とてもびっくりしたよ・・。



 「イタズラ大成功だにょにょん〜」

 未だバクバクする心臓を抑えながら、僕は満足そうにコーラをラッパ飲みする月島さんの横顔を恨めしそうに見つめるのだった。



 

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