第八話 『月島さんとごへいもちん⑥』
都会の薄汚れた雑踏の中を歩いていたら、ふいに人混みの中からツチノコを咥えたチュパカブラが飛び出してきたような━━あの時の月島さんの表情を例えるなら、そんな感じだった。
顔文字で例えると( ˙ㅿ˙ )こんなだろうか。
「アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!」
そんな月島さんを指差して、人の心が無い人が腹を抱えて笑っている。
「何? 何? のの子ちゃん? アンタがやたら私にウザ絡みしてきたのって、もしかしてやきもちだったの?」
「( ˙ㅿ˙ ) 」
「そこのサイコパスが私のこと好きなのが許せなくて、そんで悪役令嬢モノのモブみたいに私に突っかかってきたんだ? 『ちくしょー、その人は私のものなのにー』って?」
「( ˙ㅿ˙ )」
「なんだなんだ、のの子ちゃん。アンタ可愛いとこあんじゃん? 言ってくれたら、こんなクズ秒でくれてやったのに。何でもっと早くに言ってくれなかったかなー」
「( ˙ㅿ˙ )」
「あ、そうか!! のの子ちゃんって、隠キャでコミュ障で無駄にプライドが高いお嬢様だもんね!? 私に面と向かって『その人は、私の大好きな人だから奪わないで!!』なんて言えないもんね!? しかも、相手は無敵のパーフェクト美少女、柳田ちゃんだもんね!? だから、勝てるわけねー、告白できねー、怖えーって気持ちが鬱屈して、SNSで有名人に誹謗中傷してウサを晴らす負け犬みたいになっちゃったんだね!? そうなんだよね!? ね!? アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!」
「( ˙ㅿ˙ )」
柳田さんが一人で大盛り上がりしている中、月島さんはずっと( ˙ㅿ˙ )な表情をしていた。
このパターンは今まで見たことがない。
大丈夫かコレ? と思い恐る恐る月島さんに声をかけると、
( ˙ㅿ˙ )
反応がない。が、かすかに口元が動いている。何だろうと思い、耳を澄ませてみると、
( ˙ㅿ˙ )「ころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころす」
と、すごく小さな声で、そう繰り返していた。
これホンマにあかんやつやんけ、と思った瞬間、視界から月島さんの姿が消えた。
「おーっと、ダメダメ。暴れて何もかも有耶無耶する暴力系ヒロインムーブは、令和の時代には許されないよ?」
ギチギチという音をさせながら、月島さんは柳田さんにオクトパスホールドのような格好で身体の自由を奪われていた。
何が起きてそうなったの?と混乱する僕の前で、顔を真っ赤にした月島さんが叫んだ。
「この私が振り解けねぇとか、お前の『道』相変わらずどうなってやがるにょにょん!! 離しやがれにょにょん!!!」
「やーだね」
柳田さんはそう言って、月島さんの首筋をぺろりと舐めた。
「ひゃん・・!! な、何しやがるにょにょん!!」
「おぅおぅ、初々しいのぉ、初々しいのぉ。今までは厚化粧の鬱陶しいクソ女としか思ってなかったけど、こうやって見ると、のの子ちゃんってやっぱかわいいね〜」
「誰が厚化粧じゃゴラァにょにょん!! てめぇと違って私は身だしなみをきちんとしているだけだにょにょん・・って、お前、どこに手を入れてやがるにょにょんかっ!!!」
月島さんが叫ぶ。柳田さんの魔の手が、月島さんの制服の下に潜り込んでいた。
「やめろこの変態野郎にょにょん!!」
「よいではないかぁ〜よいではないかぁ〜」
「さっきから古いんだよボケッ!! にょにょん!!」
月島さんは何とか逃れようと必死にもがくが、柳田さんはびくともしない。
僕は、「その辺にしておいた方がよろしいのではないでしょうか?」と、止めに入ろうとしたのだが、言い切る前に柳田さんの前蹴りが鳩尾に飛んできた。
身を折ってピクピクする僕の前で、柳田さんの魔手が、ついに月島さんのお胸に到達した。
「おー・・なかなかのモノをお持ちで。つーか、パットじゃないんだ」
「ちげーよ!! ざけんなにょにょん!!」
「アンタ、高一の時と比べて大分成長したでしょ? 結構な成長スピードよね〜、中2の時のななちみたい。知ってる? アイツって、中1の時は男子みたいな絶壁だったのに、中2の後半くらいからどんどん大きくなって━━」
「風間の成長過程なんか知るかにょにょん!! 離せにょにょん!! 下着の中に手を入れようとするなにょにょん!!!」
「私さぁ、どっかのクソカスサイコパス野郎のせいで、男って生き物がほとほと嫌になってさぁ・・」
「話聞けやにょにょん!!」
「だから私、自分が『そっち』へ行けるかどうか、試してみようって思ってたのよね。最初は、もっふーみたいな純粋で騙しやすい子でチャレンジするつもりだったんだけど、アンタでいい気がしてきたわ。知ってる? やな×つきって、結構需要あるんだよ?」
「知るかにょにょん!! 私にそっちの気はないにょにょん!! というかお前、桜川みたいな子をそういう目で見るとか頭狂ってんのかにょにょん!? てめぇやっぱりペドフィリアだろにょにょん!!」
「あ、そういうこと言っちゃうんだ? いいのかなぁ〜? 私は今、のの子ちゃん『で』ペドフィリアじゃないことを証明出来るんだよ? 例えばぁ、こんな風に━━」
柳田さんの手がラインを越えようとしたその時、二人の頭上から巨大な『何か』が落ちてきた。
まるで隕石が落下したかのような衝撃だった。凄まじい轟音と砂埃が辺り一面に襲いかかる。その激しさに、僕は思わず地面に片膝をついた。と、そこへ、
「へ?」
月島さんが、人間魚雷みたいな格好で水平に僕の方へ飛んできた。
━━━何事?
僕らは二人とも、「「え?」」という顔をしていた。
月島さんは結構な速度で飛来してきたが、避けるわけにもいかず、僕は覚悟を決めて踏み止まった。漫画やアニメなら、ここで華麗に女の子をキャッチして、あわよくばラブコメ的な展開を享受出来る所だが、現実はそうはいかず、僕はラグビー選手のタックルを初めて受けた素人のように無様に倒れ込むことしか出来なかった。一応、月島さんの身体をガッチリ受け止めることには成功したので、そこだけは自分を褒めてあげたい。僕はほっと安堵のため息を吐いた。
「・・・いつまで触ってやがるにょにょんか」
ハッとして横を向くと、鼻先が触れるほどの超至近距離に月島さんの顔があった。
「ご、ごめん!!」
僕は大慌てで腕を解いた。
「・・・」
月島さんは何も言わずにゆっくりと立ち上がると、乱暴に衣服の汚れを払った。
これは顔面を潰されるのではないかと思ったが、月島さんはカミソリのような眼差しで僕を睨むと、「・・ふん」と言って、恥ずかしそうに目を逸らした。
いつもの暴力が飛んで来ない。
いや、飛んで来ないに越したことはないのだが・・。何だか釈然としないものを感じつつ立ち上がると、未だもくもくと煙を上げる爆心地の向こう側に、うっすらと巨大な影が見えた。
「月島さん、いったい何があったの?」
僕が訊ねると、月島さんは、
「・・・私にもよく分からんにょにょん。何か巨大な影が急に覆い被さってきて、気付いたら投げ飛ばされていたにょにょん」
と、言った。
砂埃が次第に晴れていく。
影が、ゆっくりと立ち上がった。
砂埃が完全に晴れると、そこには丸太のような太い腕と脚をした、身長は優に二メートルは超えているであろう、どえらい筋肉の巨漢が立っていた。
そして、その足元には、アスファルトに顔面を半分以上埋められてビックンビックンしている柳田さんの姿があった。
「ふしゅるるるる・・」
巨漢の口から、動物のドキュメンタリーでしか聞いたことのないような音が漏れた。口の端から、葉巻のような濃い白煙が立ち昇る。
この人が歩くだけでカーナビが誤作動しそうだなと思っていると、巨漢はカッと目を見開き、僕と月島さんを睨め付けた。たぶん金剛力士像の力士が現実に存在したら、こんな感じになるのだろう。目力だけでマンボウとニャンちゃんくらいなら昇天させてしまいそうな凄みがあった。
「・・・」
横にいた月島さんが、そっと僕の服を掴んだ。あの月島さんが怯えている。それだけで、これがのっぴきならない状況なのだということが分かる。
・・・あれ? これってもしかして、近年のバトルものの第一話にありがちな、コイツ絶対死なねぇよな系の女の子をあっさりコロコロして、主人公を復讐の鬼にするタイプの展開なのだろうか? 僕は霊能力どころか超能力にも目覚めてしまうのだろうか? 第一話どころかだいぶ話数進んでる気がするし、今更柳田さんのために痛い思いや辛い思いをして修行やら戦闘やらをやるのはイヤだなぁと思っていると、
「やだぁ〜、ごめんなさぁい。大丈夫だったぁ〜?」
と、酒とたこ焼きで喉を潰された大阪のおばちゃんみたいな野太い声が巨漢の口から発せられた。
僕と月島さんは顔を見合わせて、「え? この人女性なん?」と、目だけでツッコミを入れた。
筋肉ばかりに目を奪われていたが、よくよく見て見ると、巨漢のご婦人?の服装は、確かに女性のものだった。まるで昭和の主婦のような、今時そんなのどこに売ってるの?と言いたくなるような、古くさい服装ではあったが。
「ウチの低脳がごめんなさいねぇ〜。この子ったらホントにもう・・」
唖然とする僕らの前で、巨漢のご婦人は頬に手を当てながら、くねくねと身体を捩らせている。
「アンタは自分では友達が多いって思ってるけど、学校の『あなたと仲の良いお友達の名前を書いてください』ってアンケートには誰からも名前を書いてもらえない寂しい女の子なんだから、無いに等しい信頼を失わないよう、お友達は一人一人ちゃんと大事にしなさいって毎度毎度口を酸っぱくして言ってるのに・・。こんな人様の目がある往来のど真ん中でお友達にセクハラするなんていったい何を考えてるのかしら? そんなんだからいつまでたっても本当の友達って呼べるのは菜々子ちゃん一人だけなのよねぇ・・。本当に困ったものだわぁ〜。菜々子ちゃん以外にも、ちゃんとしたお友達が出来ればこの子も変わると思うんだけどねぇ〜」
ねぇ?と、巨漢のご婦人は凄まじいマシンガントークの後に、「そんなわけでこの子どうですか?」と言いたげに僕らを見た。そんな風に不良債権を押し付けられても困るのだが、怖いので「あ、はい」と頷いた。
「あんらぁ〜、ありがとうねぇ〜。オバチャン嬉しいわぁ〜。・・・それはそうと、あなたよく見たらすごくカッコいいわねぇ〜? 今流行りの235次元の俳優さんか何かしら?」
「たぶん2.5次元のことだと思いますけど、違いますね」
「あらぁ、そうなの? そんなお姫様みたいな可愛らしい女の子を侍らせてるから私てっきりそうだと思ってたわ〜。じゃあ、アレかしら? 女をわんこそばみたいに食い放題に出来るあの事務━━」
「すいませんっ!! ちょっと質問よろしいでしょうか!?」
この人をこれ以上喋らせるのはマズイ。そう判断した僕は大声で割り込んだ。
「もしかして、柳田さんのお母様でいらっしゃいますか!?」
僕がそう言うと、巨漢のご婦人は、「あ」という表情をし、
「あらぁ、ごめんなさい〜。私ったら、自己紹介もしないで一人で勝手に喋っちゃって・・」
と言い、オホホホホっと笑った。
そして、ペコリと頭を下げると、
「私、柳田おれんじの母でございます」
と、言った。