番外編『宮本さんと風間さん㉘』
宮本静佳が『おじさん君』に会った日からしばらく経ったある日のこと、土井山署に一人の男が現れた。
男は左右に県警の上役を引き連れ、署内の警察官全員に写真のようなものを見せて回っていた。
三十そこそこの、やたらと目の細い男だった。
男に付き従う県警の上役は完全に萎縮しきっており、この態度だけを見ても、男がかなり上の方にいる人間であることが分かる。
男の顔に見覚えはない。いったい何者だろうと内心で首を捻る宮本静佳の前に、男が近付いてきた。
「この男に見覚えはないか?」
挨拶などは一切なかった。男は突きつけるようにして一枚の写真を見せてくる。
そこに写っていたのは、やたらと顔の整った若い男。
恐らくは、まだ10代だった頃の写真。アイドル事務所からデビューしたばかりの新人ですと言われても、納得しかない圧巻のルックスだった。
「いえ、知りません」
宮本静佳は、特に表情を変えることなく首を振った。
が、その内面では、心臓が早鐘を打っていた。
宮本静佳は、写真の少年に見覚えがあった。あの異様に整ったルックスは見間違えようがない。柳田おれんじに『おじさん君』と呼ばれている、あの男に間違いなかった。
細目の男は宮本静佳の内心の動揺にまるで気付いた風もなく、彼女が首を振るやいなや、何事もなかったかのように黙って背を向ける。
「あの・・」
関わってはいけないと分かっているのに、宮本静佳はつい声をかけてしまった。
細目の男が、無感情に宮本静佳へ目を向けた。後ろに控える上役が、余計なことはするなと目で訴えてくる。それを無視し、彼女は細目の男に訊ねた。
「その男は、いったい何者なんですか?」
細目の男は、しばらく宮本静佳を見た後、
「テロリストだ」
と言い、別の署員の元へと歩いて行った。
宮本静佳が細目の男を見たのはそれっきりで、その後に『おじさん君』の写真が手配書などで回ってくることもなかった。
※
それからしばらく経った、ある日のこと。
非番の宮本静佳が町を歩いていると、
「ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャっっっ!!!」
という、高崎山を四畳半に圧縮したような笑い声が聞こえてきた。
その声は、すぐ側にある小さな公園から聞こえてきた。いったい何事だろうと、宮本静佳が声のした方へ向かうと━━
そこに、全裸トレンチコートの変質者がいた。
四十か五十くらいの中年の男だった。男の太鼓腹には『ボクのニィモ知りませんか?』という謎の吹き出しがデカデカと書かれており、吹き出しのとんがった部分の先には、オレンジと黒の縞々模様に塗られた男の粗末な代物があった。
ボコボコにされて正座しているその変質者を、ランドセルを背負った三人の少女が取り囲み、猿のような奇声を上げながら指を差して笑っていた。
その地獄絵図を見て、宮本静佳は頭を抱えそうになる。
目の前にいる三人の少女━━その内二人を、よーく知っているからだ。
風間菜々子と、柳田おれんじである。
もう一人は初めて見る顔だった。茶髪の三つ編みにお洒落な銀縁眼鏡。どことなく品が伺える、良い所のお嬢様みたいな少女だった。
しかし、そのお嬢様は今、バカ二人と一緒になって、女の子がしてはいけない顔をして腹を抱えて笑っていた。
「何がボクのニィモ知りませんかだよ? お前にニィモがいたことなんてねぇだろうがよ!!」
「何ですかぁ、その小っさなカクレクマノミは? しかも、カクレクマノミがカクレクマノミになってるじゃありませんか?」
「皮の中に引きこもってんじゃねぇぞ、カクレクマノミの分際でよぉ!! ニィモを探しに行くんだろ? 今すぐ三万握りしめて80分総額28000円の店に行ってこいや!! お前の求める大海原はきっとそこにあるからよぉ!!」
「・・・でも、その海にはありとあらゆる危険(性病)が満ちあふれてるけどね」
三人は一瞬しんとした後、高崎山が爆発したかのように、どっと大笑いし始める。
「可哀想だからコイツのニィモ私らで探してやろうぜwwww」
「私、ニィモって名前のひき肉を作る機械知ってるから持ってくるwwww」
「ばっか、コイツにそんなもん贅沢だよwwww缶詰の空き缶でいいだろ、空き缶でwwww口んところがすんげぇギザギザになってるやつwwww」
「でもコイツ入んの?wwwwスカスカになるんじゃね?wwwwチェリーの缶詰でも無理そうじゃんwwww」
「チェリーだけにってか?」
三人は再びしんとなると、またもや高崎山が大噴火したような大声で笑い始める。
宮本静佳が頭を抱えながら、こいつらこのまま爆発四散してくれねぇかなぁと考えていると、
「くらぁああああああああああっ!!!」
赤いランドセルを背負った真面目そうな女の子が、ブチギレにブチギレた表情で三人組に向かって走ってきた。
茶髪の少女にどことなく面影が似ている、三つ編みの少女だった。その少女は何故か、大人用の野暮ったい黒縁眼鏡をかけている。明らかにサイズの合っていないその眼鏡が、彼女の走る動きに合わせてぐわんぐわん揺れていた。
彼女を見た柳田おれんじが「げっ」と顔を歪め、
「・・・委員長だ」
と、小さく呟いた。
茶髪の少女は「やっべ」と言って、風間菜々子の後ろにコソコソと隠れる。風間菜々子は白けたような顔をしていた。
「・・・」
鬼の形相の黒縁眼鏡の少女は、他二人に目もくれず、真っ直ぐに茶髪の少女の前に立つと、その頭をぐーで思い切りぶん殴った。
「『コノ』ッ!!」
黒縁眼鏡の少女が一括すると、茶髪の少女はビクリと肩を震わせた。
「アンタねぇ!! 『契約』とかどうでもいいから好きに生きなさいとは言ったけど、だからって、こんなバカどもとつるむのは違うでしょ!!!」
(・・・『契約』?)
宮本静佳は、意味不明な言葉に眉根を寄せる。
(もしかして、アレだろうか? 『お友だち契約』とかいうやつ・・)
『磯野さん。今月のお友だち料金をまだ頂いておりませんが?』
『もうちょっと待ってくれよ、中島!! 今月厳しいんだ!! あと少し、あと少しでいいから!!』
『仕方ありませんね・・。磯野さんはお得意様ですから、あと一週間だけ待って差し上げましょう。・・・ただし、一週間経っても料金が支払えない場合、その時は契約解除とさせていただきます。よろしいですね?』
『わ、分かったよぉ・・』
『では、そういうことで・・。あ、そうそう磯野さん。お客様相手にこのようなことを言うのは大変恐縮なのですが、ビジネスの場なのですから、会話をするときはちゃんと敬語を使われた方がよろしいかと思いますよ? ただでさえ、磯野さんは料金を滞納していらっしゃるのですから、『誠意』というものを見せていただかないと・・』
『・・・も、申し訳ございません・・』
・・・みたいな『契約』だったらどうしようと、宮本静佳が危ない妄想を領域展開している中で、黒縁眼鏡の少女は腰に手をやって、ガミガミと大声で説教し始めた。対する茶髪の少女は塩を振った青菜のようにがっくりと俯いている。
その様子を見る限り、どうやらこの二人の関係は、宮本静佳が邪推したようなものではないようである。『契約』の意味は分からないままだったが、彼女はとりあえずほっと胸を撫で下ろした。
その一方、風間菜々子はつまらなそうにそっぽを向き、柳田おれんじはニヤニヤと性根の腐った笑みを浮かべていた。どうやらこの少女は、友だちだろうが赤の他人だろうが、人が酷い目に遭っているのを見るのが大好物らしい。
コイツ本当に終わってるなと思いつつ、宮本静佳が事の成り行きを見守っていると、黒縁眼鏡の少女がキッと風間菜々子の方を向いた。
「・・・あん?」
風間菜々子の目が座る。
一切の躊躇なく、人を殴れる人間の顔をしていた。
まずい、と宮本静佳に緊張が走る。止めに入るべく、彼女は一歩踏み出そうとしたのだが━━
「あ゛?」
黒縁眼鏡の少女は臆するどころか、逆に風間菜々子にガンを飛ばしてきた。近隣の不良少年を残らず震え上がらせてきた風間菜々子の異様な眼光を前にしても、少女は一歩も引かなかった。
(へぇ・・)
それを見て、宮本静佳は思わず感心してしまう。脳みそのオプションに危機察知能力を付け忘れている間抜けがイキっているのではなく、黒縁眼鏡の少女は正しく相手の危険性を認識していて、その上で毅然とした態度を取っていることが分かったからだ。
「・・・」
二人は鼻先がくっつきそうな超至近距離で睨み合う。二人がどういう関係なのかは不明だが、少なくとも大親友ではないことは確かだろう。
流石の柳田おれんじもこれはマズイと見たのか、風間菜々子の腕を引っ張りながらしきりに何事かを囁き続けている。茶髪の少女は黒縁眼鏡の少女の周りを、役員の機嫌を伺う中間管理職みたいな極めて腰の低い姿勢で右往左往していた。
二人の無言の睨み合いは長く続いたが、不意に黒縁眼鏡の女の子が、
「はんっ」
と、心底バカにしきったような笑みを浮かべると、
「━━━━━」
風間菜々子の耳元に口を寄せ、何事かを呟いた。
いったい何だろうと訝しむ宮本静佳の目の前で、
風間菜々子の顔から、すべての表情が消えた。
それを見た柳田おれんじと茶髪の少女が、ぎょっとしたような顔を見せる。宮本静佳も同様の表情をしていた。
(あの表情は・・)
宮本静佳の背筋に冷たいものが走る。
今の風間菜々子の表情━━それは、彼女の弟が亡くなった時のものと瓜二つだったからだ。
「・・・ななち」
柳田おれんじが、今まで見たことのない不安げな表情で風間菜々子の服を引く。彼女はそれを振り払うように腕を振るうと、一言も発することなくスタスタと何処かへ歩いて行く。
人形のような無表情のままで。
柳田おれんじはすぐにその後を追った。何かを必死に語りかけていたが、風間菜々子は目を向けることさえしない。
「・・・」
茶髪の少女がおろおろと首を左右に振る中、黒縁眼鏡の少女は硬い表情でどこか一点を凝視していた。そして、
「・・・バカな子」
と、一言呟くと、茶髪の少女の頭をぞんざいにひと殴りして、風間菜々子と柳田おれんじとは反対の方に向かって歩き出した。茶髪の少女が、頭をさすりながらその後に続く。
「・・・」
その一連の様子を、宮本静佳は黙って見つめていた。
━━━自分は何か、見てはいけないものを見てしまった気がする。
そんな予感を抱えながら。
※
カクレクマノミはちゃんと逮捕した。




