番外編『久喜原さんの3秒クッキング②』
静かな院内に、久喜原が引きずる足枷の音が響いていた。
少し前までは重いと感じていたそれも、この頃はひどく軽いと感じる。筋力や体幹が鍛えられている証拠だろう。
そろそろ足枷に加えて、何か重りのようなものを追加してみようかと考えていると、横手にエレベーターホールが見えてきた。しかし、久喜原はそこへ入ることなく、真っ直ぐに非常階段を目指す。
その動きに合わせるように、背後からヒタヒタという湿った足音がついてくる。
病室を出た辺りから、院内の消毒液の匂いに混じり、カビのような匂いが漂い始めていた。
奴らの匂いだ。
(・・・複数体。そこそこ大型)
頭の中に軽くメモをし、非常階段に足をかける。そのまま踊り場まで降りていき、下の階に目を向けると━━
階段で立ち塞がっている、二体の『何か』が見えた。
『何か』は看護師の格好をしている。ただし、現代風の看護師の格好ではない。薄いピンクがかった白のロングスカートに、紺色のチョッキ。ナースキャップは現代のものと大差ないが、その下にある顔は真っ黒くろすけである。
━━━炭のような黒煙が、何かしらの生き物の形をしている。
それが、『何か』の姿の共通点である。例外は━━晴信君曰く、あるにはあるらしいが、久喜原はそういったレアモノには出会ったことがない。
あの牛乳女の影響か、この病院に巣食っている奴らはえらく活発だった。もしかしたらそのレアモノに出会えるかもしれないと密かに期待していた久喜原は、目の前にいるありふれた『人型』を目にして、肩透かしを食らったような気分になる。はぁ、と小さくため息を吐くと━━
上の階から、ヒタヒタという足音が聞こえてきた。
目を向けると、そこにも二体『何か』がいた。その二体は下にいる奴同様、階段を塞ぐような形で、じっと久喜原を見ていた。多少サイズが違うだけで、姿形は下にいる奴らと大差ない。
簡単な『罠』に引っかかる割に、『獲物』の逃げ道を塞ぐような連携プレーを見せる。知能が低いのか高いのか判断しかねるが、思ったよりは楽しめそうだと、久喜原は内心でほくそ笑む。
「お出迎えのところ、大変恐縮なのですが━━」
早々におっ始めてもよかったが、まずは軽く煽ってやろうと思い、懐に手を伸ばす。
そこから取り出したのは、久喜原お手製の『お守り』がついた車のキー。
そのお守りの効能は『対象の『魂』の匂いを吸い取る』こと。
その『封』を僅かに緩めてやるだけで、ほらこの通り━━大物が、四匹も釣れた。
久喜原は口の端を吊り上げ、
「お前らが喰いたがっている『匂い』の元は、久喜原ではないんですよねぇ・・」
と、嘲笑う。
途端、騙されたと理解した四体の『何か』は、激昂したように大きく身体を震わせた。すぐさま四つん這いになり、攻撃姿勢を取る。
(怒りの感情があり、侮蔑も理解出来るか・・)
ますます良い、と、心の中でほくそ笑む。
知能の高さは、そのまま『何か』の『強さ』に比例する。四体の『何か』は、獣のように四肢に力を込めると、一斉に久喜原に向かって飛びかかってきた。
久喜原は笑顔を浮かべたまま、いつものように『六号』を取り出すべく、背負った棺桶をノックした。すると━━
━━━おい、じゃりん子。『修行』の成果チェックしたるわ。3秒貸したるから、やってみい。
予想に反し、『四号』が久喜原に語りかけてきた。
声がすると同時に、鎖で雁字搦めにされた棺桶の蓋が僅かに開き、中から一振りの古びた日本刀が飛び出してくる。
その鞘には彫刻刀で削ったような雑な文字が刻まれており、そこには━━
『赤田志乃』
と、彫られていた。
久喜原は中空で素早く刀をキャッチすると、三角巾で固定された左手に持ち替える。次いで右手で刀の柄を掴み、久喜原の眼前で僅かに鯉口を切った。
━━━金打、という古の武士の作法がある。
武士同士が堅い約束を交わす際、お互いの刀の刃と鍔を合わせて音を鳴らす。
『コレ』は、金打と作法自体は同じであるが、お互いを結びつけ合い、差し出し合うのは『魂』と『魂』━━『魂』を担保とした約束事なのである。
古来より存在する『とある一族』が、成すべきことを成す際に交わす、その作法。その名を━━
「━━━冥打」
刃を再び鞘に収めると同時に、キンッ、と、澄んだ音色がした。
※※※
※※
※
瞬間、世界から音が消え、色も消えた。
生前、『棺桶』たちの中で『最速』の遣い手だった『四号』の『能力』が、久喜原の身体の中に流れ込んでくる。
己の身体を憑代とし、対象の霊を完全憑依させる『神降ろし』とは異なり、部分的に『力』を借り受ける憑依のことを『神懸かり』という。久喜原が『棺桶』の『能力』を借り受ける際に用いるこの『冥打』は、『神懸かり』に則った呪法である。
『神懸かり』は、術者と霊がお互い納得の上で契約を交わすことにより、その契約をより強固に━━そして、より安全に遂行するために行われる憑依の亜種。身体と意識を完全に『霊』や『神』に委ねる完全憑依ではない分、得られる力は限定的であるが、命を取られたり、発狂するといったリスクが少ない。あか婆と晴信君が籍を置く『流派』━━『西』が、千年以上にも及ぶ研鑽の末に編み出した呪法━━それが、『神懸かり』なのである。
『神懸かり』で『契約』を交わす際は、相手が最も納得する『形』で行われなければならないのだが、その『形』は、相手により大きく異なる。何かしらの食物や畜生の命、意味不明な儀式を求める者もいれば、特定の相手の身体の一部や、命を求める者もいる。自分や他者に限らず、人間の命を求める奴の『能力』を借りることは『西』では禁止とされているが、中には『東』のように『良し』としている『流派』もある。
それは、形式上とはいえ、『西』に籍を置く久喜原としては、許容出来ない一線である。
もしも『棺桶』が人の命を求めるような奴らだったならば、コイツらのことは晴信君に任せなければいけなかったが、久喜原が最初に『契約』を打診した際、コイツらが求めた『形』は、幸いにもそういったものではなかった。
━━━しかし、だからといって軽くもない。
何せ、相手に差し出し、約束事の担保とするものは、己の命よりも重いもの━━『魂』なのだから。
━━━自分たちの意に反する『生き方』をした時は、『魂』を貰い受ける。
その『契約』の元、久喜原は『棺桶』の『能力』を借りている。
『冥打』は、『棺桶』にとって最も慣れ親しんだ約束事の『形』であると同時に、久喜原の『覚悟』を再確認するための意味合いもあるのだ。
久喜原と『四号』は、借り受ける『能力』の名を━━『家銘』を呟く。
「「━━━赤兎馬綾仕」」
世界から色が消えると同時に、久喜原の身体が、まるで深海の底を歩いているかのような粘っこい抵抗を感じるようになる。
一歩踏み出す、ただそれだけの動作が、亀のように遅い。
が、久喜原の周囲にいる『何か』の遅さは、亀どころではない。
四体の『何か』が、まるで一時停止されたかのように空中で止まっていた。
『四号』の『家銘』は、時間を停止することではない。よくよく観察してみれば、宙に浮かぶ『何か』が、ほんの僅かに動いていることが確認出来るはずだ。
━━━超集中状態。
この『家銘』は、スポーツでいうところの『ゾーン』に近い。時間の流れが極端に遅く感じられる程の集中力。それを、意図的に作り出すことが出来るのだ。
まるで色が消えたように見える世界の中で、まともに動けるのは久喜原のみ。『四号』の『家銘』を借りた肉体は、時間が極端に鈍化した世界でも、ある程度のパフォーマンスを発揮することが出来る。
ただし、それが可能な時間は極めて短い。
与えられた時間は、今回3秒。
久喜原は、間抜けな格好で宙に浮かぶ四体の『何か』の位置を瞬時に把握し、最速最短で祓うためのプランを頭の中で組み立てる。
まず最初に狙うのは、上階の奴らだ。
左足に力を込めて跳躍する。深いプールの底からジャンプしたような緩い抵抗力を感じつつ、右足を思い切り振り上げると、そのまま『何か』の鼻先をかするようにして一気に振り抜く。久喜原の爪先は空を切るが、足枷の先につけられた鉄球が『何か』の顔面を正確に捕らえる。この足枷は、元々は中世ヨーロッパのとある国の地下牢に幽閉されていた囚人を繋ぎ続けていた呪物である。その怨念が━━呪力が、物理攻撃の効かない『何か』の頭をぐしゃりと潰す。
四体の看護師もどきよりも『上位』の奴らになると話が変わってくるが、『何か』は基本、実体を持たない。そのため、『触る』という何でもないことをするだけでも、それには『技術』と『能力』が要求される。その『技術』と『能力』━━いわゆる『基礎』は、あか婆から叩き込まれている。久喜原は足の裏に『力』を込めると、顔が半壊した『何か』の肩を足場にして跳躍━━同時に、刀を鞘から抜き放ち、後ろにいた『何か』の首を斬り飛ばす。
残り、二体。
久喜原はその姿を目にとらえつつ、宙を舞う『何か』の首を足蹴にして再跳躍━━そのままくるりと一回転し、その反動と勢いを利用するようにして、下階から迫る『何か』の脳天に叩きつけた。
━━━重い。
刃が首の辺りで引っかかる。下にいた『何か』の手ごたえは、先程首を飛ばした奴よりも俄然硬く感じた。この個体がたまたま他より頑強なのか、それとも久喜原の刃の入れ方が不味かったのか、どちらかは分からないが、このまま刀を振り切るしかない。久喜原は刀の峰に全体重をかけて『何か』の身体を両断しようと試みる。なまくらで薪割りをしているかのようなもどかしさ。奥歯を強く噛み締めながら力を込め続けると、やがて『何か』の身体は、脳天から股にかけて綺麗に両断された。ゆっくりと身体を左右に分かちながら倒れていく『何か』の先に、最後の四体目の姿が見える。しかし━━
━━━時間がない。
三体目に時間をかけすぎてしまった。正直、『四号』の『家銘』が切れたところで何の問題もなく倒せる相手なのだが、それでは『修行』にならない。
久喜原は一瞬考えた末、刀を『何か』に向けて投擲することを選択した。
その刀は、『何か』の顎の辺りに突き刺さる。それを見て、久喜原は思わず舌打ちをしてしまう。刺さり方も、刺さった場所も、何もかもが悪い。投擲は不得意ではないのだが、流石に投げ慣れていない日本刀では精度がゴミになる。久喜原は膝をついた格好から跳躍し、刀の刺さった『何か』の肩を右手で掴む。そして、空いた方の手で刺さった刀の位置をちょいと修正してやると、柄を膝蹴りの格好でぐいと押し込んだ。確かな手ごたえと共に、『何か』の脳天から刀の切先が飛び出してくる。
同時に、世界がすっと色を取り戻した。
『四号』の『家銘』が切れたのだ。
途端、短距離走を全力で走り抜けたような疲労が、どっと押し寄せてくる。
久喜原は、息を整えつつ刀を鞘に納め、「どうでしたか?」と、『四号』に訊ねる。刀から、「んー」という唸り声がした後、
━━━40点
という答えが返ってくる。
正直、自分でもダメだと分かっていたが、思っていたよりも低い点数だった。
━━━最初の二体は良かったわ。三体目も、まぁ良しとしたる。でもな、問題は四体目や。四体目が、ホンマにアカン。お前、何で刀投げたん? あの時点で3秒以内に倒せんのは確定しとったんやから、『家銘』が切れた後のことを考えて動くんが正解やろが? それを何や、博打みたいな真似しよってからに。手段と目的が逆転してしもうとるわ。話にならん。
『四号』の言葉は容赦がない。仰る通りなので、久喜原は何も反論することが出来なかった。
「返す言葉もねぇのです・・」
がっくりと肩を落としつつ『棺桶』に『四号』を戻していると、別の刀が動くカタカタという音が聞こえてきた。
『八号』だ。
━━━不合格ってことは、罰ゲームだね! そんじゃあ、くっきー。私がカメラマンやるから、その着物の下に履いている邪魔くさいタイツをゆっくり脱ぎながら、『だ、だめだよぉ、『四号』・・久喜原に手を出したら、お巡りさんが本気になっちゃうよぉ・・』って言ってみようか? 『四号』は竿ね。
久喜原は大きく舌打ちし、『棺桶』を深夜の壁ドンのようにぶっ叩く。『棺桶』の中から、「竿は集音マイクのことだから! そういう意味じゃないから!!」という『八号』の悲鳴が聞こえた。たぶん、『四号』からも制裁を受けているのだろう。
『棺桶』に納められている八本の日本刀━━それに取り憑いている『霊』のうち、常時コミュニケーションが成立するのが、この二体。『八号』と『四号』である。
『八号』は『棺桶』の中では最弱だが、ある特殊な『家銘』が使用出来る貴重な存在で、児童養護施設の男を自白させたのもコイツの『家銘』によるものだ。『家銘』だけ見れば非常に優秀な『霊』だが、性格は些かどころではなく難があり、ことあるごとに児童ポルノ禁止法に抵触するセクハラを仕掛けてくるのが困りものだった。
対して『四号』は、比較的ではあるが常識人である。
身体への負担が大きい『家銘』故か、手を貸してくれることは滅多にないが、今のように久喜原にちょいちょいアドバイスをしてくれる。その内容は、若干スパルタ気味ではあるものの、アドバイスはかなり的確で、それでいて相手に無理をさせるようなことを決してさせない━━そういう指導者的な素質も合わせ持った『霊』だった。
『棺桶』の中で、『八号』と『四号』を除いた残り六体━━そのうち、限定的ではあるが、意思の疎通が可能なのは、三体だけ。『五号』『六号』『七号』である。
『五号』と『七号』は今日はダメっぽいが、正気の時はちゃんと会話が成立するし、『家銘』を貸してもらったことも何度かある。
一方、『六号』は常時眠っており、会話が成立したことは数えるほどしかないのだが、『家銘』はいつも無条件で貸してくれる。『六号』の『家銘』は使い勝手が良く、反動もほぼ無いので、使用率は『棺桶』の中でぶっちぎりのNo. 1である。
そして、意思の疎通が取れない残りの三体━━『四号』曰く「自分らとは『格』が違う」という『一号』『二号』『三号』については━━
『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』
『殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す』
『許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない』
完全に狂気に飲まれており、久喜原どころか、『四号』や『八号』の声すら届かない有り様だった。
うーん、と、『四号』の唸る声がする。
━━━やっぱあかんな・・。方針を間違えとる気がする。ウチらはな、どっちかっていうと後方要員やねん。前でドンパチやってた『猪木』どもとは経験値からしてちゃうからな。どうしたって、教えてあげられることは限られてくるんよ。
『四号』の言葉に、久喜原は「はて?」と首を傾げる。
「『猪木』って何ですか?」
━━━え? 『一号』『二号』『三号』のことやけど・・。
「それが何で『猪木』になるですか?」
━━━え? 何でって・・。ほら、『猪木』って、「1、2、3、ダーッ!」てやるやん? そこから取って、123の並びを『猪木』って言うんやけど・・。
「言わんしてることは何となく分かりましたが、久喜原は令和の小学生なのです。そんな、昭和生まれか舟券買ってる奴にしか分からないような例えをされても困るのです。発言には気をつけて欲しいのです」
━━━・・・。
「黙っちゃったのです」
━━━ま、まあまあ、くっきー。その辺で許してあげて? ジェネギャいじりはね、効くの。すっっっごく、効くの・・。
久喜原は、「はぁ、そうなんですか」と言って矛を収める。どういうわけだか、『八号』もダメージを受けているようである。
━━━・・・まぁでも真面目な話、あの三人は超感覚派だからね〜。正気を取り戻したところで、くっきーの先生にはなれないんじゃないかなぁ? 言語化とか超下手くそじゃん、あの三人。
『八号』の言葉に、『四号』が頷く気配がする。
━━━まぁ、確かにせやな。でもなぁ、じゃりん子が求めとる『強さ』は、あの三人が持っとる『強さ』に近いモンやろ? となると、やっぱあの三人のうちの誰かをコイツの師匠にするべきやとウチは思うんよ。ウチらだけやと、変な癖がついてまう可能性がある。
━━━あの三人に任せるとか、くっきーの身体がぶっ壊れちゃう未来しか見えないんだけどなぁ・・。『三号』はともかく、『一号』と『二号』が人にモノを教えるとか色々な意味で怖すぎるじゃん? 『三号』にしたって、あの子は加減とか知らないし・・。やっぱり、今まで通り『四号』がくっきーの先生やるのが一番いいと思うよ、私は。
━━━だから、それやと足りひんねんて。ウチと『六号』は器用貧乏やからな。その辺よーく分かんねんけど、ウチらみたいな奴が突出したものを得ようとするならな、今のうちに何かしらの無茶をせんとあかんねん。コイツはな、それが分かっとるからこそ、こうも焦っとるんや。そうやろ?
『四号』に問われ、久喜原は静かに頷く。
周囲から、令和のオカルトハンターだの、『西』の麒麟児だの持て囃されてはいるが、自分の実力も才能も大したものではないことは、他ならぬ久喜原自身が一番よく分かっていた。
それを久喜原は、あの日━━『ベルゼブブの二十一秒間』の夜に、嫌というほど思い知らされたのだ。
『ざぁぁぁぁぁぁこ! ざぁぁぁぁぁぁぁこ!! ざぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁこ!!!』
あの『クソ女』にクソほど煽られた時の記憶を思い出し、久喜原は強く拳を握り締める。
━━━足りない。
今の久喜原では、あの『クソ女』の足元にも及ばない。・・・そう。久喜原は、あの『クソ女』に比べて、何もかもが足りていないのだ。これでは━━
━━━この先に待ち受ける戦いに、ついていくことすら出来ない。
それを成すためには、『四号』の言う通り、久喜原は命を賭けて『無茶』をする必要があったのだ。
そのためには『四号』が言うところの『猪木』━━『一号』『二号』『三号』の『力』を、何としてでも借り受ける必要があるのだが━━
「やはり『猪木(失笑)』とコミュニケーション取るのは、まだ厳しい感じですか?」
久喜原が訊くと、
━━━もうそれやめてや、ウチが悪かったからさ・・。ウチと『八号』も、定期的に話しかけてはいるんやけどな、やっぱアカンわ。聞く耳持たへん感じや。せめて『リーダー』か『メンヘラ』のどっちかがいれば話は変わってくるんやろうけどなぁ・・。
『四号』はそう言って、ため息を吐いた。『リーダー』は分かるが、『メンヘラ』というのはどういう奴なのだろうか? 久喜原が首を捻っていると、
━━━あの二人よりも、『激カス君』あてがった方がいいんじゃないの? アイツにおはようのキスでもさせれば、『三号』とか一発で目覚すと思うよ?
『八号』が、またもやよく分からない名前を出してくる。
━━━その後に『三号』が大発狂からの大怨霊化で日本沈没までがワンセットやな。・・・しっかし、あのカス。ちゃんと生き延びとるんやろうな? こました女に刺されてドブ川にでも浮いとるんとちゃうか?
━━━裏原宿系のデブに、首から下を地面に埋められて飼われてそうだよね。
ブフォwと、『四号』が盛大に吹き出す。
━━━ちょwやめろやアホwwお前のお笑いは危ういねんwwww炎上するやろうがwww
━━━仲間のデブに、「うちのウォシュレットはSDGSに配慮してるのぉ〜」とか言って、こうやって跨いで実演を━━
━━━やめろ言うとんねんwwwwお前絶対SDGSが何かよく分かってないやろwwwwホンマに炎上してまうぞwwww
『八号』と『四号』は、久喜原を置き去りにして最低なネタで大盛り上がりし始める。『激カス君』と『裏原宿系』が何のことかは分からないが、楽しそうで何よりだと久喜原は思った(リアル小並感)。
『四号』は、ひとしきり爆笑した後、
━━━あー、もう、このアホはホンマに・・。でも真面目な話、あのカスがドブ川に浮いてようが人間ウォシュレットになってようがどうでもええんやけど、心配なのは『赤いの』なんよなぁ・・。
久喜原と『八号』、双方にスッとした緊張が走る。
━━━『青いの』やったらまだええねん、あの子はアレで案外賢いからな。あの子やったら、一人でもやっていけるやろうけど、『赤いの』はアカン。あの子はニワトリも引っかからんような罠にあっさり引っかかるし、お菓子をちょっとチラつかせるだけで簡単に騙くらかせるホンマもんのアホの子やからなぁ・・。『赤いの』一人で生きていくなんて絶対無理やから、あのカスには何が何でも生き延びて貰わんと困るん━━
『四号』の言葉が、唐突に途切れる。
━━━・・・。
陽が沈んだような数秒間の沈黙の後、
━━━え・・・一人?
いつものように、ひどく狼狽えた『四号』の声がする。
━━━何で『赤いの』一人なんや? 何でウチはそんなこと言うたんや? あれ? あれ? 『青いの』は? あの子はどうなったんやっけ? あれ? あれ? あれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれあれ
『四号』が狂気に飲まれるのに呼応するように、他の刀もガタガタと震え出す。『棺桶』の中から、粘つくような濃い怨念と狂気が漏れ出した瞬間━━
━━━ゴンッ、ゴンッ、ゴンッ
久喜原と『八号』が、内外から同時に『棺桶』を叩く。『八号』を除く『霊』を鎮めるため、やむを得ず全員の意識を刈り取ったのだ。
「・・・」
久喜原の頬に、つぅっと一筋、汗が流れ落ちた。
こういうことが、度々起こる。
『四号』はほぼ正気なのだが、今のように『赤いの』『青いの』とかいう、人間なのか動物なのかも分からない謎の存在について話始めると、決まってこうなってしまうのだ。
生前、『棺桶』たちにいったい何があったのか?
久喜原はそれについて何も知らない。だが、よほどのことがあったのだろうと想像がつく。その鍵であり、禁句でもあるのが━━
『赤いの』と『青いの』。
今のように正気を失う度、『四号』は段々と狂気の度合いが増していっている気がする。今回は鎮められたが、果たしていつまで上手くいくか・・久喜原が暗澹たる気持ちでいると、『八号』が僅かに動く気配がした。
━━━・・・。
しかし、何も喋らない。久喜原を無視しているわけではなく、自分の中に渦巻く怒りと狂気を沈めているのだろう。『赤いの』と『青いの』の話になると、『八号』ですらも平静ではいられなくなるのだ。
ややあって、『八号』が口を開いた。
━━━やっぱりダメだね・・。あの子たちのことを考えると、私もおかしくなっちゃう。・・・くっきー。前々から言ってるけどさ、いよいよってなったら、その時は、私たちを容赦なくやっちゃっていいからね?
「・・・分かっているのです」
久喜原は、硬い声で頷く。
それは、久喜原と『八号』の間だけで交わされている約束事。
もう無理だと判断した時は、『八号』が他を抑えている隙に、全員を強制成仏━━あるいは、滅却すること。
出来れば、そういう未来は回避したい。だが『四号』の様子を見る限り、それは難しそうだと言わざるを得なかった。正直、時間の問題だと思う。
久喜原は、そんな役割りなど御免被りたいのだが、これ程の『力』を持つ『霊』が、『怨霊』や『何か』に変じた場合、いったいどれ程の被害が発生するのかは想像もつかない。コイツらをそんな風にはさせないためにも、覚悟だけは決めておかねばならないと、久喜原は決意を新たにする。と━━
頭が潰れた『何か』━━最初に倒した奴が、突然むくりと起き上がった。
そして、目を見開く久喜原たちに背を向けて、一目散に駆け出す。
久喜原と『八号』は、同時に驚愕の声を上げた。
━━━うっそでしょ! 頭ほとんど潰されてんのにまだ動けるって、どんな耐久力してんの!? 『手負い』はマズい・・! くっきー、急いで追いかけて!!
言われなくても、と、久喜原が階段に足をかけた、その時━━
病棟に続く曲がり角から、誰かがひょっこりと顔を出した。
久喜原が、あ、と声を上げる間もなく、その人と『何か』が正面衝突する。すると━━
『何か』は、まるで『大きな力』に弾き飛ばされたかのように、その場で派手に爆散した。
『何か』の破片が、野焼きの炭のように宙を舞い、空に向かって消えていく。
久喜原と『八号』は、唖然とした表情でそれを見つめながら、その人━━静佳ママを見やる。
静佳ママは額を押さえ、ちょっとだけ痛そうな顔をしながら周囲をキョロキョロと見回していた。たぶん、どっかから飛んできた石ころにでもぶつかったと思っているのだろう。
『八号』が狼狽する。
━━━あ、あの人、視えてないよね・・? 視えてないってことは、何の力も持ってないはずなのに、何で触れただけで『何か』が爆散するの・・?
久喜原は、「知らんです」と言って、首を横に振る。
「・・・とぼけてるわけでも隠してるわけでもなく、久喜原は本当に知らんのですよ。あか婆や晴信君ですら、あの人がいったい『何』なのかが、分からなかったくらいなのですから・・」
宮本静佳
両親は平凡。血筋も平凡。過去に、本人や先祖を含め、『呪詛』や『祝福』などを受けた形跡は一切なし。科学的な検査を一通り行っても、生物学上は『人間』に分類される。
━━━だが、絶対に『人間』ではない。
あの日━━あか婆に最後の『修行』をつけてもらった、あの日。
『久喜原とあか婆に恐れをなして、逃げちまったみたいですね!』
逃げていく猿型の『何か』を見やりながら、久喜原は得意げに鼻を鳴らしていた。だが━━
『お〜い、りっちゃん、びすけちゃん、あか婆〜』
久喜原たちの後ろから、静佳ママのアホみたいな大きな声がした。
振り向くと、大量の土嚢をジェンガのように肩に積んだ静佳ママが、こちらに向かって笑顔で手を振っていた。意味不明な絵面だが、たぶん土木か何かのバイトをしていたのだろう。
何も理解していなかった久喜原は、『あ、静佳ママなのです!』と言って、静佳ママに笑顔で手を振り返す━━
当時は分からなかった。
でも、今ならはっきりと理解出来る。あの『何か』は、久喜原を恐れていたわけでも、あか婆を恐れていたわけでもなかった。『何か』は━━
━━━静佳ママを、宮本静佳ただ一人を恐れていたのだ。
「━━━『Übermensch』」
久喜原がポツリと呟くと、『八号』が「何か言った?」と訊ねてくる。久喜原は小さく首を横に振り、
「・・・なんでもないですよ」
と、答える。
━━━静佳ママの顔を見る度、久喜原は考えずにはいられない。
もしもこの人が『力』を失わなかったら━━久喜原さえ生まれて来なければ、これから先に起こる大戦で、この人はどのようにして人類を救ってくれたのだろうかと━━。
何かを探すように周囲をキョロキョロしていた静佳ママが、踊り場に立っている久喜原の姿に気付く。静佳ママは何故かばつが悪そうな顔をすると、「ど、どうしたの、びすけちゃん」と言って、こちらに向かって歩いてくる。
その姿を見やりながら、久喜原は静かにため息を吐く。
(『力』の大半を失って尚、この強さか・・)
自分とは、生物としての『格』が違うと改めて思い知らされる。その残酷で絶望的な差異に、心が挫けそうになる。が━━
━━━そんな余裕も資格も、久喜原にはない。
望む望まないに関わらず、久喜原はこの世に生まれてきてしまったのだ。
━━━静佳ママの『力』と『未来』を、奪うような形で。
だから、例えどれだけ足りていなくても、久喜原は戦い続けなければならないのだ。
久喜原は、静佳ママの分まで━━静佳ママが戦うはずだった分まで戦って戦って、そして、勝たねばならない。
━━━『敵』に。
そうでなければ、久喜原が生まれ意味は、本当の意味でなくなってしまう。
だから、久喜原は戦う。
戦って、勝つ。
━━━お母さんを狙う『何か』どもも。
━━━あか婆の『仇』も。
━━━あの『クソ女』も。
━━━そして、
━━━これから先の大戦で、人の世を終わらせようとしている『奴ら』も。
(全部全部、久喜原が倒す。久喜原がぶっっっっ殺してやる・・!)
拳を静かに握り締める。
胸の内からマグマのように吹き出す決意を確かに飲み込む。
そして、努めて冷静な表情で首を振り、
「・・・久喜原の周りは訳の分からないことだらけですが、一番訳が分からないのは静佳ママだなって再確認しただけなのです」
と言い、ため息を吐いた。




