番外編『宮本さんと風間さん㉗』
「・・・静佳ママ?」
物思いに沈んでいた宮本静佳は、久喜原びすけっとの言葉で我に帰る。
途端、つんとした消毒臭が鼻をかすめた。
北野桝塚恵が入院している病院のエントランスホール。いつの間にか、そんなところまで歩いてきてしまったらしい。
「あ、ごめんね、びすけちゃん。ちょっと、考え事しちゃってて・・」
宮本静佳は笑って誤魔化す。
久喜原びすけっとの背負う『棺桶』。それを目にする度に、彼女はどうしても暗い過去を思い出してしまうのだった。
━━━私は、成すべきことを成すと決めたのです。
『一番弟子』の言葉が蘇る。
成すべきことを成す。
その言葉自体、特に珍しい言い回しではあるまい。だが━━
ヤマさんから棺桶を譲り受け日、それを上機嫌に背負って帰る久喜原びすけっとに向け、宮本静佳はとある質問をした。
「その『棺桶』━━『棺桶』というか、中にいる奴らのことなんだけど、そいつらは『自分たちを預かれ』って言ってるのよね? それって、いったいいつまでのことを指してるの? まさか、死ぬまで預かれってことじゃないわよね?」
彼女がそう訊くと、久喜原びすけっとはくるりと振り向き、
「まさかなのですよ。『コイツ』らと久喜原の『契約』は、『コイツら』の『待ち人』がこの町にやってくるまでなのです。それがいつになるのかは分かりませんが、一生ということはありませんよ。『コイツら』は━━」
「在るべき者の元に還り、成すべきことを成すためにこの世に留まっているのです」
「久喜原はさしずめ、それまでの宿り木といったところでしょうか? 『コイツら』は久喜原の『目的』に大いに役に立つのです。宿賃として、これから色々なことを教えてもらう予定なのですよ」
「・・・」
興奮気味に語る久喜原びすけっとの言葉を、宮本静佳はほとんど聞いていなかった。
━━━偶然・・なのだろう。
だがしかし、それがまるで何かの符牒のように、宮本静佳には思えてならなかったのである。
※※※
※※
※
結局、宮本静佳は駐車場までついてきてしまった。
大きな『棺桶』を背負う久喜原びすけっとの背を見つめる。歩く、という所作に『芯』のようなものが生まれていた。その『芯』はそのまま、体幹などの身体的な強さに繋がる。二ヶ月ほど前に久喜原びすけっとを見た時は、まだそんな『芯』は出来ていなかった。これも、『棺桶』に『修行』をつけてもらった成果なのだろう。先程、北野桝塚恵を相手に披露して見せた、眼を『貸す』能力。あれも、『修行』の成果の一つである。それ以外にも、久喜原びすけっとは『棺桶』から様々な『技』を学んでいる。この二ヶ月の急な成長を見ても、『棺桶』に久喜原びすけっとの『修行』を任せたのは、今のところは正解と言ってもよいのだろう。
「・・・で?」
久喜原びすけっとが、母親が所有するミニバンの前で足を止める。
「もう車についてしまったわけですが、静佳ママはいつになったら久喜原に訊きたいことを聞くですか?」
「・・・」
宮本静佳は沈黙する。つらつらと関係のないことばかり考えてしまうのは、ある種の現実逃避なのだろう。そんな自分の心の動きを自覚しつつ、宮本静佳はゆっくりと口を開いた。
「・・・恵ちゃんのことなんだけど、あの子は━━」
「あの女とは縁を切った方が身のためなのです」
久喜原びすけっとの口調には、有無を言わせぬ迫力があった。
「・・・」
「どうして、とか訊かない辺り、静佳ママにも覚えがあるのでしょう? あの女は、まともな女ではないのです。以前のあの女がどうだったのかなんて久喜原は知りませんが、今のあの女は、破滅願望に支配された怪物なのです」
「・・・」
「久喜原が、バケモノどもの話をした時の反応を見たでしょう? あの女は、自分が苦痛を味わう様を想像して、興奮していたのですよ。まともな思考回路ではないのです。単なる被虐趣味では、ああまではならない。恐らくバケモノどもから『死』を奪われた結果、逃げ場を無くした心があのように変質してしまったのでしょう」
「・・・」
「・・・強いて言いませんでしたが、あのたかしとかいうガキの霊も、あの女の表情を見て、ひどく動揺して消えてしまったのです。成仏ではなく、あくまでも強いショックを受けたことによる、自身の存在の一時的な消失にすぎませんが、しばらくは久喜原でさえも、あのガキの姿を視ることは出来ないでしょうね」
「・・・」
「久喜原の言いたいことが分かりますか、静佳ママ? あの女は、幼稚園児のガキの幽霊にすら『そう』であると分かってしまうほどに狂っているのです。今はまだ、表面的には大丈夫でしょう。ですが、自分が死ねないと分かったあの女は━━逃げ道がないと悟ったあの女は、これから加速度的におかしくなっていくのです。その果てに何が起きて、何をやらかして、そして、その『とばっちり』を誰が受ける羽目になるのか━━それは、久喜原には分からんのです。ただ、その『とばっちり』は、恐らく尋常なものにはならないでしょう。誰もが想像がつかない最悪の形で、その『とばっちり』はやってくる。必ずやってくるのです。久喜原は、それを静佳ママには受けて欲しくはないのですよ」
「・・・」
宮本静佳は終始、久喜原びすけっとの言葉を黙って聞いていた。それを気にも留めず、彼女は車の中に『棺桶』を放り込むと、
「・・・久喜原の言いたいことは以上なのです」
と言って、自身も車の中に入っていく。
宮本静佳は、最後まで声を発することはなかった。
※
その後、ほどなくして北野桝塚恵は退院する。
彼女が快方に向かったと信じ切っている祖父母からは土下座して感謝されたが、宮本静佳は「どうかおやめください」と言って強く首を横に振った。いつの間にか目に涙が滲んでいた。それを悟られないよう拭いつつ、宮本静佳は駄々っ子のように首を横に振り続けた━━
それからしばらくは平穏な日が続いた。
仕事に一ヶ月以上も穴を開けてしまった償いをするべく、宮本静佳は以前に増して精力的に警察官の職務を遂行するようになった。遂行しすぎて上司から「働き過ぎだバカ」と怒られ、早上がりさせられた宮本静佳は、帰る途中に数名の同僚から飲みに誘われた。
ハゲた男と共にラブホテルに入ろうとしていた北野桝塚恵を目撃したのは、その帰り道のことである。
※
連れ込んだ喫茶店にて、宮本静佳と北野桝塚恵は激しく言い争った。
とにかく自分のことはどうだっていいからお金を稼ぎたいと言い張る北野桝塚恵と、それを何とか食い止めようと言葉を尽くす宮本静佳の言い争いは平行線をたどり続け、遂には喧嘩別れのような形になった。
北野桝塚恵は突然席を立ち上がり、
「宮本さんには分からない。私の気持ちなんて、絶対に分からないっ!!!」
と、声を荒げ、そのまま喫茶店を飛び出して行ってしまった。
宮本静佳は後を追うべく即座に立ち上がったが、ここで彼女は致命的なミスをする。
宮本静佳は、「お金は後で払います」と言うなり何なりして、すぐに彼女を追いかけるべきだったのだ。
しかし、『自分は警察官である』という職業倫理が、その行動に待ったをかけた。
宮本静佳はバッグから財布を取り出し、紙幣をテーブルの上に置くと、「お勘定ここに置いておきます!」と言って、外に飛び出した。
それは、ほんの僅かなロスに過ぎなかった。
この程度のロスなら、すぐに彼女に追いつける。宮本静佳は、そう楽観していた。しかし━━
彼女はこの時の判断を、生涯悔やむこととなる。
「・・・!!」
外に出た宮本静佳は、目の前の光景に絶句する。
人、人、人・・通りを埋め尽くすほどの人の群れが、ガヤガヤと騒がしく夜の街を移動していた。クリスマスの夜でも、これほどの人は出歩かない。いったい何事かと、耳をすましてみると、
『生いよかんやばかったね〜』『マジそれ。テレビでもやばいのに、現物はもっとやばい』『かっこよかったなぁ〜。あんなの見せられたら、もう他のアイドルなんかに浮気出来ないよ・・』『遠くから来た甲斐があったわ。マジ最高』
街行く人々は、そのような感想を口々に漏らしていた。
『いよかん』━━それは、愛媛野伊代香のニックネームである。
通りを埋め尽くす人々は全員、彼が出演したイベントの帰り客だったのだ。
(三郎くんのイベントって、よりにもよって今日だったの!?)
宮本静佳の顔から、サッと血の気が引いていく。
以前、久喜原立夏が話していた、市から依頼されたイベント。みかん畑三郎も久喜原立夏も断るつもりでいたそのイベントは、『とある事情』により、半ば強引に開催されることが決定したと、宮本静佳は久喜原立夏から聞かされて知っていた。
だが、それがまさか今日だったとは思いもしなかった。
最悪のタイミングだった。
周りをいくら見渡しても、目につくのは帰り客ばかりで、北野桝塚恵の姿はどこにも見当たらない。宮本静佳は人の群れをかき分け、夜の街を必死に駆けずり回ったが、彼女の姿を見つけることは遂に出来なかった。
一縷の望みをかけて北野桝塚恵の実家に電話したものの、祖父母からは孫は帰って来ていないとの返答が帰ってきた。塩谷由麻を始め、心当たりがあるところにすべて電話をかけてみたが、返ってきたのは同様の返事ばかりだった。
そうして彼女が見つからないまま一夜明け、朝が来て、昼が来て夜が来て━━また次の朝が来ても、彼女は家に帰っては来なかった。その次も、次も次も次も・・
北野桝塚恵は、完全に姿を消してしまった。
※※※
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北野桝塚恵の失踪後、宮本静佳は彼女の祖父母に土下座した。
自分がすべてを間違えてしまったと、彼女は泣いて謝ったが、祖父母は疲れ切った表情でゆっくりと首を横に振った。
「宮本さんのせいではありません。遅かれ早かれ、あの子はこうなっていたでしょう・・」
まるで魂が抜けたような祖父母の顔に、突然ぐっと強い悔恨が浮かんだかと思うと、
「あの子は、とうの昔に限界を超えていたんです・・。ずっとずっと、昔から・・」
そう言って、二人は静かに涙を流した。
宮本静佳が、その言葉の本当の意味を知ることになるのは、随分後になってからである。
※
北野桝塚恵の行方は、要として知れなかった。
彼女が失踪して、数年が経過していた。
全国の警察署に協力を仰いだものの、彼女らしき人物を目撃したとの情報は未だ入ってきていない。
こうなると、最悪の展開も視野に入れなければならないところだが、彼女がまだ生きているということだけは、すでに確認が取れていた。
その根拠となっているのは、毎年風間隆の命日に送られてくる、北野桝塚恵からの手紙だった。
宛先は彼の姉━━風間菜々子である。
「お姉さんの居場所が分かることとか、そういうことは何も書いてないから。・・・この手紙は、誰にも見せるつもりはない」
風間菜々子はそう言って、手紙の中身を見せることを強く拒否したが、宛先の書かれた封筒だけは宮本静佳たちに見せてくれた。祖父母による確認と筆跡鑑定の結果、それが確かに北野桝塚恵本人よるものだということが確認されている。
毎年送られてくる手紙の消印はバラバラで、彼女の祖父母と宮本静佳、そして塩谷由麻は、毎回消印のついた土地に赴いて彼女の姿を探すのだが、それが実を結ぶことは一度もなかった。
北野桝塚恵の行方は、現在も尚、不明である。




