第六話 『月島さんとごへいもちん④』
柳田さんは急にへんな因縁をつけてきたが、僕に心当たりは一切ない。・・・いや、正直にいうとある。あるといえばあるのだが、果たしてアレは、僕が悪かったといえるのだろうか?
そもそもの最初から、風間さんは何か様子がへんだったのだ。
僕はつい最近まで、風間さんとは面識がなかった。
風間さんは主に悪い方の意味で土井山高校一の有名人であるから、人となりは多少知ってはいるものの、それは、『※※先輩ってキレるとヤベェらしいぜ』的な、どこの学校にもある『関わってはいけない不良の人』に関する知識と同程度のものしかなかった。要するに、噂以上のことは何も知らないし、その人が実際どんな人なのかも全く知らないということだ。
ただ、風間さんに関しては、その『噂』がとにかくヤバかった。
『鬼の風紀委員』『来ないで!帰らずの森村長』『警察に親戚より顔を合わせる人がいる』『入学初日に停学』『チェスボクシング部なのにチェスを知らない』『いつも血と脳漿の匂いがする』『夜の校庭でよく穴を掘っている』等等・・。ヤバいエピソードに関してはとにかく枚挙にいとまがない。
ただし、エピソードだけ見ればヤクザに内定を貰ってる半グレそのものだが、風間さんは一応半グレではない。
半グレは一般人に危害を加える危険な存在だが、風間さんはその逆で、半グレやそれに類するカスにだけ危害を加えて楽しむ、別な意味で危険な存在なのだ。
この人が怖すぎるせいで土井山高校どころか近隣にも『不良』と呼ばれるカテゴリーの学生は一人もいないが、その代わり『風間菜々子』という他にはない最怖のカテゴリーが我が校には存在する。
そのため、土井山高校は『頼むからあの高校にだけはいかんといてくれ』と、親が泣いて頼むような学校に成り下がってしまったのだ。
そんな風な扱いだからか、風間さんはクールビューティーを極めたような美貌の持ち主であるにも関わらず、三大天からは除外され、それどころか『近づいてはいけない人』として、羨望よりも恐怖を集める存在になってしまった。
もっとも、狂犬丸出しのチンピラをかっこいいと言って貢ぐホス狂が一定数存在するように、風間さんにも熱狂的なシンパが一定数存在する。
ある時、そのシンパたちによって『土井山十傑の上位メンバーは、風間様を加えた土井山四天王にするべき!!』という政治運動が巻き起こった。それだけならまだよかったのだが、折り悪く同時期に『土井山十傑の上位メンバーは、もふもふニャンニャンさんを加えた土井山四柱にするべき!!』と、もふもふニャンニャン派━━通称もっふー派の人達が主張し始めたため、両者の間で血で血を洗う抗争が勃発、その結果、朝の朝礼で風間さんとニャンちゃんがぎこちない握手を交わし、校長が涙ながらにラブ&ピースを全校生徒に訴えるという謎のイベントが発生したことがある。
あの時、風間さんは終始かったるそうに時折あくびなどをしていたが、ニャンちゃんの方はアナコンダに身体を半分呑み込まれたマーモットのようにガタガタと震えていた。あの時の幼馴染の雨に濡れた子猫のような表情を思い出す度、僕の心には鈍い痛みが走る。
・・・話が大幅に逸れてしまった。
とにかく、そういうアウトローな人なわけだから、僕のような人畜無害な人間が風間さんと接点を持つことは一生ないだろうと思っていた。しかし━━
先日、僕の下駄箱にくしゃくしゃになったチラシが投げ込まれていた。
お、いじめか?と思ってチラシを開いてみると、そこには上手いのか下手なのか判断しかねる微妙な字で、
『チェスボクシング部に入部しろ。そして死ね。
柳田』
と、書かれていた。
誹謗中傷の下には、ご丁寧に「ななちがいるから※※時に入部届けを出しに来い」と、時間指定まで記入されていた。あと五分しかなかった。
僕はそのチラシをしばらく見つめた後、はぁぁぁとため息を吐いて、チェスボクシング部の部室がある文化棟へ向かった。何も見なかったことにしてチラシを捨ててもよかったが、それをやったら後々どんな酷い目に遭わされるか分かったものではないので、僕はすべてを諦めて歩を進めたのだった。
チェスボクシング部の部室は、文化棟の三階の奥に隠れるようにして居を構えていた。
スラムのように落書きだらけだったらどうしようかと思っていたが、実際はそんなことはなく、外観だけ見ればチェスボクシング部の部室は他の部室とまったく変わりなかった。
『土井山高校の帰らずの森』『入った人が出てこないのは当たり前』『校内で失踪者が出たらここだけは捜してはいけない』『チェスボクシング関係ねぇじゃんは禁句』『風間ハウス』
チェスボクシング部に関する様々な噂を思い出す。
僕はあの風間さんと、これから対面しなければならないのだ。
そう考えると、身がすくむような思いがする。流石にいきなりとって食われはしないだろうが、緊張するなという方が無理な話だった。
僕は先程書いた遺言を確認し、覚悟を決めてドアをノックした。
すぐに「・・どうぞ」という返事が返ってきた。
思いのほか文明的な対応に驚きつつ、僕は恐る恐る部室のドアを開けた。しかし━━
「・・・失礼しま・・」
僕は、挨拶の途中で固まってしまった。
何故なら部室の真ん中に、明らかに様子のおかしいへんな人が座っていたからだ。
「・・・」
そのへんな人は、女子の制服を着ていた。名札にちらりと目をやると、そこには『風間』と書かれている。
ただし、その女子は何故か黒い毛糸の目出し帽を被っていた。
強盗か、もしくは自分のことをインフルエンサーだと思い込んでいる一般人しか被らないようなゴツめの目出し帽だ。顔は完全に隠れていて分からない。
(風間さん・・だよな?)
僕の頭の中がはてなマークに支配される。
風間さんらしき人は、長机を挟んだ向こう側で俯き加減に座っている。僕がどうしたものかと悩んでいると、
「・・・ドア閉めて」
と、言われた。僕は「あ、はい」と応じ、背後のドアを閉める。
「・・・」
「・・・」
再度の沈黙。チェスボクシング部の部室をノックした時点で、僕は色々な覚悟をしていたのだが、流石にこれは想定外にも程がある。
「・・・」
僕は、風間さんらしき人の顔を見つめた。表情は目出し帽に隠れているせいでまったく読めない。読めないというか、そもそも本人なのかどうかも分からない。
声も何だかいつもと違う気がする。
前に風間さんの首を獲りにきたレディースの一団が学校の校庭に乱入してきた時は、教室の窓から顔を出して「殺すぞ!!」と、全校生徒が縮み上がるような怒声を発していたのだが、今の風間さん(?)に、あの時の勢いは微塵も感じられない。
(僕は、何かドッキリ的なものにかけられているのだろうか?)
目出し帽の下にいるのは実は別人で、『ドッキリ大成功!!』のプラカードを持った柳田さんがロッカーから飛び出してくるのではあるまいか? 一瞬そんなことを考えたが、柳田さんがそんなことをする意味がまったくないので、すぐにその可能性を消去する。
━━━じゃあ、これはいったい何なのだろうか?
「・・・座って」
そんな風に頭の中であれやこれや考えていると、風間さん(?)が椅子をすすめてきた。僕は言われた通りに座る。念の為椅子にブーブークッションが仕込まれていないか確認してみたが、そんなものは無かった。今時ブーブークッションなんて売っているのかどうかなんて知らないけど。
「・・・ん」
僕が席に着くと、風間さん(?)は一枚の紙切れを僕の方へ差し出してきた。
『入部届け』だった。
ご丁寧にボールペンも添えられている。風間さんはそういう細かい気遣いは一切出来ない人なのだろうなと勝手に思い込んでいたので、僕は少し意外に感じた。目の前にいる人が、本当に風間さんならば、の話だが。
僕は渡されたボールペンを手に取り、とりあえず名前を書こうとする。正直、心底入部したくはなかったが、他ならぬ柳田さんの命令である。断るという選択肢は端から存在しない。
しかし、みかん畑の『み』まで書いた所で、僕は手を止めた。
入部希望者の欄、その下に、捨て置けぬものを見つけたからだ。
「・・・あ、あの」
僕は恐る恐る手を挙げた。風間さん(?)は少しだけ顔を上げ、「ん?」と応じた。
「この、入部希望者の下にある、『連帯保証人』って欄は何なんですか?」
たかが部活に入部するのに連帯保証人が必要など聞いたことがない。
背中から変な汗が流れ始めた僕をよそに、風間さん(?)は「・・ああ」と気のない返事をして、
「ちょっと貸して」
と言い、僕が書いていた入部届けを自分の手元に戻した。そして、ボールペンでさらさらと何事かを書くと、
「ん」
と言って、再び僕の方へ入部届けを戻した。何を書いたんだろうと思い、入部届けを見やると、
『風間菜々子』
連帯保証人の欄に、そう記入されていた。
「・・・あの、連帯保証人って、未成年なら普通は親族とかじゃないとダメだと思うんですけど・・」
僕が訊くと、
「そういう細かいことは気にしなくていいの。大丈夫だから」
と、返された。僕は「はぁ」と言うことしか出来なかった。細かいことを気にしなくていいのなら、そもそも連帯保証人など必要ないのでは?と思ったが、僕は黙って自分の名前を書いた。
「・・・ん」
入部届けを受け取ると、風間さん(?)は少しだけ頷き、
「・・・これで手続きは終わりだから、帰っていいわよ」
と、言った。僕は、再び「はぁ」と言った。
何が何だかまったく分からないが、とりあえず帰ろう。そう思って腰を上げかけたところで、僕はふと気になって訊ねた。
「・・・あの、チェスボクシング部って、何で連帯保証人が必要なんですか?」
今更も今更の僕の問いに、風間さん(?)は「・・ああ」と顔を上げ、
「ウチは色々と黒いから、部員が何かやらかしたら、『ケジメ』として、そいつの代わりに物理的に首を飛ばされる奴が必要なのよ」
と、言った。
「・・・」
しばらく、言われたことの意味が理解できなかった。
「・・・何?」
「え、いや、あの、それって、大丈夫なやつなんですか? 僕が何かやらかしたら、風間さんが責任とってチョメチョメされるって意味ですよね?」
「? そうだけど?」
「いや、そうだけどって・・」
「アンタ、何かやらかす予定でもあんの?」
「そんなものないですよ! 僕が言いたいのは、そういうことではなくてですね━━」
言いかけて、僕ははたと気づく。そうか、風間さんはチェスボクシング部の部長だった。それならば、仮に僕が何かやらかしてしまったとしても、ペナルティなんてトップの権限で『なあなあ』にしてしまえる━━
「しまえないわよ? OBが私の首を獲りにくるだけだから」
風間さん(?)は、何でもないことのように答えた。僕は、「ええ・・」とドン引きする。
「あの、風間さん? ・・・風間さんでいいんですよね?」
「そうだけど、何?」
「僕たち、初対面ですよね?」
僕がそう訊くと、風間さんは僅かに身じろぎした。
「・・・」
「・・・」
何故か、僕はその先を続けることが出来なくなってしまった。
僕のやらかしだらけの人生で培われた野生の勘が叫んでいる。
僕は今、何かとてもとても、よろしくないことを言ってしまったような気がする。
「・・・だけど」
風間さんから、小さな声が漏れた。僕が「え?」と聞き返すと、
「そうだけど、それがどうかしたの?」
と、少し強めの語気で返された。何故か睨まれている気がする。
僕は慌てて両の掌を振り、
「いや、あの、僕らは初対面で、お互いのことをほとんど何も知らないですよね? それなのに、風間さんは僕のために命をかけるって、それっておかしくないですか?」
と、言った。
「・・・別に、そんな大袈裟なことじゃないわよ」
「大袈裟なことでしょう・・僕がどんな人間なのか知りもしないで、そんなリスクの高い契約をするのは間違っていると思いますよ? 普通、こういう命を賭けるような契約を交わす相手は━━」
「好きな人とか、そういうのじゃないとダメだと思いますよ?」
そう言った瞬間、僕の頭の中で緊急地震速報のような大音量の警報が鳴り響いた。
あれ? と心の中で首を傾げる。僕、また何かやっちゃいましたか?
大して暑くもない部室の中で、急に汗が止まらなくなった。僕は生唾を飲み込みつつ、眼前のマスクマンを遠慮がちに眺めた。
風間さんは微動だにしない。
それから、結構長い間、お互い黙っていた。
時間にして、確実に五分は過ぎていたと思う。その長い沈黙の後、
「・・・もう帰って」
風間さんが、ボソッと呟いた。
「・・・」
僕は、何か言わなければいけないような気がしたが、結局何も思いつかなくて、「はい・・」と言って、逃げるように部室を後にした。
それが、数日前の話だ。
それ以降、僕はチェスボクシング部の部室には行っていない。
入部したからといって、軽々しく部室に行っていいのか分からないし、それより何より、風間さんとどう接すればいいのかが分からない。
狭い部室で、黒い目出し帽を被って座っている風間さんの姿を思い出す。
その姿を思い出す度、何故だか僕は、申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまうのだった━━。
※
部室でのことを話し終えると、柳田さんの膝蹴りが僕の顔面に飛んできた。
一拍遅れて、何故か月島さんのつま先が僕の鳩尾に飛んでくる。
地面を転げ回る僕を見ながら、柳田さんは腰に手を当て、
「ほらっ!! やっぱキミのせいじゃん!!」
と、言った。
「・・・何がですか?」
顔面と腹を押さえつつ、僕は柳田さんを見やった。
「ななちの様子がおかしいこと!! アイツ、最近ずっと様子がヘンなのよ。何かぼーっとしてるし、微妙に私を避けてる気がするし・・」
「いやいやいやいや・・」
僕はゆっくり首を振る。
「確かに、僕はちょっとへんなことを言ってしまったかもしれません。でも、それは関係ないと思いますよ? だって風間さんは、僕が部室に入室した時点で、既に様子がおかしかったんですからね?」
柳田さんは「む・・」と、眉根を寄せた。
「確かに、そうだけどさ・・」
柳田さんは納得がいかないといった風に腕を組んでいる。
「でも、私のカンピューターは、絶っっっ対にキミが悪いって囁いているんだけどね?」
カンピューターって・・。この人、本当に令和の女子高生なのだろうか? 知ってる僕も僕だけど・・。
「さっき、微妙に避けられてるって言ってましたけど、それなら原因は僕じゃなくて、柳田さんの方にあるんじゃないですか?」
「ななちが今更私にモヤモヤするわけないじゃん。幼馴染だよ?」
何を言ってるのかよく分からないが、異様な説得力を感じた。
「お前らごちゃごちゃうるせぇにょにょん」
心底どうでもよさげにポテチを食べていた月島さんが、苛立たしげに声を上げた。そして、僕の方を指差し、
「何が原因なのか分からんのなら、とりあえずそのクソ犬を一応の下手人に仕立てて棒で叩き殺せばいいにょにょん。仮に間違っていたとしても何の問題もないにょにょん」
と、法治国家に喧嘩を売るようなことを言った。
「それいい! 月島、冴えてるじゃん!」
パァァと顔を輝かせる柳田さんを、僕は慌てて押し留めた。
「何でそんな話になるんですか!? 普通に風間さんに理由を聞けばいいでしょう?」
「ななちは寺に放り込まれたから当分帰ってこないのよ。携帯も繋がらんし。・・・それに、仮に帰ってきたとしても・・」
柳田さんは、拗ねたような表情をし、
「訊くの、何か怖いし・・」
と、言った。
何やかんや言っといて、主な理由はやっぱりそれか、と僕は軽くため息を吐いた。
「・・・なら、風間さんが帰ってきたら、僕が代わりに理由を聞いといとあげますよ。だから、そんな顔をしないでください。そういう顔は、柳田さんには似合いませんから。・・ね?」
元気を出してください、という意味を込めて、僕は柳田さんの肩に軽く手を置いた。
柳田さんは一瞬びくりと身体を震わせたが、
「・・・ん」
と言って、すぐに僕から目を逸らし、何故か恥ずかしそうに髪を指でくるくると回し始めた。
━━━ベコッベコベコベコベコベコッッ
すごい音がした。
何?と思って音がした方を見やると、月島さんがラッパ飲みでコーラのペットボトルをゴリゴリにヘコませているところだった。
僕と柳田さんの目の前で、2リットルのペットボトルが紙風船のようにいとも簡単に圧縮されていく。この人どんな肺活量してんだと思いながら見ていると、月島さんはペラペラになったペットボトルを乱暴に丸めて「ふんっ」と、不機嫌そうに鼻を鳴らすと、
「お前ら、気持ち悪ぃからイチャつきたいなら私の目の届かないところでやれにょにょん。不愉快だにょにょん。この━━」
「腐れバカップルどもが。・・・にょにょん」
と、言った。
「・・・」
僕と柳田さんは、「? ???」という表情をし、お互い顔を見合わせた後、
「「はぁああああああああああ????」」
と、二人同時に声を上げた。