番外編『宮本さんと風間さん㉖』
今でこそ『棺桶』の存在をある程度は認めている宮本静佳であったが、当初は久喜原びすけっとがそれを持つことに強硬に反対していた。
理由は『棺桶』の中にある『モノ』━━それが、あまりにも尋常な代物ではなかったからである。
宮本静佳が初めてそれを目にした時には、『それら』はまだ『棺桶』ではなく、例の平屋で拾ってきた麻袋の中に納められていた。
久喜原立夏に中のモノを見て欲しいと頼まれた宮本静佳は、久喜原びすけっとの目の前で袋の紐を外す。
途端、ゾッとするような血の匂いが部屋全体に充満した。
匂いの元は当然、袋に入れられた『モノ』である。『モノ』は複数本あった。
━━━明らかに人間のものと分かる血痕がべっとりとこびりついた、八本の古びた日本刀。
それが、袋に納められていた『モノ』の正体だった。
霊能力など一切ない宮本静佳にも分かるほどに、それらには濃い怨念と血の匂いが巻きついていた。霊がどうのこうのという以前の問題だった。明らかに危険な代物である。
宮本静佳は「すぐに捨ててきなさいっ!」と怒鳴ったが、久喜原びすけっとは無表情に首を横に振った。
二人はかなり長い時間揉めに揉めたが、結局その『モノ』は久喜原びすけっとが預かることで決着がついた。
その決め手となったのは、母親である久喜原立夏の言葉だった。
「・・・アイツにあんなモノを持ってほしくなんてないんだけど、私の『勘』が、アレはあの子に絶対に必要なものだって、ずーっと囁いてんのよ・・」
と言って、深く項垂れた。
久喜原立夏は娘とは異なり、霊的なモノをほとんど『視る』ことが出来ない。『力』が強い、もしくは極めて悪質なモノの存在を感じ取ることは出来るのだが、それらにしても、彼女はぼんやりとしか『視る』ことは出来なかった。
だが久喜原立夏には、自身とは比べものにならないほどの強い『力』を持つ娘にすらない、ある特殊な『能力』があった。
それが、『勘』だった。
本来の意味での勘ではない。久喜原立夏の『勘』は神託のように唐突に降ってくるものであり、それが外れることは決してなかった。宮本静佳も、その『勘』で命を拾ったことがある。
久喜原立夏の支えであり、『呪い』でもある『勘』━━それが、娘が拾ってきた危険な『モノ』を是とした。
その事実に彼女は大いに悩んだが、結局は何度も自分を助けてくれた己の『勘』を信じることにしたのだった。
宮本静佳は不服ではあったが、最後は彼女と同じく『勘』を信じると決めた。
重ねて言うが、それが外れたことは一度として無かったからである。
※
『モノ』が久喜原家に置かれるようになってしばらく経ったある日、久喜原びすけっとが、『容れ物』が欲しいと言い始めた。
「殺気と怨念が漏れすぎているのです。このままではご近所さんから発狂者が出てしまうのです」
何か最近このマンション奇声上げる奴多いなと思っていた久喜原立夏は、「どうすんのよ、このダボ!」と、娘を怒鳴った。
久喜原びすけっとはしれっとした顔で、
「あてがあるのです」
と、答えた。
「・・・俺ぁ小さい子どもに物をねだられるのは息子の時以来なんだがよ、まさか『アレ』をねだられることになるとは夢にも思わんかったわ・・」
久喜原びすけっとの言う『あて』とは、ヤマさんが長年保管している、『あるモノ』のことだった。
ヤマさんが古びた貸し倉庫の鍵を外し、錆だらけのシャッターをゆっくりと持ち上げると、中に保管されていた『モノ』が陽光の前に晒される。
━━━西洋式の古い棺桶。
色は黒に統一されているが、かすかに藍色がかった光沢がある。棺桶の蓋の上部には、詳細不明の金色の紋章が貼り付けられており、それが濁った光沢を放っていた。その独特な艶から、これは真鍮の類ではなく、純金だろうとヤマさんは睨んでいる。
『今の金相場なら、売れば結構な値段になるだろうからよ。俺がポックリ逝っちまったら、アレは静佳ちゃんにやるわ』
ヤマさんは常々冗談めかしてそう言っていたが、例え譲り受けることになったとしても、これを売却することは一生ないだろうと宮本静佳は考える。
(・・・あの時の私は、人生を棄てるつもりだった)
高校三年生、宮本静佳が一番狂っていた時期の、あの事件。
この棺桶は、その事件の遺留品とも呼ぶべき代物なのである。
「思った通り、いい感じに『相殺』されているのです。これならご近所さんに発狂者を出すこともないのですよ」
久喜原びすけっとが、棺桶の中をあらためながら上機嫌に言う。前々から、これは何かに使えると目星をつけていたらしい。
麻袋の中身をすべて移し替えると、
「刀を全部放り込んでも意外とスペースが余るですね・・。空いた部分に、ヤバい悪霊を封じ込めたぬいぐるみを置いてもいいですか?」
「やめろ。それは色々な意味で危ないから、本当にやめろ」
久喜原親子がそんなやり取りをしているのをぼんやり見つめながら、宮本静佳は遠い過去に思いを馳せていた━━
※※※
※※
※
あの事件は様々な事情により、すべてが無かったことにされた。
そのおこぼれに与るような形で、宮本静佳が福岡と東京で起こした数々の暴力事件も不問とされてしまった。後年、宮本静佳が風間菜々子や久喜原びすけっとを強く諌めることが出来なかったのは、この時の負い目があるからである。
彼女は親に、『自分のことは絶縁し、死んだものと思ってほしい』という旨を書いた書き置きを残し、故郷を出た。そして『奴ら』を追って福岡に行き、ヤクザなのか半グレなのか分からない奴らの事務所を襲撃し、全員を完膚なきまでに叩きのめした。そこから得た情報を元に東京へ泳いで渡り、そこでもまた、似たようなこと繰り返した。そうして、何十人というヤクザや半グレを叩きのめして『奴ら』に関する情報を集め続けた末、最後に辿り着いたのがあの地方都市━━緑ヶ丘市だった。
━━━殺そうと思った。
『奴ら』を皆殺しにして自首しよう。たぶん一生刑務所から出て来られなくなるだろうが、それでも構わない、と宮本静佳は考える。
構わないから、『奴ら』を殺す。どうなっても構わないから、全員殺す。
そう、強い決意をして、彼女は緑ヶ丘市に足を踏み入れたのだった。
━━━だがしかし、それ程の覚悟だったにも関わらず、その悲願が叶うことはなかったのだ。
※※※
━━━血の匂いが酷い。
すべての決着がついたあの夜。
宮本静佳がそこに辿り着くと、辺りは地獄に染まっていた。
地面には大勢の人間の死体が転がっている。物言わぬ死体の中には、一般市民のような服装をしている者もいれば、特殊部隊のような重装備の者も、合成鋼を仕込んだ黒のスーツを着た者も、聖職者のような格好をした者もいた。
その中に見覚えのある顔を見つけ、宮本静佳の背に冷たいものが走る。
━━━クスクスクス・・
呆然と立ち尽くす宮本静佳を、無数のバケモノたちが嗤いながら見下ろしていた。
そのバケモノどもの中心に居座るのは巨大な影。邪な気配が濃すぎて、まともな人間には直視することすら困難なそのバケモノに、何体もの女の形をしたバケモノが媚を売るようにしなだれかかっている。
それらを守るように展開するのは、更なる無数の異形。そのバケモノどもは最早人の形をしておらず、その姿は二足歩行する不気味な粘土細工のようである。
しかし、その中に一組、人の形を保っているものがいた。
全身が影に侵食されたバケモノであるにも関わらず、片方は黒のタキシードを着ていて、もう片方は赤色のドレスを着ている。まるで社交界のように腕を組んでいるその二匹のバケモノは、クスクスと笑いながら、宮本静佳がどこまで削られたら泣くのをやめて笑い始めるかで賭けをしていた。
その言葉に興奮したように、上空を埋め尽くす羽根の生えたバケモノが騒ぎ始める。脳を損傷した鴉のような狂った哄笑が爆撃のように降り注ぐ中、宮本静佳は手にした木刀を一際強く握り━━
━━━そして、笑った。
バケモノどもの中心に居座る影が、ぴくりと動いた気配がした。
宮本静佳の笑みは狂っていた。
しかし、それは発狂者のものではなく、戦狂い━━殺し合いに生を見出す狂者のそれであった。
━━━上等、と、宮本静佳は笑う。
勝つのは不可能。遠からず、自分はこのバケモノどもに嬲り殺しにされるのだろう。それが分かっていて尚、胸の奥から湧き上がる高揚が止められない。
宮本静佳は剣を構える。
構えは勿論、彼女が幼少期から幾千幾万と繰り返し続けた大上段。
そこからの『一撃』を完璧なものにするために、宮本静佳は十数年にも及ぶ時間を捧げてきたのだ。
その真価を━━成果を、今ここでようやく発揮できる。
そう考えれば悔いはない。
━━━悔いはない、と、思ってしまった。
それに気付いた宮本静佳は、はんっと口の端を吊り上げる。
悔いはない?
私が何のためにこんなところまで来たと思っている? それはすべて、『奴ら』を殺すためだろう? それを一人も成し遂げていないというのに、いったい何が『悔いはない』のだろうか?
本来の目的を忘れた挙句、この後に及んで自分のことしか考えられない己自身に心底腹が立つ。
結局、どれだけ取り繕おうが、所詮自分は目の前にいる奴らと同じバケモノでしかなく、人の心を持たないバケモノが一丁前に人間のふりをしようとしたからバチが当たったのだと、宮本静佳は自虐する。
そして、そのバチを与えた誰かを酷く憎んだ。
バチを与えるのはいい。酷い目に遭わせるのもいい。けれど、それは私だけにして欲しかった。それを、私の周りには向けないで欲しかった。どうして、どうして━━
━━━私の一番大事な人を、酷い目に遭わせたの?
涙が溢れそうになる。
それを、宮本静佳は全力で堪えた。
今更自分のプライドなど気にもならない。だが、このバケモノどもの前で涙を見せることだけは耐えられなかった。それは自分の敗北ではなく、人間という種全体の尊厳の敗北に繋がるように思えたからだ。
宮本静佳は、己の感情をすべて飲み込もうとするかのように、深く息を吸い込む。そして、
━━━もう、何も考えないと決めた。
宮本静佳はバケモノどもを睨みつけ、来いや、と激を飛ばす。その瞬間━━
━━━夜の濃度が、ぐんと増したように感じた。
夜気に重さを感じ、酸素に粘りを感じた。この場に足を踏み入れた時に流れたものとは全く種類の異なる汗が、宮本静佳の全身からどっと流れ落ちる。
━━━ガリッ、ガリッ、ガリッ
『何か』が、巨大なモノを引きずりながら、こちらに向かってゆっくりと歩いてくる。
いつの間にか、バケモノどもの哄笑が消えていた。
その場にいる全員が、自分と同じ緊張を覚えていることを、彼女は肌で察した。
宮本静佳はゆっくりと、『彼女』へ目を向ける。
「・・・」
『彼女』は、全長五メートルを優に超える巨大な大剣を、片手で引きずりながら歩いていた。その大剣は果たして如何ほどの重量を持つのか、『彼女』が一歩踏み出す度、刃先で地面が大きく削れ、小さな火花を散らしている。
『彼女』の顔と腰には、いつも身に纏っていた黒いローブのようなマントの残骸が、風に引っかかったボロ切れのように絡みついている。その上半身は血と泥にまみれ、白のキャミソールと、それよりも更に白い『彼女』の肌を痛々しく汚していた。
顔に引っかかる布切れの間から、『彼女』の大きな瞳が覗いている。
強めの三白眼を更に切開したような強烈な眼差し。その独特な目力が、闇夜に居座るバケモノどもを捕らえていた。
ふいに、空を埋め尽くすバケモノどもの一匹が、ギギッと鳴いた。
それで我に帰ったかのように、空を飛ぶバケモノどもが次々と喚き始める。それは狩りの合図のようでもあり━━己の恐怖を誤魔化しているようにも見えた。バケモノの群れは、目をカッと見開くと、『彼女』へ向けて殺到する。次の瞬間━━
空を、巨大な何かが凪いだ。
一拍遅れて、豪風が一筋吹く。『彼女』は巨大な重量をもつ大剣を、まるで枯れ枝のように軽々と振るい、空に向かって一閃していた。
一閃ではない。
宮本静佳はすぐに心の中で訂正する。一振りにしか見えなかった今の一閃は、目に見えぬほどの高速で放たれた無数の斬撃であることを彼女は看破していた。
一瞬で斬り刻まれたバケモノの残骸が、雨のように降り注ぐ。たったの一振りで、羽根を持つ無数のバケモノどもが根こそぎにされていた。
玉座のようなものに居座る一際気配の大きいバケモノが、ゆっくりと立ち上がる。
それに合わせるかのように、異形のバケモノどもの群れの中から、
「・・・死を告げる者」
という呟きが漏れる。
この時点に置いて、『彼女』は未だ無名であり、その不吉な呼び名は誰にも認知されていなかった。名前を口にしたバケモノも、無意識に印象を表現したにすぎない。しかし━━
<<死を告げる者>>
その呼び名は、心の中にスッと落ちていくような不思議な『納得』があった。
それは、『彼女』こそが正にそうであると、その場の全員が無意識に認めていた証左でもあった。
夜の闇の中に浮かぶ『彼女』の姿は、人類史に残るありとあらゆる高尚な彫刻よりも美しい。
二メートル半を優に超える長身でありながら、『彼女』の身体は痩せすぎなほどに細く、無駄な贅肉は一切見られない。一見、病的にも見える体躯だが、その全身は野生動物よりも洗練された薄い筋肉によって守られており、総重量4tに迫る巨大な大剣を自在に操る力を生み出していた。『彼女』の、常人の二倍はあろうかという枯れ枝のように細い指が、成人男性の腕よりも太い大剣の柄を握りしめている。
圧倒的な長身と、それを更に上回る鉄柱のような巨大な大剣。
『彼女』の姿を見た者は、まずその二つに目を奪われそうなものだが、それは間違いである。
何故なら『彼女』には、その二つなど何の問題にもならない程の大きな身体的特徴があるからだ。
風が吹き、『彼女』の顔に張り付いていたマントの名残りが飛んで行く。
その下から現れたのは、息を呑むほどに美しい顔立ち。
これ以上はない程に大きく見開かれた三白眼、整った目鼻、陶器の如く白い肌、栗色の長髪━━風になびく長髪が、『彼女』の『象徴』をまるで本物の天使の翼であるかのように演出している。
『彼女』の『象徴』━━人の身体にはあり得ぬ、四本の細腕を━━。
『彼女』の視線が動く。
その先には、宮本静佳がいた。
宮本静佳は『彼女』を━━『一番弟子』の顔を、呆然と見つめる。
「お下がりくださいませ、師匠」
まるで機械音声のような、感情を読み取れない声。それが、告げる。
「私は、ようやく理解致しました。これより先は、私の領分であり『領域』。私は━━」
『彼女』のガラス玉のような三白眼に、得体の知れない光が宿る。
「成すべきことを成すと決めたのです。はい」
夜の密度が、更に一段、ぐんと上がった。
※※※
━━━宮本静佳の知らぬ世界の話。
裏社会全土を巻き込んだ<<罪王>>と『裏五皇』五名による最終決戦。
その決戦において、<<罪王>> に敗れはしたものの、<<極聖>>ディミトリアスと共にからくも生き延びた『裏五皇』の一席、<<血狂い>>シェンフォン。再起と復讐を誓い、<<罪王>>が生誕した地である日本で新たなる王国を築き上げんと画策していたその彼が、極東の一組織の脱走者に過ぎなかった若干十七歳の異形の少女に、眷属諸共に殺害されるというこの一大事件は、未だ<< 罪王 >>がもたらした恐怖と混乱から抜け出せずにいる裏社会に、再度の激震を走らせることとなる━━。
<<虐殺者>>、<<惨劇の緑ヶ丘>>、<<マモンの守護神>>━━
数多存在する二つ名の中で、最も彼女を象徴する恐怖の二つ名━━<<死を告げる者>>。
<< 死を告げる者 >>緑ヶ丘美音が、その後に斬り開く血塗られた道程の━━これが、最初の一歩であった。




