番外編『宮本さんと風間さん㉔』
ある日、市のカウンセラーが久喜原家を訪ねてきた。
度重なる警察やら児相やらへの通報により、久喜原家は割と緊急度高めの監視対象となっていたのである。
久喜原立夏がげんなりしながら応対に出ると、ふいに右眼が軽く疼いた。
彼女のほんの僅かな霊能力━━それが、アラートを鳴らしていた。
そのカウンセラーは初老の男性だった。一見何の変哲もないように見えるが、よくよく目を凝らしてみると、身体全体に黒い影のようなものが纏わり付いている。
何か『よくないもの』に触れた人間の特徴だった。
「おい」
玄関の奥から娘━━久喜原びすけっとが歩いてくる。
この頃には、彼女は立派な不登校児になっており、この日は「丸一日逆立ちをすれば新しい扉を開ける気がするのです」と言い、何故かベランダでずっと逆立ちをしていた。今日だけで既に三回通報されており、久喜原立夏がこの手の応対に出たのはこれで四回目だった。
久喜原びすけっとは母親を押し退け、彼女の格好を見てギョッとするカウンセラーの前に立つ。そして、
「お前、ここに来る前に『ヤバい場所』に行きましたね?」
と、訊いた。
※※※
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久喜原びすけっとの言う通り、カウンセラーは彼女の家を訪れる前に、ある児童養護施設に立ち寄っていた。役所が行っている定期訪問のためだった。
その児童養護施設は評判の良いところで、今までこれといって問題を起こすことがなかったのだが、この所『妙なこと』が相次いでいた。
子ども同士の喧嘩が急に増えた。幼い子が意味もなく泣き始める。年長の子が、『女の幽霊を見た』と言い始めるetc
異変が起きたのは子どもたちだけではない。施設を経営する大人たちにも『妙なこと』が起こっていた。
意味もなくイライラする。ふいに誰かの視線を感じる。子どもたちの中に知らない少女が混じっていたetc
「・・・ウチは今まで心霊現象とかそういうのは無縁だったんですよ。それが、急にこんなことになるなんて、子どもたちがどっかからいわくつきのモノでも拾ってきたんですかねぇ・・」
施設の経営者は、そう冗談めかして笑っていたが、その顔は青ざめており、頬がげっそりとこけていた。それを見て、
何かよからぬことが起きている、とカウンセラーは感じ取った。
彼は、久喜原立夏よりも更に微弱ではあるものの、一種の霊能力的なものを持っている人間━━俗に言う『視える人』だった。
その『能力』が、彼の目を『そこ』へと誘う。
「・・・ああ、『あの家』ですか」
何も言っていないのに、施設の経営者は彼の見ている先に視線を移した。
児童養護施設の隣に建っている、古びた平屋の一戸建て。
両者共に、まるで吸い寄せられるかのように、その家を見ていた。
「ゴミ屋敷・・というほどのものではないのですが、ガラクタのようなものを何でもかんでも集める困ったお婆さんが住んでいましてね。その人は先月亡くなったのですが、身寄りもない人なので、家の中はまったくの手付かずのままで━━」
聞かれてもいないのに、施設の経営者はペラペラとその家のことについて喋り始めた。
声が、不自然なほどに陽気だった。
その姿は、まるで胸の内から湧き上がる不安を必死にかき消そうとしているかのように見えた。
※※※
※※
※
「木造家屋・・平屋・・『モノ』に囲まれた部屋・・孤独な年寄り・・これは、女ですね? その婆さんが集めた『モノ』が隣に・・これは学校ではなく、孤児院ですか? ・・・ああ、その言い方はダメなんでしたっけ。児童養護施設と言うやつですか? どうやらそこに、『怨念』が流れちまってるようですね」
カウンセラーは、絶句する。
児童養護施設と平屋について、彼は一言も喋っていないというのに、久喜原びすけっとはそれをスラスラと言い当てたのだ。
「・・・で、その平屋が何だか気になってしまい、こそっり忍びこんでみたところ、そこで『ヤバいやつ』に遭遇したというわけですか。・・・住居不法侵入の犯罪者が、お袋に虐待の疑いをかけて聴取しにくるなんて、いったい何の冗談ですか?」
「い、いや、違う・・! 私はそんなこと━━」
「黙れ」
びくり、とカウンセラーは大きく身体を振るせる。
「お前はクソ雑魚なめくじですが、一応、久喜原の『同類』の端くれでしょう? 久喜原が『ホンモノ』で、お前が見た『モノ』がウルトラやべぇやつってのも分かってるんでしょうが? ごちゃごちゃ言い訳垂れてねぇで、お前が『視た』モノのことを話しやがれなのです」
久喜原びすけっとに凄まれ、カウンセラーはゆっくりと唾を飲む。
彼女の言う通り、目の前にいる少女が自分とは比べものにならない『ホンモノ』であり、すべてを見透かされているということが、『視える人』の彼には分かってしまっていた。
カウンセラーは観念したように目を瞑ると、やがてゆっくりと口を開いた。
「・・・視た、というわけではないんです。あの家に入って、居間の辺りに足を踏み入れた時に━━」
『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』
『殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す』
『許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない』
「複数人の若い女の声でした。・・・ご明察の通り、私にはほんの少しだけですが、霊能力のような力があります。ですので、『そういったもの』の声を聞いてしまったことは何度もあります。・・・ですが、あれほど恐ろしい、恨みと怨念に満ち溢れた声を聞いたことは今まで一度としてありませんでした・・」
そう言うと、カウンセラーは自らの震えを抑えるかのように腕をさすった。
「・・・」
場に沈黙がおりる。
久喜原立夏は、先ほどから黙ったままである。この次に、娘が何を言い出すのかが分かっている彼女としては、止めに入りたいところなのだが━━
右眼が、ひどく疼いていた。
久喜原立夏の『勘』━━それが、娘の好きにさせろと囁いていた。
母親の無言の承諾を受け取ったかのように、久喜原びすけっとはニッと破顔すると、未だ青ざめるカウンセラーの腕をポンと叩き、
「お前。久喜原をそこへ案内しろなのです」
「その怪異、この久喜原が解決してやるのですよ」
と、心底嬉しそうなウッキウキの笑顔でそう言った。
※
「・・・こちらになります」
カウンセラーの運転する車に乗せてもらい、久喜原親子はその平屋の前にやってきた。彼は久喜原びすけっとに完全に心を屈服させられており、すっかり舎弟のような感じになってしまっていた。言われるがまま、彼女を案内する。
家に到着するなり、久喜原びすけっとは遊園地にやって来た子どものようにうっきうっきで外へと飛び出した。彼女の足についた鉄球が、ガゴッという音を立てて道路に結構な大きさのヒビを入れる。それを見なかったことにしつつ、久喜原立夏は娘に向け、
「こらっ、びすけ!! おじちゃんに連れて来てくれてありがとうございますって、ちゃんとお礼言いなさい!!!」
と、ズレたことを喚いた。カウンセラーは、何ともいえない引きつった笑みを浮かべながら車を降りた。
その時にはもう、久喜原びすけっとは玄関の引き戸に手をかけていた。
扉は、何の抵抗もなく開いた。
「お前が開けたですか? いいピッキングの腕をしているのです」
久喜原びすけっとにニヤニヤ笑いながらそう訊かれ、カウンセラーはぶんぶんと首を横に振る。
「あ、開いていたんですよ!! 私が入ろうとした時には、もう・・」
慌てる彼の姿を見て、久喜原びすけっとはいたずらな表情でクスリと笑うと、何事もなかったかのように家の中へと入っていく。
それを見て、からかわれたのだとカウンセラーは気付いた。
久喜原立夏はぺこぺこと頭を下げながら、「ウチのダボがダボで本当にすいません・・」と、恐縮した。そして頭を上げると、家の中に土足で入り込もうとしている娘に向け、せめて靴は脱げと怒鳴ろうとした。しかし━━
彼女は母親に背を向けたまま、上り框の前でじっと立ち尽くしていた。
「・・・」
久喜原びすけっとは何も喋らない。無言で、部屋の奥にいる『何か』を視ている。
「・・・びすけ?」
久喜原立夏が、その背に声をかけながら玄関を跨ごうとする。と、久喜原びすけっとは急に反転し、母親を押し返すようにして外へ出た。そして━━
自らを縛る鎖や三角巾、足枷といったものを外し始める。
呆気に取られる母親の前で、久喜原びすけっとは襷も着物も脱ぎ捨てると、黒のタンクトップとスパッツに包まれた健康的な肢体を顕にする。その些か露出度の高すぎる格好に、久喜原立夏は彼女が脱ぎ捨てた着物を拾い上げながら、「アンタねぇ、盗撮されたらどうすんの!?」と、正論ではあるものの今言うことではないことを言い、娘に鬱陶しそうに舌打ちされていた。
母親が通勤時間帯の鉄警のような目で辺りを見回す中、当の娘は周囲のことなど一切気にならぬ様子で黙々とストレッチをこなしている。
「・・・あ、あの」
久喜原立夏に、カウンセラーがおずおずと声をかける。
「あの方は、いったい何をしようとしていらっしゃるのですか?」
「そんな言い方しなくていいですよ。あのクソダボとかで大丈夫ですから。・・・まあ、簡単に言うと『除霊』みたいなものです」
「除霊・・ですか?」
カウンセラーは小首を傾げながら久喜原びすけっとを見やる。彼女は軽快なフットワークを刻みながらシャドーをしていた。時折鋭いローも混ぜているが、どこからどう見ても『これから除霊をやります』という格好ではない。
「あの・・除霊というのは、何というか、その・・」
やたら豪奢な袈裟を着た坊主が自分の寺の名前を叫びながら九字切りしたり、大阪のおばちゃんみたいな神主がお祓い棒を振り回しながら祝詞を唱えるとか、普通はそんな感じなのではなかろうか?
久喜原立夏はげんなりした表情でため息を吐くと、
「仰りたいことは、よーく分かります。ですが、アレがあの子流の『除霊』なんですよ」
と言い、自分の握り拳をカウンセラーの前に突き出すような仕草を見せた。
顔を「?」にするカウンセラーに向け、久喜原立夏は再度ため息を吐くと、
「拳で殴って物理で解決、ってやつです」
と、言った。
※※※
※※
※
準備運動が終わると、久喜原びすけっとは剥ぐようにして自らの眼帯を外し、代わりに、ポケットに入れていた『片眼用』の黒い眼帯を取り出す。そしてそれを、慣れた様子で身につけ始めた。
久喜原びすけっとが『ベルゼブブの二十一秒間』以前━━『修行』を始める前から身につけていた、『左眼』を隠すための眼帯を━━
「・・・出来れば『左眼』は使いたくねぇのですが、あの感じだとそうも言ってられんでしょうね・・」
久喜原びすけっとは小さく呟くと、「さて」と言って肩を回し、再び家の中に入ろうとする。
その前に、久喜原立夏が立ち塞がった。
久喜原びすけっとは、心底めんどくさそうにため息を吐く。
「お袋、邪魔すんなです。止めたって無駄ですからね?」
「止めはしないわよ。止めたって、どうせ聞きゃしないのは分かってんだから」
久喜原びすけっとは眉根を寄せる。
「・・・じゃあ何の用ですか? 邪魔だからさっさとどいてほしいのです」
「私も連れていきなさい」
その言葉を耳にして、久喜原びすけっとは「はぁ?」と顔を歪める。
「何言ってやがるですか? 授業参観じゃあるまいし。こんな危ねぇ場所にお袋がついてきたところで、何の役にも立たねぇのですよ。使い道があるとしたら、せいぜい囮か肉盾くらいのもの━━」
「それで構わないから連れて行きなさい」
母親に毅然とした態度でそう言われ、久喜原びすけっとは思わず息を呑む。
「囮だろうが肉盾だろうが、好きに利用しなさい。アンタはどうしようもないダボだけど、私の娘なんだから。娘のためなら、囮だろうが肉盾だろうが何だってなってやるわよ。だから、私も連れて行きなさい。いいわね?」
久喜原立夏は、腰に手を当てながら不敵に笑う。一切の迷いがない、母親としての覚悟が決まっている顔だった。
「・・・」
そんな母親の言葉を受け、久喜原びすけっとは、ほんの少しだけ視線を地面に落とす。そして、
「・・・そんなこと、出来るわけないでしょうが」
と、弱々しい声で呟く。
久喜原立夏が眉根を寄せ、「ん? 何か言った?」と訊いた瞬間、
久喜原びすけっとの腕が高速で動き、母親の首筋辺りをなでた。
途端、糸の切れた人形のように、久喜原立夏の身体が力を失う。
地面に倒れ込みそうになった母親の身体を、娘はしっかりと抱き止める。
「だ、大丈夫ですか!?」
側にいたカウンセラーが大慌てで駆け寄る。
「・・・」
久喜原びすけっとは、母親に身体を埋めるような格好でしばらく動かなかったが、
「おい、ジジイ」
と言い、顔を上げる。
「お袋を頼むのです。・・・あと、久喜原が家に入って一時間経っても戻って来なかったら、その時は土居山警察署に連絡して、『宮本静佳』という婦警を呼び出して欲しいのです。久喜原びすけっとが帰ってこないと聞けば、たぶん秒で飛んでくるのです」
一息にそう告げると、久喜原びすけっとは押し付けるようにして、母親をカウンセラーに託す。そして、そのまま何事もなかったかのように、再び家の中へ入ろうとした。
「あ、あの・・っ!」
その背に、カウンセラーは声をかける。
久喜原びすけっとは振り向きもせずに立ち止まると、
「・・・何ですか? お袋のことなら、ちょっと気絶させただけなんで大丈夫です。しばらくしたら目を覚ますですよ」
と、感情の読めない声で言う。
カウンセラーは久喜原立夏を抱き抱えながら、何故か憐れむような目で久喜原びすけっとを見やると、
「あなたは、お母さんのことを何よりも大切に思っているのでしょう?」
と、言った。
「・・・」
久喜原びすけっとは、何も答えない。
「私は職業柄、あなたのような子を何人も見てきました。だから分かるんです。あなたは、親を憎んで生きているような非行少女ではない。本当のあなたは、そんな子ではないのでしょう? あなたはお母さんのことを愛しているし、素直に愛したいと思っている。それなのに、どうしてそんな無理をしているのですか? いったい、何の理由があって━━」
「資格がない」
そのキッパリとした一言に、カウンセラーは思わず息を呑んだ。
「資格なんて!! 子どもが親を愛するのに、いったいどんな資格が必要だと言うのです!? まさか━━」
その先を言いかけて、カウンセラーは慌てて口を噤む。
彼は職務上、久喜原親子の『事情』をある程度知っていた。
━━━久喜原びすけっとの言う『資格』とは、戸籍上で空欄になっている、彼女の父親に関係することなのではないか?
自分の出生に負い目を感じ、親と上手くコミュニケーションを取れなくなってしまう子どもは存在する。この子もそうなのではないかと、彼は考えたのだが━━
「お前が今考えている『それ』は、関係のないことなのです」
久喜原びすけっとの口から、否定の言葉が出る。その口調は淡々としていて、感情的になっている様子は少しも見られなかった。
「その話は、久喜原の中でとっくの昔に片がついた話なのです。出生に負い目はない。それは、二人に対して失礼になるからです。・・・ですが、それでもやっぱり━━」
「久喜原は生まれてくるべきではなかったと、そう思うのですよ」
その言葉を最後に、久喜原びすけっとは家の中へと入って行った。
何も言葉をかけることが出来なかった。
何か言ってあげなければならないと思った。
それなのに、今まで数えきれないほどの子どもたちと接し、相談に乗ってきた彼が、何の言葉もかけることが出来なかった。
━━━生まれてこなければよかった。
その言葉を本気で口にする子どもは意外なほど多い。
しかし、これまで幾度となく耳にしてきたその言葉が、今日ほど重く感じられたことはなかった。
その『重さ』は、そのまま久喜原びすけっとという少女の心に宿る重石と置き換えても良い。
いったい如何なる人生を━━経験をすれば、十かそこらの幼い少女の心に、あんなにも重いものが宿るのだろうか?
(あの子は心の底から、まったくの本気で、自分は生まれてこなかった方がよかったと思っている・・)
その形容し難い残酷に、カウンセラーはただただ愕然とすることしか出来なかった。




