番外編『宮本さんと風間さん⑳』
久喜原びすけっとは戸惑う宮本静佳を無視し、すたすたと病室内に入ってくる。そして、彼女の母親である久喜原立夏の前で足を止めると、
「おい、お袋」
と、ぞんざいな口調で顎をしゃくり、
「いつまで待たせるですか? お前、久喜原のこと忘れてやがったですね?」
と、不遜なことを言った。
久喜原立夏は、ひくり、と口の端を歪ませる。それを見た宮本静佳は、「あ、やばい」と思い、フォローに入ろうとするが、それより早く、彼女は大股で娘に歩み寄ると、
「びすけ!!」
と、大声で一喝した。
間に合わなかったか、と、宮本静佳は額を抑える。
「アンタねぇ、その舐めた口の効き方やめなって、何回言わせれば気が済むのよ!! 自分の母親を何だと思ってんの!?」
久喜原立夏に怒鳴られた久喜原びすけっとは、ちっと舌打ちし、
「うるせぇのです。ぎゃーぎゃー喚くななのです。・・・何だと思ってるも何も、お袋はお袋なのです。それ以上でもそれ以下でもねぇのです。そんなに久喜原に『ママ大好き〜!』って言って欲しいなら、えげつないガチ恋営業で飯食ってるVtuberの配信のように、久喜原に赤スパを払って頼めなのです。十万からなら言ってやらんこともないですよ?」
「誰がんなことするか!! 訳わかんねぇこと言って話を逸らそうとすんじゃねぇ!! 私が言いたいのはねぇ、そういうことじゃなくて━━」
「・・・結局はそういうことでしょうが、お袋が言いたいのは」
久喜原びすけっとはそう言うと、ぷいと母親から目を逸らした。
その、タバコの味を覚えたばかりの中坊のような斜に構えた態度に、久喜原立夏はますます顔を赤くする。
久喜原びすけっとは、みかん畑三郎と同い年の十かそこらの小学生だが、既に人間の人生の中で一番めんどくさい時期に突入しているのである。
久喜原立夏が、拳をプルプルと振るわせながら「こんの・・!」と、歯をギリギリさせているのを見て、宮本静佳は、
「りっちゃん抑えて! ここ病院だから、ね? ね?」
と、間に入る。と━━
ぎしり、とベッドが軋む音がした。
はっとして音の方を向くと、北野桝塚恵がベッドから上半身を起こしているところだった。
(まずいっ!)
宮本静佳の顔から血の気が引く。
北野桝塚恵の頭と腕、そして首には、真新しい包帯が巻かれていた。
つい先日、どうしても片付けなければいけない用事が出来てしまった宮本静佳は、北野桝塚恵の祖父母に看病を変わってもらい外出した。その用事自体は滞りなく終わったのだが、運悪く、彼女が席を外している間に北野桝塚恵が目を覚ましてしまい、院内で大いに暴れてしまった。彼女の怪我は、その時に負ったものである。
(これ以上、怪我なんてさせられない・・!)
宮本静佳は北野桝塚恵を抑えるべく、彼女に駆け寄ろうとした。
しかし、それより早く、久喜原びすけっとが前へ進み出る。そして━━
「おい」
と、強い口調で言い放った。
それは、ほんの僅かな殺気を込めた一言だった。
しかし、たったそれだけで、場の空気の重みが増し、気温が一気に下がったような感覚がした。宮本静佳ですら、思わず背筋を正したくなるような緊張が走る。何の耐性もない北野桝塚恵は、びくりと大きく身体を震わせ、怯えた眼差しで久喜原びすけっとを見やった。宮本静佳は、その背を見つめながら━━
(強くなっている。段飛ばしに・・)
と、戦慄する。
宮本静佳が久喜原びすけっとに最後に会ったのは、およそ二ヶ月前。それからいかなる『修行』を経たのか、その短期間で、彼女は以前よりも格段に強くなっていた。
ガチャガチャガチャ、と、久喜原びすけっとの背負っている棺桶の中から、『何か』が暴れる音がした。
久喜原びすけっとは小さく舌打ちすると、無言の裏拳で棺桶をぶっ叩く。それで一応は静かになったが、中からカタカタと『何か』が微かに動く音が続いている。
「・・・やけにはしゃいでやがるですね、コイツら」
久喜原びすけっとは一瞬考え込むような仕草を見せたが、すぐに気を取り直すように頭を振り、北野桝塚恵の前につかつかと歩み寄る。そして、
「久喜原は、お前のことなんぞどうでもいいのです」
と、唐突なことを言った。
「ちょ・・びすけちゃん!」
いきなり何を言い出すのだろうと思い、宮本静佳は久喜原びすけっとの肩を掴もうとしたのだが、彼女はそれを制するように右手を上げると、
「お前に何があって、何を見て、何でそこまで自分に絶望することになったのか・・それは知らんし、知りたくもないのです。久喜原には興味がない。・・・ですが」
「久喜原と違って、お前のことがどうでもよくない奴がいるのです」
北野桝塚恵の目に、戸惑いの色が浮かぶ。それは、宮本静佳と久喜原立夏も同様だった。
そんな三人を置き去りにし、久喜原びすけっとは、「はぁ・・」と、ため息を吐くと、
「久喜原は忙しいのです。本当はこんなことしてる暇はないのですが、『会わせて会わせて』ってクソ鬱陶しいから、仕方なく『コイツ』を連れて来てやったのです。感謝しろなのです」
と言って、前髪をがしがしとかきむしり始めた。久喜原びすけっとの髪留めについた鈴が、ジャラジャラと騒がしく音を立てる。その様子を見て、宮本静佳と久喜原立夏は顔を見合わせた。
前髪をかきむしる癖━━それは、娘が照れている時の癖だと知っているからだ。
しかし、一体何を照れているのか? それがさっぱり分からない。
宮本静佳と久喜原立夏は、顔を「?」にして、お互い首を傾げた。
「とにかく、久喜原はこんな面倒くせぇことはさっさと終わらせたいのですよ。・・・おい、お前」
久喜原びすけっとは、北野桝塚恵へ顔を近付けると、
「久喜原の眼を視ろ、なのです」
と言い、眼帯を片方だけ押し上げて、自らの右眼を露わにした。
母親である久喜原立夏よりも更に深い、まるで凍えた月のような輝きを放つ、自身の鮮やかな銀眼を━━
北野桝塚恵は緊張した面持ちで、その銀眼を見やる。
すると、彼女の右目を覆い隠すように、薄いモヤのような光がかかった。その光は銀色をしており、それが現れると同時に、久喜原びすけっとの右眼が、ふっと焦点を無くした。
「・・・え?」
北野桝塚恵が、戸惑ったように声を上げる。彼女の目にいったい何が視えているのか? 困惑も露わに頭を動かしている。
と、その目が、『ある一点』を捉えた時、北野桝塚恵の動きが止まった。
「・・・あ」
北野桝塚恵は大きく口を開き、次いで、顔を歪めた。その目からは大量の涙が溢れ出し、身体は小刻みに震え出す。そして、耐えかねたようにその場にひれ伏すと、
━━━ごめんなさい。
と、声を震わせて泣いた。
彼女は自傷行為に及ぶ際、いつも『ごめんなさい』と、誰かに対して謝っていた。
しかし、この時の『ごめんなさい』は、いつものものとは違っていた。具体的に何が違うのかは分からない。だが━━
━━━その『ごめんなさい』は、違う誰かに、違う『何か』を謝るために向けられたものなのだと、宮本静佳はそう感じた。
北野桝塚恵の両手が、何かを掴もうとするかのように、ゆっくりと前へ伸ばされる。
そこには何もない。
何もないのだが、北野桝塚恵の手は、確かにそこにいる『何か』を掴んでいた。
「ごめんなさい・・私があの時・・あの時、私が・・ごめんなさい・・本当に、ごめんなさい・・私が、私が・・」
北野桝塚恵は、ベッドに顔を埋めるような格好で、ひたすら『何か』に対して詫び続けた。いつものような狂気は欠片も見えなかった。彼女はただただ純粋に、何事かを悔やんでいる━━
━━━と、北野桝塚恵が、弾かれたように顔を上げた。
途端、涙でぐしゃぐしゃになった顔が、更に崩れる。
「━━━━━」
北野桝塚恵は、唇を小さく動かし、何事かを呟く。何と言ったのかは、その場の誰にも分からなかった。彼女は何かを堪えるように強く唇を噛むと、ふいに力が抜けたような顔をし━━
「・・・うん」
と頷き、笑顔を浮かべた。
その瞬間だった。
北野桝塚恵の右目を覆っていた銀のもやが、ふっと消えた。
同時に、久喜原びすけっとの眼に焦点が戻った。
北野桝塚恵はハッとした表情になり、まるで大事なモノを無くしたかのように、オロオロと辺りを探し始める。その目が、無表情で佇む久喜原びすけっとの姿を捉えると、すがるようにその両肩を掴み、
「あの子に・・あの子に!! もう一度、会わせてください!!」
と、言った。
「・・・」
久喜原びすけっとは黙ったまま、何も答えようとしない。
少しの沈黙の後、久喜原びすけっとは、ほんの僅かに顔を俯けると、
「・・・これ以上は、お前の目玉が爆発するのです」
と、言った。
北野桝塚恵はその肩を揺らし、「そんなこと、どうだっていいから!!」と、叫ぶ。
それを制するように、久喜原びすけっとは彼女の手首を掴むと、
「お前がよくても久喜原がよくねぇのです。『眼』を貸した状態でお前の目玉が爆発したら、久喜原も『障り』を喰らって失明しちまうのです。それは御免なのです。それに━━」
「例え視えたところで、死んだ者が生き返るわけではないのです」
その言葉を聞いた瞬間、北野桝塚恵の表情から感情が消え、まるで糸が切れた人形のようにがっくりと膝を落とした。
そして、両手で顔を覆うと、
「うわああああああああああああああ!!!」
と、まるで赤ん坊のように、声の限りに泣き始めた。
しかし、その声に、自殺未遂を繰り返していた頃の狂気はなかった。
宮本静佳はゆっくりと彼女へと近付くと、その身体を優しく抱きしめた。
「・・・」
久喜原びすけっとは無言のまま、病室の壁に身体を預けている。
久喜原立夏は優しい笑みを浮かべながら娘に近付くと、彼女の頭をそっと撫でた。
「・・・ふん」
その手を鬱陶しそうに払うと、久喜原びすけっとは、そっぽを向いて前髪をかきむしり始めた━━。
※※※
※※
※
時計の長針が半周する頃、北野桝塚恵は落ち着きを取り戻した。
「・・・ごめんなさい」
彼女はぐすぐすと鼻をすすりあげながら顔を上げると、
「宮本さん・・ずっと迷惑かけてごめんなさい・・」
と、かすれた声で言った。
目に、生気が戻っていた。
宮本静佳は一瞬黙った後、潤んだ瞳で首を強く振り、
「そんなことは気にしなくてもいいのよ」
と言って、目元の涙を拭った。と━━
「お前に一つ━━いや、二つ、訊きたいことがあるのです」
いつの間にか、久喜原びすけっとが宮本静佳の背後に立っていた。
北野桝塚恵は目を白黒させて背筋を正すと、
「は、はい・・何でしょうか?」
と、自分より明らかに年下の幼女に向けて、敬語で答える。
久喜原びすけっとは、それを一切気にする様子もなく口を開くと、
「お前、兄弟か姉妹はいるですか?」
と、訊いてきた。
北野桝塚恵は、「えっ・・」と戸惑うように目を左右に泳がせた後、
「い、いません・・私は、一人っ子ですから・・」
と、答えた。
「・・・」
久喜原びすけっとは、無言でじっと何事かを考えている。
そんな質問に、いったい何の意味があるのだろうかと、宮本静佳は内心で首を捻った。
「・・・まぁ、それはいいのです。どうせ考えても分かりゃしねぇし、そもそも、そんなことがあるわけはないのですから・・」
久喜原びすけっとは、ゆっくりと頭を振る。全員の頭にクエスチョンマークが浮かんだが、彼女がその疑問に答えることはなかった。そして━━
「それよりも━━」
久喜原びすけっとがそう言った瞬間、室内に奇妙な緊張が走った。
先のように、言葉に殺気を込めているわけではない。
にも関わらず、その場の全員の背に緊張が走ったのは、久喜原びすけっとが緊張しているからなのだと、宮本静佳は察してしまった。
その緊張は、怯えと言い換えてもよい。
(あの、びすけちゃんが・・)
恐れとか怯えとか躊躇いとか、そういった感情をすべて母親の胎内に置き去りにして産まれてきたような久喜原びすけっとが、怯えている━━
その事実に、宮本静佳の背に、つうっと一筋、厭な汗が流れた。
久喜原びすけっとが、ゆっくりと口を開く。
「お前、近頃『妙な夢』を視ませんでしたか?」




