番外編『宮本さんと風間さん⑲』
宮本静佳が北野桝塚恵の看病を始めて一ヶ月が経過したある日、久喜原立夏が病室を訪ねてきた。
「おーい、生きとるかー」
久喜原立夏が、生活用品の入った袋を掲げながら病室に入ってくる。今日の彼女は、いつものような私服姿ではなく、仕事用の薄いベージュのパンツスーツ姿だった。
そんな彼女の姿を見た宮本静佳は、申し訳なさそうに眉を八の字にする。
「りっちゃん、仕事中に来たの? 暇な時に来てくれるだけでいいって言ってるのに・・」
久喜原立夏は、宮本静佳が北野桝塚恵の看病を始めてすぐの頃から、こうして折に触れて差し入れを持って来てくれていた。宮本静佳は、
『気持ちは嬉しいけど、りっちゃんは今すごく忙しいんだから、こんなことしてくれなくてもいいんだよ?』
と言って、何度も断ろうとしたのだが、久喜原立夏は「いいのいいの」と、手を振り、
『忙しいのは、私じゃなくてサブの方なんだから。気にすんなって』
と言って、カラカラと笑うのだった。
それを見た宮本静佳は、困った風に眉を下げる。
久喜原立夏はこんなことを言っているが、実際はかなり大変な思いをしていることを、彼女は知っていた。
久喜原立夏の勤め先である芸能事務所━━『ポンオフィス』は、彼女と社長を含む二名しか在職していない超弱小事務所である。
所属タレントも、わずか一名。
それだけ聞けば、年がら年中お茶を引いているように思うかもしれないが━━
その唯一の所属タレントが色々な意味で規格外なせいで、現在『ポンオフィス』は大戦場になっているのである。
唯一の所属タレント━━その男の子のことを、宮本静佳はよく知っていた。
「三郎くんは、向こうで元気にやってるの?」
土井山市に居を構える芸能事務所『ポンオフィス』所属、愛媛野伊代香。
本名を、みかん畑三郎という。
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宮本静佳がみかん畑三郎と初めて出会ったのは、彼が小学校低学年の時。近所のドブ川みたいな用水路で、イマジナリーアザラシを刺身にして食べようとしていたアレな女の子を保護した事件(?)がきっかけである。
その頃から、みかん畑三郎は既に『愛媛野伊代香』として活動していた。
━━━あの頃は、愛媛野伊代香の名前を誰も知らなかった。
しかし、『たまちゃん殺害未遂事件』から半年も経たない内に、愛媛野伊代香は驚異的なスピードで大躍進し、その名前を日本全国どころか、世界中にまで轟かせていくのだった━━
(この子は、大きくなったら女の子をたくさん泣かせることになるんだろうなぁって思ってたけど、正直、ここまですごい子になるとは思わなかったなぁ・・)
みかん畑三郎と初めて出会った頃のことを思い出し、宮本静佳は心の中で苦笑する。
━━と、久喜原立夏が何やら考え込んでいるのが目に入った。
宮本静佳が「どうしたの?」と訊ねると、久喜原立夏は「うーん・・」と唸って頬をかき、
「・・・これ、他言無用でお願いしたいんだけど・・。実はサブ、いま土井山に帰って来てんのよね」
と、言った。
それを聞いた宮本静佳は、「え!?」と声を上げる。
愛媛野伊代香こと、みかん畑三郎は、現在東京で一人暮らしをしているはずだった。
よく出来た利発な子とはいえ、流石に十かそこらの子どもを東京で一人暮らしさせるのはどうかと思うのだが、これには『やむを得ない事情』がいくつかあるのだ。
一つは、単純に仕事が忙しいこと。
以前は、キー局の仕事がある度に土井山から東京に通っていたのだが、仕事が増えるにつれ、それが時間的に不可能になってしまった。
本人と事務所、そして両親が慎重に話し合った結果、仕事が落ち着くまでは、東京で暮らした方がいいだろうという結論に至った。両親は、息子について行くことを望んだのだが、それは本人に強く拒否される。家族仲が悪いわけではない。
当時、みかん畑三郎の母親は妊娠しており、出産を控えていたのだ。
東京に移住するくらい大したことはないと両親は伝えたのだが、環境が変化して万が一のことがあってはいけないからと、みかん畑三郎は二人の申し出を断固として断った。
それならばせめて、マネージャーである久喜原立夏か事務所の社長━━『殿』がみかん畑三郎と一緒に東京へ行ければよかったのだが、久喜原立夏には、しょっちゅう問題を起こすウルトラ超絶大問題児の娘がいるため、土井山を離れることが出来ず、『殿』の方は、『とある理由』で関東全域に足を踏み入れることが出来ないため、東京へ赴任することが出来なかったのだ。
それ故の、一人暮らしという選択だったのだが━━
「お母さんの出産がいよいよだって聞いてね。どうしても側にいたいってサブが言い出して、それで戻ってくることになったのよ。だから多分、最低でもひと月は、土井山にいることになると思う」
それを聞いた宮本静佳は、「そうだったんだ」と頷く。少し前に桜川子犬に電話した際、みかん畑三郎の母親の出産が近そうだと話していたのを思い出す。
「で、これまた内緒の話になるんだけど、土井山市の役場の連中が、どっかからサブが帰ってきたってのを聞きつけてね。大々的にイベントやるから出演してくれないかって、オファーかけて来やがったのよ。お母さんの出産に合わせて無理矢理仕事セーブして帰って来てんのに、そんなもんに出演させられるわけないでしょうがって断ったんだけど、アイツらクッッッソしつこくてさ。結局こっちがどれだけ説明しても納得しなくて、話し合いはまた後日ってことになったのよ」
捲し立てるようにそう言って、久喜原立夏は「はぁぁぁ」と、苛立たしげにため息を吐いた。宮本静佳は苦笑し、「大変だったねぇ」と労う。久喜原立夏は大袈裟に肩をすくめるが、ふいに真面目な顔になると、
「・・・いずれ、アンタに相談しなきゃいけないって思ってたんだけどさ。実はここ最近、サブの周りでずっと『妙なこと』が続いてて・・・」
と、宮本静佳の目を見つめながら言った。久喜原立夏が、何やらただならぬことを話そうとしている気配を察した宮本静佳は身構えるが、彼女は「いや・・」と、首を振り、
「『今は』いいのよ、今は。アンタは、その子についてやんなさい」
と言って、ベッドで眠る北野桝塚恵の顔を見やった。
「私の方の『相談事』は、今んとこ緊急じゃないからね。その子が落ち着いて、アンタも手が空いたら、そん時は私の話を聞いて欲しいの」
久喜原立夏が『何』を相談しようとしているのかまるで分からなかったが、宮本静佳はとりあえず「うん」と頷く。
しかし、ここまで意味ありげに話をされて、『話はまた今度』では、あまりに座りが悪すぎる。せめて、相談事とやらの触りだけでも聞いておこうと、宮本静佳は口を開きかけたのだが━━
その時、シャリン、と、錫杖が鳴るような音がした。
宮本静佳は、ぎょっとして音がした方━━病室のドアへと目を向ける。
その音に続き、
━━━ジャリ、ジャリ、ジャリ・・
と、何かの重い金属のようなものが、廊下を擦りながら歩いてくる音が聞こえた。
その歪な音の元が、巨大な鉄球をくくりつけた足枷であることを知っている宮本静佳は、思わず久喜原立夏の顔を見やった。
「やっべ、忘れてた・・」
久喜原立夏は眉間を押さえながら、顔を歪めている。そして、大きく首を振った後、
「ごめん、静佳。事後承諾みたいな形になっちゃったけど、実は今日、『アイツ』もここに来てんのよ。アイツ、いつもは学校サボってどっかをほっつき歩いてるくせに、何でか今日は家にいやがってさ、連れてけ連れてけって駄々こねるから仕方なく・・」
「え、ちょっと待って、それって━━」
イライラ顔の久喜原立夏が、何事かぶつぶつと呟いているのを遮って、宮本静佳は『アイツ』とやらの名前を口にしようとする。
しかし、それより早く、病室のドアが勢いよく開かれた。
「・・・」
病室の入り口で無言で佇む『おかしな格好』の少女を目にして、宮本静佳は目を丸くする。
小学生くらいの、背の低い女の子である。
その子は、豊かな銀髪をツインテールにし、髪の結び目には大きな鈴を括りつけている。目には、顔の半分を覆い隠すほどの大きな赤い眼帯をつけており、それを更に縛りつけるように、小さな黒のレザーベルトが幾つも巻き付けていた。身に纏っているのはまるで死装束のような白い着物で、左腕には布と鎖で雁字搦めにされた三角巾、右足には、鎖の先に巨大な鉄球をつけた足枷を嵌めている。そして、右肩には━━
『殺願成就』
と、物騒な言葉が書かれた赤い襷をかけていた。
何もかもが様子のおかしい少女であるが、数あるおかしな点の中で、最も異彩を放っているのは、彼女が背中に背負っている『モノ』だった。
━━━自身の身の丈の倍はあろうかという、西洋式の巨大な黒い棺桶。
何故か、そんなものを背負っている。
銀髪ツインテール目隠れ拘束棺桶少女という、インスタタ映えを意識しすぎて狂ってしまった二郎系ラーメンのように属性てんこ盛りなその少女は、無表情にじっと宮本静佳のことを見つめていた。
「び、びすけちゃん? えっ、どうして・・」
説明を求めるように、宮本静佳は彼女の母親を見やる。が、久喜原立夏は小さく首を横に振るばかりで、何も答えてくれなかった。何でなのかは知らない、と、その表情が物語っている。
「お久しぶりなのです、静佳ママ」
少女が口を開いた。それは、どこか達観したような、少女らしからぬ落ち着いた声だった。
「う、うん・・」
宮本静佳は目を白黒させながら頷く。脳内は未だ、軽い混乱状態にあった。
彼女のことを、宮本静佳はよく知っている。
だが、何でここにいるのかが、全く分からない。
宮本静佳の親友である久喜原立夏の一人娘にして、彼女の『二番弟子』でもあるその少女━━
「久喜原が来たのです」
久喜原びすけっとが、にこりともせずにそう言った。




