番外編『宮本さんと風間さん⑰』
2025/10/27
宮本さんの名前が宮本静香(正しくは宮本静佳)になってるのに今日ようやく気付きました・・。次のエピソード投下後に総ざらいで点検して修正します・・。
iPhone君、登録した名前を勝手に一文字変えるのやめて頂戴よ・・。というか、何でこんなことが起きたんだろ?
その日、幼い北野桝塚恵は祖父母に手を引かれながら、人気のない夜の住宅街を上機嫌に歩いていた。遊園地に連れて行ってもらった帰り道だった。
彼女の両親は仕事が忙しく、遊びに連れて行ってくれるのは、いつも祖父母だった。
北野桝塚恵は時折ぴょんぴょんと小さく跳ねながら、大きな声で「楽しかったね!」と言い、祖父母はそんな彼女を見て、笑顔でうんうんと頷き返す。道行く人が見たら思わず微笑んでしまうような、それはとても温かな光景だった。
しかし━━
ふいに、祖父母が揃って足を止めた。
北野桝塚恵は、笑顔のまま小首を傾げる。二人は黙ったまま空を見上げていた。何だろうと思い、その視線を追ってみると━━
━━━空から、光が消えていた。
お月様も消えていた。お星様も消えていた。雲も消えていた。まるで墨を垂らし込んだように、空が歪な黒に染められていた。
北野桝塚恵の顔から、すうっと笑顔が消えていく。
と同時に、彼女は全身に寒気を感じた。
吐く息が白い。まだ夏の暑さが残る時期だというのに、気温が真冬のように冷え込んでいた。
「これは、いったいどうしたことだ・・」
祖父は孫から手を離し、困惑も露わに祖母を見やる。しかし、彼女が答えを知っているはずもなく、
「なんなんでしょうね、いったい・・。私、何だか気味が悪いわ・・」
と言い、祖母は不安げに頬に手をあてた。
その際に、祖母も孫から手を離してしまった。
━━━『それ』が起きたのは、まさにその直後だった。
パキリッ、と、何かにヒビが入るような音がした。
その音は、遥か上空から聞こえた。
北野桝塚恵と祖父母の三人は、一斉に『それ』へ目を向ける。
━━━墨を垂らしたような夜空に、大きな『赫い線』が入っていた。
その『赫い線』は横の一本線で、わずかに下の方が歪曲している。
絶句する三人の前で、
━━━パキッ、パキッ、パキッ・・
と、『赫い線』だと思われていたものが、ゆっくりと開いていく。そして━━━
━━━巨大な人の眼のような形をした『何か』が、空に姿を現した。
その眼は赫く、瞳孔までもが赫黒い。
人ではありえない、魔物の眼だった。
あまりに現実離れした光景に、三人はただただ、震えることしか出来なかった。
今にも泣き出しそうな北野桝塚恵の前で、ふいにその『赫い眼』がギョロリと動いた。そして━━
━━━はっきりと、彼女を視た。
目が合ったと感じた瞬間、北野桝塚恵の足元から、細かい蝿の群れのようなものが竜巻のように舞い上がる。それらは一瞬にして彼女を包み込むと、その身体を宙に浮かせた。
地面の感触が消え、上下左右の感覚も消え失せる。まるで巨大な洗濯機の中に放り込まれたかのようだった。彼女は全身を揉みくちゃにされながら、助けを呼ぶ声すら上げることも出来ずに、バタバタともがき続ける。と━━
ふいに、身体に纏わりついていたものが一斉に消えた。
北野桝塚恵の身体が、宙へ放り出される。
一瞬の停滞の後、彼女の身体は物理法則を思い出したかのように下へ下へと落ちていく。
落下していく北野桝塚恵の目に映ったのは、ゴツゴツとした岩肌のような地面だった。
固く目を瞑る。
ほどなく彼女は地面に激突し、落下の衝撃が全身を襲った。
が、何故か痛みを感じない。
まるで砂浜に飛び込んだかのような、そんな柔らかな感触がしただけだった。
しかし、痛みこそ感じなかったものの、地面に手をついた瞬間、北野桝塚恵は妙な『冷たさ』をそこに感じた。
その『冷たさ』に、彼女は覚えがあった。
━━━まるで、生き物の死体のよう。
昔、彼女が飼っていたハムスターが死んだ時、その身体に触れた時に感じた『冷たさ』と、それは全く同じものだったのだ。
北野桝塚恵は、ゾッとして地面から飛び上がる。と、同時に、
━━━『それ』と、目が合ってしまった。
『それ』は、黒い霧のようであり、細かな虫の集合体のようでもあった。
モゾモゾと不気味な音を響かせる『それ』は人の形をしており、頭部とおぼしき部分には赫い両眼がついている。
その『赫い眼』が、じっと北野桝塚恵のことを見つめていた。
彼女は小さく悲鳴を上げ、その場にへたり込む。そんな彼女を追い詰めるように、『それ』は御辞儀のように上半身を折ると、北野桝塚恵にぐっと顔を近づけて来た。
そして、僅かに首を傾げる。
━━━困惑している、と、何故だか思った。
鼻頭がくっつきそうな至近距離で、『それ』は、じっと北野桝塚恵を観察していた。
彼女は恐怖のあまり、悲鳴を上げることも、目を瞑ることも出来ずにいた。
つうっ、と、彼女の頬から冷や汗が滴り落ちる。と━━
━━━あっ、そういうことかぁ〜。
気の抜けるような、幼い少女の声がした。
その声は確かに、目の前にいる赫い眼を持つ『影』から聞こえてきた。
見た目の禍々しさとはまるで真逆の天真爛漫な声に、北野桝塚恵は目を丸くする。
そんな彼女を置き去りにし、『影』は北野桝塚恵から視線を外すと、興味を失ったようにぷいっと背を向けた。
その途端、地面が消失した。
悲鳴を上げる間すら無かった。また落ちるのっ!?と思った次の瞬間には、北野桝塚恵はアスファルトの道路の上に放り出されていた。
今度も、あまり痛みを感じなかった。
地面を恐る恐る触る。生き物の死体のような不気味な冷たさはなかった。ゆっくりと身体を起こす北野桝塚恵の目に、こちらへ駆けてくる祖父母の姿が見えた。
その姿を目にした途端、北野桝塚恵はわっと大声で泣き出した。
※※※
※※
※
「・・・これが、私が恵から聞いた話です。この話を、あの子は小学生の頃から事あるごとに繰り返してたんですけど、当然というか、信じる奴なんて誰もいなくて・・。それなのに、恵は諦めないんです。『私は嘘なんてついてない!』って、強情に駄々こねて・・。私が中学の時に、『ベルゼブブの十三秒間』で、身内が被害に遭った人がイヤな思いするからやめなって注意して、それでやっと、その嘘をつくのを辞めたくらいなんです。本当に、あの子はどうしてあんな嘘を・・」
塩谷由麻は、疲れたような顔をして、ため息を吐いた。
「・・・」
対して、宮本静佳は顔を強張らせていた。
久喜原びすけっとの関係で、彼女は広くベルゼブブに関する情報を集めていた。すべてを網羅しているというほどではないが、少なくとも、自分が調べた限りでは、ベルゼブブが幼い少女の声をしているという噂は聞いたことがない。
━━━その『事実』を知っているのは、自分だけだと思っていた。
(何気ない嘘が、たまたま当たっただけかもしれない。でも━━)
━━━もしかしたら本当に、恵ちゃんはベルゼブブに攫われたことがあるのかもしれない。
その時に『アレ』に何かをされたのだとしたら、恵ちゃんを巡る『不可解なこと』にも説明がつく━━
項垂れる塩谷由麻の前で、宮本静佳は一人顔を青くしていた。
※※※
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「事件前は、学校で恵を嫌ってる奴なんてほとんどいなかったんです。でも、何人かは厄介なのがいて・・。恵、あのルックスですから、女子からの嫉妬とかもすごかったんですよ・・」
その中の一人━━売り物にならない醜いフグに安物の市松人形の髪を乗っけたような小太りのブスが特に酷かった、と、塩谷由麻は憎悪を滲ませた目で歯軋りした。
彼女の指導係としては、「アナタは警察官なんだから、そういう暴言は慎みなさい」と諌めなければならないところだが、中学の時に、久喜原立夏に粘着していた似たような小太りのブスを「あ゛?」の一文字だけで泡を吹いて卒倒させてしまったことのある宮本静香は、黙って話の続きを待った。
「その小太りが、学校中に恵がついていた嘘の話を広めてたんです。ベルゼブブに攫われたことがあるとか、そんな不謹慎な嘘をつく奴なんてロクな奴じゃない、みたいな感じで。ソイツ、普段から口を開けば人の悪口しか言わないような奴で、みんなから嫌われてたんですけど、恵がネットで攻撃され始めてからは、いつも話の輪の中心にいたんです。私には理解出来ない感覚なんですけど、ある種の人間は、恵みたいにボロボロになった人が、更にぐちゃぐちゃになってしまうような展開に快感を覚える脳の造りをしてるんです。あの小太りの周りに集まっていたのはそんな奴らばっかで、ソイツらが恵の悪い話をあることないこと周囲に吹き込んでいたんです。まるで疫病のような奴らでした。知能もなければ語彙力もない。柳田師匠みたいに、悪口を『芸』に昇華できる腕もない。ひたすら同じ内容の悪口をオウム返しするだけのバカどもに、何でこんなにも耳を傾ける奴がいるのか・・。私には、理解出来ませんでした」
柳田師匠というのは、風間菜々子の幼馴染の柳田おれんじという変わった名前の女の子のことである。
宮本静佳は、あんなクソガキを師匠呼ばわりするのはやめなさいと常々注意するのだが、塩谷は何故か柳田おれんじのことをすごく気に入っていて、
『私、あの子のことを本当に尊敬してるんですよ。あんなに人を笑顔にすることだけを考えてる子は、見たことがないです』
と言って、『師匠』呼びを一向に止めようとしない。宮本静佳は頭を抱えたが、塩谷由麻の言わんとしていることも分からないではなかった。
柳田おれんじは悪口の広辞苑みたいな少女で、人をボロカスに罵る言葉が大手vtuberの記念配信のスパチャのように途切れることがないのだが、何故だかその言動に『嫌悪感』を覚えることはなかった。
不快になったり、ドン引きしたりすることは当然ある。しかし、久喜原立夏や北野桝塚恵に粘着していた小太りのブスどもと違い、柳田おれんじの悪口には、人の心に悪いモノを残さない、カラッとした不思議な『何か』があったのだ。
宮本静佳には、その違いが長く分からなかった。
しかし、塩谷由麻の一言を聞いて、柳田おれんじの悪口に嫌悪感を抱かないのは、それが人を痛めつけることを前提にしたものではなく、人を笑わせることを前提にしたものだからなのだと気が付いた。
━━━あの子は、悪い意味ではなく、アンタが思っているような子じゃない。
ふいに、あの男の言葉が脳裏に蘇った。
あの男が真に伝えたかったのはそういう話ではないのだろうが、それでも、伝えたかったことの一つには含まれているに違いない。
宮本静佳は、そう思った。
それから、彼女の柳田おれんじに対する評価と印象はかなり変わった。
しかし、だからといって、警察官が放送禁止用語を気さくな挨拶のように使う少女を師匠呼ばわりするのはよくないなと思い、塩谷由麻には事あるごとに注意をするようにしていた。今回も注意すべきか迷ったが、話が変な方向に脱線してしまいそうだったので、宮本静佳はまたもや黙ったままでいることにしたのだった。
「あんな奴ら、無視しとけばよかったんですけど、私、ある時どうしても我慢出来なくなって、ブチキレちゃって・・」
塩谷由麻は楽しそうに『お喋り』する小太りにつかつかと歩み寄ると、
『トロくせぇから何度生まれ変わっても人間様に釣り上げられて、その度に『こんなもん気色悪くて食えねぇわ、ミュータントかよ』って廃棄処分されんのを見るに見かねた神様のお情けで人間様に生まれ変わらせて頂いた出来損ないのフグの分際で、恵のあることないことデタラメ言いふらしてんじゃねぇぞクソ小太りが!!! てめぇんなことやってる暇があったら、一日一万回神様に向かって『私のようなものを人間様に生まれ変わらせて頂いて誠にありがとうございます』って塩水に顔突っ込みながら土下座感謝でもしてろや、このフグブスがよぉ!!!』
と、大暴言を吐き、校内をサイレント映画のようにしんとさせてしまった。
結果、停学。
学校側からは再三、小太りに謝罪するよう強く求められたが、塩谷由麻は断固としてこれを拒否した。それどころか、
「アイツが恵に吐いてきた暴言に比べれば、私が吐いた暴言の酷さなんて百万分の一にも満たない。あと、なんもかんも見ざる聞かざる言わざるで、なあなあと過ごしてきた、てめぇらクソ教師どもも同罪だかんな?」
と言って、硬い顔をする教師陣とわざとらしく泣きじゃくる小太りに向かって、中指を突き立てる始末だった。
事態は泥沼化すると思われたが、幸い、小太りの両親は常識的な判断が出来る人たちで、自分たちの娘の方にも非があると認めてくれた。その後、塩谷由麻と小太り、双方の両親が話し合った結果、親同士が謝罪するという体で、この騒動は一応の決着となった。塩谷由麻の停学処分が撤回されることはなかったが、それも、一週間というごく短い期間で済まされることになった。
「・・・運がよかったわね、アンタ。下手すりゃ民事だったわよ?」
かつて「あ゛?」の一文字で泡を吹かせた同級生の親から「訴えてやる!」とお笑い芸人のように詰められた経験のある宮本静佳は、呆れが半分、羨ましいなぁという気持ちが半分の、何とも形容しがたい表情で塩谷由麻を見た。
塩谷由麻は、「えへへ」と、何故か照れくさそうに笑うと、
「あのクソ小太りも停学処分にならなかったのが少しだけ不満ですけど、裁判沙汰にならなかっただけでもよしとしなきゃですよね。・・・ところで先輩、私の悪口どうでした? 私、これ生涯会心の出来だと思ってて、柳田師匠からも『92点♣︎』って、ヒソカみたいな顔で褒めて貰えた自信作なんですよ」
と、得意げに言った。
宮本静佳が、「アホ」と言って頭をチョップすると、塩谷由麻はちょっとだけ気持ち悪い顔で「うぇへへ」と不気味に笑った。宮本静佳が呆れ果てた顔をしていると、
ふいに、塩谷由麻の目から、ふっと光が消えた。
それを見て、彼女が唐突にふざけ始めたのは、この先の話をしたくないからなのだと、宮本静香は気付いてしまった。
「・・・」
塩谷由麻は、長く黙っていた。
自分が話を促して良いのだろうかと、宮本静佳が迷っていると、
「・・・停学明けて、三日目くらいのことでした」
再び、塩谷由麻が口を開いた。
「たぶん、虫の知らせってやつだったんだと思います。授業中、私は何気なく窓の外に目を向けました。そしたら━━」
運動場から、誰かが校舎に向かって走って来ているのが見えた。
「それを見て、私は思わず立ち上がってしまいました。だって、それは━━」
━━━恵だったんです。
そう言って、塩谷由麻はひどく暗い顔をして俯いた。




