幕間② その3
薫とさっつんのジャッジメント(正座で説教)後、『人間玉入れ』は正式に中止と相成った。中止も何も、初めから成立していなかった気もするのだが。
それから、次の競技は何にするかという話になり、
『車裂き綱引き!』『海綿体棒倒し!』『白い粉(消石灰)に顔突っ込んで飴見つけるまで顔上げられないやつ(飴は入っていない)!』『ひえもんとり!』『包丁バッファローゲーム!』
と、みんなから次々とアイディアが出された。運動会の種目など何一つ無かった。そのどれもが、神楽野を酷い目に遭わせることを前提にしたものばかりだった。神楽野は苦虫を百匹噛み潰したような顔をし、「誰がやるかよ!」と、吠えていた。
みんなは、そんな神楽野を無視し、中世拷問官も真っ青なアイディアをキャッキャと出し続ける。しかし━━
「はいはい。みんな、そういうのはもうやめにしましょうね?」
さっつんが、手をパンパンと叩きながら割って入ってきた。
すると、それまで大はしゃぎをしていたみんなが、嘘のようにしんと静まり返ってしまった。漫画やドラマなどでよく見る、自習の最中に急に先生が戻ってきた時の教室のようだった。
さっつんは、薫と並ぶ我が『班』屈指の常識人であり、『仏のさっつん』と呼ばれる人格者でもある。
私の『班』は野生動物のように制御の効かない奴らばかりで、ミーティングの最中にお喋りに夢中になり過ぎて、私の話をまるで聞いていないということが多々あったのだが、そんな時に、
「今、円香が喋ってるんだよ!」
と、どこかのアイドルのように軽くキレて場を締めてくれるのが、さっつんという女だった。
さっつんは小柄ではあったが、へんな迫力を持っている女で、怒られると大抵の者は首を縮めてしまう。
それは、不遜を絵に描いたような神楽野ですら例外ではなかった。
この男は、会ったばかりの女の子を呼び捨てにするような距離感のおかしい奴なのだが、最初にさっつんを呼び捨てにした時、
「それはちょっとおかしいんじゃないかな? 私たちは初対面なんだから、いきなり呼び捨てにするのはヘンだと思うよ? もうちょっと距離感ってのを大事にした方がいいんじゃないかな?」
と、軽くキレられた。神楽野は誰かにキレられると山びこも真っ青な速度でキレ返す沸点の低い男なのだが、その時はやけに大人しく「はい」と言い、それ以降、さっつんのことは「沙月さん」と呼ぶようになった。
不思議に思った私が、何でアンタそんなにさっつんに対して素直なの?と訊ねてみたところ、神楽野は「いや・・」と、珍しく何かを言い淀むように首を捻り、
「まだ俺が小学校に通ってた頃の話なんだけど、その時の音楽の教師がちょっとアレな奴でな。授業中に突然何の脈絡もなく『ああああああ!!』ってキレ始めて、そのまんま教室飛び出して帰って来ないってのがしょっちゅうあったんだ。沙月さんって、何かあの女教師に空気感が似てて怖いんだよ・・」
と、遠回しにディスった。
かなり酷いことを言っているが、私は正直、それを聞いて「あー・・」と納得してしまった。
神楽野が言わんとしていることは分からんでもない。さっつんは真面目で良い子だ。それは間違いない。間違いないのだが━━
なんか、地雷臭のする女の子だった。
誤解しないで欲しいのだが、私は決して、さっつんのことを腹黒であるとか、善人のフリをしている悪党だと告発しているわけではない。何度でも言うが、さっつんは善人の極みみたいな女で「こんな性格の良い子は他にいないよ!」と、自信を持って他に紹介出来る超優良物件だ。そう思っているのは私だけではない。『班』のみんなも、ディスっていた神楽野も、『先生』も、それはみんなが認めるところである。
だが、それでもやっぱり、なんかメンヘラ臭かった。
理由は色々ある。
さっつんは、いつも顔の隠れた真っ白い黒子衣装のようなへんな服を着ている。それ自体は、『鬼座頭』のユニフォームみたいなモノだから別に良いのだけれど、さっつんは何故か、頭巾の前面に『世界が平和でありますように』『人類皆兄弟』『二酸化炭素削減』といった、生き辛そうな中学生のプロフみたいな言葉を日替わりで書いていた。それもまぁ、「さっつんもそういうお年頃だから」で我慢出来るのだけれど、どうしても我慢出来ないというか「えぇ・・」ってなることが一つあった。それは━━
さっつんの髪色が、正気を失っているとしか思えないギンギンのピンク色をしていることだった。
髪がピンク色の人間にまともな奴などいるわけがない(個人の感想です)。そういうところが、「この人、ちょっと・・」と、さっつんの人間査定をマイナス評価にする原因になっていた。外見で損をしているという言葉が、これほどピタリと当てはまる人間も他にいないだろう。
しかし、外見以外にも、さっつんにはちょいちょい「あれ?」と思うところがあった。
さっつんは『鬼座頭』にしては珍しい読書家で、ブックオンで買った百円のシールが貼られている酔っ払いの戯言集みたいな自己啓発本や、人生を豊かにする云々と書かれたそんなもん書いてる時点で作者のお前の人生が豊かじゃねぇだろうがよとツッコミたくなるような本をよく読んでいた。あと、他意はないのだが、右寄りの作家の小説をよく読んでいた。本当に、他意はないのだが。
その他にも、『班』の共有備品であるパソコンの前に長時間座り込み、カタカタカタカタと蟻の群れみたいな長文をどこかのブログに書いたりしていた。チラリと見えたバナーは、右翼団体の街宣車に貼られている横断幕みたいなデザインをしていた。怖すぎて誰も何も聞けなかった。一度、怖いもの知らずというか、頭がなばなの里になっているリンちゃんが、パソコンの前に三時間座ってるさっつんに、「沙月ちゃん、沙月ちゃんはいつもパソコンの前に座ってるけど、何をしているの?」と、訊ねたことがあるのだが、その瞬間、どこかから猛ダッシュで走ってきた薫がリンちゃんの口を塞いで抱え上げ、「な、なんでもないんだ! 邪魔をして悪かったね、沙月!」と言って、そのまま誘拐犯のようにリンちゃんを抱えて何処かへ走り去ってしまったことがある。いつも中世の貴族令嬢のように優雅に振る舞っている薫が、汗ダラダラで引き攣った笑みを浮かべているのを、私はこの時初めて見た。さっつんは画面から一切顔を逸らさずに手を止めていたが、しばらくして、またカタカタカタカタとやり始めた。くそ怖いなと思った。それはともかく。
さっつんは、私の『班』の中では唯一と言っていい潔癖症でもあった。
潔癖症と言っても言葉通りの意味ではなく、『えっちなのはいけないと思います!』の方の潔癖である。
さっつんは、『班』の子たちの下ネタが行きすぎた時や、神楽野をボコってる最中に女の子の腰がへんな動きをし始めた時に、全女のレスラーのような裏返った大声で「こらぁ!!」とストップをかける役割も担っていた。
「私たちはまだ未成年なんだから、そういうのはダメ!!」
それが、さっつんの口癖だった。さっつんの潔癖は徹底していて、テレビを見ている最中に何のことはないエロトークや濡れ場が始まった時も、「ダメです!」と言って即座にチャンネルを変えるほどだった。まるで中世の修道女のように、清廉潔白で肉欲とは無縁の存在━━
の、ように見えるが、コイツ本当にそうなのかなと思うことが、ちょいちょいあった。
ある日の休日、私は外出中にさっつんの姿を見かけた。
さっつんは見た目がアレな人なので、堂々と表通りを歩くようなことはしない。というか、出来ない。移動する時は、いつも路地裏や電柱の影に隠れるようにして、コソコソと一人ステルスアクションをしていた。そんなクスリの売人みたいにコソコソしなくても、着ている服と髪色を変えて堂々と歩けばいいんじゃんと『班』の子たちからは何度もアドバイスされたのだが、さっつんはきっぱりと首を横に振り、「それは私のポリシーに反するから」と言って断っていた。どこに何のポリシーを見出しているのかは誰も分からなかった。
そんなさっつんは、基本的に人目と通報回避のため、休日は家に引きこもってパソコンをカタカタカタカタしていることが多いのだが、その日は珍しく、人通りの多い場所に姿を見せていた。さっつんは、通りの電柱に身を隠し、何かを見ているようだった。何だろうと思い視線を追って見ると、そこには半袖半パンの小学生くらいの男の子が三人いて、仲良さげにキャッキャッ言いながら戯れていた。私は何かの間違いではないかと思い目を凝らしてみたのだが、三人組の男の子以外に目を引くようなものは何もなかった。『子どもは宝』と書かれたさっつんの頭巾が、男の子たちの動きに合わせてフラフラと揺れていた。私は色々なことを考慮し、その光景を見なかったことにした。
しかし、後日のこと。何とも形容しがたい表情をした神楽野が私の元を訊ねてきた。
「この間の『任務』での帰りのことなんだけどよぉ・・」
神楽野は私たちと同い年で、本来は免許が取れない年齢なのだが、見た目が『ギリ成人で押し通せる』ということで、偽造免許証を持たされて『班』の運転手をやらされていた。そんな神楽野が、私が参加しなかった先日のとある任務での帰り、車を運転している最中に妙なことに気付いたという。
疲れてぐーすか眠りこけているみんなの中で、ただ一人起きていたさっつんが、頻繁に何かに反応しているのだ。
何だ?と思い、ルームミラー越しに観察してみると、さっつんはランドセルを背負った男の子が通る度、顔をくいっくいっと動かして窓に顔を近づけていることに気が付いた。
最初はたまたまだと思った。
しかし、他の通行人や建造物、両手に発煙筒を持った半裸の爺さんが「スイカ頭ぁ!! いま行くぞっっ!!!」と叫びながら走っているのを見ても無反応だったので、「あ、」となった。
私は、『これはどうにかしなければいけないことだと思います』的な顔をする神楽野の肩に手を置き、無言で首を横に振った。
「いや、でも、何か起こってからでは遅いから━━」
神楽野が食い下がってきたので、私は両肩をグッグッと掴み、再度首を横に振った。
「・・・分かったよ」
神楽野は尚も何か言いたそうだったが、結局は折れてくれた。頭は回る奴なので、これを深堀したらクッッッソ面倒なことになると分かってくれたのだろう。
しかし、その後。
「おいっ! 誰だ!! 便所でこんなもん読んでた奴はよぉ!!!」
みんなが集まっている談話室に、よっさんが薄い本を片手に怒鳴り込んで来た。
その薄い本は、成人で押し切ることが無理なレベルの小さな男の子が、肥大化したETの指みたいなのを股につけた女にひどいことをされている本だった。私の『班』の女の子は、下ネタ大魔王の実績解除済みの奴らばかりだったが、流石に限度というものがある。
みんなが、そのえげつない表紙にドン引きしている中、よっさんは薄い本をパラパラとめくり、
「おめぇらは年柄年中、頭と股が梅雨前線になってる奴らだからよぉ、今更エロ本読むなとはアタシも言わねぇよ? でもよぉ、限度ってもんがあるだろうが!? なんなんだこのエロ本は!! こんな小さな子にこんなひでぇプレイする本見て便所で大人の寒風摩擦するとか、頭イカレてんだろうがよ!? 誰だ!! こんなもん読んでる変態野郎は!! 手ぇ挙げろ、ゴラァァ!!!」
当然というか、手を挙げる者は誰もいなかった。
しかし、みんなは━━神楽野と薫に手で目隠しされているリンちゃんオトちゃんチビちゃんズを除き━━チラチラと、ある一点に目を向けていた。
「・・・」
その一点は、まるで推しの熱愛報道を見た厄介系のオタクのように前屈みでプルプルと震え、「フーッ、フーッ」と、荒い息を吐いていた。どぎついピンク色のストレートヘアーが、追い詰めに追い詰められた獣のようにピンとなっていた。
最初は青筋を立てて「出てこい変態野郎!」と気炎を吐いていたよっさんだったが、みんながチラチラとフーッフーッ震えているピンク髪を見ていることに気付き、次第に声のトーンが小さくなっていった。
「・・・ま、まぁ、性癖は人それぞれだからな、うん・・」
よっさんは何かを誤魔化すようにゴニョゴニョと呟くと、薄い本をチェストの上にゆっくりと置いた。物凄く丁寧な置き方だった。
その後、何とも形容しがたい不気味な静寂が談話室を支配した。
「ねぇねぇ、いっちゃん。どうしたの? 何があったの?」
「・・・」
森の畜生みたいに身体をフラフラ揺らしながら訊ねるリンちゃんを、神楽野はそっぽを向いて無視していた。リンちゃんは不満そうな顔をして頬を膨らませていたが、みんながピンク髪とチェストの上に置かれた薄い本を交互にチラチラ見ているのに気付いたらしく、
「? あの本、なぁに? 沙月ちゃん、これ見て良━━」
途端、漫画のような焦り顔をした神楽野と薫が二人同時にリンちゃんの頭をしばき倒し、そのまま御輿のように担ぎ上げて高速で談話室から出て行った。仲良いなこいつらと思った。ピンク髪はまだフーッフーッ言っていた。
薄い本は、翌日の朝には消えていた。誰も何も言わなかった。
それからしばらく経った、ある日のこと。
談話室でボケーっと座っていた神楽野の前に、何かの封筒を持ったみーこと女子一同がズラリと並んだ。
「あ?」と、面倒くさそうに眉を上げる神楽野の鼻先に、みーこがその封筒をぐいっと突きつける。封書の送り先は神楽野になっていて、送り主の欄には『タイガーの穴』と書かれていた。神楽野は眉根を寄せ、
「何だこりゃ? 何の封筒だ?」
と言って、首を傾げた。
「・・・」
みーこはそれには答えず、無言で封筒の中に手を伸ばし、中のものを取り出した。
「・・・は?」
それを見た神楽野の目が、点になる。
それは、半袖半パンの二足歩行するケダモノが、競馬でしか見たことがない短い鞭を持った女に酷いことをされている薄い本だった。
「・・・え? これ何?」
神楽野が、素に戻ったような声で言う。みーこは冷たい眼差しと声で、
「何って、そんなの注文したアンタが一番分かってんでしょうが、このド変態野郎」
と、言った。その手のお店なら「ありがとうございます」と言って土下座しなければいけない冷たさだった。
「前々からおかしいと思ってたのよね。アンタ、毎日あれだけ『班』の女の子からラッキースケベをゲッツしてるくせに、勃つどころか鼻息すら荒くならないんだものね? まさか、こういう業の深い性癖の持ち主だとは思わなかったわ」
「いやいやいやいやいやいや!!」
神楽野は、ヘッドを魔改造した扇風機のように激しく首を横に振った。いつもの斜に構えた感じが完全にどっかに飛んでいた。
「そんなわけねぇだろうが!! 俺、こんなもん注文してねぇぞ!!」
「思春期の男って、親にこの手のやつがバレた時、みんな同じ言い訳するのよね〜」
「ね〜」
と言って、まーちんとたすきがお互い顔を見合わせる。神楽野はざけんなと叫んで立ち上がり、
「これは冤罪だっ!! つーか、お前ら、冷静になってよく考えてみろや!? 俺らの中で、こんなもん通販で買うような頭のおかしい奴なんて一人しかいな━━ヴォェッ!!」
その瞬間、みーこの綺麗なボディブロウが神楽野の鳩尾に決まった。みーこは身をくの字に折る神楽野の襟を引っ掴み、そのまま引き寄せるようにして耳元に顔を近づけると、
「・・・アンタが犯人じゃないってのは、みんな分かってんのよ。でも、アンタが泥を被ってくれないと、大変なことになるから・・」
と、小声で囁いた。そして、汗ダラダラの怯えた表情をして、チラチラと『それ』に目を向ける。
「・・・」
談話室の入り口から、ピンクの髪をした白装束がJホラーのバケモノみたいな佇まいで半身を覗かせていた。夜道で出会ったら泣くレベルの迫力だった。
神楽野の顔から、血の気がサーっと引いていく。
しばらく、全員が黙り込んでいた。
「・・・よし、分かった」
やがて、神楽野が何かを決意したような眼差しで、軽く頷いた。
「俺も男だ。ここは一つ、泥を被ってやる。『班』のみんなが、夜な夜な一人づつ消えていく展開は嫌だからな」
「・・・ごめんね。アンタにごめんって言うの生理的にキツいんだけど、今日だけはごめんって言っとくわ」
みーこは何かを祈るように目を瞑った後、ゆっくりと拳を振り上げた。
ゴッスゴッスという町工場みたいな音が響き渡る中、ぽんずは「南無三」と呟いて、薄い本の入った封筒を神事のように恭しくチェストの上に奉納した。
薄い本はその日の夜には消えていた。誰も何も言わなかった。




