幕間①
帝場の敷地内に、オクラホマミキサーの緩い音楽が流れている。
みかん畑三郎と月島のの子は、曲に合わせて一礼する、手を繋ぐ、踊る、そしてまた一礼する━━を繰り返している。
楽しそうでもなければ嫌そうでもない。両者ともに、その顔には「思ってたんと違う」と、書かれていた。
二人はちらちらと、周囲に目を向ける。
今この場で、律儀にオクラホマミキサーを踊っているのは、みかん畑三郎と月島のの子の二人のみである。
男子生徒たちは、先ほどの醜態が恥ずかしいのか、気まずそうな顔をしておどおどと女子生徒たちに手を差し出す。
女子生徒たちは、そんな男子たちを仁王立ちして睨みつけ、腕を組んだまま嫌悪もあらわにガン無視する。
踊るどころか手さえ繋いでもらえないまま、曲がひと段落つくと、男子たちはすごすごと背を丸めて、次のパートナーの元へ歩いていく。そして、そこでもまたガン無視される━━その繰り返しだった。
「・・・」「・・・」
そんな、気まずい空気が蔓延する中、みかん畑三郎と月島のの子は、お互いの顔を困った風に見つめ合う。
ふいに、みかん畑三郎が肩をすくめて笑った。
「・・・何やってるんだろうね、僕ら」
それがきっかけになったのか、月島のの子は「ぷっ」と吹き出すと、お腹を抱えて笑い始めた。
それに釣られるように、みかん畑三郎もお腹を抱えて笑い始める。
チカチカと安っぽい照明が瞬く特別ステージ上で、眉目秀麗な二人の男女は、心底おかしくてたまらないといった風に、いつまでも笑い続けた━━
※※※※
その光景を、安西春香奈は寂しそうな表情で見つめている。
オクラホマミキサーの輪の中で、彼女は手を差し伸べてくる男子たちには一瞥もくれず、ただただ二人を━━否、みかん畑三郎だけを見つめている。
━━━自分に参加権が無いのは最初から分かっていた。
分かっていたけれど、頭の中で考えるのと、こうして現実を直視するのとではまるで違う。
散々覚悟していたはずなのに、いざその光景を目の当たりにすると、二人を祝福するどころか、嫉妬のような感情が芽生えてしまっている。
安西春香奈は、そんな自分のことをひどく醜いと感じる。
━━━私には、そんな資格すらないのに。
初めて会った時から、ずっとあの人のことが好きだった。あの人が、芸能人として有名になる、ずっとずっと前から。
けれど、今と同じく想いを伝える方法を知らない私は、あの人に散々へんなことや酷いことをした。自分でもいけないと分かっているのに、止めることが出来なかった。それが心苦しいのと同時に、楽しくもあったからだ。我ながらどうしようもないと思う。私は、例えどのような形であれ、あの人の目に自分だけが映っている瞬間に、快楽のようなものを感じていたのだ。
報いを受けるべき行い。
しかし、覚悟していた報いは、私が想像もしていなかった形でやってきた。その時に━━
かつて『平田春香』という名前だった少女は、死んだのだ。
いつの間にか、頰を一筋、涙が伝っていた。
安西春香奈はそれを慌てて拭うと、オクラホマミキサーのパートナーになった男子に向けて、誤魔化すような笑みを浮かべる。
「目にゴミが入っちゃった。あはは」
男子生徒は、何とも言えない表情で頷く。
余談も余談であるが、彼は安西春香奈に密かに想いを寄せていた。
男子生徒は渾身の勇気を振り絞り、「よ、よかったら、どうぞ・・」と言って、ハンカチを差し出した。安西春香奈はキョトンとした表情でそれを見た後、大変申し訳なさそうな顔をして、
「さっきまで勃起してた人のポケットに入ってたハンカチは、ちょっと・・」
と言って、目を逸らした。
それからパートナーが交代するまで、安西春香奈がその男子生徒に目を向けることは無かった。
その後、恋心と脳と性癖を三点同時爆破されたその男子生徒は、オカズ探しに大変苦労する羽目になるのだが━━それは、この物語とは一切関係ないので割愛する。
※※※※
「・・・」
その安西春香奈を、小清水九重は心配そうな表情で見つめている。
彼女の足元には土下座する男子がおり、小清水九重はその頭に足を置いてぐりぐりしていた。
曲がひと段落ついた。
小清水九重は、土下座していた男子を蹴り飛ばして横へやると、次にやってきた男子の股間を無言で蹴り上げた。
そうして、土下座する格好になった男子の頭を足下にすると、小清水九重は再び安西春香奈の方へ目を向ける。
「・・・春姉」
彼女は小さな声で呟くと、どうしたものかと深いため息を吐いた━━
一方、小清水九重とのオクラホマミキサーを控える男子たちは、死を目前に迎えたマーモットのようにガタガタと震え、早く曲が終わりますようにと神に祈っていた。
※※※※
観覧席から少し離れた場所で、桜川猫猫猫猫は踊る二人を見つめている。
みかん畑三郎は彼女が帰ったものと思っていたが、単に場所を変えただけだった。
もっとも、隠れるようにして場所を変えたのは、訊いてはならないことを訊いてしまったことに対する罪悪感故なのだが。
━━━くすくすくす・・
━━━くすくすくす・・
━━━くすくすくす・・
桜川猫猫猫猫の周囲から、何人もの幼い子どもの忍び笑いが聞こえている。
彼女が立っているのは校庭から遠く離れた木の下で、その周辺には誰の姿もない。
「・・・」
桜川猫猫猫猫は子どもの笑い声をまるで意に介さず、少しだけ寂しそうな顔をして、みかん畑三郎のことを見つめている━━
ぴろりん、と彼女のスマホが鳴った。
開くと、姉からのリャインが来ていた。様子を訊ねる姉からのメッセージに、桜川猫猫猫猫はスタンプで適当な返信をすると、はぁとため息を吐いた。そして、
「・・・お姉ちゃんは、来なくて正解だったよ」
と、呟くと、荷物を背負って帝場中学を後にしようとする。しかし、
「うげっ」
その重量に、思わず呻いてしまう。
お弁当を食べた分、来た時よりかは幾分マシであるが、それでも小柄な彼女にとっては結構な負担だった。
「重いなぁ・・」
桜川猫猫猫猫がそう呟いた途端、彼女のアホ毛が、打ち上げられた魚のようにびくびくと痙攣し始めた。そして、
『手伝おっか? 手伝ってあげよっか? ねぇねぇねえ? ねぇってば!!!』
どこからか、桜川猫猫猫猫によく似た声がした。
桜川猫猫猫猫は面倒臭そうに顔を歪めると、
「うっさい」
と言って、自分のアホ毛をひっ叩いた。すると、
『んひひひひひひひひひひひひっ!!!』
楽しくてたまらないと言わんばかりの、彼女に似た誰かの哄笑が辺り一面に響き渡った。
「・・・」
その声を無視し、桜川猫猫猫猫はクーラーボックスを引きずるようにして歩いて行く━━━
━━━くすくすくす・・
子どもたちの忍び笑いは、未だ消えない。
※※※※
桜川子犬は、そんな妹の姿を隠れるようにして見つめている。
小学校低学年にしか見えない小柄な妹の背中が、今日は更に小さくなったように見えた。
その後ろ姿を見つめながら、桜川子犬は小さなため息を吐く。恐らく妹も、自分と同じ心の痛みを覚えているのだろう。
ずっと好きだった幼馴染の心が決まってしまったわけでは、恐らくない。
けれど、自分も妹も、彼からあんな笑顔を引き出すことは終ぞ出来なかった。月島のの子の、何倍も何十倍もの時間を一緒に過ごしてきたにも関わらず━━
その敗北感が、重石のように心にのしかかる。
桜川子犬は目を伏せる。瞼の裏に、笑顔を浮かべるみかん畑三郎と、背中を丸めるようにして歩いて行く妹の姿が交互に映る。
きっと、いま自分がやるべきことは、妹を追いかけて一緒に荷物を持ってやることなのだろう。そうしてやりたい。そうしてやりたいのだが━━
それをさせてはくれないものが、彼女の目の前にある。
「んみゅううううううううううう!!!」
桜川子犬の足元にある金属製の四角い箱の中から、明らかに正気ではない若い女の奇声が聞こえてくる。
おそらくはジェラルミン製であろうその銀色の箱には、鍵のついた鎖がいくつもぐるぐる巻きにされており、側面には『特級呪物』と書かれた大きな赤い札が貼り付けられていた。
象が踏んでも壊れなさそうなその箱は、しかし、中で激しく暴れ回っている『何か』のせいで、今にも決壊してしまいそうである。
「・・・ちっ」
桜川子犬は不愉快そうに舌打ちすると、手に持ったマジックハンドのような形状のスタンロッドを空気穴に差し込み、スイッチを『強』で押した。
「あんぎゃあああああああああ!!!」
箱の中から、若い女性が絶対に出してはいけない悲鳴が聞こえる。
「お、お姉様、やめてくださいなのですっ!! 『強』はやめてくださいなのです!! それ、猛獣の調教用ですから、ホントに昇天しちゃうのです!!!」
「むしろ昇天しろ、このクソたわけが。あと、お姉様と呼ぶな。私は貴様の姉になどなった憶えはない」
「またまたぁ、照れちゃって〜。ホントは久喜原のことが大好きなくせにぃ。久喜原は分かってるんですからね、お・ね・え・さ・まぁあああああああ!!!」
桜川子犬はスタンロッドをぐりぐりしながら、『強』より上のやつはないものかと手探りする。しかし、残念ながら『強』より上は無かったようで、桜川子犬は腹いせまぎれにスタンロッドをボタンを連打すれば出せる必殺技のように何度も何度も箱の中へ出し入れした。
「・・・」
箱が静かになると、桜川子犬はゆっくりとスタンロッドを引き抜いた。隙間から、微かに人肉の焼ける匂いがする。
その、色々な意味で不快な匂いを手で払いつつ、自分はいったい何をしているのだろうと、桜川子犬は頭を抱えた。
━━━何故、こんなことになってしまったのだろうか?
悪い偶然が悪い方向にいくつも重なった、としか言いようがなかった。
引き返せるポイントはあったのに、何だかんだで面倒を見続けてしまった結果が、このザマである。気付いた時には、この変態女との間に切っても切れないしがらみが出来てしまっていた。
桜川子犬は、「はぁぁぁ」と深いため息を吐く。
今日は、妹と一緒に体育祭を楽しく見物するはずだったのに・・。
それなのに、自分は今、一日中追いかけ回してようやく捕まえたこの頭のおかしい変態女にスタンロッドをぶち当てて憂さを晴らしている━━字面にすると、死にたくなるくらい虚無に満ち溢れた一日だった。
「あっ!! 目が合った、目が合っちゃったのです!! 愛媛野くんと、目が合っちゃったのですよぉ!! らめぇ!! 妊娠するです!! 久喜原、妊娠しちゃうのです!!! もう我慢出来ないのです!! 二号でも三号でも百号でもいいですから、久喜原を愛媛野くんのお妾さんにして欲しいのです!!! はらりらはらりらはらませてくださいなのですぅぅぅぅぅ!!!!」
意味不明な狂った声と共に、箱を囲う鎖が弾けていく。いかなる力によるものなのか、溶接された金属製の箱の天板が熱した餅のようにぐにゃりと膨らみ、空いた隙間から中にいる『何か』が這い出そうとしてくる。側面に貼られた『特級呪物』と書かれた赤いお札が剥がれ落ちそうになった、その時━━
「━━━久喜原」
桜川子犬は、箱の天板を殴りつけるように無理矢理閉じると、常日頃とはまったく違う低い声で、中にいる『何か』に話しかけた。
「その箱の中から一歩でも外に出てみろ。絶対に許さんからな? ・・・いいか? もう一度言うぞ? ぜっ・た・い・に、許さんからな?」
それは、桜川子犬が毎日のように雷を落としていた妹にさえ、ただの一度も見せたことのない表情だった。
正真正銘、リアルガチの本気怒り(マジギレ)。
何をやっても大体のことは笑って許してくれる懐の深い人が、本気の本気でキレた時ほど恐ろしいものはない。
バカとヤンキーしかいないと言われる土井山ニ中の頂点に君臨する大狂犬━━風間菜々子が唯一頭が上がらなかった女帝・桜川子犬。『黒桜陛下』の異名は、伊達ではないのである。
中にいる『何か』━━久喜原びすけっとは、彼女の迫力に完全に縮こまってしまい、「ひゃ、ひゃい・・」と情けない声を漏らした。・・・下も、ちょっとだけ漏らしてしまったのは内緒である。
久喜原びすけっとが完全に沈黙したのを確認すると、桜川子犬は小さくため息を吐き、殺気をおさめた。
そうして、思い出したようにみかん畑三郎と月島のの子へ目を向ける。
曲が終盤に近づき、二人は再び手を取り合って踊り始めていた。
その様子を、桜川子犬は穏やかな表情で見つめている。
(邪魔はするまい。・・・あらゆる意味でな)
桜川子犬は箱の上に腰を下ろすと、一人笑みを浮かべた。
彼女にとって、みかん畑三郎は幼馴染であり、想い人であり━━そして、弟のようなものなのである。




