第二十六話 『月島さんとごへいもちん㉔』
クーラーボックスの中に入っていたお弁当は、家族三人で食べる量としては些か多過ぎた。たぶん、今年もニャンちゃんは妹に引っ張られていくのだろうなと予想した母さんが、多めに作ってくれたに違いない。
月島さんの料理のおかげで大分マシになったとはいえ、依然としてニャンちゃんの食欲は一人相撲部屋状態であった。
そんなニャンちゃんを、わずか土鍋一つでお腹いっぱいにするという歴史的快挙を成し遂げた『二十七番』は、月島さん曰く、
「アレは単発で12回連続でガチャのSSRを引くのと同じくらいの確率でしか出ない」
とのことだった。僕が、「それってもうゼロってことなんじゃないですかね?」と訊ねると、月島さんは例によって小首を傾げ、
「滅多にないことだけど、あるにはあるでしょ?」
と、答えた。僕は、もう突っ込む気力すら失せて、「そうだね」と投げやりに答えた。
ちなみにあれ以来、月島さんは毎日スーパーの卵を使ってガチャを行っているが、『二十七番』がドロップすることは無かった。
そのせいなのかどうかは定かではないが、ニャンちゃんの食欲は『のの子クッキング同好会』に通い始める前の状態に戻りつつあった。僕の見立てでは、全盛期の六割といったところだろうか? 土居山の平和と桜川家のエンゲル係数のためにも、月島さんには一刻も早く『二十七番』を再度引き当てていただきたいものである。
「ふぅ・・」
ニャンちゃんがお腹をさすりながら、満足げな声を出す。僕が小皿二つ分のごはんを食べる間に、ニャンちゃんは四つの重箱を空にしていた。ニャンちゃんは食べる量もすごいが、スピードもすごい。
「どう? 満足した?」
僕がそう訊くと、ニャンちゃんは宙を眺めながら「うーん・・」と唸った後、
「まあまあ」
と、答えた。人の家のご飯を大量消費しておきながら、このしれっとした態度である。ニャンちゃんは本当に、こういうところがある。
僕がやれやれと頭を振る横で、ニャンちゃんは肩にかけた小さなバッグからシップロックを取り出すと、中に入っている謎の青い物体を頬張り始めた。シップロックにはマジックで『七十三番』と書かれていた。
「何それ? 月島さんが作ったやつ?」
僕が訊くと、ニャンちゃんは口をもぐもぐさせながら「そうひゃお」と答えた。
「のの子ちゃんが作ってくれたの。クッキーの王様みたいな味で超美味しいよ」
どんな味やねんと思ったが、ニャンちゃんの表情を見る限り、とても美味しいのは間違いなさそうである。一個頂戴と言いかけたが、これは月島さんがニャンちゃんの空腹を解消するために作った料理であることを思い出し、自粛した。
「そういえば、さっきのの子ちゃんがニューネッシーみたいにクレーン車で運ばれてたけど、何かあったの?」
「ちょっとしたトラブル。たぶんすぐに戻ってくるよ」
「どう見てもちょっとしたトラブルには見えなかったけどなぁ・・」
「月島さんのことは深く考えても仕方ないよ。月島さんなんだから」
僕がそう言うと、ニャンちゃんはそれもそうだねと言って、再び青い物体を頬張り始めた。短い付き合いだが、どうやらニャンちゃんにも、月島さんとの付き合い方が分かってきたようである。
ポリポリと青い物体を噛み砕くニャンちゃんの顔を何の気なしに眺めつつ、やっぱりニューネッシーは捨てるには惜しかったよなと思っていると、側にあったスマホがプルプルと振動した。
「あ、お姉ちゃんからだ」
キャン姉ちゃんからのリャインらしい。スマホを開いたニャンちゃんは、しばらく画面をポチポチした後、少しだけ口を窄めて、
「お姉ちゃん、やっぱり来られないってさ。行けたら行くって言ってたんだけどね」
と、言った。
「行けたら行くは『行かない』ってことが、また一つ証明されたね」
僕は小皿を片付けながらそう答える。その横で、ニャンちゃんは腕を組んで「うーん・・」と唸っていた。
「どうしたの?」
「最近、お姉ちゃんなーんか怪しいんだよね」
怪しいのは元からだろというツッコミを飲み込み、僕は「何が?」と訊ねた。
「ちょいちょい用事をドタキャンするの。この間も、家族で買い物に行く予定があったんだけど、直前で『急用が出来た』って言って、どっか行っちゃっんだよね。あれ何なんだろう? 男でも出来たのかな?」
「・・・」
見た目が小学生にしか見えないニャンちゃんから、男がどうのこうのという言葉が出てくると、何だかとても変な気持ちになる。
ニャンちゃんは大暴れしていた頃と外見は大して変わっていないが、鼻ちょうちんを垂らしてボーっとすることはなくなったし、口癖だった「んあー」も言わなくなった。お巡りさんのお世話になることもあんまり無くなった。これが成長というものであり、喜ぶべきことなのだろうが、僕としてはどうしても寂しいという気持ちが拭えなかった。子どもの頃は、「コイツもう本当に勘弁してくれ」と毎日のように思っていたのに。人間の心とは、本当に複雑怪奇である。
「はぁ・・」
僕が、娘の成長に複雑な思いを抱く父親のような気持ちでため息を吐くと、ニャンちゃんは急にアホ毛をピンっと伸ばしてきた。そして、口に手を当てて「あれあれあれ?」と、メスガキのような表情で近づいて来る。
「あれあれ? もしかしてしゃぶちゃん、脳が破壊されちゃった? BSS? BSSなの?」
「何、BSSって? (B)バカでどうしようもない食い物のことしか頭になかった幼馴染が(S)思春期迎えて男女の話をし始めたのが(S)少し寂しい、の略?」
そう言うと、ニャンちゃんは「きーっ」と奇声を上げながら、ぐるぐるパンチをしてきた。
「はいはい」
僕はそれを適当にあしらいつつ、水筒からお茶を一杯注いだ。
「それにしても、ついにキャン姉ちゃんに彼氏が出来たか・・。これを機に落ち着いてくれればいいんだけどね」
お茶をすすりながら、僕はしみじみと呟いた。
キャン姉ちゃんは性格に多大な難があるし、『妹がニャンちゃん』という、『親戚にヤクザがいる』のとほぼ同等なマイナスを抱えている女の子だが、基本的には美人で気立の良い超優良事故物件である。お相手の男性が誰なのかは知らないが、その人には是非ともゴールインを目指して頑張ってもらいたいものだ。
そんなようなことを考えていると、ニャンちゃんがジトーっとした目で僕を見ていることに気が付いた。
僕が「何?」と訊くと、ニャンちゃんは更にジトーっを深め、
「・・・ボクが変なこと言ったのが悪いんだけどさ、今の話は絶対にお姉ちゃんの前でしないでね? たぶん泣いちゃうから」
と、言った。
それを受けて、僕は「はて?」と首を傾げる。
「そんなことでキャン姉ちゃんが泣くわけないだろ」
「泣くよ。お姉ちゃん、あれで結構繊細なんだから。ほら、前だって・・」
前、と言われて、僕は「ああ、あのことか」と思い出す。
※※※
※※
※
あれは小学校2年生の頃だったか。ある日、桜川家が海釣りツアーに出かけたところ、ツアー参加者のほぼ全員がアニサキスにやられて病院送りになるという事件が発生した。
しかし、誰よりもお刺身とお刺身にする前の魚と魚の餌を食べていたニャンちゃんだけは、何故か何事も無かったかのようにピンピンしていた。
ウチで一時的に預かることになったニャンちゃんは、夕飯の席で、桜川家から持ってきた自前の炊飯器で炊いた米をガツガツ食べながら、
「あのアニサキスってやつ、超うまかった!!」
と言って、不良品のおもちゃのように身体を揺らしながら「うえへへへへっ!!」と大声で笑った。僕と両親は「よかったねー」と言って、そっと目を逸らした。
翌日。
僕はニャンちゃんを連れて、病院へお見舞いに出かけた。
途中、食べ物の気配がする度に側を離れようとするニャンちゃんの腕を必死に引っ張りながら歩いていると、
「あれ? 三郎くんとニャンちゃんじゃない?」
女の人に声をかけられた。制服を着ていなかったので一瞬誰だか分からなかったが、すぐに顔見知りの婦警さん━━宮本さんであることに気付く。
「あ、婦警さん。こんにちは」
「こおおおおおおおおおんにぃちわああああああああああああっっ!!!」
ぺこりと頭を下げる僕の横で、ニャンちゃんは昭和脳の事務所に所属する子役みたいな大声で挨拶する。宮本さんは軽く耳を押さえながら、「元気がいいねー」と苦笑した。
「今日は二人してどうしたの? おつかい?」
「うんっ!!」
「いや、違うから。ニャンちゃん、何でもかんでもとりあえず『うんっ!!』って言うのやめろってみんなから言われてるでしょ? ・・・そうではなくてですね、実は━━」
僕は、宮本さんに事情を説明する。
「えーっ、そうなんだ。大変だったね、ニャンちゃん」
「うんっ!!」
気の毒そうな顔をする宮本さんとは対象的に、ニャンちゃんはとびきりの笑顔で頷いた。宮本さんは「コイツは何にも考えずに脊髄反射で頷いているだけだな」と察したらしく、それ以上は何も言わなかった。ただ、優しい笑みを浮かべるだけである。『たまちゃん殺害未遂事件』で初めて会った時から思っていたが、この人は本当に人間が出来ているのだなと思った。
宮本さんは、ニャンちゃんの頭を野良猫のように撫で撫でしながら、僕の方に目を向ける。
「じゃあ、これから二人で病院へお見舞いに行くところなんだね? 入院しているのは市立病院?」
「はい、そうです」
宮本さんは「そっかー」と言って、しばらく何かを考える仕草を見せた。そして、
「じゃあさ、もしお邪魔じゃなければ、お姉さんも一緒にお見舞いに行ってもいいかな?」
と、訊いてきた。
「え、それは構いませんけど・・。いいんですか? せっかくの非番なのに」
僕がそう言うと、宮本さんはカラッとした表情で笑い、
「三郎くん、ちっちゃいのに非番なんて言葉よく知ってるねー? 偉いぞー」
と言って、僕の頭をくしゃくしゃと撫でてきた。
僕は、その手をやんわり払い、
「・・・別に褒められるようなことじゃありませんよ。そんなの誰だって知ってますって」
と言って、そっぽを向いた。
宮本さんは「照れるな照れるな」と言ってカラカラと笑い、ニャンちゃんは「ひばんってなにー? おいしいのー?」と、涎を垂らしていた。
「非番は食べ物じゃないわよ、ニャンちゃん。お休みのことだからね?」
「おやすみってなにー? おいしいのー?」
これには流石の宮本さんも「んー」と生温かい笑みを浮かべざるを得なかった。
宮本さんはニャンちゃんの頭を優しくポンポン叩いてお茶を濁すと、再び僕に目を向けた。
「非番とかは本当に気にしなくていいからね? 私が、キャンちゃんのお見舞いに行きたいだけなんだから」
そこまで言われたら、僕としては「分かりました」と頷くより他なかった。元より断るような話でもなかったが。
「ふけーさんもいっしょにくるのぉ!? やったぁー!!」
何がやったぁーなのかさっぱり分からないが、ニャンちゃんは大はしゃぎである。僕は「はぁ・・」とため息を吐いた。
宮本さんは、そんな僕らを少しだけ意地の悪い笑みを浮かべながら見つめると、
「それに、君たち二人だけじゃ心配だからね。主に、トラブルが起きるんじゃないか的な意味で」
と言って、ウィンクしてきた。
「・・・」
そんなことありませんよ大丈夫ですよと断言出来ない理由が、僕の横で「んあー」と口を開けていた。
市立病院に辿り着くと、僕らはまずキャン姉ちゃんの病室を訪れた。
キャン姉ちゃんが入院していたのは四人用の相部屋で、それぞれのベッドがクリーム色のカーテンで仕切られていた。
「キャンちゃーん、入るわよー」
宮本さんは一声かけて、ゆっくりとカーテンを開ける。
「・・・あれ? 宮本さん?」
ベッドの上で点滴に繋がれたキャン姉ちゃんが、弱々しい声で呟く。顔面が蒼白で、頬がげっそりこけていた。思ったよりも重症らしいことが分かり、僕は思わず息を呑んでしまう。
「・・・うー」
隣にいたニャンちゃんが、ぐっと僕の服を掴んできた。表情は不安げで、今にも泣き出してしまいそうだった。僕はそんなニャンちゃんの頭を軽く撫でて、「大丈夫だよ」と声をかけた。
「思ってたより具合悪そうだね・・。大丈夫なの?」
宮本さんに訊ねられると、キャン姉ちゃんはベッドの上でゆっくりと頭を動かした。
「はい・・。昨日は辛かったけど、今日はだいぶマシに━━」
と、そこまで言いかけて、僕とばったり目が合う。キャン姉ちゃんの目が大きく見開かれた。僕は挨拶のつもりで片手を上げたのだが━━
「ひゃあああああああっ!! さ、三郎!! な、ななな、何でいるの!!!」
キャン姉ちゃんは大声で悲鳴を上げて、布団を頭からかぶってしまった。
「え・・いや、何でって、言われても・・」
その謎なリアクションに、僕は思わず狼狽してしまう。僕はただ、お宅から預かっている動物━━もとい、妹を連れて来ただけなんだけど・・。
僕が内心で首を捻っていると、宮本さんは「あー」と頰をかき、
「これは失敗しちゃったなぁ。私が気を遣ってあげなきゃいけない場面だったわ」
と言って、僕に手を合わせてきた。
「三郎くん。キャンちゃんは、何ていうか、ちょっとばかり恥ずかしいみたいだから、ごめんだけど、席を外してくれるかな?」
「はぁ・・」
何だかよく分からなかったが、何となく宮本さんの言うことに従っておいた方がいい気がした僕は、素直に病室を出て行こうとする。しかし━━
「あーっ!! お姉ちゃんがリアリアゴールド隠してるーっ!!!」
いつの間にか病室のベッドの下に潜り込んでいたニャンちゃんが、『何か』を高らかに持ち上げながら大声を出した。
僕と宮本さんは、ニャンちゃんが手に持っている『モノ』の正体に気付き、ゾッとする。リアリアゴールドっぽい黄色い液体が入ったおかしな形のガラス製の容器。それは━━
「うわああああああああああああっ!!!」
僕と宮本さんとほぼ同時に『それ』の正体に気付いたキャン姉ちゃんが、顔を真っ赤にしてベッドから飛び出そうとする。
「キャンちゃん、ダメっ!! 危ないから!!」
宮本さんが大慌てでキャン姉ちゃんを制する。危うく点滴台が倒れる所だったが、間一髪でそれを防いだ。
「ニャンっ!!! お前はっ!!! お前はぁぁぁぁ!!!」
先程までの衰弱っぷりが嘘のように、キャン姉ちゃんは般若のような表情でニャンちゃんに飛びかかろうとする。宮本さんはそれを押さえながら、
「三郎くん!! ニャンちゃんどうにかして!!」
と、切迫した声を出す。ニャンちゃんの方を見やると、何とこのバカは中の液体を飲もうとしていた。僕は大慌てでそれを取り上げようとしたのだが、
「あーっ、しゃぶちゃん酷い!! それボクのだよ!!!」
ニャンちゃんからの激しい抵抗にあってしまった。コイツは食い物が絡むとやたらと力が強くなる。僕は「このクソバカが」という罵声を飲み込み、何とか引き剥がそうとしたのだが、
ふいに両者の手が滑り、中のリアリアゴールド()が、全部床にぶち撒けられてしまった。
僕は咄嗟に飛び退き、思わず、
「うわっ!! 汚ねえ!!」
と、叫んでしまった。
その瞬間、しん、と世界が静まり返った。
「え?」と思い、顔を上げると、呆然とした表情のキャン姉ちゃんと目が合った。
ポカンと口を開けたキャン姉ちゃんは、しばらく虚な目で僕のことを見ていたが、やがて、その目がどんどん潤んでき━━
「うわああああああああああああん!!!」
と、大声を上げて泣き始めた。
「・・・」
僕は何も言うことが出来ず、ただ黙って俯くことしか出来なかった。
そんな僕を、宮本さんは何とも形容しがたい表情で見つめている。そして、ポンっと肩を叩くと、
「・・・三郎くん。ニャンちゃんが一番悪いことは分かってるけど、とりあえずキャンちゃんにごめんなさいしとこっか?」
と、言った。
僕は「はい、分かりました」と言い、ゆっくりとその場に土下座した。
横にいるニャンちゃんは「ボクのリアリアゴールドがぁ!!」と言って、ギャン泣きしていた。
※※※
※※
※
「その話じゃないっっ!!!」
僕が、通称『飲リアリアゴールド未遂事件』と呼ばれる、ニャンちゃんの黒歴史の中でも十指に入るクソムカつくエピソードを披露すると、ニャンちゃんは逆上して僕の首を絞めにかかってきた。
「いつの頃の話だと思ってんの!! いい加減、ボクの恥ずかしいエピソードをことあるごとに掘り返すのやめてよっ!! 忘れろっ!! 今すぐ忘れろっっ!!」
「忘れられるわけねぇだろうが、馬鹿野郎がよぉ!! お前が宮本さんに買ってもらった本物のリアリアゴールドを美味しそうに飲んでる横で、僕は病室の床に一時間くらい土下座してたんだぞ!! あの時の僕がどんな気持ちだったか考えてみたことがあるのかよっ!!!」
「それは大変申し訳ありませんでしたけれどもっ!! ボクが言いたかったのはそれじゃなくて!! しゃぶちゃんが、コンサートをドタキャンした時の━━」
僕は「バッカ・・!」と言って、ニャンちゃんの口を慌てて塞ぐ。辺りを見回したが、幸いこちらの会話に耳を傾けていそうな人は見当たらなかった。
「何の話かと思ったら『あの事件』のことかよ! あの話は、人前では絶対にするなって言っただろ・・っ!」
僕は少し強めの口調で、ニャンちゃんに囁きかける。
「・・・」
ニャンちゃんの目とアホ毛がしゅんとなったのを確認し、僕は口を塞いでいた手を離してやった。
「・・・ごめん。でも、ボクだって『あの時』のことを言う気は無かったんだよ? でも、しゃぶちゃんが頓珍漢なことばっかり言うから、つい・・」
「もう分かったよ。僕も悪かったから」
僕は手をひらひらと振って、はぁとため息を吐いた。
『あの事件』のことは、僕と桜川家━━とりわけキャン姉ちゃんにはタブーとなっている。
昔、キャン姉ちゃんが少しばかり大きな事件に巻き込まれたことがあって、僕の家と桜川家には、連日マスコミやマスコミ気取りのバカが大挙して押し寄せた。
キャン姉ちゃんは被害者で、取り返しのつかないことが起きる前に救助されただけなのに、何も無かったことを何も無かったことにしたくない意味不明な連中によって、連日あることないことを書き立てられていた。
当時のことを思い出し、僕は陰鬱な気分になる。あの頃、キャン姉ちゃんは家に閉じ籠り、ずっと涙を流していた━━
あの時、キャン姉ちゃんに粘着していた連中は一人も残っていないはずだけど、僕は念のため辺りを再度見回した。
マスコミや、それに類する妙な輩の姿も無い。
僕はひとまず胸を撫で下ろしたが、遠くで安西がこちらを見ていることに気が付いた。
安西は僕と目が合うと、何故かよそよそしい態度でぺこりと頭を下げると、逃げるようにどこかへ行ってしまった。
「・・・何だ、あいつ」
僕が首を捻っていると、横にいたニャンちゃんが、
「しゃぶちゃんじゃなくて、ボクに会うのが気まずいんだと思うよ」
と、言った。
「何? 喧嘩でもしたの?」
僕が訊くと、ニャンちゃんは首を横に振った。
「昨日、しゃぶちゃん同好会にいなかったから知らないんだろうけど、のの子ちゃんがお料理している時に、急にお姉ちゃんが『ああああああっ!!』って、大声で奇声を上げたんだよ。ボク、来るべき時がついに来ちゃったのかなって思いながら見てたんだけど、お姉ちゃん、怯えるのの子ちゃんを素通りして、あの人の前につかつかと歩いていったの。そして、肩をぐって掴んで━━」
━━━やっと思い出したぞ!! お前、平田だろ!!
「・・って、言ったんだよね」
ニャンちゃんの話を聞いて、僕はゆっくりと頭を張った。
「・・・アイツ、ついにバレたのか・・」
その後、「久しぶりだなぁ、平田!!」と親しげに笑うキャン姉ちゃんに、安西はよく分からないことをあたふたと並べながら、「ち、違いますっ!!」と言って、教室から飛び出して行ってしまったそうだ。
「キャン姉ちゃんは勘が鋭いからな。正直、時間の問題だと思ってた」
そのキャン姉ちゃんよりも先に安西の正体に気付いていたニャンちゃんは、何か言いたげに僕の顔をじっと見つめていた。
「何?」
「しゃぶちゃん、あの人に言ってないんでしょ? 正体に気付いてるってこと」
僕は、「ああ」と頷く。
「何で?」
「何でって言われても、安西が隠しておきたいって思ってるなら、そうさせてやろうって思っただけさ」
「・・・」
ニャンちゃんは、しばらく無言で僕の顔をじっと見つめると、「本当に?」と、問うてきた。そして━━
「あの赫い眼の女が、また来るからじゃないの?」
と、言った。
僕は何一つ答えなかった。
長い沈黙が続く。
『まもなく、昼休憩が終了となります。生徒の皆さんは━━』
僕はゆっくりと立ち上がった。無言で立ち去ろうとする僕に、ニャンちゃんが声をかけた。
「・・・何も言ってくれないんだね?」
言えるわけがなかった。
僕はニャンちゃんの方を一切見ずに、その場を後にした。




