第二十一話 『月島さんとごへいもちん⑲』
ニャンちゃんの「んあー」久しぶりに聞いた気がするな、と呑気なことを考えていた僕は、すぐにそれどころではないと思い直す。
「ちょっと何してんの、ニャンちゃん! そんな猿でも分かるようなヤバいものを食べちゃダメだって!!」
慌てて止めようとしたのだが、刻すでに遅く、僕の目の前で、ニャンちゃんは「ぶちゅり」というトラウマになりそうな音を立てながら、トカゲの頭を半分近く食いちぎってしまった。トカゲの頭の『中身』が、ボトボトと鍋の汁の中へ落ちていく。
「うぷっ・・!!」
その、モザイク必須のグロい光景を目にした安西が、逆流した排水管のような音を立てて家庭科室から飛び出して行った。しかし、無情にもトイレまでは間に合わなかったらしく、
━━━レロレロレロレロレロレロレロレロ
という、耳を塞ぎたくなるようなイヤな音が教室の外から聞こえてきた。
「うわああ、安西が吐いてる!!」「オメデタか? オメデタなんか?」「相手はみかん畑君だよね? そうなんだよね?」「あれほど避妊はちゃんとしろって言っただろ!!」「赤ちゃん産まれたらへその緒ちょうだい。飲むから」「ひっひっふー、ひっひっふー」
・・・現在進行形でとんでもない誤解が生まれようとしている。そして若干一名、怖い人がいる。
僕は安西を追いかけようかどうか迷いつつ、ニャンちゃんに視線を戻した。すると━━
「うげっ」
思わず、「気色悪っ!!」と叫びそうになってしまった。
「じゅるじゅるじゅる・・」
ニャンちゃんはトカゲの腹にかぶりつき、中のはらわたをサバンナの動物のようにすすっていたのである。
「おいちぃ・・」
腹の中の『ホース』を咥えて、恍惚とした表情を浮かべるニャンちゃんを見て、僕は心の底からこの女が隣に住んでいることに恐怖した。
そういえば、前にキャン姉ちゃんが言っていたが、昔家族で海外旅行に行った際、ニャンちゃんは地元の人間でも食べないようなグロい料理を平然と食べていたそうである。そういう気性というか食い意地なら、こんなトカゲくらい何でもないということだろうか? 僕はげんなりしてニャンちゃんから目を逸らした。
「気に入ってくれたみたいで、嬉しい」
いつの間にか月島さんが僕の側に立っていて、ニャンちゃんを見つめながら満足げにうんうんと頷いていた。
「・・・よかったね、月島さん。あと、ニャンちゃんも」
僕はもう好きなようにしてくれと思い、諦めのため息を吐いた。その時、
「おいーっす!!」
家庭科室に、一升瓶を持った酔っ払いが乱入してきた。
「おいっ、聞いたッスよ、サブちゃん!! ついに晴ちゃんを孕ませたんだってな? 中三で女を妊娠させるとかやるじゃねぇッスか、見直したッスよ!!」
酔っ払い━━緑ヶ丘先生はそう言うと、いつもより三倍増しくらい不快な声で「ウェアハハハハハハッ!!」と、笑った。
僕は、喉元まで出かかった「うるせぇよアル中」という暴言を何とか飲み込み、「そんなわけないでしょうが・・」と言って、かぶりを振った。横にいた月島さんが、「クソうぜぇ」と、同意しかないことを呟いた。
「あっ、それはそうと、お嬢。腹減ったんで、何か食べさせてくださいよ? アタシ、今日は酒とチータラしか腹に入れてねぇんで、出来れば胃に優しいやつ・・って、げぇええええええっ!!」
緑ヶ丘先生は中年のお手本のようなえづきを繰り出すと、大慌てでシンクに飛びついた。一瞬遅れて、びちゃびちゃびちゃという、えげつない音が聞こえてくる。僕と月島さんは「ちっ」と舌打ちし、緑ヶ丘先生から同時に視線を逸らした。視線の先には片頬を抑えたニャンちゃんがいて、土鍋いっぱいに広がったミックスホルモン(直訳)を美味しそうにくっちゃくっちゃしていた。色々な意味で見ていられなくなった僕は、そっと視線を床に落とした。
「お嬢っ!! てめぇ、その気色の悪いトカゲ鍋、二度と作んなっつっただろうがっ!!」
緑ヶ丘先生は口元を拭いながら、月島さんを怒鳴りつけた。月島さんは「ふんっ」と鼻を鳴らすと、そっぽを向いて、
「作るなとは言われたけど、作らないとは言ってない」
と、小賢しい小学生のようなことを言った。
「屁理屈こねんな、クソガキ!! つーか、お前よぉ、あんなもんをちっちゃい子に食わせてんじゃねぇよ? 鬼畜生かよ?」
そう言って、再度ニャンちゃんに目を向けた緑ヶ丘先生は、「うっ」と言って口元を押さえた。土鍋の中は、ミックスホルモン(直訳)が混ざり合って大変なことになっていた。流石の僕も吐きそうになったのだが、一人平然としている月島さんは、
「・・・『二十七番』くらい『冥』に深く寄ったやつじゃないと、たぶんあの子には合わない」
と、よく分からないことを言った。
「・・・あん?」
それは緑ヶ丘先生も同様だったらしく、眉根を寄せて月島さんを見やった。
月島さんは顎をくいっとやってニャンちゃんを示し、
「あの子の『道』見てみて」
と、不思議なことを言った。
「・・・」
緑ヶ丘先生は少しだけ黙った後、目をすっと細めてニャンちゃんの方を見た。数瞬の後、
「・・・なんじゃこりゃ?」
緑ヶ丘先生の顔に困惑の色が広がる。答えを求めるように月島さんを見やるが、
「何でこんな風になっているのかは私にも分からない」
と言って、首を横に振った。
「ここまで『道』がこんがらがっている上に、『冥』に深く寄っている人間は見たことがない。お前はどう?」
「・・・アタシもねぇよ。初めて見た」
緑ヶ丘先生は後頭部をかきつつ、しきりに首を捻っている。
「しっかし、妙だな・・。普通、こんだけ『道』が『冥』に寄ってんなら、もうすでに━━」
「ババア」
月島さんが、嗜めるように目を細める。それを受けて、緑ヶ丘先生はハッとしたように口をつぐんだ。
僕は、黙って二人のやりとりを見つめていた。
二人が何のことを話しているのかまるで分からなかったが、何となく、これは聞いてはいけない話のような気がした。
後ろから、カランッという、硬いものが跳ねたような音がした。
振り向くと、空になった土鍋の中で、レンゲが静かにカタカタと揺れていた。
ニャンちゃんが、『二十七番』を完食したらしい。
「・・・」
僕は眉根を寄せた。ニャンちゃんの様子が、何か変だったのだ。黙ったまま下を向き、微かに震えている。
「・・・ニャンちゃん、どうしたの?」
泣いている、と気付いた僕は、慌ててニャンちゃんの側に駆け寄った。
「・・・違うの、ボク、ボク・・」
ニャンちゃんはしきりに首を振りながら、何事かを言おうとしている。
「ボク、こんなの初めてで・・何だろう・・悲しかったり痛かったりするわけじゃないのに・・何でか、涙が止まらないの・・。それに、お腹の辺りが何だかポカポカして・・」
ニャンちゃんは涙に濡れた顔を上げ、困惑した表情を浮かべた。
「ボク、何かへんになっちゃったのかな・・」
「それは別にへんなことじゃない」
月島さんは少しだけ憐れむような顔をすると、
「お前、今までお腹がいっぱいになったことが無いんでしょう?」
と、言った。
それを聞いた瞬間、ニャンちゃんはハッとした表情で、月島さんの顔を見やった。
「これが、そう。お腹がいっぱいになるということ。だから、これは変なことでも何でもない。安心するといい」
月島さんはそう言うと、ニャンちゃんの肩に手を置いた。そして、
「お前、今までよく我慢してきたわね」
と言って、優しい笑みを浮かべた。それを見たニャンちゃんは、
「・・・う」
と、顔を歪めて、肩を振るわせ始めた。
「・・・」
月島さんは無言でニャンちゃんの身体をそっと抱きしめた。
緑ヶ丘先生を見やると、先生はひどく気の毒そうな顔をしてニャンちゃんのことを見つめていた。
何も分からない僕は、一人蚊帳の外である。・・・あるのだが、今この瞬間は、絶対に邪魔してはいけないということ、それだけは理解していた。
※
その後、ニャンちゃんは緑ヶ丘先生に付き添われて学校を後にした。
「桜川」
帰り際、月島さんがニャンちゃんを呼び止めた。
「明日もまた来なさい。『二十七番』はレアドロップだから用意出来ないかもしれないけど、それに近いものは用意しておく」
ニャンちゃんは涙で真っ赤になった目で、しばらく月島さんを見やってから、
「ありがとう。・・・のの子ちゃん」
と言って、頭を下げた。
僕と月島さんは、ニャンちゃんが緑ヶ丘先生の車に乗って帰っていくのを見送りながら、しばらく黙り込んでいた。
「あ」
ずっと何かを忘れているような気がしていたのだが、ようやく思い出した。そういえば、安西はどうなったのだろうか?
「安西は帰った。メールが来てた」
月島さんに言われてスマホを確認すると、
『ゲージを使い切ったので帰ります』
という、謎のメールが送られてきていた。何の話やねんと首を傾げる僕に、月島さんは、
「安西の言うことは八割方流していい」
と、安西のことをとてもよく理解している見解を述べた。
空を見上げると、すっかり陽が落ちかけていた。今日の分の手料理の配給は済ませているし、後は家庭科室の後片付けをして帰るだけだ。遅くならないよう、片付けに戻ろうかと僕が声をかけると、月島さんはふいに、
「『道』は『天』と『冥』に至る命の道脈。『天』は『生』に通じ、『冥』は『死』に通ずる。森羅万象に存在するものは、何者も『道』と、そして『天』と『冥』からは逃れられぬ━━」
と、独り言のように何かを呟いた。
僕は黙って月島さんの横顔を見つめている。
「桜川の『道』は『冥』に通じ過ぎていた。あれでは普通の食糧ではまともに命を繋げない。あの子はたぶん、私やお前が思っている以上にずっとずっとお腹を空かせている。・・・それこそ、地獄の餓鬼のように」
僕と月島さんの間に、とても冷たい風が吹いた。
━━━ずっとお腹を空かせている。
その言葉が、ひどく心に突き刺さった。
「・・・ニャンちゃんは、僕が知る限り、ただの一度も『お腹いっぱい』と言ったことはなかったよ」
ニャンちゃんは、どれだけ食べても「お腹が空いた」と言う。
病院で検査を受けても全く異常なし。明らかに自分の体重より多くの食糧を食べても、ニャンちゃんは「足りない」と言った。胃や腸に吸収されているはずの食べ物が、いったいどこに行ってどういう風に消化されているのか、そして何故「満足」出来ないのか? そういったことは一切不明。今まで誰も解明することが出来なかった。
「・・・僕にはよく分からないけれど、ニャンちゃんは『二十七番』のような料理でないと栄養が摂れないということなの?」
「厳密には違うけど、そういう認識でいい。あの子は口に入れた食べ物のほとんどを『冥』の先にいる『何か』に持って行かれている。それが『何』なのかは分からないけど、桜川にはソイツに持っていかれないよう、奴らが口にしない『冥』に寄った食糧を摂取させる必要がある。人間が人間を食べることを忌避するように、『冥』も『冥』を食べることを忌避するから」
「・・・」
「あの子は産まれてから今に至るまで、常人なら栄養失調を起こして死んでいるレベルの栄養しか摂取出来ていない。それでも生きていられるのは、『冥』に深く寄った『道』のせい」
「・・・」
「でも、普通はあそこまで人間が『冥』に寄ってしまったら、死んでいるか、あるいは人の形を成していないかのどちらかしかない。けれど、桜川は同い年の人間に比べて小柄なだけで、精神も崩れていない。これは、普通はありえないこと。しかも、『道』がぐちゃぐちゃになりすぎていて、『冥の六宮』のどれに属しているのかも分からない。それどころか、意味の分からないことに『道』の一部が『天の八宮』にまで伸びている・・」
月島さんはぶつぶつと、僕には理解出来ないことを呟いている。
「とにかく、あんなおかしな『道』は見たことがない。私が今まで見てきた『道』の中で、二番目にへんな『道』・・」
その時、僕は話が全く理解出来ていないにも関わらず、何故か口を挟んでしまった。
「ニャンちゃんが二番目なら、一番目は誰なの?」
「・・・」
月島さんはしばらく黙った後、すうっと目を横に向け、
「お前」
と、言った。




