第十八話 『月島さんとごへいもちん⑯』
ニャンちゃんこと桜川 猫猫猫猫は、僕の家の隣に住んでいる幼馴染である。
自分の娘に猫猫猫猫というイカレた名前をつけるような家なのだから、家庭環境はさぞや地獄に違いないと思われがちだが、意外なことにそうではない。
普通、自分の子どもに笑いものにしかならないような酷いキラキラネームをつけるような親なんて、使い古しのモップのような髪色をした輩っぽい奴らだと相場が決まっているものだが、ニャンちゃんのご両親は至ってマトモな人たちである。お父さんは有名な外資系企業に勤める超エリートで、お母さんは国内有数の大企業で管理職を勤めているすごい人だ。
そんな、絵に描いたようなエリートの夫婦が、何故に自分の娘に猫猫猫猫などという狂った名前をつけたのか?
その話をするとなると非常に長くなるし、何よりニャンちゃんとその家族━━そして僕にとって、あまり愉快ではない話をしなければならないため、月島さんと安西には、『僕の家の隣に住んでいる変な名前の変な幼馴染』と紹介するだけに留めておいた。
月島さんは「・・喧嘩売ってる?」とまるで信じていない様子だったが、ニャンちゃんの学生証を見ると、安西と一緒に「ほぇー」と目を丸くしていた。
「うわーっ、絶対小学生だと思ってたけど、ガチで同い年なんだ・・。あっ、言い忘れてたけど、私の名前は安西春香奈で、そっちのソシャゲのエロ枠みたいな子は月島のの子ちゃん。これからよろしくね!! ・・・というか、もふもふニャンニャン? もふニャン? ニャンニャン? えーっと、何て呼べばいいのかな?」
安西が小首を傾げながら、割とどうでもいいことを訊いてきた。月島さんは戸惑った表情で「・・エロ枠?」と呟いていた。
「好きなように呼べばいいと思うけど、大体『ニャンちゃん』か『もっふー』の二択だな。あとはキャン姉ちゃん━━ニャンちゃんのお姉さんのことなんだけど、キャン姉ちゃんはニャンちゃんのことを『穀潰し』って呼んでる」
そうだよね?と言って下を見ると、正座したニャンちゃんはコクリと頷いた。神妙な顔をしている本体とは裏腹に、アホ毛は元気にぷるんぷるん揺れていた。
「うーん、穀潰しも捨てがたいけど、安西ちゃんは『もっふー』って呼び名が気に入ったので、もっふーって呼ぶことにします。ののちゃんは何て呼ぶ?」
安西に急に話を振られて、月島さんは「え?」と、戸惑った声を出した。
「・・・普通に桜川じゃダメなの?」
「ダメ。桜川なんて普通の呼び方するくらいなら、『もふもふニャンニャン』ってフルで呼ぶべきだと安西ちゃんは思います。・・・ところでののちゃん。ものは相談なんだけど、ちょっと『もふもふニャンニャン』って言ってみてくれないかな? 私、ののちゃんが『もふもふニャンニャン』って言うの聞いてみたい!」
「え・・普通にイヤなんだけど・・」
「えーっ!! 何で何で!! 言って言って!! 言ってよぉ!!」
「えぇ・・」
安西が訳の分からんことでギャーギャー騒ぎ始めたのを無視し、僕はニャンちゃんに視線を戻した。
「ニャンちゃん」
僕が呼びかけると、ニャンちゃんはびくりと身体を震わせ、「・・はい」と頷いた。
「僕の記憶違いじゃなければ、ニャンちゃんは土井山三中に通っているよね?」
「・・・はい、そうです。ボクは土井山三中の生徒です」
「その土井山三中のニャンちゃんが、どうして帝場中学にいるのかな? おかしいよね?」
僕が詰めると、ニャンちゃんは「うう・・」と言って目を瞑った。
「そ、それは、しゃぶちゃんが・・」
「何? 僕がどうかしたの?」
どうでもいい話だが、ニャンちゃんは僕のことを昔から『しゃぶちゃん』と呼ぶ。あまりよろしくない呼び名なのは分かっているが、コレがアウトならしゃぶしゃぶもアウトなのでまあいいかと思って放置している。
「しゃぶちゃんが、えっと・・その・・」
ニャンちゃんは何かを言いかけたが、急に目を瞑ると、
「や、やっぱり、何でもない!!」
と、言って首を振った。
その様子を見て、僕はますます不信感を募らせる。
思えば今日の朝から、ニャンちゃんはちょっと様子がへんだった。
※
今朝。家を出ると、いつものように玄関の前にニャンちゃんとキャン姉ちゃんが立っていた。
僕とニャンちゃんは中学が違うし、キャン姉ちゃんは高校生であるが、毎朝こうして出かける前にお互い顔を合わせるのが僕たちの日課となっている。僕は二人におはようと挨拶し、キャン姉ちゃんからいつもの『闘姫注入』を受けた。そうして、『闘姫注入』で乱れた身なりを整えていると、ふと、ニャンちゃんがハイライトの消えた目で僕のことをじっと見つめていることに気がついた。僕が「何?」と訊ねると、ニャンちゃんは少しだけ首を傾げて、
「いい匂いがする・・」
と、変なことを言った。
僕は自分の身体をくんくんと嗅ぎ、
「えっ、僕なにか変な匂いしてる?」
と、訊いた。
「・・・」
しかし、ニャンちゃんはそれには答えず、ハイライトの消えた目で僕のことをじっと見つめ続けた。僕がどうしたのだろうと内心で首を捻っていると、
「二人とも何をやっている? 遅刻するぞ?」
キャン姉ちゃんに、そう促された。
「・・・」
ニャンちゃんは尚も僕のことをじっと見つめていたが、やがてゆっくりと視線を外すと、静かに歩き始めた。
僕は腑に落ちないものを覚えつつ、その後ろに続いた。
「それじゃあ、僕はこっちだから。二人とも気をつけてね」
途中の道で、僕は二人と別れた。
しかし、数歩も歩かない内、僕は気配を感じて立ち止まった。恐る恐る後ろを振り返ってみると━━
「・・・」
ニャンちゃんが道路の真ん中に突っ立って、僕のことを無表情でじーっと見つめていた。
風もないのに、アホ毛がおいでおいでするかのように揺らめいていた。ホラー映画のワンシーンのようだったし、実際かなりホラーだった。
僕は何も見なかったことにして、足早に学校へ向かった。
いったいニャンちゃんはどうしてしまったのだろうか? 今日帰ったら、キャン姉ちゃんに相談してみよう・・。
僕は、そう思っていたのだが━━
※
「何の理由もなしに学校に不法侵入したんだ? じゃあ、これは警察案件だね。・・・えーっと、110番はっと・・」
僕がそう言って電話をかける仕草を見せると、ニャンちゃんは「うわあああ」と半泣きになって、ぐるぐるパンチをしてきた。
「やめてやめて!! そんなことされたら、ボクお姉ちゃんに殺されちゃうよぉ!!」
「じゃあ正直に理由を言いなさい。いったい何が目的で不法侵入してきたの?」
「さ、さっきから不法侵入って言うのやめてよぉ・・。まるでボクが犯罪者みたいじゃない・・」
「実際犯罪者だよ。正門の看板に、デッカい文字で『関係者以外立ち入り禁止 不審者は発見次第通報します』って書いてあったでしょ? ニャンちゃんはウチの学校の関係者じゃないよね?」
「か、関係者だもん・・」
「何の?」
「しゃ、しゃぶちゃんの幼馴染・・」
それは関係者とは呼ばんという心のツッコミが、ニャンちゃん以外の全員から聞こえてきた気がした。
僕は辟易してため息を吐いた。ニャンちゃんはこういうところがある。
「・・・そういや今朝会った時、ニャンちゃん変なこと言ってたよね? 僕からいい匂いがするとか何とか。もしかして、それが何か関係あるの?」
僕がそう訊ねると、ニャンちゃんのアホ毛が何かのレーダーみたく垂直にピンっと逆立った。本体はあからさまに目を泳がせている。どうやら正解を引き当てたらしい。
・・・はて? だとすると、ニャンちゃんの言う『いい匂い』とやらが鍵になる訳だが、それは一体、何の匂いのことなのだろうか?
「・・・ほう。みかん君の身体から、いい匂いがすると仰るか?」
僕が内心で首を捻っていると、安西が何やら怪しげな笑みを浮かべて近づいてきた。
「みかん君。安西ちゃんは、謎を全部解いてしまったかもしれませんぞ?」
絶対に的外れなこと考えてるよなと思いつつ、僕は一応「そうなんだ」と興味があるふりをしてみた。
安西は眼鏡をくいっくいっとやりながら、
「ののちゃん。ちょっと腕上げてみてくれる?」
と、案の定おかしなことを言い始めた。
月島さんは訝しげな表情を浮かべながら、腕を水平に上げた。
「違う違う。そうじゃなくて、もっとこう、思いっきりバンザイする感じで。・・・そう、それ」
安西は月島さんをバンザイさせた格好のまま「ちょっと待っててね」と言い、何故かニャンちゃんを抱き上げた。全員が「何する気だコイツ」という目を向ける中、安西は月島さんの脇の下にニャンちゃんの顔をぐっと近付けると、
「もっふー。くんかくんかしてみて」
と、とんでもないことを言い出した。
月島さんは「うわあああ!!」と大声を上げながら飛び退り、真っ赤な顔で口をパクパクさせながら安西を睨みつけた。
「な! なななな・・なにを・・!!!」
性犯罪者から身を守るような格好をする月島さんをガン無視し、安西はニャンちゃんの顔を上から覗き込んで、
「もっふーの言ういい匂いって、コレのことでしょ?」
と、ドヤ顔でほざいた。
「えっ・・普通に違うけど・・」
ニャンちゃんは「何コイツ・・」みたいな顔をして答えた。
安西は「あれ?」と首を傾げた。
「違うの? 安西ちゃんはてっきり、最近のラブコメのタイトルにありがちな『最近幼馴染の気になる男の子から知らない女の匂いがするので居ても立っても居られなくなった私が男の子の学校に不法侵入したら男の子が両脇に超絶美少女を侍らせてハーレムを築いていたんだが!?』的な話なのかと・・ふにゃん!!」
安西が、月島さんに思い切り頭をしばかれていた。次いで、ニャンちゃんに「うわああああ」とぐるぐるパンチで追撃をかけられる。こちらの方はまったくダメージが入っていないようだった。
「月島さん、平手じゃなくてグーでやっちゃっていいよ、グーで。あとニャンちゃん。ニャンちゃんはステータスのSTRがゼロなんだから、ちゃんと武器を使わないとダメージ入らないよ? ほら、そこにおたまがあるでしょ? それのカドのところを使って、その女の頭を思い切りバチコンしてやりなさい」
僕はそうアドバイスし、ため息を吐いた。
「まったく、何を言い出すかと思えば・・。僕から月島さんの匂いがするとか、ありえないだろ? もしそうだったら、僕らは裸のお付き合いのある、のっぴきならない関係ってことになるんだ・・ゴフッ!!」
月島さんの過去一強烈な一発が、僕の腹を襲った。
「くたばれ!!!」
顔を真っ赤にした月島さんから、ストレートな罵声が飛んでくる。
床に倒れ込んで産まれたての子鹿みたいにプルプル震えていると、ふと、ニャンちゃんが妙な動きを見せているのに気がついた。
「くんくん・・」
ニャンちゃんはハイライトの消えた目で、何故か安西の顔をくんかくんかしていたのだ。
「・・・も、もっふー?」
安西が珍しく戸惑った声を出す。それに構わず、ニャンちゃんはくんくんと文字通りの猫のように安西の顔を嗅ぎ回る。そして、
「この匂いだ・・」
と、静かに呟いた。




