第十五話 『月島さんとごへいもちん⑬』
二年生の終わり際になると、ポツポツとではあるが、僕と月島さんは徐々に会話をするようになった。
ある日の山の頂上にて、
「・・・あの三つ編み眼鏡の女子と、どういう関係なの?」
唐突に、そんなことを聞かれた。
三つ編み眼鏡と聞かれて、すぐに安西のことだと思い至る。
「それって、隣のクラスの安西晴香奈のこと? どういう関係って言われても・・まあ、仲の良い友達、かな?」
僕がそう答えると、月島さんは「ふ、ふーん・・」と言って、髪を指でくるくるし始めた。日が陰っていたのでよく見えなかったが、微かに頬が赤くなっているような気がした。
その日の「クエエエエエェェェ!!」は、何故かいつもより長かった。
※
三年に進級すると、僕は月島さんと安西と同じクラスになった。
僕の姿を認めると、安西は笑顔で近づいて来て、
「おー、やっと同じクラスになれたね、みかん君」
と言って、ハイタッチを求めて来た。
それに適当に応じつつ、「そうだな」と笑顔を返すと、急に背筋にぞくりとしたものを感じた。
振り向くと、月島さんが鬼の形相でこちらを睨んでいた。
何故だか分からないのだけど、月島さんは安西に初っ端から敵意全開だった。
まるで故郷の村を焼き滅ぼした魔物を見るような眼差しだった。その殺気にあてられて、クラス全員がガタガタと震えている中、安西は、
「おー、何か知らないけど温まってるね、ののちゃん」
と言って、月島さんの肩に馴れ馴れしく手を回してきた。
月島さんはびくりと肩を震わせ、青信号の横断歩道を渡っている最中にノーブレーキで右折して来た土居山ナンバーを見るような目で安西のことを見た。
安西は戸惑う月島さんそっちのけで頬をすりすりし、
「おー、もっちもち。もっちもちだね、ののちゃん!!」
と、キモいことを言った。
ちなみに、これがこの二人のファーストコンタクトである。
まさか初対面でこんなにグイグイくる人間が日本人に存在するとは思っていなかったのだろう。月島さんはオロオロと顔を動かし、助けを求めるような眼差しで僕のことを見てきた。
それを見て、僕は「はぁ・・」と、深いため息を吐いた。
僕の友達なんかをやっていることからも分かる通り、安西は奇怪なコミュ力の持ち主なのである。
変な喩えだが、売られた喧嘩はハイレバしてでも買う柳田さんやずた袋さんとは異なり、安西は売られた喧嘩を転売し、そこから得た利益で相手と一緒にご飯を食べに行くような奴である。喧嘩を売った相手が悪かったとしか言いようがなかった。何で売ったのかもよく分からないけれど。
安西は月島さんのサラサラヘアーをくんかくんかしながら、「みかん君、私ここに住む!」と訳の分からんことを言い始めた。僕は安西をやんわり引き剥がし、今からでもクラス替えやり直してくんねぇかなぁと考えていた。
進級初日にサブミッションの達人から訳の分からん位置から訳の分からん部位を訳の分からん体勢から極められて敗北したMMA選手のようになってしまった月島さんは、頭を抱えて黙り込んでしまった。
教科書も開かず、先生に注意されても顔を上げない。昼休みまでそんな感じだった。
放課後になって、流石にそろそろ声をかけた方がいいのかなと思っていると、月島さんはふいに顔を上げて、
「・・・勝てない」
と、ポツリと呟いた。
何に対する「勝てない」なのだろう? 僕は内心で首を傾げていたのだが、ふと思い当たることがあった。
僕は月島さんの肩をポンっと叩き、
「安西に学力で勝てる人とかそうはいないから、あんまり気にしなくていいと思うよ?」
と、言った。
当時、僕はまだ月島さんのことを『勉強の出来る優等生』だと思っていた。人を見かけで判断してはいけないことを思い知るのはもう少し先の話なのだが、この時の僕は、月島さんが安西に学力で負けていることを悔しがっているのだと解釈した。安西は入学当初から学年二位の座をキープし、全国模試でも常に上位二桁にいるような超優等生である。僕としては、気にする必要はないと月島さんを慰めたつもりだったのだが、
「・・・」
何故かクソほど睨まれた上、向こう脛を思い切り蹴られてしまった。
「あっ、みかん君がののちゃんにセクハラして蹴られてる。ざまぁだね!!」
そう言って楽しそうに笑う安西を恨めしげに睨みつつ、僕は片足を押さえて一人うずくまっていた。
「・・・むぅ」
そんな僕らを見て、月島さんは自分の爪を噛みながら、何故か苛立たしげに貧乏ゆすりしていた。
※
三年生になって初めての満月の日のことだった。
山頂の広場で、僕はうっかり水筒を持ってくるのを忘れてしまったことに気がついた。
財布はカツアゲ対策で持って来ていなかったので、どうしようかなと困っていると、月島さんが何故か辿々しい口調で、
「え、えっと、アイスティーならあるけど、の、飲む?」
と、言ってきた。
その態度を少しだけ不審に思いつつ、僕は月島さんにお礼を言ってアイスティーを受け取った。
しかし、飲んでみると、そのアイスティーはいつもとは違う、何だか変な味がした。
飲んだことのある銘柄だったので、原材料費の高騰とかで味が変わったのかなと思っていると、
「・・・あ、あれ?」
急に視界がぼやけ、僕は唐突に意識を失った。
気付くと、僕は知らない車の後部座席に寝転がされていた。
慌てて飛び起きると、
「おっ、気がついたッスか?」
助手席にいた緑ヶ丘先生が僕の方へ振り向き、歯を見せて笑った。
「えっ、緑ヶ丘先生? あれ? 僕いったい・・」
記憶がひどく曖昧だった。首を捻っていると、緑ヶ丘先生は「あー・・」と、何故か申し訳なさそうな声を出し、
「まあ、その・・アレだ。疲れが溜まってたんッスよ、疲れが」
と、言われた。
緑ヶ丘先生に説明してもらったところによると、僕はどうやら不覚にも山の頂上で眠ってしまったらしい。起こしてくれればよかったのにと言うと、緑ヶ丘先生は頭をかきながら、
「いや、その・・気持ちよさそうに眠ってたもんッスから、起こすの申し訳ないなって思って・・」
と、言った。
緑ヶ丘先生の歯切れが妙に悪いのが気になりつつ、
「僕としては、眠ったままで周りに迷惑をかける方が申し訳なくて辛いんですけど・・。あれ? ちょっと待ってくださいよ。それじゃあいったい、僕はどうやって山から降りて来たんですか?」
そう訊くと、緑ヶ丘先生は「ああ・・」と言って親指で運転席を指差し、
「コイツに運ばせたんッスよ」
と、答えた。
目を向けると、そこには緑ヶ丘先生と同い年くらいの黒服の女性がハンドルを握っていた。
バックミラー越しに目が合うと、その女性は卑屈な笑みを浮かべて「どうも・・」と頭を下げた。その卑屈な笑みに見覚えがあった。月島さんに最初に山へ連れて行かれた時、麓で車に乗って待機していた運転手さんだ。
「コイツの名前は下北沢って言って、アタシの上司兼パシリをやってる女ッス。・・・おい、下北沢。お前ヘラヘラしてねぇでちゃんとサブちゃんに挨拶しろや。殺すぞ」
緑ヶ丘先生がそう言ってダッシュボードに蹴りを入れると、下北沢さんは「ひぃ」と小動物みたいな悲鳴を上げて肩を振るわせた。
「し、下北沢円香といいます・・。み、美鈴ちゃんとは高校の時の同級生で、一応、上司をやらせてもらっています・・」
下北沢さんが辿々しい口調でそう自己紹介すると、緑ヶ丘先生は再度ダッシュボードをガツンと蹴り飛ばし、
「上司兼パシリだろうが!! てめぇサブちゃんの前だからって自分をよく見せようとしてんじゃねぇぞこの野郎!!」
と、昭和の時代でも許されないようなパワハラを披露した。
下北沢さんは、「ひぃ」と小物丸出しの声を上げて「すいませんすいません」と何度も頭を下げた。
その光景を見てドン引きしている僕に、緑ヶ丘先生は「違う違う」と言って軽く手を振り、
「言っとくけどな、サブちゃん。アタシは別に何の理由もなしにコイツを怒鳴りつけてるわけじゃねーからな? この下北沢って女は、昔っから本っっっ当にどうしようもねぇ奴で、何度も何度もアタシがケツ拭いて助けてやってるんッスからね?」
と、心底不愉快そうに吐き捨てた。
すると、下北沢さんは信じられないものを見るような目で緑ヶ丘先生を見やり、
「え・・そ、それって、どっちかっていうと、私の方じゃ・・」
と、蚊の鳴くような声で言った。
緑ヶ丘先生は再度ダッシュボードをガツンと蹴り飛ばした。
「ひぃ」
「何がひぃだこの野郎!! てめぇどの口がほざいてやがる!? いい年こいてホストに貢ぐのがやめられなくて、もう三回も全財産持っていかれてるクソバカのホス狂がよぉ!! その度にてめぇの金取り返してやったの誰だと思ってんだ、ゴラァ!!!」
緑ヶ丘先生がとんでもないことを暴露をすると、下北沢さんは「ひゃあああ!!」と叫んで飛び跳ねた。
「み、美鈴ちゃん、ひどいよ!! そ、そのこと、みかん畑さんには絶対に言わないでって言ったじゃない!! そ、それに私はホスト卒業したし。い、いま貢いでるのは、コンカフェだし・・」
「どっちも似たようなもんだろうが馬鹿野郎がよぉ!! つーかよぉ、てめぇマジでいい加減そういうのは卒業しろや? 虚しくなんねぇのかよ。お前が入れ揚げてる一回り以上下の奴、裏では絶対お前のことをエグいあだ名つけてバカにしてんぞ? いいんか、それで?」
「せ、聖也くんはしないもん・・。そんなことしないもん・・」
緑ヶ丘先生の今日一の一発がダッシュボードを襲い、車内全体が大きく揺れた。
「ひぃ!!」
「何が聖也くんだ馬鹿野郎がよぉ!! そんなホスト丸出しの名前でお前みたいなのを相手にしてる奴がまともな奴な訳ねぇだろうが!! あとテメェ、三十超えた女が語尾に『〜もん』とか付けんな、ぶち殺すぞ!!」
「ひ、ひぃ・・すいません!!」
緑ヶ丘先生に怒鳴られて、下北沢さんは涙目になってプルプルと震え始めた。説教するのは自由だが、運転中はやめて欲しいと切実に思った。
「あー・・思い出したら何か腹立ってきたわ。大体てめぇはよぉ━━」
「あ、あの、すいません・・ちょっといいですか?」
緑ヶ丘先生が尚も下北沢さんに説教しようとするのをやんわり制し、僕はおずおずと手を挙げた。
「姿が見えないようなんですけど、月島さんはいったいどうしたんですか?」
僕がそう言った瞬間、車内がしんと静まり返った。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
誰も何も言わない。
下北沢さんは怯えたようにハンドルを握りしめ、じっと前だけを見つめている。
緑ヶ丘先生はジッポをカチャカチャとやりながら、無表情で新しいタバコに火をつけた。
僕はそんな二人を交互に見て、聞いてはいけないことを聞いてしまったのだと理解した。
「・・・サブちゃん」
しばらくして、緑ヶ丘先生が口を開いた。
「お嬢はね、遠い所に行ったんッスよ・・」
緑ヶ丘先生はそう言って、悲しげな表情で深々と紫煙を吐いた。
「え・・それって・・」
それを聞いた僕の心に冷たいものが走った瞬間、
━━━ガンッガンッガンッガンッ!!!
という、何かが激しく暴れる音が、後ろのトランクルームの方から聞こえて来た。
「・・・ちっ」
その音を聞いた緑ヶ丘先生は鬱陶しそうに舌打ちすると、懐から小さなリモコンのようなものを取り出し、真ん中にあった赤いボタンをポチッと押した。
━━━んむむむむむむむむむむむむ!!!
トランクルームから、口を塞がれた人が悶絶大回転しているような、くぐもった悲鳴が聞こえてきた。
どこかで聞いたことのある声だった。
緑ヶ丘先生が一分ほどボタンを押しっぱにすると、トランクルームにいた『何か』は静かになった。
「おいっ、下北沢! お前勝手に電圧下げただろ!? もう目ぇ覚ましてんじゃねぇか!!」
「さ、下げてないよぉ・・。美鈴ちゃんに言われた通り、ちゃんと象が即死するレベルで設定したよぉ・・」
「はぁ!? バカかお前、誰がそこまでやれっつったよ!? アタシそんなこと一言も言ってねぇぞ!!」
緑ヶ丘先生は大声で怒鳴りつけると、慌てた様子で後部座席に身を乗り出した。
「やべぇ、やっちまったかもしれん・・」
後ろから、肉が焼けるような臭いがかすかに漂ってきた。
僕は後部座席で背筋をピンと伸ばした状態で座りつつ、お巡りさん助けてくださいと心の中でSOSを送っていた。
※
僕の家に到着すると、緑ヶ丘先生と下北沢さんは一斉に車を降り、猛ダッシュでトランクの方へ走って行った。そしてトランクを開けると、
「うげっ」
「ひぃ」
という悲鳴を上げ、お互い顔を見合わせる。表情が、三連単3.0倍の鉄板を外したギャン中のようになっていた。
しばしの沈黙の後、緑ヶ丘先生は叩きつけるようにトランクを閉じると、
「セ、セーフッ!! セーフッッ!!!」
と、誰に弁明してるのか分からんことを夜空に向かって大声で叫んだ。
僕は後部座席からそっと降り、頭のおかしなオバサン二人に気付かれないよう、注意して家の中に入った。
「あれ?」
帰宅後。自室で服を脱いでいると、僕はおかしなことに気がついた。
ボタンがかけ違いになっている。その上、中に着ていたシャツも裏返しになっていた。車にいた時には全然気付かなかったが、姿見で確認すると、制服の所々に葉っぱや土がこびり付いていた。僕はそれらを眺めつつ、
「え? え????」
と、一人混乱していた。
その後。月島さんはしばらく学校を休んだ。
復帰したのは一週間後だった。
久しぶりに登校してきた月島さんは、何故か僕のことをちょっとだけ怯えた目で見ていた。




