第十三話 『月島さんとごへいもちん⑪』
最初は宇宙人だと思った。
あの日━━中学二年生の夏の夜、姉さんに言われるがまま『神のようなもの』に蹴りを入れると、空から人間の形をした『何か』が降ってきた。
恐る恐る近づいて懐中電灯を向けると、『それ』が緑色の羽毛に全身を覆われた、鳥に似た何かだと気付く。愛嬌のある顔立ちに見覚えがあった。確か、カカポとかいう名前の変な鳥だ。
(宇宙人・・な訳はないよな・・)
カカポ人間は、真っ白なワンピースを着ていた。しかも、スカートの部分が思い切り捲れ上がっており、緑色の羽毛に覆われたごわごわした両足と、くまさんのプリントがついた白いパンツが丸見えになっていた。僕は、そっとカカポのスカートの乱れを直しつつ、宇宙人がくまさんのプリントがついた下着なんか履いているわけがねぇよなと思った。
カカポ人間を見下ろしながら、さてどうしたものかと途方に暮れていると、微かに彼女が身じろぎをした。
豆粒みたいな黒い眼が、ゆっくりと開かれる。
「んん・・」
小さな呻き声を上げると、カカポ人間はゆっくりと身を起こした。
カカポ人間の眼が、僕の顔をじっと見据える。取り敢えずここはハローと言っておくべきなのだろうかと考えていると、
「うわっ!!」
カカポ人間が、いきなり僕に飛びついて来た。
反射的に押しのけそうになる。しかし━━
「うわああああああああああああん!!!」
まるで迷子の子どもがようやく親御さんに巡り会えたかのような━━カカポ人間は僕の身体に抱きつき、大声で泣き始めたのだ。
「・・・」
僕は、彼女を押しのけようとしていた両腕を下げた。
彼女の身に何があったのかは分からない。
けれど、この子は僕の想像も及ばないようなとてもとても怖い経験をしてきたのだなと、僕の中の『何か』が察した。
僕は彼女の身体をそっと抱きしめた。そして、泣き止むのをただ静かに待ち続けた。
※※※
※※
※
どれくらいの時間が経ったろう?
案外すぐだった気もするし、とても長い時間だったような気もする。
気付いたら、カカポ人間は僕に抱きついた格好のまま、静かな寝息を立てていた。
「・・・」
重い。あと、肩のところが何かベチャベチャする。
カカポ人間の頭をそっとどかして確認すると、僕の肩から二の腕までが、涎でベチャベチャになっていた。
「くぅ・・くぅ・・」
カカポ人間は幸せそうな寝息を立てている。
・・・どうしよう、帰りたい。
帰って、肩のところのベチャベチャを何とかしたい。
このままカカポ人間を地面に寝かせて、何も見なかったことにして帰ってしまおうか? でも━━
「・・・それは、流石にダメだよなぁ・・」
それをやってしまったら、自分の人間としてのランクがナイアガラの滝みたいに急降下してしまう気がする。僕はカカポ人間を抱き抱えたまま、はぁとため息を吐いた。
背後で、何か大きな物が崩れる音がした。
振り向くと、先程僕が蹴りを入れた大きな石が、黒い煙を上げて崩壊しているところだった。石に巻かれていた赤いしめ縄が、するりと地面に滑り落ちる。
(姉さんの方も終わったらしいな・・)
昔と同じだ。
僕は軽く眼を瞑ると、再びカカポ人間に視線を戻した。
と、その時、ふっと辺りが暗闇に包まれた。
空を見上げると、月が雲に隠れてしまっていた。かなり分厚い雲だ。雨とか降らないでくれよ、と僕が願っていると━━
唐突に、カカポ人間が淡い光に包まれた。
光の中からふわりと現れた金色の髪の毛が、僕の視界を覆い隠す。
淡い光が収まると、そこには白い肌をした、ビスクドールのように美しい少女がいた。
「な・・」
先程まで、鳥の羽毛特有のチクチクする感触しかしなかった彼女の身体が、急に沈み込むような柔らかさに変貌する。
思わずカカポ━━少女に眼を向ける。僕の目と鼻の先に、整った白い顔と薄い桜色の唇があった。まるで漫画やアニメに出て来るエルフのようだった。とんでもない美少女である。
僕は頬を赤らめ、彼女の顔をなるべく見ないようにして、ゆっくりと身体を離した。と━━
「お嬢!!!」
誰かが、こちらに向かって走って来た。
茶色い髪をした、不良の匂いのする女の人だった。
その人は僕から奪い取るように金髪の女の子を抱きしめると、身を震わせて涙を流した。
「お嬢・・よかった・・お嬢・・」
僕は、黙ってその光景を見つめていた。
しばらくして、女の人が涙を拭いながら立ち上がった。そして、女の子をしっかりと抱きしめたまま、
「ありがとうございます。このお礼は、いつか必ず・・」
と言って、深々と一礼した。
僕は大慌てで首を振った。
「いえ、あの・・僕は、お礼を言われるようなことは何も・・」
そう言ったのだが、女の人は軽く頭を振り、
「いえ、あなたのおかげです」
と、言った。
「・・・」
その眼差しを見て、僕ははっきりと確信する。
この人は、僕が何をやったのか理解しているのだろう。
それならば、最早誤魔化す必要などどこにもなかった。
女の人の腕にしっかりと抱き抱えられている白い服の女の子が、いったいどんな経緯でこの場にいるのかは分からない。分かっているのは姉さんだけだろう。だが、推測することくらいは出来る。
恐らく、白い服の女の子は何らかの理由で取り込まれていたのだ。あの黒い祠の主━━『神のようなもの』に。
それを、結果として僕が━━僕と姉さんが助けた。そういうことなのだろう。
果たしてそれが副産物的なことなのか、はたまたそれこそが姉さんの『狙い』だったのか・・そこまでは、僕には分からないけれど。
女の人は再度僕に一礼すると、まるで大事な宝物のように白い服の女の子を抱き抱え、広場から去って行った。
後に残された僕は、しばらくその場に佇んでいた。
この広場に最初に入った時に感じた、あの業務用冷凍庫のような恐ろしい悪寒は完全に霧散していた。夏の夜の冷たい夜風が頬を撫でる。その自然な冷たさを心地良いと感じつつ、
「・・・帰るか」
僕は、そう一人ごちた。
その時だった。
━━━弟くん。
すぐ後ろから、姉さんの声がした。
※
「ひっく、ひっく・・」
「・・・」
この状況、他人に見られたら100:0で僕が悪いことにされるな。
僕は本日何度目になるか分からないため息を吐き、頭を振った。
お互い、すでに服は着ている。
月島さんは自分を抱き締めるような格好で地べたに座り込み、しくしくとすすり泣いている。衣服が所々乱れていた。
一方の僕は、上半身裸の上に、ボタンがすべて千切れ飛んだカッターシャツを羽織っている。中に着ていたシャツは、月島さんによって再起不能なレベルでビリビリに破られてしまった。まるで昭和のロックスターのような格好だった。僕は、最早ボロ雑巾と化したシャツを無理矢理ポケットにねじ込み、衣服についた草やら土やらを払った。
「ひっく、ひっく・・」
静かな夜の山に、月島さんのすすり泣く声だけが聞こえる。
その背を眺めながら、僕は再度ため息を吐き、そして心の底からこう思った。
━━━襲われたのは、こっちなんですけど!?
夜空に向かって大声で叫びたいのを、僕はぐっと堪えた。
がっくりと肩を落とし、頭を抱える。
(本当に何なんだよ、もう・・)
月島さんと初めてあった時、まさかこんな質の悪い下品なコメディみたいな真似をさせられることになるとは夢にも思わなかった。あの時の空気に、そんなことになる要素は一ミリもなかったはずだ。本当に・・本当に、どうしてこうなった?
三年前、月島さんが僕の通う中学に転校して来た時のことを思い出す。
※
年が明けた中学二年生の三学期。僕のクラスに一人の転校生がやって来た。
担任の先生から『月島のの子』と紹介されたその女子は、見間違えようもなく、あの夜のカカポ━━もとい、金髪の女の子だった。
「・・・」
月島さんは、転校生のお披露目が終わった後によくやる『それじゃあ一言よろしく』のコーナーをガン無視し、やりすぎの歌舞伎役者みたいな目で僕のことを睨みつけていた。
僕は恐る恐る月島さんから視線を外し、これはもしや口封じに来たのではあるまいかと考えた。・・・どうしよう? カカポ人間とか、勝てる気がまるでしない。風力発電で変身するタイプのヒーローとか助けにきてくれないかなと考えていると、まだ何も言われていないにも関わらず、月島さんは勝手に僕の席の隣まで歩いて来た。
「・・・あ、あの・・月島さん?」
担任の先生が、恐る恐るといった風に声をかける。
「・・ひぃ」
月島さんはそれをひと睨みで黙らせると、空席になっていた僕の隣の席へ勝手に腰掛けた。
しばしの沈黙の後、担任の先生はまるで何事もなかったかのように、朝の挨拶と連絡事項を早口で捲し立てた。すごい汗だった。
「・・・」
僕は彼女を横目で見つつ、さてこれはどうしたものかと思案した。ファーストコンタクト。ファーストコンタクトが大事だ。ここでうまく好感度を上げる選択肢を取ることが出来れば、口封じの未来は回避出来るかもしれない。
考えた末、僕はコホンと軽く咳払いをして月島さんの方を見やった。そして、姿勢を正して、
「あの時の、くまさんパンツの人だよね?」
と、言った。
完璧だと思った。月島さんの正体には一切触れないよう配慮しつつ、それでいてあの夜のことを匂わせる。ファーストコンタクトとしては、完璧な一言だ。そう思っていたのだが━━
「・・・」
月島さんに、暴れるニワトリを押さえ込む下半身丸出しの男を見るような目で見られてしまった。
それから二週間くらい、僕は月島さんにガン無視された。
※※※
※※
※
夜道を歩いていたら急に横につけてきた全窓スモークの車に拉致られるようなイベントも起きることなく、僕は無事に一月の終わりを迎えようとしていた。
しかし、ある日の朝。
学校の正門の前に、月島さんが立っていた。
遠目からでも分かるレベルで、クソほど機嫌が悪そうだった。
どうしよう。回れ右したい。
何のために正門に立っているのかは知らないが、触らぬ神に祟りなしという言葉がある。見えてる地雷は回避するに限るのだ。しかし残念なことに、僕の通っていた中学には裏門も裏口もなかった。登校するには、月島さんが待ち構える正門から入るしかない。考えた末、僕はカバンで自分の顔を隠しつつ、なるべく早足で校舎へ入る作戦を採用した。しかし━━
正門に足を踏み入れるやいなや、腕をがっつり掴まれてしまった。
何?と、百回くらい言った気がする。
何の用があるのかと訊く僕をガン無視し、月島さんは僕の腕を掴んだまま、ズンズンと歩いて行く。物凄い力だった。僕は逆らうことも出来ず、されるがまま月島さんに引き摺られていった。
途中、月島さんはスーパーの前で立ち止まると、ポケットに入れていた僕の財布を勝手に抜いて中の金を抜き始めた。ちょっと何してんの!?と言うと、月島さんは僕の方をキッと睨むと、
「・・・見物料」
と、低い声で言った。意味はすぐに分かった。僕は黙って、財布から巣立っていく紙幣たちを見つめることしか出来なかった。
数分後。僕の可愛い紙幣たちは、すべてポテチとコーラに交換された。ポテチは何故か、全部がコンソメ味だった。
僕はポテチとコーラでパンパンになったビニール袋を持ち歩きながら、それらを貪る月島さんの背を眺めた。僕のお金で買ったものなのに、ポテチ一枚コーラ一滴たりとも分けては貰えなかった。
それから結構長い時間歩き、僕らはある山の麓までやって来た。
(・・・ここって)
あの夜訪れた、頂上に黒い祠のある山だった。僕は月島さんを見やる。
「・・・」
月島さんは僕に背を向けたまま、しばらく無言で山の入り口に立ち尽くしていた。




