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第一話 『柳田さんに取り憑かれた日のこと』


 あの日、何かが始まって、そして何かが終わってしまった━━



           ※



 放課後。高校の正面玄関を抜け外に出ると、ふと、電柱の影に隠れるようにして誰かが佇んでいるのが見えた。

 「・・・あれは」

 腰まで届く長い黒髪と、ほっそりした手足。電柱から顔が半分しか出ていないが、あの美しい顔立ちは、美人で有名な柳田さんに間違いあるまい。

 (・・・でも、柳田さんは今・・)

 先日、道に落ちていたバナナの皮を踏んづけて転倒し、意識不明の重体であると聞いている。もうかれこれ三日ほど入院しているはずだが、ここにいるということは意識を回復したのだろう。しかし、いくら何でも退院するのが早すぎる気がする。三日も昏睡していたのだから、普通はもっと検査とかするのではないか? それに、あんな所に隠れるような真似をして、いったい何をしているのか━━

 内心で首を傾げていると、ふと、僕は違和感を覚えた。

 (・・・柳田さんの身体、ちょっと透けてない?)

 誤解なきように言っておくが、決して服が透けているという意味ではない。彼女の身体全体が、まるでホログラムのように薄ら透けているのだ。

 最初は見間違いだと思った。しかし、目を凝らせば凝らすほど、柳田さんの身体がおかしいことに気付く。電柱の後ろにあるブロック塀、その継ぎ目が、彼女の身体越しにはっきりと確認できるのである。

 僕はゆっくりと目を瞑った。そして、一度も話したことの無い柳田さんのことを想い、心の中で涙を流した。



 柳田さんは、たぶんもうこの世の者ではないのだろう。



         ※



 柳田おれんじ。

 出生届を出す際、役場とだいぶ揉めたキラキラネーム。成績は中の下、運動は下の上、容姿は上の上。性格は諸説あり。

 見た目に全振りし過ぎてそれ以外が微妙になってしまった人だが、僕の通う高校の中では間違いなくナンバー1の美少女である。それがまさか、こんなことになってしまうなんて・・。

 僕は心の中で黙祷し、柳田さんからゆっくりと目を逸らした。

 柳田さんが何故化けて出たのかは分からない。きっと何か未練があるのだろうが、僕にはどうしてあげることも出来ない。校門の周囲には結構な数の学生がいたが、柳田さんに気付いていそうな人は誰もいなかった。何故か僕だけが、彼女の姿が見えているようである。どうやら僕には隠された能力━━霊能力があったらしい。

 (・・・でも、そんな隠された能力はイヤだなぁ・・)

 「ねえ」

 どうせ人と違う能力があるのなら、お金儲けに使える能力が欲しかった。まあ、霊能力もお金儲けに使おうと思えば使えるのだが、高確率で詐欺師扱いされるだろう。それはしんどい。

 「ねえ」

 ならいっそのこと、オカルト系のインフルエンサーになってやろうか? 日本全国の心霊スポットを巡り、ホンモノの心霊動画を狙うのだ。いいのが撮れたら、高く買い取ってくれそうなテレビ局に持ち込みをして━━

 「ねえってば」

 振り向くと、そこに柳田さんが立っていた。

 「・・・」

 「・・・」

 柳田さんは、僕のことをじっと見つめている。

 「私のこと、視えてるよね?」

 「・・・いやぁ、気のせいじゃないですかね?」

 僕は、そっと視線を外した。

 「視えてるじゃん。目が合ったじゃん。聞こえてるじゃん」

 「・・・いやぁ、気のせいじゃないですかね?」

 僕はその場で回れ右をし、足早に歩き始めた。本当は走って逃げたかったが、下手に走ると相手を刺激してしまいそうで怖かったのだ。

 ・・・あれ待てよ? 確か野生動物って、逃げる際に背中を見せるのはマズイんじゃなかったっけ? ならこれは悪手なのでは、と思い、後ろを振り向くと━━

 「・・・」

 結構な至近距離に、柳田さんの顔があった。

 「すいません、怖いです」

 「・・・」

 柳田さんは僕の抗議を無視し、ガンガンに距離を詰めてくる。彼女の顔の向こう側に、学校へ続く坂道と、談笑しながら下校する生徒たちの姿がぼんやり見えた。

 「何で僕についてくるんですか?」

 「そんなの分かるでしょ? 私の姿が見えてるのがキミしかいないから追いかけてんの」

 そりゃそうですよね、としか言えなかった。

 僕は後ろ歩きのまま駆け足になるという中々器用なことをしながら、柳田さんに言った。

 「なら、あと三時間くらい校門の前で粘ってくださいよ。そしたらきっと、僕よりも優しくて頼りがいがあって問題解決能力に優れた素晴らしい霊感の持ち主が現れますって」

 「そういう完璧な物件を見つけたいのはやまやまなんだけどさ━━」

 柳田さんは急に足を止めた。

 今だダッシュだ!という心の声を抑え込み、僕は立ち止まって柳田さんの方を見た。

 「私、あんまり時間が無いっぽいのよね」

 手をひらひらさせながら、柳田さんは寂しそうな笑みを浮かべた。

 その手は身体と違ってもうほとんど色を失っており、その後ろにある景色がはっきりと見えていた。



 「・・・少し前までは、この手も普通に見えてたんだけどね」

 柳田さんはこんな状況にも関わらず、気丈な笑みを浮かべている。

 時間が経過するにつれ、だんだんと柳田さんの身体から色が消えていっているらしい。それは、つまり━━

 何と言っていいか分からず黙り込んでいると、彼女はにわかに真剣な眼差しで、僕の目をまっすぐ見据えてきた。

 「この調子だと、陽が沈む頃には、私は綺麗さっぱり消えてなくなっちゃうと思うんだよね。だから━━」


 ━━━その前に、私にはどうしてもやらないといけないことがあるの。


 「お願い、力を貸してください」

 そう言って、柳田さんは深々と頭を下げた。

 「・・・」

 僕はしばらく考えた後、はぁとため息を吐いた。



 「犯罪じゃないならいいですよ」

 「キミ、私のこと何だと思ってるの?」



          ※



 ━━━ねぇ、こんな話、知ってる?


 ある所に変わり者の青年がいた。

 青年は家へ帰る途中、一人の地縛霊に遭遇する。

 「何とお気の毒な。私には祈ってあげることしか出来ませんが、貴方が成仏出来ることを願っております」

 青年は地縛霊に手を合わせた。地縛霊はすすり泣き、

 「私のようなものに情けをかけていただき、誠にありがとうごさいます。・・・あの、厚かましいことは重々承知なのですが、貴方様にお願いしたいことがございます。どうか、お聞き届けくださいませんでしょうか?」

 と、言った。

 人の良い青年は「私に出来ることならば」と言い、頷いた。

 地縛霊は満足げな笑みを浮かべた。

 「ありがとうございます、お優しい方。では、これから言う場所に、私を連れて行ってくださいませ。場所は道すがらお伝えしますので、まずは共に歩きましょう」

 言われるがまま、青年は地縛霊と一緒に歩き始めた。

 「雑貨屋」「郵便局」「図書館」「屠殺場」「公園」「薬局」「インドカレー屋」「板金屋」「喫茶店」「ナイトプール」「公民館」「カラオケ喫茶」「どうしようもない不良が最後に行き着く県内最低偏差値の私立高校」「ビニ本自販機」「居酒屋」・・・etc

 地縛霊は次々と場所を告げ、青年を町中連れ回した。

 そして最後に、地縛霊は墓地に連れて行ってくれと青年に頼んだ。

 墓地に辿り着くと、その中にあった一際古い墓の前で、青年は()()()佇んでいた。

 「・・・ありがとうございます。お優しい方」

 青年の口から、地縛霊の声が漏れた。

 「貴方様が長い時間私と過ごしてくれたおかげで、私は貴方様の身体を乗っ取ることが出来ました。貴方様の身体は、これから私が大切に使わせていただきますね・・」

 そう言って嗤った青年の面相は、地縛霊と瓜二つだったという━━



          ※



 「あー・・ここの神社って、確か神主さんが寺生まれで除霊とか超得意って噂なんですよね。ちょうどいいから寄っていこうかな。タチの悪い悪霊が取り憑いてることだし」

 そう言って、神社に続く階段を登ろうとすると、柳田さんは大慌てで「待って待って待って」と止めてきた。

 「冗談じゃん! 軽いジョークじゃん! これは作り話だって! 私、キミの身体を乗っ取る気なんて更々ないから! というか、幽霊になったばかりで、人の身体を乗っ取る方法なんて知らんし!」

 僕は疑わしげな眼差しで柳田さんを見やった。

 「怪しいなぁ・・。そんな気がないなら、こんな話します? 普通」

 「そ、それは、キミが頓珍漢な受け答えばっかしてムカつくから、ちょっと脅かしてやろうと思って・・」

 「頓珍漢? 失礼な。僕ほど誠実な受け答えが出来る高校生は中々いませんよ?」

 「誠実な高校生は実家が田園調布で今はタワマンの八十階に一人暮らししてるとか、付き合ってる彼女が365人いて閏年にだけ会える子が一人いるとか、そんなクソみたいな嘘は吐かないと思いますけど!?」

 「知らない人に自分の個人情報をバカ正直に教える人はいませんって。というか、閏年って無くなるらしいですね。閏秒とかも無くなるのかな?」

 「知るかバカ!!」

 柳田さんは子どものように地団駄を踏み始めた。腕をブンブン振り回しているが、彼女の身体は実体がないので当たっても全然痛くない。というか、すり抜けている。

 「私には時間が無いの! 分かる? じ・か・ん・が・な・い・の・ッ!」

 僕は、「はぁ」と答えた。時間が無いのなら、僕の個人情報を探ろうとしたり、変な作り話を披露したりしなければいいのに。

 僕がそう言うと、正論が突き刺さったらしく、柳田さんは顔を真っ赤にして「ぐぎぎ・・」と唸った。

 「・・・キミ、頭おかしいってよく言われるでしょ?」

 「全然。でも、幼稚園の時から、内申書にはいつも『他者への共感性が著しく欠けている』って書かれますね。何でか知りませんけど」

 「・・・」

 柳田さんはどっと疲れた顔をして、

 「・・・ガチのサイコパスじゃん」

 と、呟いた。



           ※


 

 それから、柳田さんは僕との間にトラック一台分の距離を置くようになった。心の距離は、たぶんそれよりずっと離れている。こっちは親切で付き合ってあげているというのに、どうしてこんな酷い仕打ちを受けなければいけないのだろうか? とかく、世の中とは理不尽なものである。

 ため息を吐きながら歩いていると、いつの間にやら目と鼻の先に『目的地』が見えてきた。柳田さんに顔を向けると、彼女は「うぇっ」と毒虫に遭遇したような声を出したが、僕は心が強いので何事もなかったふりをして尋ねた。

 「柳田さんの言ってた目的地の運動公園、もうすぐ着きますけど、これからどうするんですか?」

 柳田さんは、「運動公園に一緒に来て」としか言わなかった。なので、僕は未だに彼女の抱える『やらないといけないこと』とやらの中身を聞いていないのである。

 不審者から身を守るような動きを見せていた柳田さんは、運動公園の入り口を目にし、「あっ」と、夢から覚めたような声を出した。

 「着いちゃったかぁ・・」

 柳田さんは遠い目をして佇んでいる。その膝下から先は、すでに見えなくなっていた。心なしか、先程よりも全身が『薄く』なっている気がする。柳田さんに残された時間は、いよいよ少なくなってきたらしい。

 何とも形容し難い気持ちで柳田さんの横顔を見つめていると、ふと、僕はあることに気が付いた。

 「柳田さん」

 「ん?」



 「柳田さん、今日はいつもより三割減くらいブスに見えるんですけど、何かしました?」

 「お前、私が昇天したら憶えとけよ? あの世から一番キツい地獄に引き摺り込んでやっからな?」



         ※



 どうやら、僕はまたもや柳田さんの好感度を下げてしまったらしい。

 ころす、というオーラを隠しもせずに前をズンズン歩いて行く彼女の背中を見つめながら、僕はやれやれと肩をすくめた。

 空に目を向けると、太陽が夕日の色を帯び始めていた。子供の頃、その毒々しい朱色を眺めていると、意味もなく不安な気持ちになってしまうことがあった。



 今日の僕は、久しぶりにあの頃の不安を思い出している。



 「・・・返事をね」

 柳田さんが急に立ち止まり、独り言のように呟いた。

 「私は、ある人に返事を届けてあげないといけないんだ」

 こちらに背を向けて喋っている柳田さんは、先程よりも一回り小さく見えた。

 「・・・何の返事なんですか?」

 何故だかその後ろ姿が見ていられなくて、僕は彼女の独白を遮るように口を出していた。

 柳田さんは、僕の方へゆっくり振り向き、



 「告白の返事」



 と、言った。



            ※



 私には産まれた頃から知ってる子がいてね。その子は隣に住んでいて、名前をたかし君って言うんだけど、そのたかし君がこの間━━事故に遭う前の日、急に私のこと呼び出してきてさ。何だろうなーって思ってたかし君の家に行ったら、「好きです、付き合ってください」って言われちゃって。私、びっくりしちゃってさ。今まで姉弟みたいに思ってた子からいきなりそんなこと言われて、私、どうしたらいいか分かんなくなっちゃって・・返事はまた今度って言って、逃げちゃったんだよね。

 だから、私は消える前に、あの子に告白の返事を届けてあげたいの。

 それが、私の心残り。



 独白を終えた柳田さんは、儚げな笑みを浮かべて目をつむった。

 バナナの皮で滑って転んだことを事故という言葉で押し切ろうとする強い意志を感じたが、流石にここは黙っておく。

 「返事はどうするんですか?」

 「んー? 断るよ」

 柳田さんは事もなげに答えた。

 「え、今の話の流れで断るんですか?」

 「そ。断るの。断って、ちゃんと私のことを忘れられるようにしてあげるの。たかし君優しいから、告白の返事を聞けないまま終わっちゃったら、たぶん一生私のことを引きずると思うんだよね。だから、ちゃんと言ってあげるの」

 そう語った柳田さんの顔は、今まで見た事もないくらい優しくて、綺麗だった。

 その表情を見て、柳田さんは本当にたかし君のことが好きなのだなと気付く。

 思いの外、心に鈍い痛みを感じた。

 「たかし君は元気な子でね。この時間はいつも運動公園で遊んでるんだ。多分この辺りに・・あ、いたいた」

 そう言って、柳田さんはたかし君を指差した。

 たかし君の背丈は僕の膝上くらいまでしかなかった。



 どう見ても幼稚園児だった。



          ※



 「待って待って待って! 違うから! そういんじゃないから!」

 「柳田さん。僕、最初に言いましたよね? 犯罪じゃないならいいですよって。でもこれ、犯罪じゃないですか? 柳田さんがペドフィリアだったなんて残念です。最低です」

 「だから違うっつってんでしょ! 隣に住んでる美人で優しいお姉ちゃんにガキが恋しちゃったってだけの話なの! やましいことなんて何もないから!!」

 「どうだか」

 「あ゛?」

 僕らがギャアギャアと言い合っていると、



 「あ、へんなま姉ちゃんだー」



 いつの間にか、たかし君が側に来ていて、柳田さんを指差して笑っていた。

 「へんなま姉ちゃん?」

 「へんな名前の姉ちゃんの略。事実だから何も言えんの。・・・っていうか、たかし君。私のこと見えるの?」

 たかし君は不思議そうな顔で小首を傾げ、「うん」と言った。

 「でも、今日の姉ちゃん、何だかスケスケだねー。それに、お顔もちょっと不細工ぅー」

 「あはは。すり潰すぞー、クソガキー」

 柳田さんは引きつった笑みを浮かべた。そして、何故か僕の方を見てガックリと肩を落とした。

 「まじか・・。たかし君に私の姿が見えるんなら、私の今までの無駄な時間とストレスは何だったの・・」

 「僕としてはありがたいですけどね。幼稚園児に幽霊からの告白の返事を届けるなんて、翌日事案通報まったなしですから」

 柳田さんは横目で僕を睨んできたが、すぐに諦めたような顔をしてため息を吐いた。そして、ふと真顔に戻ると、

 「たかし君。ちょっと、大事な話があるんだ」

 と、言った。

 その言葉を受けて、僕はゆっくりとその場を離れた。

 ここから先は、部外者が聞くべき話ではないからだ。



           ※



 公園のベンチに腰掛けていると、五分もしないうちに柳田さんが戻ってきた。

 「早かったですね」

 戻って来た柳田さんは、何故か不服そうな顔をしている。一言も喋らないまま、黙って僕の横に腰かけた。

 「幽霊でもベンチに座れるんですね」

 「やってみたら出来た。というか、私が幽霊なこと忘れてたし」

 そう言って、柳田さんは深々とため息を吐いた。その疲れ切った感じで、何かあったのだろうと察しがついた。

 「私、たかし君にさぁ、告白の返事したじゃん。そしたらあのガキ、何て言ったと思う?」


 ━━━ぜんぜんいいよ! だって、へんなま姉ちゃんは『きーぷ』だから。


 「たまげたなぁ」

 新人類の夜明けを垣間見たような気がして、僕は思わず感嘆の息を漏らした。

 「実体あったら引っ叩いてやったのに。あーあ、優しい子だと思ってたのになぁ・・。ありゃ、ろくな大人にならんわ」

 「確かにあの子、襟足長かったですもんね」

 「それ何の関係あんの?」

 「僕の独自調べによると、襟足の長い幼稚園児は将来高確率でチャラ男になるんですよ」

 「キミは全国の襟足が長い幼稚園児を持つ親御さんに生爪を剥がされろ。・・・あーあ、ホント、バカみたい・・」

 柳田さんは両腕を伸ばし、何度目か分からないため息を吐いた。

 そして、ポツリと呟いた。

 「私、何のために幽霊になったのかな?」

 僕は何も答えられず、ただ黙って前を向いていた。たぶん、彼女も答えなんて求めていないのだろう。

 それから、僕らは二人ともしばらく黙っていた。

 太陽は山の稜線に沈みかけている。ふと地面に目を向けると、そこに伸びる影は僕一人分しか映っていなかった。現実を直視するのが恐ろしくて、僕は怯えたようにじっと自分の影だけを見つめている。

 「そういえばさ、ちょっと気になったんだけど」

 僕は前を向いたまま、「何ですか?」と応じた。



 「キミ、何で私がすっぴんって分かったの?」



 はあ?と言い、横に目を向けると、不思議そうに僕を見つめる柳田さんの顔があった。

 「たかし君に『お姉ちゃんお化粧はちゃんとした方がいいよー、油断し過ぎー』って言われて気付いたんだけど、私今すっぴんだったわ。いつも顔合わせてるたかし君はともかく、キミよく気付いたよね?」

 言われてみれば確かに、今日の柳田さんはすっぴんのせいで、()()()()()三割減でブスだった。ちょっと考えれば分かることだが、柳田さんの本体(?)は病院なのだから、すっぴんなのは当然だった。

 ・・・でも、例えすっぴんでも、柳田さんは、テレビに出ているアイドルなんかよりも、ずっとずっと可愛いけれど。

 そんなことを考えていたら、僕は何だか照れ臭くなってしまい、柳田さんから目を逸らしてしまった。

 「・・・なんとなく、です」

 僕がそう答えると、柳田さんは眉根を寄せた。

 「私、遅刻しそうになった時、たまにすっぴんで登校することあるんだけど、バレたことないんだよね。何せこの私様は、すっぴんでも顔面偏差値八十以上あるウルトラ美少女だから」

 「それ、周りが気を遣って言わないだけじゃないですか?」

 言われてみれば、「今日の柳田さんなんか違うなぁ」と思う日はちょいちょいあった。あれは、すっぴんだったからなのかと納得する。

 「意外と分かるもんですよ、()()()()()()って。元が良すぎるから、すっぴんだとは思いませんでしたけど」

 僕がそう言うと、柳田さんは急に立ち上がり、「ん? んん?」と言いながら、僕の周りをウロチョロし始めた。柳田さんは何かを考え込むように口に手を当て、僕の顔をじっと見つめている。

 「・・・何ですか?」

 「キミ、今『いつも』って言ったよね?」

 喉の奥から、「うっ」という音が漏れた。

 柳田さんの目には、邪悪な愉悦が灯っていた。

 「いつも、ってことは、()()()()()()()()()()()()ってことだよね? あれ? あれれ? キミさ、もしかして━━」

 柳田さんの手の隙間から、これでもかと言わんばかりに吊り上がった口の端が見えた。



 「私のこと、好きだったりする?」



            ※



 高校に入学して一週間ほど経った頃だ。

 その日、僕は校舎の中をあてもなくふらふらと彷徨い歩いていた。特に何か目的があったわけではない。これからここで三年間を過ごすのだから、見学がてら校舎の中を一通り見ておこうと思ったのだ。

 普通教練から渡り廊下を抜けると、文化部が軒を連ねる特別教練に辿り着く。中に入ると、壁のそこら中に各部の甘い勧誘文句を綴った張り紙が無数に貼り出されているのが見えた。その中に『チェスボクシング部』という文字を見つけて、僕は思わず二度見する。ちょっと興味を惹かれたが、かつて妹に将棋で▲7六歩△3四歩▲7八銀で投了に追い込まれたことを思い出し、僕は張り紙からそっと目を逸らした。

 その時だった。

 窓の向こう━━中庭に、一人の女生徒が歩いているのが見えた。



 陳腐な表現だが、こんな綺麗な人は見たことがないと思った。



 異性に対し、そんな感想を抱いたのは生まれて初めてのことだった。

 流れるような綺麗な黒髪とほっそりした白い手足。ドームで何万人も集めるようなアイドルすら一発で蹴散らせそうな整った顔立ち。自分の顔が赤くなっているのが体温で分かった。どくどくと、心臓が脈打つ音が聞こえる。僕は呆けたように立ち尽くし、その人の姿をいつまでも目で追っていた。


 一目惚れとは、たぶんこういうことを言うのだろう。


 その人が、柳田おれんじというキラキラネームの同い年の女子だと知るのは、それからしばらく経った後のことだった━━



          ※



 「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」

 その憧れの人は今、アマゾンの奥地に生息する得体の知れない猿のような奇声を上げながら、腹を抱えてのたうち回っている。

 「いひひひひひっ!! なになに? キミ、さっきからずっと訳わかんないことばかり言ってたのって、もしかして緊張してたからなの? 憧れの女の子を前に緊張しちゃって、うまく喋れなくなっちゃってたからなの!?」

 「・・・」

 「絶対そうだよね! だってキミ、最初から挙動おかしかったもんね! 全然私と目を合わせてくれないし、合ったら合ったですぐ逸らすし! それにそのネクタイの色、私と同じ二年でしょ? タメなのに何で敬語使ってんだコイツってずっと思ってたんだけど、そういうことか!? 緊張してたからか!?」

 「・・・」

 「私とやたら離れようとするのだって、アレ、本当は怖がってたんじゃなくて、テンパってたんでしょ!? ずっと憧れてた女の子が急に近付いてきたもんだから、どうしていいか分からなくなっちゃってたんだよね? ね!?」

 「・・・」

 「ねぇ、どんな気持ちだったの? 今日一日、ずっと憧れだった女の子と一緒にいて、キミ、どんな気持ちだったの!?」

 「・・・」

 「当ててあげようか? いっぱいいっぱいだったでしょ? キミ、女の子とデートどころかまともに会話すらしたこと無さそうな顔してるもんね? 『僕には感情がありません。サイコパスですから』みたいな顔しといて、内心は心臓ばっくばくだったんでしょ? ゲロ吐きそうだったでしょ?」

 「・・・」

 「でも、憧れの女の子の前で無様な姿は見せられないもんね〜? だから、一生懸命頑張って格好つけてたんでしょ? ラノベのやれやれ系みたいにダルいこと言って敬語で喋っておけば、一応は格好つくもんね? キミ、本当は全然そんなキャラじゃないんでしょ? うひゃひゃひゃひゃひゃ!!」

 「・・・」

 柳田さんの容赦ない煽りを聞きながら、僕はひたすら黙って耐えていた。

 柳田さんは今まで僕のことを散々人でなしのように扱ってきたが、真に人の心がないのは柳田さんの方だと思う。


 誰だって、そんな風になるに決まってるじゃないか。


 「いひひ、めっちゃプルプル震えてる。ほらほら、泣かないの。憧れの柳田さんだぞ? キミの大好きな柳田さんが目の前にいるんだぞ? 機嫌直せよ童貞? うひひひひ!!」

 柳田さんの煽りはバリエーションが尽きることがなかった。

 それからたっぷり五分間、僕は柳田さんに精神的な責め苦を味合わされ続けた。



            ※



 「私、最後は絶対泣くだろうなって思ってたけど、まさかこんな形で泣かされることになるとは思わんかったわ。あー、お腹痛い。こんな笑ったの、生まれて初めてかもしれん」

 散々煽り倒してようやく満足したのか、柳田さんはこれ以上ないスッキリした笑みを浮かべてそう言った。

 その目元には、うっすら涙が滲んでいた。

 周囲を見回すと、いつの間にか夜の帷が降り始めていた。

 空は藍色に変わりつつある。太陽は山の稜線の向こうに沈み込み、その裏側からはみ出した僅かな光が、かろうじて世界が夜に至るのを阻止しているに過ぎない。



 柳田さんの身体は、もはやほとんど色を失っていた。



 「・・・そういえば、大事なこと聞くの忘れてた」

 僕は無言で柳田さんの方を見やった。

 「キミ、名前なんて言うの?」

 「・・・みかん畑三郎です」

 柳田さんは頬を膨らませる。

 「もうっ、そういうのはいいって」

 「・・・いや、本当なんです。コレ、学生証です」

 姓はみかん畑、名は三郎。それが僕の本名である。

 「私が言うのも何だけど、マジか?」

 「マジです。ちなみに姉と妹がいますけど、僕は長男です。三郎って名付けたのは、単に語呂がいいからだそうです」

 「そういえば、前に小清水が私よりヤベー名前の男子がいるって話してたなー。アレ、キミのことだったんだね。私が言うのも何だけど、適当な名前だなぁ。・・・いやでも、自分の娘におれんじとか名付けちゃう奴よりかはマシなのかなぁ・・」

 「柳田さんは、やっぱり自分の親に思うところがある感じですか?」

 「思うところって程でもないけど、名前に関しては一生許さんからなとは言ってる。尊敬してるけどね」

 柳田さんは身を屈めて僕の学生証を見つつ、「SNSで拡散してえなぁ」と物騒なことを言っていたが、やがてゆっくりと身体を起こすと、真っ直ぐな目で僕の目を見つめてきた。

 「おーい、逃げんなー。ちゃんとこっち見ろー」

 思わず目を逸らしそうになる僕に、柳田さんは笑って言った。

 「みかん畑くん。・・・うーん、しっくりこないなぁ・・。しゃーない。特別大サービスで、三郎くんって呼んじゃる。感謝しなさいよ? 私が男の子を名前で呼ぶのって、父親とたかし君くらいしかいないんだからね?」

 「自分の父親を名前で呼んじゃうってヤバくないですか?」

 「自分の娘におれんじって名付ける奴はそれくらいの扱いでいーの。っていうか、話を逸らそうとすんな。最後なんだからちゃんと聞け」

 僕は「・・はい」と頷いた。

 それを見て、柳田さんは満足げに頷き返すと、



 「三郎くん。キミには、今日一日私に付き合ってくれたお礼に、『私に最後に告白出来る権利』を進呈しよう」



 と、言った。

 それはあまりにひどくないですか?

 僕は思わず抗議の声を上げそうになった。けれど、思いのほか真剣な眼差しの柳田さんの顔を見て、僕はその言葉を引っ込めた。

 「キミ、ここで私に告っとかないと、一生モノの未練を残すことになるよ? いいんかー、それで?」

 良くはない。良くはないけど、でも━━

 「・・・僕なんかのことはどうでもいいじゃないですか? それより、柳田さんはいいんですか? このまま━━このまま・・」

 終わっても。

 その言葉は残酷すぎて、僕には言い切ることが出来なかった。

 柳田さんは困った風な笑みを浮かべた。

 「いいよ━━とは、流石に言えんかな。親や友達に別れの挨拶したいし、他にやりたいこともあるし。・・・でもね、私は今、幽霊なんだよ。だから、やりたいことは思うように出来ない。それならいっそのこと、最後にキミの一世一代の告白を聞いてあげるボランティアやるのも悪くないかなって思って」

 「・・・他に、もっとマシなこと思いつかないんですか?」

 柳田さんは意地の悪い笑みを浮かべている。

 「ないね。・・・ほれほれ、早く立て立て。秒で振っちゃるけん、早く告白してきなー」

 「振られるのが確定してる告白に何の意味があるっていうんですか・・」

 「キミの人生にとっては意味があるんじゃないかな? それと、単純に私が楽しい」

 「・・・絶対、理由後者でしょ」

 僕は深々とため息を吐きながら立ち上がった。

 そして、柳田さんの前に立つ。

 僕は覚悟を決めて、彼女の目をまっすぐ見つめた。

 「自分から目を逸らすなって言っておいて何だけど、こんな風にじっと見つめられたら、流石に恥ずかしいかな・・」

 柳田さんは、少しだけ僕から目を逸らした。

 「あーあ、私、今まで数えきれないほどの男子から告白されたけど、最後くらいは本気の顔面で受けてみたかったなぁ」

 「何ですか、本気の顔面って」

 「そりゃあ、言葉通りの意味よ。キミがいつも盗み見ている柳田さんが本気の柳田さんだと思うなよ? 女子はね、学校で本気の化粧なんてしないの。いつもの私が100だとしたら、本気の私は120あるんだからね」

 「・・・それは、すっごく見てみたかったです」

 「でしょ? ・・・キミがよぼよぼのおじいちゃんになって、天寿を全うしたら、その時は、キミの大好きな柳田さんの120を見せてあげよう。だからそれまで、ちゃんと真面目に生きるんだぞ? 小動物殺すとかもってのほかだからね?」

 「だから、僕はサイコパスじゃないですって」

 柳田さんは、「どうだか」と言い、笑った。

 僕もつられて、笑みを返した。

 お互いの顔には、涙の線が光っていた。

 最後に残っていた陽の光が、夜の闇に吸い込まれるようにして消えていく。

 僕は、深々と頭を下げた。



 「柳田さん、ずっとあなたのことが好きでした」



 返事は返ってこなかった。

 ゆっくりと頭を上げると、そこには誰の姿も無かった。

 「・・・秒で振ってくれるって、言ったじゃないですか」

 でも、例え柳田さんから返事をもらえたとしても、僕はもう一生、柳田さんを忘れることは出来なかっただろう。

 何せ、僕はずっとずっと前から、取り憑かれてしまってしまっているのだから。


 柳田おれんじ、という人に。


 僕は長いことその場に立ち尽くし、ただ黙って涙を流し続けた。



 ・・・


 ・・


 ・



 しかし翌日、柳田さんは病院で普通に意識を取り戻し、普通に回復して、数日後に普通に学校に登校してきた。

 


           ※




 久しぶりに登校してきた柳田さんは、大勢の人たちに囲まれていた。

 その大半は女子である。柳田さんは意外と女子人気が高いという噂を聞いたことがあるが、どうやらそれは事実だったようである。

 笑顔で肩を叩く女子、目元が潤んでいる女子、抱きつく女子。中にはどさくさに紛れて柳田さんの変な所を触ろうとしてくる女子もいたが、そういう不届者は、隣に控える眼光鋭い女子に肘をあらぬ方向へ捻じ曲げられていた。あの容赦のなさは、『鬼の風紀委員』こと風間菜々子さんで間違いあるまい。僕の通う土居山高校で柳田さんと並び称される10大美少女━━通称『土井山十傑』の一人で、確か柳田さんとは幼馴染のはずだ。

 風間さんは、まるでSPのように柳田さんの側に張り付き、周囲に目を配っている。二人の間には、何か言葉で説明出来ない信頼のようなものが感じられた。明らかにジャンルが違う二人だが、どうやら姉妹のような強い絆で結ばれているらしい。

 柳田さんの周囲に集まる人集りは途切れることを知らなかった。柳田さんは困った風に小首を傾げ、風間さんは早朝の整理券待ちの列に並ぶスロカスを引率する店員のような表情で何事かを叫んでいた。と、その時、


 一瞬、柳田さんと目が合った気がした。


 しかし、彼女はすぐに目を逸らした。逸らしたというより、目が合ったことさえ気付いていない様子だった。

 それを見て、僕は確信する。

 たぶん、柳田さんはあの日のことを憶えていないのだろう。

 僕は安堵のため息を吐いて背を向けた。何を犠牲にしてでも葬り去らなければならない秘密を知るのは、これで世界で僕一人だけになったのが分かったからである。

 柳田さんから離れていく僕の足取りは軽かった。



 でも、心の方はどうしようもないくらい重かった。



          ※



 気付いたら、僕はあの運動公園に足を運んでいた。

 公園には何人かの遊んでいる子どもたちがいたが、その中に襟足の長いたかし君の姿は見当たらなかった。どうやらたかし君は、今日は違う所で遊んでいるらしい。

 僕はウォーキングコース沿いに、ゆっくりと園内を歩き始めた。そして、あの日柳田さんと一緒に座ったベンチの前で足を止め、茜色の空を見やった。

 (あれは単なる僕の妄想で、幻だったのだろうか?)

 柳田さんが意識を取り戻したと聞いた日から、僕はそればかり考えている。

 それを確かめる方法は簡単だ。直接、本人に聞けばいい。しかし、あの様子だと、彼女が僕を憶えている可能性はゼロに等しいだろう。風間さんに頭のおかしい不審者扱いされて、身体中の関節をバカにされるのがオチだ。

 (それに、仮に憶えてるって言われたら、僕はどうしたらいいんだ?)

 よくよく考えたら、全身の関節をバカにされるよりそっちの方がよっぽど恐ろしい気がする。結論。黙っているに限る。よし、そうしよう、そう決めたと、僕が腕を上げて伸びをしようとしたところ━━

 後ろから誰かに思い切り蹴り飛ばされ、僕は盛大に前につんのめった。



 振り向くと、そこに柳田さんが立っていた。



 柳田さんは腕を組んで僕を見下ろしている。その顔はいつもと違って、何だか気合いが入っていた。目が合うと、柳田さんは不敵な笑みを浮かべ、

 

 「どう? これがキミの大好きな柳田さんの120だぞ?」


 と、言った。

 僕はしばらく何も言うことが出来なかった。

 ゆっくりと立ち上がり、時間稼ぎをするように砂埃を払う。

 僕は、柳田さんの目を苦労してしっかり見つめた。そして━━



 「正直、そんなでもなかったです」



 と、言った。

 柳田さんは笑顔のまま僕にゆっくりと近づくと、向こう脛を思い切り蹴り飛ばしてきた。

 僕は痛いのか何なのかよく分からない涙を流しながら、向こう脛を抱えてその場にうずくまっていた。



                  <了>

 



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