生き残った子
大きな事故があり、とても沢山の子供(小学5年生)が亡くなります。
苦手な方や嫌だと思う方は読まれないほうがいいと思います。
その日、小学5年が臨海学習で金沢に出発する日だった。
朱音はしのちゃんやあっちゃんと一緒にバスに乗って一緒に眠ることをすごく楽しみにしていた。
楽しみにしすぎてしまったのだろうか?
朝起きると母が顔をしかめて「顔真っ赤よ」と言って体温計を私に渡した。
「鼻水も、咳も出ないよ。体がつらいとかもないし!!私臨海学習に行くからね!!」
ピピッと体温計を見て表示されるのは38.2℃。絶望的だ。
母に手を差し出されて体温計を渡すと「可哀想だけど臨海は諦めなさい」と言われてしまった。
「行きたい」と母に言ったが無理なことは理解していた。
途中で具合が悪くなったらみんなに迷惑をかけることも理解はできたけど、行きたくて仕方なかった。
「どこか痛いとか苦しいところとかはないのね?」
「ない。熱以外は至って元気」
「そう、それでも布団で寝ていなさい」
「はぁい・・・」
布団の中で少し泣いて、泣き寝入りして目が覚めたら熱は平熱になっていた。
母は「知恵熱みたいなものかしら?」と首を傾げて「今日一日は布団に入っていなさい」と私を自室へと追いやった。
仕方なく布団に転がって漫画を読み返したり、今頃みんなどこにいるんだろうと思いながらその日1日は終わった。
翌朝起きて熱を測ったけれど平熱で母に起きていていいと許可をもらうことができたので、子供番組を見ながら母に言われた漢字の書き取りをしていた。
テレビの画面に緊急テロップが流れていたけれど私はそれを気にもせず子供番組と漢字の書き取りに気を取られていた。
洗濯物を干し終わった母が私の前に座って「綺麗に書けているわね」と褒めてくれて少し嬉しく思っていると母が急に立ち上がりその反動でイスが背後に倒れた。
母を見上げると母はテレビを見ていて口元を手で押さえて「なんてこと!!」と言ってテレビのチャンネルをあちこちへと変えていった。
目当ての番組を見つけたのか母は食い入るようにテレビを見ている。
なんだろう?と思って私もテレビをみた。
災害なんかが起こったときのようにテレビの人がヘルメットをかぶって片手にマイクを持ち何かを喋っている。
「お母さんどうしたの?」
母は返事もせずテレビを見ている。
『碧海小学校5年生が乗ったバスが道路陥没に巻き込まれ、バスが落下してしまいました。今救助活動が行われていますが、走っていた1台目のバスの真下が陥没してバスが横転しながら落下。その上に後続のバスが落ちてそのバスも横転しています。3台目のバスはご覧の通り現在もまだシーソーのように陥没した道路に前半分を落とした状態です。バスがゆらゆらと揺れているのがここから見ていても解ります。あっ!あぁーっ!!」
ヘリコプターで上空から撮影している場面が映し出されていて、3台目のバスの後輪が乗っている道路が崩れバスが落下していった。
バスはフロントから落ちていきグシャと大きな音を立ててそれからひっくり返った。
『なんてことだ!!子供たちが乗ったままのバスが落下してしまいました!!子供たちは乗ったままです!!』
「うそ・・・さっきのバスしのちゃんとあっちゃんが乗っていたバス?」
「わ、解らないわ」
「それとももう落ちたバスに乗ってた?」
「朱音!解らないわ!」
テレビの画面は事故現場の映像が流れている。
バスが2台横倒しになっていて、さっき落ちたバスが2台のバスの上にのっている。
陥没した土やアスファルトが下の2台のバスの姿を隠している。
ところどころガラスが割れていて事故の大きさが見て取れる。
バスがズズッと滑る。引っかかっていた木がバスの重みに耐えられなくなって折れた。
テレビからはヘリコプターの音とアナウンサーの声しか聞こえないが、木が折れた音が聞こえた気がした。
ズルズルと滑っていくバスがゴロリとひっくり返り3台のバスが一緒に落下していく。
何度も木に引っかかって止まるけれど重みに耐えられなくなって木が折れてまた滑って落ちていく。
さっき落ちた3台目のバスが木に引っかかって止まるけれど2台のバスは止まっては滑るを繰り返し、木のない崖の上でぎりぎり止まった。
止まったバスの背後から3台目のバスが勢いを付けて落ちていく。
崖の上で止まっていたバスに突っ込んで崖の上から3台とも落ちていった。
落ちた下は深い緑色の川だった。1台のバスは天井を下にして水の中に落ちてタイヤだけが見えている。
2台目のバスは川に半分浸かりながら淵に天井が引っかかっている。
3台目のバスは前半分がぐちゃぐちゃに潰れて2台目のバスの天井を潰してのっかっている。
落ちたバスの周りに救助の人は長い時間訪れなかった。
臨海学習から1台のバスが帰ってきた。
1組の子たちを乗せて。
4組が乗ったバスが一番最初に落ちて3組の乗ったバスが2台目に落ちた。
シーソーになっていたバスが私のクラスの2組だった。
学校は一週間休校になって休校が開けて学校に行くと2組の教室で私一人がぽつんと座っていた。
始業開始の鐘が鳴っても当然クラスメイトも担任の先生も来てくれず、誰も来ない教室で私は一人泣き続けた。
1時間目の授業が終わり1組の子がトイレに行くのに通りがかって私が泣いているのを聞きつけて悲鳴を上げた。
誰もいないはずの教室から泣き声が聞こえるので1組の子たちはパニックを起こして大騒ぎになった。
先生が扉を開けて私を見て腰を抜かしたかのようにその場に腰を落とした。
それからしばらく騒ぎは収まらず、先生が私に話しかけて臨海学習に熱を出して行けなかったことを伝えると保健室へ連れて行かれ、母が学校に迎えに来て私はその日帰ることになった。
家に帰ってから母が私に担任がいないため臨海学習を休んだ私がいることが解らなかったことを教えてくれた。
私をどうするか決めていないため今日は一旦帰って欲しいと言われたらしい。
夕方、学校から電話が掛かってきて明日から1組に通うように伝えられた。
翌朝、母が学校に一緒に付いて来て先に職員室に連れて行かれた。
始業開始の鐘がなると1組の担任の先生に連れられてまるで転校生のような扱いで1組の教室に連れて行かれた。
先生に紹介され用意された机に腰を下ろす。
1組のほとんどの子のことは知っているけど、よそのクラスに来たなんともいえない感触は消えなかった。
生き残った罪悪感が私を苦しめている時、道徳の時間に事故について話すことになった。初めは誰も何も話さなかったけれど、一人が口を開くとみんなの本音がぽつりぽつりと語られるようになり泣き始める子が多かった。
みんな私と同じように生き残った罪悪感に苦しんでいた。
親が自分が生き残っていて良かったと言うが何もいいことはないと泣きながら訴える。
そんな事を言う親が信じられなくて親にも心の内を吐露できない。と訴えた。
もう何度目か解らない親への説明会がまた行われ子供たちに自分の子が生き残ってよかったと言わないでくれと学校側から提案があったそうだ。
私のいる前では言わなかったが、母たちが何度も「朱音が乗っていなくてよかった」と言っているのを私は知っている。
それからは母たちは事故のことは何も話さなくなった。
かろうじて事故から助け出された子が治療のかいなく亡くなった。
他の皆は合同葬儀だったけれどその子だけは一人だけの葬儀で、その女の子のことは私はよく知らない子だったけど学校から強制参加で葬式に行くことになった。
私も含めた1組のみんなが事故のことを思い出して何人もが泣いた。
少し明るくなっていた教室がまた暗くなった。
両親に転校したいか聞かれた。
「転校したいって言ったら転校できるの?」
「朱音が転校したいって言うなら引っ越してもいいと思っている。どうしたい?」
暗い教室から逃げられるのは嬉しいけど、こんな中途半端な時期に引っ越しするのはいいことだと思えなかった。
「転校はしたいと思うけど、三学期からがいい。今転校したら碧海小学校の生き残りって言われるかもしれない」
「そう、二学期の間学校に行けそう?」
「うん・・・。頑張る」
「無理だと思ったら休んでもいいから」
「ありがとう。そうする。どこに引っ越しするの?」
「お父さんの会社を挟んで向こう側に引っ越そうと考えている」
「そっか。解った」
事故が起こって休校から明けた頃はクラス全員が揃っていたけど、今はクラスの半分くらいが不登校になっている。
心のケアで病院に通っていると聞く。
転校してもいいのかな?
同じ気持ちを抱えている人たちの中にいるほうが何でも話せる分楽なのかもしれない。
でも、転校して事故なんかなかったことにしてやり直せることはとても楽な気がする。
私一人逃げていいのかな?
逃げ出すのは私一人じゃなかった。
3人ほど学期途中で転校していった。
5人ほど二学期が終わると転校すると話しているのを聞いた。
1組は何人が残るのだろうと思った。
二学期の終わり、母が学校に来て転校することを1組の担任の先生に伝えた。
先生は苦笑いして私で7人目の転学だと言っていた。
今住んでいるマンションのように賃貸の部屋に移り住むのだと思っていたら新築の一戸建ての家を買ったのだと父が笑った。
それからは事故から生き残った子とは言われなくなり、表面上は平穏な日々を送っている。
けれど私はバスが落下した日から生涯夢を見続けることになる。
バスが落下していく場面を。
時にはしのちゃんやあっちゃん、クラスのみんなが私に助けてくれと言い募る。
私は夢を見る度飛び起きる。
心臓は早鐘を打つようにドキドキして再び眠りにつくのに長い時間を要するようになった。
転校して生き残った子と言われなくなったけれど私の心の中は生き残った子のままだった。




