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中篇


 百円ショップのグラスに入れられた一輪の花を、私はじっと見つめた。当たり障りなく断って帰るつもりだったのに。お花屋さんの、青みのない色の笑顔に気圧(けお)された。気づけばこの有り様。



 切り取りたいと思う一瞬があったなら、それは永遠――。


 彼の言葉を反芻し、目の前の白い花を見る。柔らかな花弁が何枚も重なり、(ふち)はフリルのように細かく波打って華やかだ。以前もらった花束の中にも入っていた気がする。一輪でも十分(さま)になるその姿をしばらく見つめるうち、ふと気がついた。


 ――私には、切り取りたい瞬間なんかない。


 永遠に咲く花があったら。つまり、永遠なんてないと言い捨てたかの私に、彼がかけてくれた言葉。そこになんとなく救いのような響きを感じてしまったけれど。

 よくよく考えてみれば、それは輝く一瞬がある人のための言葉で、そもそも私にはそんな瞬間なんかないのだ。


 ふふっと鼻を鳴らして、自嘲気味に笑う。

「切り取られるほど美しい瞬間があって、きみは幸せ?」

 グラスの中の花はツンと上を向いて、私の問いかけを無視した。




 幼い頃から、なんでもそれなりにできた。勉強も、運動も、四歳から習っていたピアノも、友人関係も。真面目でしっかりして、気量も良くていい子ねえなんて、近所のおばさんは言った。


 高校大学と、そこそこのところに第一志望で合格して、就活もさほど苦労せずに終えた。特段やりたいことはなかったから、他人をサポートする事務系の職に就いた。その時々で、恋愛も少しはした。たいていは詰まらないというようなことをオブラートに包んで言われて、そんなに長くは()たなかった。


 とりわけこれといった挫折もなく、家族とも周囲の人たちとも関係は良好で、恵まれた人生だと思う。不満は特にない。でも、切り取りたい瞬間があるかと問われれば、そんなものは見当たらない。こんなふうに独りごつ私を、人は贅沢だと(わら)うだろうか。



 時折、美しいと言ってくれる人はいる。本物の美人には到底敵わないが、たまたま程よく整っていた顔は化粧次第でどうとでもなる。体質なのか、ダイエットとも無縁だった。すらりとした美人。それが私を褒めてくれる人からの評。


 けれど、そんな中身のない美しさにも、近頃(かげ)りが見え始めている。コンシーラーを重ねても青黒いクマはうっすらと残るし、睡眠はきちんと取っているつもりなのに、朝の身体は滞っていつまでも重い。年齢を重ねても美しい人はたくさんいるけれど、私はそうはなれそうもない。「締切」が過ぎれば、茶色くなって(しな)びて干からびていくだけだ。




 花は十日近くの間、グラスの中で咲いていた。その命がゆっくりと失われてゆく様子を、私は台所に立って毎日眺めた。


 変わらない日々だった。

 通勤経路なので花屋の前は毎日通っていたが、その店をそれ以上気に掛けることはなかった。




「○○線は車両トラブルの影響により、現在……分程度の遅れが出ています……」


 帰り道、ノイズ混じりの駅構内放送が聞こえて、私は足を止めた。自宅の最寄り駅まで利用するその路線は、遅れることはあっても運行を完全に見合わせることは稀だ。多少遅延しても、ホームで待っていればそのうち乗れるだろう。そう判断して、再び歩き出そうとした。


 しかし、(しば)し足を止めたその場所が悪かった。スマホで現在時刻を確認し、目を上げた先には、あの日見た彼の姿があった。



 偶然、目が合ってしまった。何事もなかったかのように立ち去ることはできなかった。花をもらってから毎日そこを通っていたにもかかわらず、お礼のひとつも述べていないのだ。


 気まずそうな色を隠せていなかったであろう私は、それでも軽く会釈をし、人にぶつからないように店の前まで寄った。彼は、店頭に陳列された小さなブーケの位置を整えていたらしかった。その手を止めて、私が歩み寄るのを見ていた。


 私よりいくつか年下だろうか。派手さはないが、薄くもない、人懐っこそうな印象の顔。パーマなのか癖なのか、伸びかけの黒髪は少しくしゃっとしている。学生というほど若くはないと思うが、そう言っても通ってしまいそうな、肩肘張らない雰囲気がある。



「あの……、以前はありがとうございました。きちんとお礼を言えてなくて、すみません」


 おずおず伝えると、彼はまた、にこっと物柔らかな笑みを返した。


「どういたしまして。今日は何か、見ていきますか?」

「あ、えっと、その……」


 思わずしどろもどろになる。とにかくこの間のお礼を言わねばと、それ以外のことはなんにも考えていなかった。


「じゃあ、一本だけ……」


 彼はありがとうございますと言って、どれを選べばよいかと惑う私に花を見繕ってくれた。花びらがぎっしりと何重にも詰まって、ころんと丸みを帯びた薄ピンクの花だった。



「お店のスタンプカード、作っときますね」


 はいともいいえとも言っていないのに、生成(きなり)色の紙片を取り出した彼は、そこへポンとスタンプを押した。紙の上に、小さな桃色の花が一つ咲いた。ワ タ ナ ベ ミ ズ キ、と、カードを作るために伝えた私の名前が、思いのほか形の整った片仮名で並んでいく。




 それから、気まぐれにその店に訪れるようになった。

 月に一度か二度、ふと思い出したかのように寄って、一本だけ花を買って帰る。花に疎い私のために、彼は毎回その日のおすすめを選んでくれた。


 私はチューリップとか向日葵(ひまわり)とか、誰もが一目で分かるような花の名前しか知らない。あるときそれが急に恥ずかしく思えて、彼に花の名を聞くようになった。都度、彼は丁寧に教えてくれた。



 何かを求めていた訳ではない。日々は変わらず過ぎていったし、それに対する私の中の、ある種の恐怖が消え去ることはなかった。


 初めて花を買った日は、じっとりと夏の暑さが残る頃だった。いつの間にか人々は上着を羽織り、それが段々と分厚くなり、寒さが苦手な私はマフラーで首元をぐるぐる巻きにした。



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― 新着の感想 ―
お花屋さんの店員さんというシチュが理想的です。憧れちゃいます。 日常に小さくも新たな彩りが花開いたようで嬉しくなります。
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