34 感情の檻
「サキュバス……?」
私達は突然目の前に現れたハピネスというサキュバス相手に動けないでいた。
彼女を警戒し、どう対処すればいいか見極めていたのである。
すると、ハピネスはゆっくりとこちらに歩いてくる。
私達は身構えた。
「まあ、そんなに警戒しないでくださいな」
すると、ハピネスは一瞬で私の目の前に現れたかと思うと、そっと私の頬を撫でてきたのだ。
「ひゃっ……!?」
「へぇ……あなたが日比野愛依……結構可愛らしい顔をしていらっしゃるのね」
「おいこら! 愛依に何気安く触れてるんだ!」
そんなハピネスに、茉莉がシールドバッシュを繰り出す。
だが、茉莉のシールドは空を切った。
私の目の前にいたはずのハピネスは、一瞬でダンスホール左横に積み重なっていた椅子の山に座っていた。
「なっ……!?」
「あら、乱暴ですのね。まったく粗暴な人間というのはこれだから困ってしまいますわ」
「……あなた、何が目的……? 愛依ちゃんの事知ってるみたいだけれど……」
怜子がハピネスに問う。すると、ハピネスは今度右横に立っていた彫像の上に移動し、その上に立ってニッコリ笑う。
「ふふふ、よく聞いてくださいました。わたくしはね、まさしく日比野愛依という人間を見に来たのです」
「えっ、私を……?」
人語を喋るモンスターに直接名指しにされ、私は驚く。
一方で、ハピネスはニコニコとした笑顔を私に向けてくる。
「ええ、そうですの。日比野愛依……わたくしはあなたに興味がある。あの性格の悪いソローの片腕を落としたという、あなたにね」
そう言うと、ハピネスはまたも瞬間移動をする。
「まあ、だいたいはあのソローの傲慢から生まれた落ち度ですけれど、それでも人間が私達に傷をつけるなんて、面白いじゃありませんの」
どこへいったかと私達があたりを見ていると、後ろから声が聞こえてくる。
彼女は私達の背後に移動したのだ。
「やはり……あなたはあのソローの仲間なんだね」
「シャアアアアア!」
マリーはハピネスに向かってそう言いながらぎゅっと胸元の宝石を握る。
彼女の肩上で飛んでいるキトラも威嚇をしていた。
臨戦態勢だ。
「ああ、警戒しなくてもいいですわよマリー・バートン。わたくしはソローと違ってあなたの持つチャネリングストーンには興味ありませんの」
「え……? そ、そんなの……!」
「信じられない、と? でも本当だから仕方ありませんわ」
ハピネスは手を背中で組みながら私達の周りを右回りで歩き始める。
そして、横目で私達を見ながら言う。
「ソローはできるだけ入念に軍備を整えたいらしいですけれど、わたくしはその必要性を感じてませんもの。そんな手間をかけなくても、人類は私達に簡単に平伏する。わたくしはそう考えていますわ」
「人類が平伏……!?」
私はまたも驚愕する。彼女の言葉は魔軍と言われる存在が明確に人類に敵意を持っていることを示している証左であったからだ。
「ええ、そうですわ。世界を魔軍の支配下に置く。その“過程”で人類にはわたくし達魔軍の統治に入ってもらいますわ」
「……それってつまり、宣戦布告ってやつだよねー? 分かってる?」
ユミナが言う。
口調はいつもの通りだが、彼女もどこか緊張しているのが分かった。
「あら、そうなりますかしら? ふふふ……まあどちらでもいいですわ。そんなことよりも……」
ハピネスはそこで立ち止まり、その切れ長の目で私を見据えた。
「愛依、あなたがどんな人間か、わたくしにもっと教えてくださいな。そこのモンスターの力を借りた娘とは違い、不意打ちとはいえ自身の力でわたくし達大幹部の一人に傷を負わせた、あなたという人間を」
私はゾクリと体を震わせる。
彼女の視線が、そしてベロリと伸ばされた長い舌が、異様な雰囲気を醸し出していたからである。
「め、愛依ちゃんには触れさせません……!」
「そうだ! 愛依を守るのはこのアタシなんだからな!」
「ちょーっとうち的にも見過ごせないなーこれは」
「お姉ちゃんに近づかないで!」
と、そこで四人が私を庇うように武器を構え前に出た。
「み、みんな! 危ないよ!」
私は言うが、四人は聞かずにハピネスと相対する。
「あらあら……ずいぶんと皆さん愛依の事が好きなのね。ふぅん……でも、愛依は果たしてあなた達の事好きなのかしら?」
すると、ハピネスはそんな四人に向かって言った。
「ど、どういう……!」
怜子が不安げな声を上げる。
それに対し、ハピネスはニヤリと笑い言った。
「愛依の気持ち、わたくしが確かめてあげようって言ってるんですの」
そして、ハピネスは顔の横でパチリと指を鳴らした。
すると、突然四人の足元に紫色の魔法陣が現れ、それぞれを包み込む。
そして四人は、そのまま私の目の前から姿を消してしまった。
「えっ!? みんなっ!?」
私は叫ぶ。しかし、ダンスホールに残されたのは私とハピネスだけであった。
「ハピネス! みんなをどこへやったの!?」
「ふふ、まあそう慌てないで。あなたの大切なお友達はぁ……ここですわ」
再びハピネスがパチリと指を鳴らす。
すると、彼女の頭上に魔力でできたモヤのようなものが現れ、そこに四人の姿が映し出された。
それぞれ、どこともわからない灰色の真四角の部屋に閉じ込められているようだった。
「ど、どこ、ここ……」
「ちくちょうなんだこれ……!」
「うへーどうなってんの?」
「え、え? 何これ!?」
四人の動揺した声が聞こえてくる。それぞれ混乱しながらも壁を触ったり地面を蹴ったりして自分のいる場所を確かめているようだった。
「みんな!」
私はみんなに呼びかける。だが私の声は届いていない。どうやら向こうの声は聞こえてもこちらの声は聞こえないようである。
「みんなをどうするつもり!?」
「ふふ……これから、人間の本性ってのを見せてあげる……」
ハピネスはその長い舌で舌なめずりをしながら言う。
そして、彼女はまたもパチリを指を鳴らした。
すると、四人の閉じ込められている灰色の部屋がほのかに紫色に光り始める。
中にいる四人は当然困惑した姿を見せる。
だが、その直後だった。
「……愛依ちゃん、愛依ちゃん、愛依ちゃん……! わたしを見捨てないで……! わたしを助けて……! ずっとわたしの隣にいて……!」
「ああ、愛依……愛依はアタシが守らなきゃいけないのに……! こんなところでじっとしてられるか! うおおおおお出せ! 出しやがれ! アタシが愛依を守るんだ! アタシが愛依の側に近づくやつ、全員ふっとばしてやるんだ!」
「ああ……こういう部屋で愛依っちと二人っきりになれたらいいだろうな……愛依っち、愛依っち……うちとずっと一緒にいて……うちだけを見て……うちだけとずっと二人っきりでいて……」
「大丈夫だよね、お姉ちゃんは私のお姉ちゃんだもん。だから、私を助けに来てくれるはず。私はお姉ちゃんが大好きだし、お姉ちゃんも私を大好きなはずだもん。お姉ちゃんが愛しているのは私だけ……そう、お姉ちゃんは私さえいれば他は何もいらないの……」
四人は突如昏い目でそれぞれそんなことを言い始めたのだ。
まるで一番心を病んでいたときに逆戻りしてしまったように。
「み、みんな……?」
「ふふふ、あなたのお友達、結構な闇を抱えているじゃなぁい……」
そこで、ハピネスが楽しげに言った。
私はハピネスを睨む。
「これはあなたの仕業!?」
「ええ、そうですわ。わたくしはサキュバス。人間の夢を操り心を惑わす淫魔。だからこうして人の心の隙間に入ってその願望を引き出すぐらい簡単な事なのですわぁ」
「願望を……」
「ええ、そうですわ。どう? お友達のあなたに対する本性を見た感想はぁ? 幻滅したかしらぁ? 恐怖したかしらぁ? ぜひあなたの素直な感想を聞かせてちょうだぁい?」
ハピネスは私にねっとりとした声で聞いてくる。
それに対し、私は――
「……ふふふ」
「…………?」
「ふふふ、あっはははあははははははははははは!」
大笑いしてやった。
「……へ?」
間の抜けた顔をするハピネス。そんな彼女に、私は言ってやる。
「何が心の奥底にある本性よ! 私はねぇ、みんなのそういうところとっくの昔に嫌って言うほど知ってるの!!」
そう、私は知っている。というか身をもって体験しているのだ。
みんなのそういう私に対する感情を。
「それで私がどれだけ苦労してきたかあなたに分かる!? 分からないだろうなぁー! かぁーっ! 分かってないだろうなぁー! 私はみんなのそういうところとっくの昔に突きつけられているの! というか現在進行系で苦労しているの! でもね、それでもみんなは私の親友なの! 大切な友達なの! 今更こんなもの見せられたぐらいで私が揺らぐと思ったら、ちゃんちゃらおかしいわよっ!」
私は言い放つ。目の前のハピネスに。
そういうところも含めてみんなの事が好きなんだって。ずっと一緒にいたいんだって。
「…………」
すると、ハピネスはしばらく間の抜けた表情をしたかと思うと、
「……ふふふ、あはははははははははははっ!」
今度は彼女が大声で笑い始めた。
「あなた、面白いわぁ! 今までいろんな人間の心の中を覗いてきたけど、あなたほどに人の闇を真正面から受けている人間は初めてよぉ! いやぁ、本当に面白いわねぇあなた!」
「そりゃどうも。それで、満足したなら私の仲間を返してくれないかな?」
涙を流しながら笑うハピネスに、私は言う。
すると、ハピネスは人差し指で涙を拭いながら頷く。
「ええ、ええ、いいわぁ。ほら」
そうしてハピネスがまたも指を鳴らす。
すると、私の上方に魔法陣が現れ、そこから四人が落ちてきた。
「ふぎゃっ!?」
「ぐえっ!」
「うげっ!」
「きゃっ!?」
それぞれ茉莉が一番下で、その上にユミナ、怜子、そして一番上にマリーが重なっている。
「みんな!」
私は帰ってきたみんなのところに駆け寄る。
「……? あっ、お姉ちゃん!」
「愛依ちゃん!」
「愛依っち!」
まずマリーが私のところに近づいてきて、その後怜子とユミナが駆け寄ってくる。
「お前ら、アタシを下敷きにした謝罪とかはないのかよ……」
そして最後に、ゆっくりと体を起こしてきた茉莉がやってくる。その姿は、メンタルは先程までに重症化はしていないように見えた。
「みんな、よかった……」
私は言う。このままみんなが帰ってこなかったらと考えると、気が気ではなかった。
「ふふふ、面白いわぁ。本当に面白いわぁ……」
一方で、目の前のハピネスは本当に楽しげにそう言っていた。
私達はハピネスを見る。
「ハピネス、これで満足した? もしそうなら、大人しく帰って! あなた達の企みは見過ごせない。でもだからと言って即座にあなたを攻撃しようとは思わない。もし話し合える余地があるのなら、私は――」
「――ええ、ここは引かせてもらうわぁ、愛依」
と、そこでハピネスは私の言葉を遮って言った。ニッコリと笑いながら。
「でもね、愛依。わたくし、あなたに本気で興味が湧いちゃった……あなたという人間を、わたくし一人のモノにしたいと思っちゃった。だから、また近いうちに会いましょう? 愛依……ふふふ、あはははははははは!」
そう言って、ハピネスは去っていった。
一瞬で背後にゲートを作りその闇の中に消えていったのだ。
私はそこで、どっと疲れがでたのかその場に座り込む。
「愛依!?」
茉莉を先頭にみんなが心配して私を見る。そんなみんなに、私は笑顔とピースサインを見せる。
「だ、大丈夫……ちょっと緊張の糸が切れちゃっただけだから」
「まったくー、驚かせないでよもー」
ユミナが言う。彼女の言葉に、みんなは笑顔で笑う。
よかった、いつものみんなだ。
「さて、帰ろうみんな。とりあえずこの事は、カティアさんに報告しないとね……」
私はそんなことをつぶやきながら立ち上がる。
そうして、この日は事なきを得た。
だが、ハピネスがもたらす本当の災難を、私はこの後嫌というほど味わうことになる……。




