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短編置き場

拝啓 桜桃忌によせて

作者: 坂下茉莉

今日は桜桃忌です。私が中学時代にいつも読んでいた、大好きな文豪に、思いを馳せます。

 拝啓。


 突然のお手紙、お許しくださいませ。(わたくし)は貴方がお書きになった数々の作品の読者、名もなき一介の女学生でありますゆえ、さぞ不審に思われたことでございましょう。


 さて、私がこうしてお手紙を差し上げておりますのは、他でもなく今日この日、貴方と、語り合いたいことがあるからなのです。なんて、甚だ烏滸がましいことを申しましたけれど、しかし、あの可愛らしい女生徒やシンデレラ嬢の中に私の姿をかいまみ、あるいは私の中にあの廃人と言われた気弱な青年の影がちらついたように思われ、彼ら彼女らが私の心を共鳴せしめ――いえ、共鳴などという言葉はそぐわぬ気がするのですが、他のさまざまな言葉を案じてもどれも皆、気に入りません――、私の心に住み着いたのは、私が彼らのように、そしてひょっとすると貴方のように、ポオズを厭い、それでいて人間を恐れながらお道化に生きる道を歩んでいるからのように思われてなりませぬ。――ああ、なお一層烏滸がましいことを申し上げたこと、重ねての御無礼、お許しくださいまし。


 私は、周りの人々に嘘をつき続けて今日まで生きてまいりました。無論、誰かを傷つけるべく放つ嘘ではございません。ただ、こうせねば生きてはおれなかっただけなのです。嘘ともいうし、仮面とも、壁ともいえましょう。それはひとえに、人々の望む私、いいえ、()()()()()()()()()()になるためでした。私には、自分自身の心のうちがわかりません。同時に、人々が、あの笑顔の裏側に何を考えているのか、これっぽっちもわからないのです。それでも、彼らが離れていくことに、失望することに、どうしたって耐えられそうになかった。だから、詐欺師の十字架にもかかる覚悟で、煌びやかな壁の陰に息をひそめ、仮面を取り繕いながら、たかが過去の小さな挫折などのために努力を忘れた自堕落な自分をひた隠し、穢らわしい打算を悟られぬよう細心の注意を払い、勤勉で無邪気な少女を演じてまいりました。


 しかし、人間への最後の求愛と言わんばかりのこの演技には、思わぬ欠陥がございました。ひととの繋がりを守るための壁でしたのに、その壁のあまりに頑強であるがゆえに、かえって友人たちを遠ざけてしまっているらしいことを、知ってしまったのです。気づいた頃にはすでに私にとって、その砦のない無防備な自分というものは、あまりに心許なく、危うい存在でした。この仮面を脱ぎ捨てようにもその手は動かず、壁の外に無慈悲に降り注ぐ太陽の光は、あまりに眩しく鋭かった。


 葉蔵が、話していましたよね。「ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、『尊敬される』という状態の自分の定義」であると。ちょうど、今の私は、ほとんど完全に近く人を騙して敬意を得ているともいえましょう。そろそろボロが出る頃かと思いますけれど、未だその体裁を保っているつもりです。しかし、この仮面を見破られることは、死ぬる以上の赤恥を意味する……まして、それを自分から剥がすことなど、自死に等しいように思われるのでした。最初のたったいちど、嘘をつきさえしなければ、この恐れは生まれなかったのでしょうか。しかし、こうするしかなかった。私には何か、人間として陽の光の下で生きていくのには欠陥があるのでしょうか。


 ああ、あ、私の話すことばも、成すことも、何もかもがポオズでしかないのだ。我が身のいかに詰まらぬものかを思えば、このようなものなど今すぐにでも滅びて仕舞えばいいという気持ちが頭をもたげます。それでいて、実のところ心のうちは至って穏やかなのです。畢竟、虚像で固めたハリボテの私という今の姿に甘んじている。そのことに思い当たってしまえば、嘆かわしく、やはり消え入りたくなるのですが、それすら、意志なき私のうちに起こりうる激情など高が知れていて、何事もない日々を再び謳歌するのです。私には未だ、死が何よりも恐ろしく思われます――これから先の全ての道が、一挙に失われるわけですから。たとえ、私のような人形に何がなせるものかと嘲笑う声が、風に乗ってトカトントンと響いてきたとしても。


 ひとはいつか、私を嘘つきだと責めるでしょう。怠惰で臆病だと笑うでしょう。その時が来れば、もう何も抗うことはありますまい。いいえ、ひょっとすると貴方も、私のことなどお笑いになっておられるかもしれませんね。それでも一向、構いません。しかし、少しでも、わかってくださるならば幸いです。私のお道化の形を。私がいかに人間を恐れ、それでも人間を諦めきれぬまま、いかに薄弱な意思でここまで生きてきたのかを。


 そうして、私が、貴方のえがいてきた人々に自らの姿を重ね合わせてきたこと。貴方の作品の数々が、私に寄り添い、心を揺らしてきたこと、少しでも伝わればと、願います。


 貴方がほんのわずかでも、この薄氷を踏む思い、ポオズの仮面に押し込められた窮屈な心に、万が一にでも同調してくださるなら、あわよくば語り合えるならば、この上なく嬉しく思われます。


 御返事を、祈っています。

太宰ファンの皆様。もしこれが、彼への浅はかな冒涜になっていた時は、感想欄は非なろうユーザーの方々にも解放していますので、容赦無くこの無礼を叱責していただけますと幸いです。

勿論、お褒めの言葉をいただけると励みになります。

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