なぜコスプレイヤーはコスプレするのか。
ソーイングビーから順調に裁縫沼にはまって、針と糸使ったことないのが俺が裾上げ、袖詰めからシャツが縫えるようになりました。
そこで疑問が。
オタクと裁縫、二つ揃ったのに俺はコスプレにいかないな。
コス衣装とか作ろうとも思わないな。
その一方で衣装を自作してまでコスプレする人がいる訳だ。
この熱量の差はなんなんだろう?
不思議だねえ、ってことで調べてみたよ。
コスプレイヤーは大別すると既製品派と自作派がある。
コスプレの既製品ってどんなもんなん? お値段はどのくらいのもんなん?と調べたら安いのは1万程度から。
ああ、たまに古着屋やリサイクルショップで隔離されてるあれらな。
妙にぺらぺらなの。
まあ、上下で1万だったらそらぺらぺらにももなるよな。
では高い方はというとフルオーダーを既製品と言うかは微妙だけど、自作ではないつうことで言うと30万なり。
これもいい生地使って型紙から起こしてと言ったら、まあ妥当かなあ。
デザインがアニメや漫画のキャラなだけで服をオーダーメイドするのと変わらんよな。
対して自作派はなにをやっているのか。
型紙どうしてるのよ、自作するレイヤーさんてみんな自分で型紙起こせるの?
と思って調べたら、型紙をダウンロードできるサイトあるのな。
レイヤーのための強力な情報支援サイトもあった。
見ると変な熱気や一体感があって面白い。
コスプレに興味ない人でもコンテンツとして面白いと思う。
自作派の皆さまは型紙をアレンジしたり、身頃はこの型紙から、袖はあっちの型紙から持ってきて組み合わせたりとか結構高度なことやっていた。
普通に裁縫やってたら違う型紙のパーツ組み合わせるとか思いつきませんぜ。
かなり無理がでると思うが、経験でなんとかしてしまうらしい。
これは面白い、とコスプレ衣装製作の本を読んでみた。
そしたら、裏地?ポケット?そんなん知るか! と服としての着心地や機能性を捨てて見た目がすべてなんだよ! とシルエットに全振りしてて面白い。
だよなコスプレに裏地もポケットもいらんよな。
でもデザイン上どうしても必要な時はポケットをつけるようだ。ちゃんと物はいるポケット。
シルエット全振りなんだから、そこはポケット口だけ作ればいいんじゃね? と思わなくもない。
それでもって自作派が既製品派を揶揄する言葉として着ただけレイヤーなんて言葉もあった。
つい笑ってしまったよ。
前に女装趣味の人から女物の服を着ただけ、女に成れてないのを着ただけ女装って言うんだってのを聞いていたからさ。
まんまじゃん。
なにかを着るって分野に置いてやっぱ着ただけってのは差別語として機能するのな。
ファッション業界でも着ただけモデルとかありそうだよな。
着ただけ女装の反対はカマボコ女装である。
板に着くという意味で。
着ただけレイヤーの反対語は残念ながらカマボコレイヤーではなかった。
反対語自体なかった。
レイヤーの場合、ウィッグやメイクがちゃんとしてたり、キャラのポージングをちゃんとしてたり、要はちゃんとキャラに成りきっていれば着ただけレイヤーからは外れるようだ。
なんとなく既製品着てコスプレしてみましたってのはキャラへの愛が足りないと着ただけレイヤーと言われてしまうようだ。
自作派でも衣装に両面テープ! を使っていたり出来が悪かったりすると愛が足りないと敬遠されたりするようだ。
愛なのだな。
ああ、俺キャラ愛ないもんなあ。
二次創作全般に対する衝動ないもんなあ。
そりゃコス衣装作ろうとは思わないよな。
これにて解決、ではあんまりなので、もうちょっと続けてみよう。
愛を信仰に置き換えると違うものが見えてくる。
ほれ、コミケはお祭りだとか言うじゃない。
その手のイベントがお祭りだとすれば、祝祭に参加する人は普段と違う衣装を着るのはむしろ当然。
お祭りでも、御輿担いだり太鼓叩いたりする人は法被着たりしてるじゃん。
普段着なのはお祭りに客として参加してる人じゃん。
なので、コスプレとは神事における信仰の告白と読み取ることができる。
そりゃ愛がないと嫌われるよな。
神事に置いて、私は信仰が足りませんって公言して恥じない奴いたら、なんだこいつ?扱いされても仕方ない。
イベントでコスプレのまま外に出るなと言われるのも同様だ。
あれは目立つ格好、異様な格好が顰蹙を買うからではない。
それもあるだろうが、他人の祝祭が日常にはみ出てくるからより顰蹙を買うのだ。
祝祭の気配をまとっているからより異様さも増す。
あなたが神か、とか神絵師って言葉がある。
かなりこじつけだが、無意識に自分たちがやっているのが神事だと理解しているからと読み解くこともできる。
なぜコスプレが祝祭の気配を帯びるのか。
自分をすて愛するキャラに没入することは、神への帰依にも似ている。
構造は同じだ。
一時的にであれ自己を捨て自分より大きななにか、コスプレの場合はキャラに帰依にその姿を真似るのは宗教的色彩を帯びるのは当然だろう。
ではなぜ既存の宗教やお祭りではなくコスプレなのか。
社会が早く変わり過ぎてアップデートできてないからだ。
時代のが早く変わり過ぎて、古くからのお祭りがただの伝統芸能になってしまっている。
古い祭りの後継者不足に悩むなんてニュース聞いたことはないかい?
後継者に悩みってことは、共同体から意味がないものって見なされているってことだ。
しかし、日常をハレで区切ることも必要です。
なので新しい神や祭りが必要です。
去年と今年はもう時代が違うなので、年毎、できるならば季節毎に新しい神様が欲しいです。
あら、アニメや漫画のキャラがぴったり合いますな。
世界は新しい祝祭を必要としている。
なのでコスプレは時代の要求に従ってこれからも拡大し続けて、レイヤーも増えていくのだろう。
とても面白そうなのに、俺には愛がなくて非常に残念だ。