第9話
ゴブリンの頭の中って文章にするの難しいですね。
フクロウの鳴く晩には、死んだ戦士の魂が山に帰って来る。
ゴブリン族の言い伝えだ。
魔王城にほど近い山の中。満月の夜にほうとフクロウの声が響く。
こんな夜には、つい数日前に死んでしまったヤイツも帰って来るだろうか。
少しの悔しさと怒り、そして申し訳なさを綯い交ぜに、ビモオは仲間を率いて木々の間を歩いてゆく。
それにしても、あのオーガたちは気に食わない。まるで自分たちがゴブリンを従えたかのように振る舞うのにはひどく腹が立つ。ゴブリンの長たるギアバ王の精鋭部隊すら、まるでザコのように魔王城の庭を守らせているのだ。
確かに、魔王がどこかのニンゲンの勇者とやらに討たれて消えた以上、魔物の間で次の1番を巡る戦いが始まるのはビモオにも予想できた。ゴブリン族戦士長の兄からは、ギアバ王もそれを見越して色々な準備をしていたと聞いている。そんな中、オーガの使者がやってきたのだ。
ゴブリン族は数は多いが突出して強い者は多くない。大多数のゴブリンはそうは思っていないようだが、兄から森の力関係を教わってきたビモオにはよく分かる。他の種族と全面戦争になれば、きっとすぐに負けてしまうだろう。特に、数は多くないが1人1人が強い力を持つオーガ族は争いたくない相手だ。そのオーガの方から手を組むことを提案してきたのだ。ギアバ王は当然それに乗った。
(オーガの野郎、最初は守ってやるとか言ってやがったくせに、結局周りの山の見張りなんかは俺らに押し付けるんだからよ!)
(ギアバ様が我慢してらっしゃるからオレたちも我慢してやるけどよ......)
「しィッ! なんか聞こえねぇか?」
一緒に行動していた集団の中で、ヤイツを除けば1番若いダタンが声を上げる。ビモオも立ち止まって耳をすましたが、聞こえるのはかすかな風の音、木の葉のこすれあう音くらいだ。フクロウはしばらく鳴いていない。
「なぁにいってんだよ。オマエ、ビビってんのかあ?」
「さっきはフクロウが鳴いてたべ。オマエのおっかねえじいちゃん帰ってくんぞぉ」
「やめろィやめろィ」
仲間たちから陽気な声が上がる。ついこの間までなら、こんな時にからかわれるのは最年少のヤイツだった。あの憎らしい人間のせいで、彼は死んでしまった。一体全体アイツは何者だったのだろうか。魔王軍四天王を名乗っていたが、とても本物だとは思えない。
不意に明るかった視界に影が差す。月に雲でもかかったかと見上げたビモオの目に、翼を広げた影がちらりと映って消えた。
衝撃と土煙。
吹き飛ばされ、地に転がってようやく、何かがすぐ近くに降ってきたのだと理解する。
再び目を開けると、土埃の向こうに見覚えのある服装。茶色い髪。モリドングリのような大きな目。人肌色の顔。
忘れるはずもない、ヤイツの仇だ。そんなはずはない。
「な、なんで......!?」
「お久しぶりです。良い夜ですねェ。」
耳障りな音を立てて、敵が翼を背中に吸い込んでいく。人間とは思えないような、不気味な笑顔がそこにあった。
「何故、か。ゴブリン如きには理解出来んだろうが、貴様らのような悪を滅ぼすまで正義は何度でも蘇るのだ」
「ボクの行く手を阻んだんだ、奪われる覚悟はできているね、全て」
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(面ッ白ぇ......!)
ドラグネアにとって、広い意味での敗北は忌むべきものではない。もちろん負けるのは悔しいことだが、勝敗はそれを定める規則によって容易に変わる。例えば、文字の読み書きで勝負しろなどと言われれば自分は人間にすら負けるだろう。重要なのは勝ち負けではなく、その原因が闘いの強さにあるか、なのだ。強いが故に勝ったのならそれでよし。もっと強くなればいい。弱いが故に負けたのなら滅茶苦茶に腹が立つ。弱いままでいるのはさらに腹が立つ。もっともっと強くなって、自分を打ち負かした相手を逆にぶちのめす必要がある。そうやっていつか最強になるのだ。
記憶に新しいのは2度の敗北だ。1度目は勇者を名乗る人間。竜の姿を表したにも関わらず、正体不明の技一発で死んだ。2度目は目の前で腰を抜かしているゴブリンども。勇者に倒された後、なぜだか閉じ込められたこの身体では敵わなかった。もう、同じ相手には負けない。負けられない。弱いままでいることは許さない。弱さに甘えることは許せない。怒りが自分を強くする。
魔王軍四天王ドラグネアが持つのは魔王の「憤怒」の心。その力は単純明快、自らが求める強さへと肉体を進化させるというもの。拳の届かないものなどない、「最強」へと辿り着くための力だ。
自分には研ぎ澄まされた達人の技も、精密な魔法も、ちまちまと敵を追い詰める作戦も必要ない。誰より速く翔び、圧倒的な力で敵をぶん殴り、どんな攻撃にもびくともしない超強力な存在。それが最強ということだ。
所詮は他者にもらった強さ、そうやって馬鹿にする者は全員ねじ伏せてきた。どんな経緯で強くなったかなど関係ない。今この瞬間に強い、それで十分なのだ。強いやつの在り方に文句をつけられるのは、もっと強いやつだけだ。
弱いままではいられない。なのに、トンボごときに喰われそうになった。だから強くなった。翼も生えた。「憤怒」の心はやはり自分とともにあった。至極簡単な話だ。ゲルーツクのやつは条件がどうの、魂の馴染み具合がどうのと小難しい理屈を並べては身体の進化を説明しようとしていたが、大して意味のないことだ。正直アホだと思う。強くなった。敵わなかった相手を、今はぶちのめせる。その機会をもたらしたのは他ならぬゲルーツクの力だが。
(まあ、あいつもたまには役に立つってこったな。死んで終わりじゃねぇ、どこまでも強くなれるんだ)
(待っとけよ「最強」。お前はあたしだ!)
先程集団のど真ん中に飛び降りた際に倒れ伏し、或いは吹き飛んでいたゴブリンたちが、各々の武器を手に立ち上がる。たくさんの黄色い目を睨みつけると、恐怖を押し殺したかのような光が帰ってくる。強い者の目ではない。
前回と同じく周囲をぐるりと取り囲まれている。とりあえず前方の敵に殴りかかるべく両脚に力を込めた瞬間、後ろで何かが風を切った。ちらりと確認すると、奇しくもあの時と同じ右肩に矢。やはり、傷口を中心に嫌な感じが広がっていくが――
「だからどうしたよ? おんなじ手は二度と通用しねえ」
相対するゴブリンたちの面に明らかな動揺が走る。
「ヤ、ヤイツの仇ぃ!」
一際体格の良いゴブリンが剣を抜き放った。ゴブリンにしては良い剣だが、名剣・宝剣と呼ばれるものにはもちろん遠く及ばない。それこそ、だいぶ前に何度か戦った■■■■■の得物に比べれば、なまくらどころか木の棒に近いだろう。要は最強には程遠い、どうでもいい玩具だ。
「おら来いよ!」
左手の甲で剣を正面から受け止める。およそ人の、それも少女の身体が発するとは思えないような硬質な音が鼓膜を撫でる。
まずまずの働きだ。肘までが薄っすらと紅い鱗に覆われた左腕は、トンボの魔獣に喰われたのが再生したもの。これが竜の身体なら剣の方が折れていただろうが、今はこれで十分だ。
即座に、空いた右拳を驚きに目を見開く相手の顔に叩き込む。意図したとおりに頭蓋を粉砕したツケは、手指が砕けるという形で回ってくる。
(チッ遅ェよ)
軽い苛立ちを覚えると、ぼんやりと紅い光に包まれた右拳がその再生を速める。骨が軋み肉が生える音。もっとだ。もっと強く、もっと速く。まずは竜の身体へと近づいてみろ。
痛みは一切感じない。ゲル―ツクがなけなしの魔力を使って〈痛覚遮断〉とかいう魔法をかけたのだ。真に強い相手との死闘の中で、チリチリと身を貫く痛みを楽しむドラグネアにとっては、やや不服であった。ゴブリン程度が相手では、痛みはかえって邪魔だろうとパスカルに言われて納得はしたのだが。
恐怖を湛えた顔、顔、顔。
「オラどォした? 次はこっちからいくぜ!」
左脚で軽く弾みをつけ、右脚でしっかりと地を蹴って、今度は槍を持った1匹に瞬時に肉薄する。弾けるように振るわれた得物を片手で掴むと手首の返しでへし折り、ついでに相手の顔を鷲掴みにする。どうしようか。勢いのままに顔を掴んだが、どうとどめを刺すか決めていなかった。緑色の手足をじたばたと動かすが、力を増した右手はびくともしない。
意図せず口が開き、勝手に言葉を発する。
「仇? 仇といったか。仇討ちなら此方も同じだ。」
「誰の仇か? 決まっているだろう。この"俺"のだ。この世の正義たるこの俺を、貴様らは直接的に、間接的に何度も殺したのだ。これほど罪深いことがあるか? 貴様らは悪だ。悪は世界から消えねばならぬ。1匹残らず屍に変えてくれるわ!」
またこれだ。憤怒の働きが強まるとともに、前より他のやつとの交替が簡単になってしまった。白い部屋の中で1歩踏み出すように意識するだけで、容易に前に出て身体を操ることができる。自分が替わってやる分には良いのだが、いいところで闘いの主役を奪われるのは気に入らない。
「雑魚は灰に帰れ。〈火炎球〉」
ゴブリンの顔を掴む掌を中心に、炎の球が膨れ上がる。音を立てて緑を黒に塗り変えたそれは、3つ数えるうちに消えてなくなった。
(灰というよりこれは炭ですねェ。コンガリというにはやや焼きすぎでしょうか。)
内なる声が淡々と告げる。再び入れ替わったドラグネアは、炭化した矮躯を投げ捨てた。それがどんなに誇り高き戦士でも、強者であれるのは生きているうちだけだ。死んでしまえば、残るのは強弱もないただのモノ、面白みもない役立たずのゴミ屑なのだ。
「てめぇコラ、勝手にしゃしゃり出てくんじゃねえよ。イラつくなァ」
「ひ、1人でなにキレてんだよ!?」
「コイツ、やっぱアタマおかしいんじゃねえか」
「みんな撃て! 〈凍針!〉
魔法使いと思しき数匹のゴブリンが杖を掲げる。毒の回った頭に喰らった、ショボい魔法だ。左手を掲げて飛んでくる氷の針を打ち落とそうかと考えたが、それより速く右手が空に何かを握り込む。
「吸奪剣」
現れたのは、刀身から鍔、柄まですべてが黄金に輝く一振りの貪欲な剣。吊り上がるように腕が閃き前方からの攻撃を斬り払わされる。
青白く鋭い氷の光は、斬られると同時に金の刃に吸い込まれるようにして消えてしまった。
「全く取るに足らないね。魔法術式、頂いたよ?」
パスカルのことは嫌いではない。ドラグネアより弱いけれど頭は回るし、上手いフォローの術も心得ていると思う。だが、そのスカした口調はどうにかならないものか。
「これは......そうだな、氷柱剣とでも言おう」
剣を構えつつその場でくるりと回転すると、切っ先が空中に金色の円を描く。その軌道に沿って無数の大きな氷柱が作り出され、完成したはしから撃ち出されてゴブリンの頭部に正確に華を咲かせる。
悲鳴すらも上がらず、周りを囲んでいた影は1つ残らず地に沈んだ。満月が赤黒く染まった山道を照らしている。
(これで全部だね。ネア、ボクが出番を奪っちゃって怒ってないかい?)
口の端を吊り上げて笑ってみる。竜の身体なら牙がむき出しになるところだ。
人間が持ってるのを見たことがある、バネとかいう小細工を縮めるように足から背中、全身へと力をためる。そのままゆっくりと後ろを振り返り、削れるほどに猛然と地を蹴って、背を向けてすたこら走る緑に一跳びで追いつく。竜の1歩分といった距離だったか。
背後からの突風にゴブリンが身構えた時には、彼の胸から少女の足が半分ほど生えている。
ドラグネアが足をずるりと引き抜くと、最後の1匹・逃げ出した弓兵は、ごぼりと声ならぬ声を発して絶命した。ゴブリンの生きた証は鮮やかに地面に吸われていく。
赤い滝と紅い光が混ざり合い、尋常でない出力に耐え切れず壊れた足が再生を始める。ボコボコとまるで泡立つかのような生々しい音もむしろ心地よい。
「怒ってるかって? いつだってブチキレてるよ。そんで、あれで全部じゃなかったなァ」
この人たちイキッてますけど相手はまだゴブリンですよ......
私は魔王軍四天王たるもの敵の強弱に関わらずイキッてなんぼと思ってますw