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少女の中の魔王軍  作者: もやし管理部!
第1章
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第6話

 死の谷。

 

 そこは、天の祝福を受けた土地。

 周辺に住む知性を持った魔物はもとより、野生動物すらも決して立ち入らない呪われた地だ。


 切り立った斜面に囲まれた谷底は、昼夜問わず不自然に濃い霧によって覆い隠されている。

 辺りには生温い風が吹き、谷間から生臭く湿った空気を運んでくる。時折木霊する不気味な魔獣の鳴き声が聞く者の心を暗く掻き乱す。


 最も恐れるべきは、谷底から立ち昇る瘴気である。狂った地脈が絶えず放出する、腐りきった魔力がこの地に充満しているのだ。触れ続ければ身体が徐々に蝕まれ、やがて死に至る。死の谷で生きられるのは一部の危険な魔獣のみ。さらに厄介なことに、これらの魔獣は瘴気によって凶暴さを増し、身体も巨大化するのである。


 人が一度入れば、瘴気に侵され死ぬか、魔獣に喰い殺されるかのどちらかであった。



 そんな谷を見下ろす崖の上に、2匹のゴブリンが姿を現した。半ば担ぐようにして運んでいるのは、人間の少女の死体である。身にまとった給仕服はあちこちが破れ、まだ新しい血に塗れている。2匹は何やら悪態をつくと、ためらいなく崖からそれを投げ落とし、元来た道を一目散に駆け出した。

 少女の身体は確かな重みをもって霧を裂いていったが、すぐに上からは見えなくなる。

 

 そして、信じられないほど長い静寂の後に、湿った音が弾けた。




===========




 目を開けると、白だった。息が詰まるような濃密な白。

 頬を撫でた白色が生温く湿っていたことで、それが霧であることに気付く。


 意識の混濁はない。俺は、魔王軍四天王のゲル―ツク。正義だ。

 身体に痛みはなく、目立った外傷も見られない。

 ドラグネアが先走った結果、少女の身体はゴブリンの槍や魔法に貫かれ、その命を散らしたはずだ。目を閉じれば、視界一面に映った夥しい量の血液がまざまざと甦る。脳内、精神世界とでもいうべき「白い部屋」にいたため痛みを感じなかったが、それ故に妙に実感が湧かない。

 あの後、急に意識が闇に飲まれた。目覚めるまでに一体何があったというのか。


 如何やら霧の大地に横たわっていたらしい。何処かから水の音がする。近くに川でもあるのだろうか。

 身を起こそうと地につけた手が、やや粘り気のある液体に浸るのを感じた。声を上げそうになりつつもゆっくりと検める。

 辺りの地面に広がるのと同じ赤黒い色が、小さくて人肌色の掌に付着していた。正しく血溜まりだ。ここまでの出血なら間違いなく死んでいる。

 そして、身体は相変わらず人間の少女のままだ。


(うーむ。魔王の心とはこの俺の魂に融合したものだったはず。確かにここに意識がある以上、この娘に魂を宿すことで1度死んだ俺が蘇った、と考えるのが自然だが。魂と共に"魔王の心"の権能まで取り込まれており、かつその力が再び発揮されたというわけか。もしそうならば――)


 理由は不明ながら共に小娘の中に囚われた、憤怒・強欲・暴食の3名の力も1つの身体で行使できるのではなかろうか。もしそうであれば、また1つ自らの正義の実現に近づくこととなる。己の鍛えた魔法以外にも、強力な力を持つことができるはずだ。



(やはり、悪を滅ぼすために俺は何度でも蘇るのだ!)

(正義は力を持たねばならぬ。何人も背くことのできぬ、圧倒的な強制力だ。従わせる力のない正義は踏み躙られるのみよ。どうやら、世界がこの俺を善悪の基準とする時代は来つつあるようだな)


 思念を垂れ流しにしているが、内側からの反応はない。

 

 フハハハハハ! と声を出して笑ってみる。発声器官には問題はなさそうだ。魔法の詠唱も問題なくこなせるだろう。

 ゴブリンの槍にて貫かれたはずの胸部にも傷1つなく、給仕服の胸部分に空いた穴のみが事実を記録している。破れた箇所から肌が多少ちらつくが、ゲル―ツクからすれば何の問題もないことだ。そもそも衣服とは本来防御のための装備。魔力も込められていないこの服装では裸と変わりない。まあ、脆弱な人間の身体を虫や毒草の類から保護できるため、ないよりはマシ、くらいだ。今の所、この身体の本来の持ち主の意識は確認されていないし、文句を言う者もいるまい。


 それにしても、亜人族の中でも戦闘力・知力ともに低位といわれる、ゴブリン風情に敗北したのは屈辱だ。あの場は格闘戦を得意とするドラグネアに任せたが、そもそも彼女の戦い方は竜族の圧倒的な身体性能を活かしたもの。人の身体では十分に戦えまい。魔力が切れてさえいなければ、ドラグネアと交替をしつつある程度の立ち回りができただろうに。この小娘の貧弱な魔力量は非常に頭の痛い問題だ。

 ゴブリンがうろついていることから、この地は大陸の西側、魔の暮らす領域・魔領とみて間違いないだろう。ゴブリンなどの弱者が棲むのは魔領でも東端であり、領域の中央に位置する魔王城までは距離がある。魔法を十全に使えない以上、この先の道中の安全は、他の3名の能力がどこまで発揮できるかにかかっているのだ。


 先程死んでから、どのくらい時間が経過していたのだろうか。霧のために上空の様子が分からず、昼夜の判別もつかない。これほどまでに霧の濃い場所は数少ない。さらに密度の高い魔力の気配からいえば魔境中の魔境であり、自ずと現在地の目星も付く。

 手掛かりを探して体内に意識を向け、自らに満ちる魔力を確かめてみる。思えば元の身体でないのだから、その自然回復量によって凡その経過時間が分かる、などということはないのだが。癖のようなものだ。

 どうやら感覚からしてほぼ完全に回復しているらしい。否、それどころか――


(魔力の絶対量が僅かに増している……?)




 何かが風を切る。




 視界が一瞬浮き上がったような気がして、何もかもが消えた。







===========



 骨を砕き、溶かして啜るおぞましい音が、霧に散っていく。


 食事を終えた異形は次なる獲物を求め、8本の脚を震わせる。


 後に残されたのは、首から上に永遠の別れを告げた少女だけだった。



===========




 再び白が目に飛び込んでくる。霧とはまた異なる、平坦な白だ。

 白い空間。


(何が起きた......?)


 身を起こすと――それも実体ではあるまいが――見慣れた黒髪と冷たい黄金の瞳、一瞬女かと疑うほどの容貌。すらりとした長身が見下ろしてくる。


「やあ、随分のんびりとしたお目覚めだね」


「フン、馬鹿を言え。真っ先に起きたのはこの俺、寝こけていたのは貴様らの方だ」


「はいはい分かったよ。それにしてもあれだけの傷を負って、この身体はよく生きていたものだ――などとは言い難いね。ゲル―ツク、またキミの力なんだろう?」


「当然だ。この世から悪が消えぬ限り、俺は何度でも蘇るのだ!」


 その仕組みについて疑問は尽きないが、取り敢えず自信を持って宣言しておく。

 これこそ正に正義だ。


「ふむ。魔王の心によってもたらされる力、それがこの身体でも使えるというのか。ボクが街で試した時は発動に失敗したんだけどな。今までに奪った分が使えないだけなのか......?」

「ボクが唯一の英雄となる道は、閉ざされていなかったということのようだね、これは」


「おう、それにしてもここァすげえ霧だな! まわりの様子ぜんぜんわかんねえじゃねーか」


 紅い瞳を輝かせて、人のカタチをした竜が割り込んでくる。


「意外だな。貴様、ゴブリン風情に負けたことが我慢ならず、今すぐにでも無謀な再戦を挑みに行く勢いかと思ったのだが」


「勘違いすんなよ? 弱ぇことは我慢ならねえ。でもよ、あたしも馬鹿じゃねぇんだ。今の身体じゃあいつらに勝てねぇことくらい分かる。弱ぇなら強くなるまで。そのうち必ずぶちのめしてやらァ」


「いつか? 気が長くて結構ですね。魔王城に一刻も早くたどり着きたいこの状況でよくもそんなことが言っていられるものです。まあ、我々の行く手を阻んだ彼らを滅ぼすことには同意しますよ。」


 天井から降る声はやはり、この「部屋」にいない少年のものだ。


「いやに棘々しいね。魔王の元に戻るのを急ぎたいのは分かるが、まずは目の前の問題に1つずつ対処していかないことには始まらないだろ」

「今は、濃霧が厄介だね。見通しが効かないのは危険中の危険だ」


 外のゼルセロは、鼻を鳴らしつつも納得はしているらしい。

 パスカルが仕切り出したが、特に異を唱えず見守ってやることとする。他者の胸中を推し量りつつ共通の目的に向けて前進するなど、絶対正義たるこの俺が率先してやることではない。彼らの力を上手く利用するにあたって、そのやり方が都合が良さそうであるから任せるまでだ。


「思ったんだけどよ、傷がねぇったって、こんだけ血ィついてりゃそこらの獣が寄ってきて危なくねえか?」


「確かに。この霧だ、忍び寄ってこられたらどうしようもないね。ゲル―ツクの力で生き返ること自体はできそうだが、何らかの代償や制限がないとも限らない。最後の手段と位置付けて、なるべく頼りたくはないな」


「何だ? この俺が信用ならんとでも言うのか」


「彼のことは放っておくとして、早急に洗い流した方が良さそうだ。幸い、水音が近い。というわけでゼルセロ、交替してくれないか」


「理由を聞いても?」


「なに、全くボク個人の都合、というか信念だよ。クックッ この身体は人間でいうと年頃の女の子のものだ。男性には容易に見せる訳にはいかないと思ってね。ま、今は実質ボクとも言えるワケだし」

「こういったことにも頭が回らなければ、英雄たり得ないとボクは思うのさ」

 

 自分以外が特別であることを許さないくせに、侮るべき平凡と認めればここまでの配慮を見せる。この男もまた中々に狂っている。


「じゃ、あたしの出番だな!」


「いや、キミの水浴びといったら、空高く舞い上がって湖に盛大に飛び込むアレだろう? とても任せられないね」


「照れんじゃねーか」




「こんな状況で...と言いたいところですが、少し面白いですね。いいでしょう」


「意味もないことを。俺は女になど興味はないぞ。男にもないがな。こんな小娘なら尚更だ。貴様が人により近いことは知っているが、何もこの俺まで人の持つ考えに縛られることはなかろう? 

さらにだ! 貴様の主張には根本的な誤りがある。この娘の裸を男に見せられぬと説いた、他ならぬ貴様が男だということだ!」




 しばしの沈黙。冷たい金を宿して、切れ長の目が呆れたように細められる。




「は? ボクは女だが」

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