第4話
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徐々に急になっていく山道。給仕の格好をした少女が息を切らしながら登っていく。太陽は西に傾いており、人の街であと1つ鐘が鳴れば空が紅く染まるだろう。
(貴様らに1つ言っておくことがある)
(だいたい予想はつくけど.....聞こうか)
(先程、二つの魔法を行使しただろう? あれでこの娘の魔力は尽きてしまった。全く貧弱で目も当てられぬことだな)
(バァカそれ以前の問題だぜ。まず魔王城に転移するってのに、なんであたしらはこんなクソしょうもねぇ山ァ歩かされてんだ! てめぇが座標計算ヘタクソだったんだろうが! カッコつけやがって)
(それにキミ、知らなかったとは言わせないぞ。パメリア王国の王宮魔術師は、探知魔法を得意としているんだ。街で転移なんかしたら一発でばれるに決まってるじゃないか)
(黙れ! この俺の〈転移〉は僅かな痕跡も残さぬほどに鍛えられている! さらに、監視魔法が使われていることを想定して〈隠匿〉を使ったのだ。監視魔法を欺くどころか転移の追跡も不可能。人間の木端魔術師如きに見破れるものではないわ!)
(へッ! 大口叩いたところ悪ィけど、初対面の人間にお得意の魔法をあっさりマネされるような、大魔法使いサマの言うことが信じられっかよ)
(先走って魔法を使わなければこんな状況に陥ることもなかったんじゃないかい。まずは一言、謝罪があってもいいと思うよ?)
ゼルセロには口をはさむ気力もない。日の高い内から山道を交替で歩き通し。比較的木が疎らな斜面とはいえ、大地は辛うじてならされた程度。山道はだんだんと険しくなっていく。
自分の死後、なぜか手に入れた――閉じ込められたこの少女の身体は、長距離を歩くことに慣れていなかったようだ。初めて味わう肉体の疲労が、容赦なくゼルセロを苛む。容赦なく既に汗だくかつ空腹で、脚は棒のようである。肉体に縛られず、疲労とは無縁だった元の自分が懐かしい。
そして何より、ゼルセロの心をじりじりと擦り減らすのが魔王の安否だった。
かつて、宇宙を7度も破壊したという魔王と巨神との戦争。その戦いにおいて、巨神の軍勢を討ち、星を守護する兵器として魔王が生み出した種族・星霊。ゼルセロはそのうちの1体である。といっても、闘いの記憶は存在しない。そもそも、ここ百年より前の記憶がほとんどないのだ。巨神との大戦争を生き抜いたであろう経験が、そこから積み上げたであろう歴史が空白なのである。ゼルセロは言いようのない不安と不完全な感覚を背負って今日まで生きてきた。不完全であることは言いようもなく気持ちの悪いことだ。決して満たされない部分が自らにあるというのは全く耐えられたものでない。
ゼルセロにとって魔王とは親のようなものであるはずだが、自分を生み出したことへの感謝や情といったものを特に抱いてはいない――星霊である自分を他の生命と一緒に見られては困る――しかし、いつか目覚めたときに、自分の過去を明らかにし、歴史を取り戻してくれる存在、自分を完全なものとしてくれる存在だと信じる。だからこそ護るべき者であり、価値ある者だ。魔王を害されることは自らの記憶を害されること。他の3人には「魔王軍四天王だから」などと思いもしないことを説いたが、他ならぬ自分のために魔王の身が何より心配だ。
それにしても、と自分を襲った脅威に思いを馳せる。「あの男」は異常に強かった。人間の青年のような姿をしていたが、少年のような姿を取りつつ、永き時を生きる者が他ならぬ自分であるため、見た目をあてにはしない。とにかく、星霊魔法ごと自分たちの身を喰らい尽くした謎の攻撃が最も危険だ。星霊魔法は術者の体内の魔力を用いる一般的な魔法、例えばゲル―ツクの使うような元素魔法とは全く異なるものである。この宇宙に満ちる魔力を直接利用するため魔力切れの心配がなく、規模も威力も桁外れである。例えば〈極超新星〉などは、本気で放てば周囲を凄まじい熱と光で蹂躙し、遥か彼方の星をも塵も残さずに消し飛ばすものだ。星霊魔法として最下級に分類されるものを更に手加減して撃ったとしても、防げる者はこの大陸にほぼいないはずだ。星の理と正面から撃ち合って、相殺どころか逆にこちらが餌になるとは。
さらに、星霊とは魂を核に宙の魔力を纏った精神体。完全に滅ぼすには魂を破壊するしかない。自分の意識が未だここにあることから、魂までは滅びていないと思われる。そもそも宇宙とそこに生きる生命を創造した魔王は、魂こそ最も強靭な要素として設計したのだ。しかし、それならばなぜこんな少女の中にいるのだろうか。理由は分からず、自力で「檻」から出られる気配もしない。
恐らくこの身体ではもはや星霊魔法は使えないだろう。術式の構築や起動に伴う莫大な外部魔力の収束と共鳴に、人の身が耐えるとは到底思えない。仮に発動自体に成功したとしても、その一瞬で身体が崩壊するはずだ。その場合、魂のみで無事に肉体を脱出できる確証など当然なく、危険を顧みず試す気も起きない。
とにかく、今は魔王城に一刻も早くたどり着きたいところだが、今歩いているのがどこかすらまるで不明だ。太陽の位置を頼りに、どうにかそれらしい方角に進んでいるが、もし今日が新月ならば日が暮れてからの移動は厳しいだろう。東の空はちょうど木々に阻まれて見通すことができない。
(なぜ俺が謝る必要がある? 我々が死んだのも、この小娘の中で不自由する羽目になったのも俺に責はあるまい。それに、俺の魔法は完璧だった。芸術的ですらあった。これは全く不幸な、避けられぬ事故だったのだ。)
(後付けで自分が責任を負う範囲を拡大して、謝罪の安売りをするのは俺の正義ではない!)
(いつもいつも正義、正義ってよォ、意味わかんねーよそれこそ恥ずかしくねぇのか)
思わず溜息をついて天を仰ぐ。緑に切り取られた空に、うっすらと橙色に染まった雲が浮かんでいた。数を増して茂る木々に、段々と山の奥へ入っていることを実感する。
「決して嫌いってわけではないんですけどねェ。」
(うん? ゼルセロ、何か言ったかい?)
(いえ、何も。)
ここから魔王城まで歩いてどれだけかかるだろうか。魔力が回復すればゲル―ツクに転移魔法を使ってもらうことも可能だが、再び失敗することも考えられる。訳の分からないところに飛ばされるのは二度と御免だ。これからさらに山深くなるため、馬車などが通りかかることなどまずないだろう。現在地も不明、太陽の位置を頼りに徒歩での移動。気が遠くなりそうだ。焦りは深まるばかりである。
万一、獣にでも襲われたらどうしたものか。魔物であればさらに厄介である。人間の身体では自分とドラグネアは恐らく役に立たない。いずれ満ちる魔力は移動ではなく護身のために割いてもらった方が良さそうだ。
星霊魔法により広範囲を火力で蹂躙することを得意としていたゼルセロと違い、ゲル―ツクは技巧派の魔術師だ。突出した破壊力はないものの多彩な魔法で相手の弱点を突きながら小賢しく戦う様は、ドラグネアに「チマチマしただせぇ戦い方」などと揶揄されることもあれどゼルセロはある程度評価している。
本人が「芸術」と言い切るだけあって、様々な元素属性を組み合わせ、独自の魔法を生み出す技量はなかなかのものである。ただ、悲しいかな魔王軍四天王の中では最弱だ。慎重派を気取る割に考えなしの行動が多いこと、すぐに調子に乗ることには、命を預けるにあたって不安を感じずにはいられない。
(貴様、俺の正義を馬鹿にするか? 教えてやる。善と悪とを分かつ基準、それが正義だ。そしてこの俺が正義となり、全てを迷いなく従わす基準となって悪を滅ぼし、世界は真の平和を迎えるのだ!)
(良いとか悪いとか関係ねぇ。この世はよォ〜強いか弱いかだろ)
突如、茂みが不穏に揺れた。