第23話
揺らめく闘気を纏った拳がぶつかり合うたび、海面は裂け大気が悲鳴を上げる。
有象無象が近づけば粉微塵は避けられない、火力と火力の真っ向勝負。古強者同士の空中肉弾戦は、遊び程度の力加減をもって苛烈をきわめていた。
「何が目的で姿を見せた? 軽くひと当たりのじゃれ合いのつもりならいい迷惑なので、ここまで連れて来ておいてなんだが帰っていいだろうか。」
「魔王は、貴女方悪魔は何を考えている? 四天王が死んだのは知っているのか?」
「質問が多い! 先程申し上げたばかりでしょう……」
「言葉は"交わす"ものであって、一方的に投げつけるのではいけませんのよ~!?」
複雑な立体駆動を伴う多段蹴りは、身体を一時雷光に変えることによる短距離疑似転移で回避する。
幾重にも爆ぜる空気。闘気の操作と体術のみで相手するつもりが、うっかりと雷嵐竜王の二つ名の所以、生まれ持った雷の異能を使わされている。
(徒手格闘の技量、気術の練度ともにやはり及ばない、か。分かってはいた事だが……)
闘気――魂への記録方法により魔力をあえて回転と表現するならば、それは魂の振動。
無論喩えであり物理的なそれとは全く異なるもの。生きとし生けるもの全ての魂に刻まれた情報の1つである。
具体量として肉体を満たす魔力と異なり、心技体を極めた結果、強度としてのみ外界に表れる。したがって闘気に枯渇の概念は存在せず、出力の低下や途絶があるとすれば肉体の損耗や精神集中の欠如といった要因によるところとなるだろう。闘気は「振動」であるが故に物理相に至る過程で減衰する。魂の器である肉体、及び魂を覆う雲である精神の修練によって抵抗を減じ、ありのままの強さで発揮させること、言わば心身の透過こそ闘気を操る技法――すなわち気術の基本にして奥義である。術式の要求する魔力量を満足しなければ発動できない魔術と違い、誰にでも行使し得るが故に個と個の闘いにおける前提であり究極といえた。
「脳味噌――思考がお留守ではなくって?」
悪戯っ子のような笑みを亀裂の如く歪めて大悪魔の振るった揺らめく右拳を、同じく闘気を纏わせた右腕を無造作に構えて受け止める。重く速い一撃。どうやら此方の問いに答える気は毛頭ないらしい。
返す左の肘打ちは目標である顔面の手前で優雅に払われるが、即座に闘気の後方噴射で逆の拳を突き上げ、作り出した勢いを起点に右の回し蹴りに繋げる。相手は空中に足場でもあるかのように何度も後方宙返りをうち幾らかの距離をとる。余裕を見せつけるかのような無駄な動きだ。この攻防では彼女には微塵の痛痒ももたらせないのだろう。損耗がないという点はゾヴァウロスも同様だが、よほどの戦闘狂でもない限り、戦いに身を置けば尖る神経は気分的に疲弊するものだ。
「やれやれ、基本をさらっていただけだ……。 〈炸熱電球〉 」
追撃に放った巨大な光球は命中と同時に炸裂して雷光をまき散らし、海上の大気を焼き焦がす。
練り上げた気を巨大な砲弾として射出、内部に発動を遅延させた元素魔法を仕込み、着弾時に弾殻に見立てた闘気と内部の雷魔法が2重に炸裂する気術と魔術の高度な融合。
闘気の用法は主に「纏う」「放つ」、の2種類である。
前者は出力した闘気を起点である肉体の周囲に留め置き、爆発的な身体能力の底上げ・攻防力の強化を図るもの。肉体或いは武具に纏わせた気は空間の揺らめき、歪みとして視認される。後者はより難易度が高く、気の塊を体外へ波動・光線・球等を模す感覚で放つもので、特定方向への放出による自身の運動状態の制御も可能。応用可能性という点から見れば魔法に遥かに劣るが、こちらは戦闘中に魔力残量を気にせず自在に運用可能なのだ。
強靭な肉体とそれを運用する高い技量、さらに魔術と気術を究めてようやくこの世界の強者と呼ばれる段階に足をかけることができる。そして、ゾヴァウロスには長きに渡る研鑽により、自分が間違いなくその高みにあるとの自負があった。
それはしかし、現在相手にする女悪魔も同じであり――
「うーん、良い! よろしいかなぁって思いますわ! 新技でしょう? 見たことありませんもの。いまの雷撃は自前のものではなく元素魔法……それも火の元素に関する部分詠唱を加えて"灼く"という現象側面を強調していましたの!? 何だか術のやり口がいけ好かない傲慢な方――全身紫正義星人に似てきましたわね!」
「お遊びのためにテキトーに構築した今の身体では、直に貰うとさすがに危ないところでした。蝸牛のような歩みでも成長してますのね。小ちゃな頃とは全然違いますわ。褒めて差し上げてもよろしくてよ~!!」
「結構だ……。手数が増えたんだよ。お陰様でな」
(互いに手札を見せないままごととはいえ、先程ので終わりにしてくれれば良かったのだがなぁ)
当然のように無傷で閃光を吹き飛ばし、灰桜の髪をふわりと払って、ヌルレウスが再び姿を現す。
冥界の東方を領地に持つとされる悪魔の中の悪魔、魔王の眷属たる彼女の本質――「魂を起点に生命を定義するモノ」は精神。すなわち一時物理的な肉体を捨てても生存可能である。自身の魔力で作り出した器は再構築が比較的容易ではあるが、全身を一度に吹き飛ばせば復帰や魔力充填に時間がかかるもの。そうして撤退に追い込む算段だったが、熟練の闘気運用による防御を貫くには火力が足りなかったようだ。
(この闘気、強大な出力と滑らかな操作。分かっていたことだが多少なりとも本気を解放せねば通らないか。幾度殴ろうとも人型と言うより山脈でも叩いている感覚だったものな)
若竜の頃より度々ちょっかいを掛けられているが、その強さに近づくほどに寧ろ理不尽さを大いに実感する。故にゾヴァウロスは強くならざるを得なかったともいえる。
そして、彼女は未だ魔王から与えられた異能や十八番の魔術はおろか、自身の本来の闘気すら戦いの中に表してはいないのだ。
揺らめく透明である一般的な気とは異なり、悪魔のそれは漆黒。おそらく色彩による表現は正しくないのだろうが、あくまで視覚的にはそのように映る。
ゾヴァウロスに対しては振るわれたことはないものの、一度だけ彼女がその魂から迸らせる黒い陽炎を目撃したことがある。あれは地上にまだ人の子の国ができる前、ヌルレウスが魔王軍四天王に数えられる忌々しい竜もどきと――
「振り返ることも、望み希うことも愚か。許せませんわ。私にも、貴方にも、現在が横たわるのみ、なのです。いい加減理解して下さる? 100回は言ってますわよ、これ」
瞬間移動でもしたかのような速度で両脚蹴りが頭部に捻じ込まれる。
結果的に最強の竜王の一柱を生むことになったが、刹那と刹那、その間を一心に楽しむことしかしない彼女にとって、自分との戯れの殴り合いは何時だって本当に暇潰しなのだろう。最強を自負しながら圧倒的な力の天井に悔しさを感じるのも、折れるのも、きっと自分の勝手なのだろう。彼女達魔王の子らが皆、勝手気ままに振る舞うように。理解したくないし、特にされることも望まない。
「708回の間違いだろう」
「数えてるんですの!? 生真面目は美徳と捉えられがちですけれど、そこまでいくと病的ですわね……。 気持ち悪……」
背負うことも、守ることも無駄だと彼らは言うのだろう。世界の調和も異分子も、投げ出しはしない。忘れもしない。そのひと時に拘泥しない、ひと時も。
ぐらつく頭で温存しておいた回復魔法を発動する。温かく、それでいて清涼な流れが体内を廻る。切り替えは、吹っ切りは大切だ。それは確かにそうなのだろう。だが同時に、自らの意思を自らの範疇に留める自制こそ自分をゾヴァウロス足らしめているものであるとも思う。
(否、願望か。そんな気がするが――性に合わないな)
「あら、なんだか雰囲気が若返ったように見えますわね? ふふ。300年ほどですけれど。」
「せっかくだから少しご希望に沿っておこうかしら。
北の怠け者は忙しい。西のお人形は戦場を待っている。南の木偶の坊は……
アイツはちょっとよく分かりませんわね。なあんて。
あとは、そう。四天王が滅びたかどうか……。定義にもよるのではなくって?」
この世に生まれ落ちたその時から共にある、恐らくは魂に刻まれた雷を10分割の4段階目で走らせる。
いそがずとも、未来は否応なしにやって来る。だからこそ、ゾヴァウロスはいそがしいのだ。
身体の末端を電撃へと溶かし、稲妻の閃く速さで大悪魔との距離を詰める。拳を振りかぶる姿を残像に、闘気の全方位放出のみを叩きつけて雷化で疑似転移。防御はさせない、間に合わせない。戦闘とは基礎性能と手数。圧倒的な力を基に「予想外」と「対応困難」を押し付け続ける者が勝つ。
背後で再度実体化すると爆風にそよぐ桜髪の間から白いうなじに触れる。ひやりとした感触。本質としてそれは大した意味を持たないのだろうが、だとしても彼女の女性形の表れたるその細さに今更ながら少し驚く。触れた肌のきめの細かさも、責任感も溺任感も、負担感も不安感も、懐かしさとちょっとした予感から来る寂しさも。気のせいであろうほんの少しの憧れも置き去りになるほどの零距離で
「雷速・四段 ―― 雷咆射」
痺れる光の奔流が木端微塵に追い返した。
崩壊する仮初の肉体の向こう、冥界へと帰還するのであろう彼女は一瞬きょとんとした後、笑って見せた気がした。ちょっと気味悪く淑やかに、あくまで平常運転だった。
設定と造語と厨二病、男は黙って投げるだけ!




