第22話
「ほらほら、野菜もしっかり食べにゃいと。デザアト無しになるにゃん?」
「嫌じゃ嫌じゃ! 肉を持って来い!」
「ほんじゃ、ルルにゃんの“あいす”はいただくにゃーん」
「い、いや別に食べられるわこの阿保! 泥棒猫! ボケ! やめんかぁ」
「あ、あぁ~謝れ! 謝れ!」
タカオ邸に今夜も賑やかな声が響く。
隣の食堂では夕焼け色のケモ耳・ミフォンと透き通る白髪の幼女・ルルが食事中のようだ。食卓で小競り合うカラフルな少女たちを壁越しに透視しつつ、タカオは目の前に座る訪問者に向き直った。
「申し訳ないっすね、騒がしくて」
「いえいえ、子供……は元気が一番。可愛らしいお嬢さん方ならば、なおさら世界の活力の源というものでしょうよ」
魔法を仕込んだ壁の防音は完璧。物理的には視認不可能ながら当然のように隣室の様子を掴む相手に、タカオは警戒度を引き上げる。
青みがかった美しい黒髪を頭の後ろで緩やかに束ね、しなやかに筋肉質な長身を前世界でいう東洋風の民族衣装に身を包む青年。男の自分すら思わず見惚れるほどの美形だ。整った顔立ちながら鼻につかない雰囲気は滲み出る彼の内面か。嫌味のないイケメンっていいわね。
糸目をさらに細めて穏やかに微笑む姿は風流と俗っぽく括ってしまいたくなるような、まさに画になると表現すべきものだが、側頭部に生える1対の捻れた角が彼が人間種でないことを激しく主張している。
雷嵐竜王ゾヴァウロス。タカオが彼に会うのは2度目になる。この世界における強者、9体しかいない――うち2体はタカオが殺したわけだが――王を冠する竜の一角。高度な人化の術をも使いこなす竜族の頂点。測定レベルは130に達し、先にまみえた漆黒竜王、呪滅竜王はおろか魔王軍四天王のそれすら上回る。とはいえ数値上はタカオの圧勝であり、実際に闘えば複数用意した「奥の手」を見せるまでもなく完殺する自信はある。しかし彼の一見柔和な笑顔の向こうに単純な強さに変換できない古強者の圧を感じるのもまた事実だ。直感的に油断ならない。努めて軽く振る舞いエアリの運んで来た紅茶を勧める裏で、戦闘用スキルは複数確実に待機させておく。
「はは、そう肩に力を入れずに。貴方の――人の子の言葉ではなんと表現するのだろうか、棲み処とは言わないな。領域を侵す意図を持ってここにいるわけではないのでね。」
「気」が流れるので解るんですよ、と推定最強の竜王は微笑む。
(スキルの存在は別のスキルで、も1つ上から隠蔽してるんだけどなぁ)
強力な観測系のスキル持ちならおそらく看破可能ではあるが、そもそも「スキル」という能力体系を持つのはこの世界でおそらく自分のみ。「気」とやらがスキルに優越する、もしくはその系の対象から外れて干渉しうる能力であることを疑った方がいいだろう。
(修行とかすればオレにも扱えたりするのかな? こう掌からハァ~っと撃つ感じとかで)
「正直に言えば不穏分子は排除する予定だったのですよ。しかしながら貴方の実力は分子というにはあまりに大きかった。私も命は惜しいのでね。無謀な真似はできません。漆黒竜王パガギノス、呪滅竜王グザイェ。ご存知でしょう? 我ら竜王の中では格が落ちるとはいえ、彼らも相当な強者だったのですよ」
「その件については……なんというか……」
「ああ、"我ら"などと表現してしまいましたが、その辺は人間種と多少違うのです。同族への情というものはとりたてて主張するものではないのでお気になさらず。竜種の王に名を連ねる者が貴方との力量差を測りかねた、そのことについてこそ残念だと感じはしますがね」
「さて、本日伺った理由ですが、お伝えしたいことがありまして。というのも――」
竜王の勿体つけた言い回しとともに、王都の夜は更けていく。
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頭部の角の根本から5本目の溝、そこをなぞるのが人化しているときの癖だ。
「なんとか殺せ、そうではあるか……。」
豪邸を後にしたゾヴァウロスはそう結論づける。ネギシ・タカオは過去最大の難敵ではあるが決して超えられない壁ではない。2体の竜王を殺すだけの火力と防御力はそれだけで脅威。しかし勇者を名乗る男の持つ強者の風格は、明らかに経験に裏打ちされてはいない。時間をかけて準備を行い、時と場所を選んで万全の状態で手札を尽くせば最低限相討ちには持ち込める、という印象だ。正になんとか、と表現すべき戦いになるだろうが。
無論彼と全力でぶつかることは今のところ避けられそうであり、今後もそうあるために力を尽くしたいところだ。しかし強大な力がこの世界を歪める方向に振るわれるのであれば自分が、現存する最古の源竜にして最強の竜王が立ちはだからねばなるまい。それが明らかにこの宇宙の法則を外れた――外なるものであるならば尚更だ。大いなる自然と長い歴史の中で、平和と争乱の波を繰り返しつつもこの星はこの星としての調和を保っている。役目を放棄した魔王、奔放に振る舞うその子らに代わり、世界本来のあるがままの変化を認め守るのが自らの使命なのだ。
只今の会談の結果を伝えるべく、薄い雲の向こう、おぼろげにその存在を地上に示す月の「同胞」へと思念を飛ばそうとして――
「随分と物騒な世の中ですわね。誰が、誰を殺めるのですって?」
淑やかな口調とは裏腹な電光石火の拳が背後から頭部を襲うのを知覚する。不意打ちというよりは自分の探知の網にあえて正面から触れる、おちょくるような一撃。物理的動作による回避も可能だがあえて権能を稼働させ、一瞬肉体を文字通りの雷と変えることで透過する。接近する段階では完全に気配を絶っていた癖に、攻撃はあえて感知させるあたり相当に性格が悪い。
「災いの子、根の国の者。魔王の下僕が何をしに来た?」
「あら、久しぶりにお会いしたと思ったら、随分棘のある言い方ですこと。笑って許して差し上げられるのも私くらいですわ。
女性との会話では表現にご注意くださらないと……きっと"後悔"しますわよ」
失敬な、という様な表情を浮かべつつも女は微笑を崩さない。残念ながら見知った顔だ。薄桃の瞳、灰桜の髪は上品に縦巻きし、鮮やかな華の髪飾りを咲かせている。人間種の一般的な女性に比してやや長身だろうか。薄雲を僅かに裂いた月の光が白磁の肌を撫でてゆく。人型ではあるが纏う雰囲気は人間のそれではなく、またその美しさは理解できる――脳が「美しい」という設定情報を無理に理解させられるものの、素直にそれを肯定できない不快なものだった。
「質問に答えてくれないだろうか」
やや誇張して苛立ちを表すと、眼前の人物の発する気配が変わる。此方を圧するような存在感が膨れ上がり、彼女の周囲の空気は揺らめき陽炎のようである。相手の目的は不明。長い時を生きる竜の王ゾヴァウロスよりも、遥か古えからこの夜に棲まう存在。人の街に居て良いものではない。彼女も魔王の子の例に漏れず自分勝手、行動原理は単純不明快で幼稚。そしてそれを無責任に世界に押し付けるだけの醜い強さを持つ。理解する気が湧く、という点でネギシ・タカオの方がよほどマシだろう。
相対する女性が何をするつもりにしろ、周囲への影響を考えれば行動に移る前に小さな命の群れる場所から遠ざけるべきなのは明白だった。
「うふふ。せっかちはいけませんわ。良くない、ええいけません、まったくもって。物事を1本の矢印でしか捉えられない方は、常にそうやって少し先の自分にしか生きられない。魂的に意味ある現在幅だけに生きられない者は真実生きているとは言えない」
「ならば私がぶち殺して差し上げますわ。急かさなくとも未来はやってき来ますのよ。それはそこそこ長い生の中に身をもって感じていることでしょう? 雷嵐竜王、偽物の竜、或いは"汚れた―― ギョもっッ!?」
魔王軍特有のお喋りに夢中になる悪癖を出している隙に、瞬時に距離を詰め敵の顔面を鷲掴みにする。そのまま一気に天空へと跳躍、頭部を拘束したまま雷速で飛行を開始する。目指すは遠く北の海。深夜の海上ならば激しい戦闘になろうとも恐らく生命や建造物への被害は少ない。
「そんな風に、私を呼ぶな……『東の大悪魔』ヌルレウス……!!」
「まあ! 調子に乗っていますのね!?」




