第19話
「死ねい!〈光輝槍〉!」
振りかぶる右手に宿した眩しく鋭利さに満ちた光が、魔王城最上階の静謐な暗がりを灼く。輝きそのものを槍へと変じ、円卓の向こうに座するオーガ目掛け投じた。物体の投擲に関しては素人であり、前腕の回内は癖のようなものだ。
距離にして大股8歩程度――勿論、現在の歩幅で――の至近距離から投射した魔法。亜人如きに避ける術などない光の軌跡はしかし、横合いから滑り込んだ左の回し蹴りにてかき消された。揺らぐ空気が光に触れれば、たちどころに槍の姿は霧散する。
「よくやった、ヴィモオよ。そなたの王も喜んでおられよう!」
「何だ貴様ァ、その技は!? この俺すら知らぬ怪しげな術法を使いよって!」
(そりゃあわざわざ手の内を明かしてはくれないよ......っというか、今のキミのは投槍とかいうべきじゃないのかい?)
(フン。俺のセンスだ)
(奇妙ですね。オーガの王を含め円卓に着く者達は皆、戦闘に慣れた雰囲気はありません。しかし見たところ、今の一合いの間に怯えないばかりか微動だにすらしていない。一体何の手品でしょうねェ。)
(ま、タネも仕掛けもあろうが力でねじ伏せりゃー一緒だろ)
言葉と同時に肉体の操作権が奪われる。ごく僅かな溜めの後に空気と擦れ合う轟音をもって、右の正拳が撃ち出される。狙うは、亜人の王共と自らの間に割って入ったゴブリンの闘士。敵は回避するでも防御するでもなく、鏡写しの如く右腕を突き出した。やはり右腕に纏うのは得体の知れない奇妙な揺らぎ。
両者圧倒的な力を込めた拳と拳が正面切ってぶつかる。衝撃は部屋を震わせ波となり、ついには簡素な造りの円卓を木端微塵に崩壊せしめた。主に地を這わせて尚、相手は陽炎の一撃に込める力を緩めない。対するは幾度もの強化再生を経て、遂には鋼すら超えた紅い拳だ。片や圧倒的な速さと硬さに支えられた純粋な力、片や不可思議な術を纏った巧みな技。二者を拮抗させるのはゴブリンの、或いは人間の少女の、いずれも生み出す破壊に耐え切れそうもない細腕だ。
「ッぐわァくぅぅぅそがァァァァァァァァァ!」
硬質な鉱石を叩き割るような、壮絶な粉砕音。遅れて重く湿った肉の爆ぜる音。長短も知れぬ濃密な時間、火花さえ幻視させる力のせめぎ合いは凄まじい破壊を撒き散らし、唐突に終わりを迎えた。給仕服の片袖とともに右腕が肩口から消え失せたのだ。滝のように流れ出す生命の色は一層紅い微光に塗り潰され即座に勢いを失った。
(正しく綺麗さっぱりですね。)
支えを失い、また彼我の叩き出した威力に耐え兼ねて一瞬宙に浮く脇腹に、再びの回し蹴りが叩き込まれる。咄嗟に掲げた左腕を介して衝撃が全身を貫いた。床にめり込む直前に再生した右手を使い身体を宙に跳ね上げる。勢いのままに放った反撃の蹴りは交差した敵の腕、それらを覆う揺らぎに阻まれ威力を失った。
違和感が首をもたげ、即座に原因が突き止められる。俺の思考は明晰そのものだ。目の前の敵を含め、この城の亜人共は皆此方の見せる再生能力に対し余りに平然としている。肉体に縛られる以上、闘い続けることで蓄積される疲労にいずれ身を滅ぼされるのは明らか。この身を一撃で消し飛ばせる者にも出会っていない。対抗手段がないのならば、それ相応の反応を見せても良いものだが。
それにしてもゴブリンの奇怪な技だ。相手の纏う「何か」は陽炎か、若しくは湯気と表現したものか。絶えず周囲の空気を揺らめかせこれといった形状を持たず、頭部・胴・四肢はおろか指の1本1本にまで纏わりついている様に見受けられる。魔法的・物理的な攻撃を共に打ち砕いたことから身体強化の類か。問題はそのような術にまるで思い当たらないということだ。この俺の記憶にないことから少なくとも魔法ではない。頂上の使い手である俺に、知らない魔法など存在しないのだ。せめて原理が暴ければ何らかの対策も講じられようが――
「吸奪剣ッ」
強烈な横の大振りを繰り出すのに合わせて手中から光が迸る。我々の目に光と観測されるだけで、この黄金の性質は別だといつも感じるのだが、生憎と光に類する言葉以外に適した表現方法を持ち合わせていない。兎に角良いタイミングだ。
一瞬肉体制御のため意識の表層に消えた強欲な気配が、再び同じ視点へと帰って来た。いつも何処か自慢げな、余裕綽々といった態度をとる彼女にしては珍しい、苦虫を嚙み潰したような表情である。本人は意識してはいるまいが、嫌悪感が駄々洩れだ。
(まただよ、まただ。とんだ期待外れだよ。あれは特別な力や何らかの術式の類じゃあない。ありふれた、実に下らないものだ。そんな力で格好つけるなんて、ボクは許さない)
(なぁんて怒っていても何も始まらないしね。2つとない圧倒的な輝き、そう英雄に相応しい力で叩き潰してあげようじゃないか。取り敢えず、あんな技が汗臭い鍛錬で身に付く身体的技術とは思えないから、何か他のだろう。具体的にと言われても返答する材料はないんだけれど)
(とは言え、肉体の技術以外といわれても知りませんよ、あんな力?)
(存在をもってこの俺に逆らうとはとんだ外法使いもいたものだ!)
突き出された左拳が途中で軌道を変える。更にその一撃を囮に右の手刀。刹那、ゴブリンの纏う揺らぎが刃物の如く明確に尖った形を帯びる。初撃を大きく仰け反ることにより回避したそのままの姿勢から、強引に地を蹴って後退する。着地した片足で瞬時に踏切り、少女の小柄な身体はさながら傀儡といった後方転回を見せる。勿論、限界を超えた運動により肉体は崩壊していくが、それ以上の速度と強制力をもってより強く生まれ変わらされる。その破壊と再生の繰り返しすら徐々に不要になっているのが現状だ。
(どんだけ喰らおうがいつかァあたしの硬さが勝つけどよ、ちょっと――いゃかなりムカつくんで全部避けてやることにしたぜ)
この間、眼前のゴブリンを除く亜人共は不安げに――オーガの王だけは興味津々といった体で――此方を窺うばかりだ。円卓は先の殴り合いの余波で砕けたため立ち見ではあるが、随分といいご身分というものだ。悪なる者にその過ちを、愚かさを思い知らせねばなるまい。
(待っていろ。仕方があるまいこの俺が今こそ切り札を切ってやる! 貴様はそのまま避け続けていろ)
(えッらそうに! あたしに・命令・すんじゃねーっての! 後でぜってー殴る潰す!)
(残念、正義の権化である俺は不滅の存在なのだ)
依然として緑の矮躯が纏うものの正体は不明だが、ここは生半可な技では防ぎ得ない強力な範囲魔法で一気に叩きに行く。威力の分失う魔力も多かろうが、最悪死による全快を期待できる資源だ。さてどう料理したものか。〈暴竜巻〉か〈光の洪水〉か。〈輝く晶柱〉で叩き潰すのも良いだろう。切り札と呼べるものはいくらでもある。この俺の優位は変わらない。
高速の突きを再び紙一重で躱す。衝撃波に横髪が裂けた。栗色の毛が小さく散る様を目の端に捉えつつ魔法術式を創り上げる。狙うは目の前の緑の亜人、の奥の――
「〈凍てつッッ何ぐひゅォゥ」
風切り音が聞こえたのだと、悟った時には不自然に軽かった。視界が浮き上がる。何かに引かれる。紫に染まった。
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冷たい魔石の広間に汚らしく汁を啜る音が木霊する。8本の脚を広げた奇怪な生物の顎に、少女の顔が1つ溶け崩れながら沈んでゆく。
「自分の――いえ、失礼。自分のではないんですが――兎に角顔が美味しそうに食べられるのは流石にいい気分はしませんね」
状況の把握は意外なことに簡単であった。というより、この身体の感覚器官の活用に長けたドラグネアが知覚したのだ。蜘蛛、それも途轍もなく巨大なもの。何のことはない、強靭な糸が高速で射出され、首を貫かれてそのまま千切られたのである。肉体が完全な姿で蘇ったあとも、前の首は残ったままのようだ。非常に興味深い。先代の首などというともっと面白い表現かもしれない。たった今命を奪われたというのに、ゼルセロを満たすのはワクワクするような味わい深い感情だ。ならば次はどんな味を楽しもうか。
(ええい忌々しい! あれは魔獣の一種......魔蟲とでもいうべきものか? 丁度良い所で出て来おって。何故此処にあんな虫ケラがいるのだ、あの亜人共の飼い蜘蛛だというのか!?)
(そんな言葉初めて聞いたよ......。ってのは置いといて、今のは明らかにタイミングが良すぎないかい。キミ、前のゴブリンじゃなくて王サマ狙ったろ? 察知された? 魔法使いの詠唱を妨害するなんて、どんなに躾けても魔獣の脳味噌なんかじゃあ無理だよ。一体どういうカラクリだろうね。良い、良いよ! ならばそれはもうボクのものだ!)
(あーつまり、あのでけートンボと一緒っつうことかよ! なら楽勝じゃねえの?)
「虫ケラ如きであたしが止まるとでも思ったか? バーカ甘ェよ。あたしはそこのゴブリンのそいつ、ちったァやれるみてーなそいつと闘ってんだ。邪魔すんじゃねえよカチンときたぜ。よっしゃ、まずはてめえからぶち殺す!」
(虫ケラと言う割に、糸が視えても回避は出来なかったようだが? 意味がないではないか)
(るっせー、てめえこそちょっと邪魔されたくらいで魔法失敗してんじゃねーよ雑ッ魚ォ)
(馬鹿にするなァ!)
(あたしがバカにしてんじゃなくて、てめえがバカなんだよ)
(どう見ても馬鹿は貴様だ)
(あたしはバカじゃねーバカって言った奴がバカなんだよォ)
(ハッ貴様は今3度馬鹿と言った!!)
(まあまあ落ち着いて下さいあまり騒ぐのは行儀が悪いですよ)
鋼の如き糸が再び頭部目掛けて撃ち出される。竜のそれでなくなったとはいえ、ドラグネアの五感を運用するセンスはやはり健在らしい。室内の灯りに照らされ粘糸の放った光、その一瞬に反応して右手が掴み取っていた。即座に糸を強く引き、遠方から釣られてきた大蜘蛛の顔面に空いた左拳をめり込ます。青みがかった透明な液体が鼻をつく周期を撒き散らした。左腕をべったりと濡らしたそれを軽く振り落とし、頭部が砕けた蟲の骸を元来た方へ放り返す。
「フッフフフ、言ったろう? 虫ケラ如きボクには通用しないって。さあ、どんな方法かは知らないがキミ達が飼い蜘蛛を操っている力はいただくよ。それはボク以外が持っていてはダメなんだ、分かるね?」
金の剣を両手で床面に突き立てての、自信満々の宣言。動きかけるゴブリンの戦士を目線で制し、オーガの王は笑みを深める。何処か恍惚とした雰囲気を彼に感じるのはゼルセロだけだろうか。
「言ってくれる。まあ、なんとも恐れ入ったのは本当だ。すごい力だな、ニンゲンよ。とても御しきれるものじゃない。故に名は聞かないさ。大変に抗いがいのある刺客だ。ついにおれ様に死を運んできたのか! やっぱりこうでなくちゃあな」
「褒美、褒美をとらせよう! 大盤振る舞いだ、受け取ってくれぇぇぇ」
「キミは一体何を言っているのかな? ボクのこの威光の凄まじさに気でも違っっっっっっぶぇぇぇぇ」
喉に鋭い貫通感。一拍おいて四肢に衝撃。浮遊感の後に背中から勢い良く硬い平面に叩きつけられる。紫の煙は発生しない。しかし強烈な力がはたらいているのか身動きがまともに取れない。
(なん......だとォ)
(おェなんだよありゃあ! きっしょ)
床に立つよりやや視点が高い。
漸く現実を認め始めた両の眼が捉えたのは、魔王城最上階にひしめきぎなぎなと脚を震わす十匹余りの大蜘蛛であった。
(しまったな......完全に磔にされちゃいましたねぇ)
遅くなって申し訳ないです
今年もよろしくお願いします。




