第17話
「これは申し遅れた。己の名は――」
「消え失せるがいい! 〈爆散〉!」
「ハッハハハハハ馬鹿め。何故殺したか? 悪だからだ。何のための力か? 俺の正義を絶対のものとし、悪を滅し尽くすための力だ」
「この世を見渡せば、愚か者共が自らの正しさを主張し虫ケラの如く争っておるわ。連中が言うには、各々が自らの正義を信じ掲げているらしい。全く馬鹿馬鹿しく醜いことこの上ない。真に依るべき正義は全宇宙でたった1つに定まるべき! 従えば善、背けば悪。そう、この俺の価値観こそがそれだ。貴様らの振り回す下等な物差しを圧し折り叩き潰し、俺が全てにおいて優先される基準となる、そのための力だ。そうすることで秩序に満ちた平和な世界が生まれる! 悪を抹殺することで善人のみの世が完成するのだァ! どうだ、素晴らしいだろう」
敵の頭部が爆炎に包まれる。勝ち誇ったような長演説の後、ゼルセロの目に映ったのは無傷の小柄な体躯であった。
くすんだ緑の体色さえ、炭の色を待ち構えていた両の眼には些か眩しい。肉体の主導権は現在自分にはないのだが、共有された肉体、その感覚器官がもたらす情報はゼルセロの意識に直接流れ込んで来るのだ。
「な、何だと!? 貴様一体何をした!」
「やれやれ、くだらない。正々堂々と闘うことのできん小物だったか......」
「キミの言う正々堂々というのは、切れる手札を切らず全力を尽くさずに闘うことなのかい? 笑わせてくれるね。余裕ぶって出てきてボク達に文句をつけるなんて、まさか仲間の無念を晴らす英雄のつもりかな。良くないよなぁそういうのは」
「ああ、勘違いしないでほしいんだが、別にボクは正々堂々というのがどう定義されようが大して興味はないんだ。今のはあえてキミの言葉、土俵に乗ってあげただけでね」
「さっきの魔法をどうやって防いだか知らないけど、その力は確実にボクの物だ。英雄は1人で十分なんだよ」
再び一方的に話し出したかと思うと、不意を打つ様に剣を閃かせる。零れた金色の光が届く前に、敵は一陣の風となっていた。慌てて左右に走らせた目が横合いから弾丸の様な緑の残像を捉える。湿った音が耳に沁みた。
「ハッ! 遅ェわ」
「刀すらブチ砕く今のあたしに、身一つでかかって来んのは褒めてやらァ。でもよ、ゴブリン如きじゃあたしには勝てんぜ。強さの次元について来れねーんだわ。硬い速い強い! 格が違ェんだよ格がァ!」
大熊の骨格さえ粉々にしかねない怒濤の三段蹴りが矮躯を襲う。ゼルセロは密かに戦慄していた。相手はゴブリンにしては強すぎる。魔力量の問題はあろうが、それでも別段の装備もなしに亜人がゲル―ツクの〈爆散〉を無傷で防げるとは思えない。魔法の詠唱も認められなかった。
その上、今の攻撃。ドラグネアが流石の速さで反応した貫手は、受け止めた掌を確かに貫通した。凄まじい切れ味を誇ったリザードマンの刀、それと真っ向から打ち合って破壊できるこの手が穿たれたのだ。ドラグネアは全く気に留めていない様子だが異常事態であることは疑いようがない。
相手はあろうことかゆらりと構えた腕で、あるいは脚で3つの凶風を防御し切った。素人目にも手練れと分かる動き。機敏などという段階ではない。
「ぅら これで終わりだと思ったかよ!」
回転の勢いそのままに、右脇腹へと拳を振るう。衝撃を逃がそうとでもしたのか態勢を微妙に変える敵に、正面からの強撃を叩きつけた。今ほど倒した老剣士にも似た達人の雰囲気を纏うゴブリンは、胸の前に両の腕を平行に構えて真っ向から受け止める。およそ生物のものとは思えない鋼のような手応え。防御越しにその身を削り穿つ様に、捻りを加えてのかち上げに繋げた。軽く浮かした相手の身体に右・左と数十発の轟音を打ち込んで、止めとばかりに左脚を軸に渾身の回し蹴り。正確に下顎を蹴り抜かれ、敵は玩具のように吹き飛んで遠く壁に突き刺さった。
砕けた石壁と舞い上がる砂塵に強烈な違和感が首をもたげる。見ないように避けて来たものへと至る手掛かりを敢えて与えられた様な。それは、或いはとっくに予想出来ていたものだったのかもしれない。
「俺の前に跪けェ! 〈光輝の矢〉ッ」
宙に生成された数十発の鋭利な光の束が、白埃の向こうへと吸い込まれる。壮絶な破壊音が耳を打った。爆ぜる光。もうやめて欲しい。折角これまで自らを希薄にしていたのだ。締め出した思考が戻ってくるではないか。最早最上階へ辿り着くという目的を放り出し、全ての事象を無に帰して永遠にこの時点で揺蕩いたい。ここまででいい。すぐそこまで来た現実が、主たる思考領域を裏側から針で撫でてくる様な不快感。言いようもない――否、言い表したくない、確認をしたくない感情が脳を掻き混ぜる。
「死んだか。口ほどにもない。小悪党に相応しい、実に呆気ない最期だったな」
「チッ雑魚が。お話になんねーんだよ!」
「まあ、所詮はゴブリン。今さら出て来たって正直相手になるはずもないよね」
足音が聞こえる。白煙が男を避けるように真っ二つに割れた。周囲の空気を陽炎の如く揺らめかせて壁の大穴を潜った男は――
「それほどの力を持ちながら......なぜ殺す? なぜ奪う? 食べるためでもないのに。オマエの方から攻めて来たのだから、命を守るためやむを得ずというわけでもないだろう。まるで理解できない」
「力とは本来、自分ではない誰かのために振るうもの。1人の正義に従わずとも、互いの力を互いのために使うならば、それが世界に広がるならば平和は訪れる。ゆえに、1人力を持つ英雄など不要」
「あえて今改めて名乗ろう。ゴブリン族戦士長にして、この城を守る者。己の名はヴィモオ。」
「受け入れかねる考えはあれど、一門の強者とみとめ本気で相手をしよう!」
緑の亜人は不敵に空気を歪ませて両の拳を目の前に持ち上げる。構えを崩さぬままにゆっくりとと腰を落とし、しかと魔石の床を踏みしめて。刹那疾風が駆けた。
「ハハ! 貴様如きの貧弱な知性では理解出来んのも無理はない。互いに善かれと思う事をする、その『善い』が真に善いか決めるのがこの俺だと言っている。世界にとって必要か不要かじゃないんだよ。ボクがそう在るかどうかなんだ。だからボクは唯一無二の英雄さ! って、てめえら何悠長に喋ってやが――ごぶぉぁぁッ」
風を切る音。揺らめく何かを纏った拳が急に目の前に現れる。瞬時に距離を詰めたのだと理解した頃、枯れ木を踏みしめたような軽快な音が響いた。
咄嗟に胸の前で交差した腕が、面白いように圧し折れる。紅い鱗が舞い落ち、勢いは殺げぬままに拳が腹部を貫いた。そのまま腕が上へと振り抜かれ身体がふわりと宙に浮く。
「おべぇぉッ」
衝撃がやって来た。凄まじい衝撃。
異様な速さをもって上昇する身体を衝撃が幾度も貫いていく。同時に身体も何かを貫いていく。
ぶつかる度に音を立てて壊れていく。
先程の時点で予期できた――覚悟しておくべきだったのか。
全力の星霊魔法すら無傷で耐える、魔王城の内壁が簡単に破壊できた時点で。
衝撃は丁度6回訪れた。
7回目の衝撃に、身体は襲われなかった。
紅い飛沫と瓦礫を撒き散らして、古雑巾の様に転がった。
主を失った魔王城最上階の床が、いつにも増して冷たかった。
ゼルセロさんはポエマー
次回、三馬鹿が四馬鹿になります




