第14話
「ぐはあっぁぁぁぁ何だこれはァァァァァ!?」
侵入者の絶叫が魔王城第3階層に響いた。
女の声。顔はよく見えなかったが、かなり若い――まだ子供と言っても良いくらいのものであった気がする。人間にはさほど詳しくないので断定はできない。小柄な体躯に何本もの魔法の矢が吸い込まれていくのが確認できた。部屋の入口に仕掛けた罠。完全な不意打ちにより防御する暇もなく絶命しただろう。持ち物の中に何があったのだろうか、敵の身体から吹き上がった紫色の煙で視界が満たされる。
オーク族最強の魔法使い・ブチャーメルは息を1つ吐いた。
幸い毒煙などということはなさそうだ。この広間の内部に施した結界が反応していない。
主に肉体の強さで優劣を決めるオーク族。武術はからっきしだったため肩身の狭い思いをしてきた自分が、これ程役に立てる日が来ようとは。
「ジラ殿。ついに城内に侵入者ですな。ラァガバ殿はお亡くなりかと」
やや離れて立つ初老のリザードマンを振り返る。幾年もの間主を守り続けてきたであろう、くすんだ深緑の鱗が広間の明かりに鈍く輝いた。
「やる気のある若造じゃったがのう。ちと、力任せが過ぎたな」
「そうですな。ヤツは我らの中でも最弱――」
不意に背後からおぞましい気配を感じ振り返る。部屋の空気がまるで石のように硬化したのは、敵の気配以上に隣に立つ男の尋常ならぬ剣気のせいだろう。軽く息苦しさを覚えるような雰囲気の中、煙の向こうでゆっくりと立ち上がる人影があった。
「何だか聞き覚えのある言い回しですねェ。」
「熱烈な歓迎と言うには、いささか乱暴がすぎると思わないかい?」
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「ほう。今ので死なんかったか」
目の前のオークが小さく声を上げる。暗い灰色のダサ外套を纏っているから、魔術師かもしれない。力自慢ばかりのオークにしては珍しいことだ。同じくダサい服だったゲル―ツクは常識のないアホだと思って接してくる節があるが、ドラグネアにだって相手の強さと戦い方に関する知識はある。そしてそれ以外は別に知らなくても、生きていくのに、最強になるのに困らない。
「この世に悪がある限り、正義が滅びることなど有り得ない。有り得ないのだ!」
「貴様らはこの俺に不意打ちなどという手段を用いた卑怯者、即ち悪だ」
「悪はこの世に要らない、存在してはならない。裁きを受ける覚悟はできているな?」
(名乗る途中で相手を爆撃するようなキミが、よくもまあ卑怯だとか言えたもんだね!?)
(不意打ちだろうが騙し討ちだろうが、俺が行えば善、そうでなければ悪なのだ!)
「何ということはありません。2つの質問に答えてほしいのですよ。何故、貴方達のような脆弱な生物がこの城にいられるのか。何故、階下に兵が1匹もいなかったのか。前者の優先度が圧倒的に高いですよ。どうぞ?」
「敵と交わす言葉は必要ない。ここは戦場だからな」
オークは唸るような低音でそれ以上の会話を拒絶した。ドラグネアとしてもダラダラと話し込むのは望むところではない。中々好感の持てる反応。つまり、こちらも闘る気を出して叩き潰してやろうということだ。
相手はこちらの顔をじろじろと睨んでいる。眼光が鋭ければこちらが怯えるとでも思っているのだろうか。ちょっと口の端を吊り上げて不敵に笑ってみせると、一瞬不気味なものを見たような表情を浮かべた。
確かにここまで来る途中、城内に亜人の姿は1つもなかった。だからどうしたというのだ。理由など考えても無駄だ。今、自分達はここにいる。階下に雑魚がいなかったので、ぶっ飛ばす手間が省けたというものだ。城の中、
たった2人でこの広間を守っているこの亜人達は、それなりに腕に覚えがあるのだろう。現在の身体で相手するならこのくらいの奴が丁度いい。無論もっと強い奴は大歓迎だが。
確かに魔王城内で亜人などが生きていられるというのは不思議なことだ。ゼルセロの心配も分かる。その割には訊き方が若干回りくどい気もするが、そこら辺は別にイラつくポイントではない。魔王がどうなったかなど目の前の相手を倒して最上階へ至れば直ぐに分かること。
「まあ、そんなことァ置いといて、あたしが魔王軍四天王のドラグネアだ。言葉じゃァ信用しねえだろうから、ぶん殴って証明してやるよ」
「ッと! やっぱそれも関係ねえな。大事なのはあたしが強くて、もっと強くなって、最強になるってことだ!」
固めた両拳を胸の前に構えれば、それらは一瞬にして紅い鱗に覆われ強度を急上昇させる。もはや竜鱗は薄っすらどころではないのだが、まあそんなことはどうでもいい。そのあたりはゲル―ツクの奴が頼まなくても小難しい理屈を並べるだろう。自分のやる事は単純だ。弱い奴に興味はない、強い奴は全員ぶっ飛ばす、結果最強になる。
「前置きは終わったんじゃな?」
重々しい声が響いた。腰の剣に手をかけたまま、今まで微動だにしなかったリザードマンが初めて言葉を発したのだ。
改めて構えるその姿は先程まで見てきた亜人とはまさしく次元の違う、洗練された強者の気配を漂わせていて――
「お? ちったァ楽しめそうじゃねえか!」
力をこめれば紅い光が脚部の筋肉を作り変える。これから発揮するであろう凄まじい力に耐えられるように。踏み出した途端に足が砕けるなんて、最高に腹が立つからだ。
ほんの一瞬、広間から音が消える。
砕けるほどに床を蹴って、ドラグネアは砲弾となった。
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「......馬鹿な!」
(何です!?) (へえ......) (ッんだ オラァ!)
赤い海。身体は沈んでいる。
沈むほどの体積は勿論ない――浸っているというべきだ――そんな思考は誰の物だろうか。
何も見えなかった。
防御魔法の発動は全く間に合わなかった。手中に剣がないことからそれはパスカルも同様だったろうと考えられる。
気付けば四肢を切断され地に転がっていた。
ドラグネアが行った直前の突進の対象がリザードマンであったことから、恐らくこれは彼の反撃だったのだろう。問題はその方法だ。ドラグネアの能力により肉体は進化している。皮膚を覆う鱗は竜のそれに近く、相当な強度を持つものの筈だ。それを易々と破壊するとは――
「フハハ。見破ったぞ! 貴様の武器はその腰の剣。高速の剣閃をもってこの俺の手足を斬り落したという訳だな!」
(確かあの形状なら刀、と呼ばれるはずだよ。広く使われているのはどこだったかな......)
要らぬ知識だ。別段必要としないだけで拒む理由にはなるまいが。
(今のがあたしより速かったッてのかよ。腹、立つんだよなァそういうのはよ!)
血の色とは違う、燃え滾る紅が傷口から溢れ出す。それらは徐々に骨を、肉を形作り、5つ数える間により強靭な手足を完成させた。ゆっくりと立ち上がる。痛みはない。やはり俺の魔法は持続時間の面でも完璧だ。
これを見た敵は再び抜刀の構えを見せる。素人目に見ても歴戦の戦士と形容したくなる、確かな自信と練られた技術を感じるものだ。
「だが残念だったな。このように、この身体は幾ら斬ろうとも再生する! それも更なる強化を遂げて、だ。貴様如きに勝ち目などないのだよ」
「俺の前に、立ちはだかること自体が悪だ。死ねい! 〈毒の濃霧〉」
相手は鎧を纏ってはいない。故に、先程のオーガの様な魔道具による魔法の無効化は不可能。近接戦を得意とする者を相手する際、此方が近づかなければ敵の方から自らの間合いまで接近して来る必要があるのは自明だ。つまり、今回は周囲に触れるだけで死に至る、猛毒の霧を展開するこの魔法が最適であろう。中々の腕前の剣士だった様だが、俺の前では塵芥に等しい。正義は必ず勝つのだ。
「何ィ!?」
視界は晴れ渡っている。霧など影も形もない。凄まじい速さと共にある種の美しさを持った軌道で、視界の右から白銀が流れ寄ってくる。引き延ばされた様な独特な時間の中、着実に空を這い寄る白刃の後方で、杖を掲げるオークが目に留まった。大した魔法使いには見えない。しかしその男に仕事をされた形だ。
「毒無効化の結界だと!? 魔力を無駄に使わせよって! 〈水晶の矢〉ッ」
咄嗟に撃った低位の魔法を両断して、鋼の煌めきが頸へと迫る。結界魔法は一般にある程度の範囲と時間に渡って魔法効果を広げ持続する必要があり、術者にはそれなりの魔力量と術式構築の技術が求められる。長きにわたり研鑽を積んで来たこの俺からすれば造作もないことだが、まさか亜人風情が習得していようとは。
(まあ良い。1度はこの命をもって刃を受けてやろう。そして不滅の正義に恐れ慄くがいい!)
いよいよ命を喰らわんと閃く刀を迎えたのは、生々しく肉を断つ音ではなく、澄んだ鋼の音色だった。
独りでに動いた右腕。刀を伝い、黄金の光が敵の身体をも包み込む。
「そういうとこ、キミが最弱と言われる理由だと思うよ? 吸奪剣!」
(黙れ! 俺にも想定外はある、というよりこの俺の予想にない手を繰り出す方が悪いのだ)
(俺の行うこと全てに意味がある。今のは、俺が身をもって魔法結界の存在を証明して見せたということだ)
(はいはい。そういえばキミって、会話の中に「俺」が多過ぎる気がするんだけど)
目の前の剣士へと零れた光が、黄金の剣に再吸収される。相手の特別を奪い、持ち主を唯一の英雄へと歩ませる強欲の光だ。魔法であろうが、特異な能力であろうが、触れれば全てを奪い去る。
「ふむ。やはり何も奪えないか」
(強欲貴様役立たずめ!)
ゲル―ツクさんハまれば強いんですよハまらないだけで。
基本いつも同じこと語ってますし
「見破ったぞ!」って別に隠してないんですけどね




