うだの細道「遠野を旅して」カッパ淵の阿部与市さん
遠野物語で有名なカッパ渕
ふとしたことから、遠野物語の世界に魅せられ ました。
私が中学生の頃。
そして初めて遠野を旅したのは19歳の春だった。
この旅ですっかり遠野が好きになった私はその後も機会があるたび頭の訪れた。
そして最後に訪れたのが1999年の夏だった。
それから10年私の遠野への思いは決して冷めたわけではなかった 。
学生の頃のように長い休みが取れなくなった今となっては遠野はあまりにも遠い町になっていた 。
さらに国鉄が JR になり周遊券が廃止されてからは時間だけでなく経済的にも遠すぎる存在になっていた 。
だがそれでもいつの日か再び遠野に旅立てる日を夢見て 、暇を見つけては遠野に関する本を読んだりしていた 。
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そして2004年3月 そのチャンスがやってきた 。偶然にも訪れた三連休。
これを見逃すと遠野な行けないような気がした。
出発まであまり日がなかったためユースホステルや夜行バスの予約を除いて旅支度はほとんどできなかった。
無性に遠野市に行きたかったそれだけだった。
「長らくのご乗車お疲れ様でした。新花巻、新花巻に到着です」
京都から夜行バスと東北新幹線を乗り継いで約12時間 私は新花巻のホームに降り立った。
あたりはまだ一面の銀世界で、はるばる東北にやってきたことを実感させてくれた。
ところが不思議なことにこんな雪が積もっているにもかかわらず そんなに寒くなかったのである 。
正直な話京都のほうが私にはずっと寒く感じられた。
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「新花巻からディーゼルに乗って」
新花巻から釜石線のディーゼルカーで約1時間 私はついにまた遠野に行ってきた。
約10年ぶりの遠野である。
私にとって遠野と言えば サイクリング。
琵琶湖と同じぐらいの面積を持ちながら、公共の交通機関の便が少ない。
自転車、バイクは最高の足なのだ。
だがこの日は道が濡れていたためやむなくサイクリングは断念 。
遠野民話や階段について夕方までじっくり調べてみようと考えて、駅から歩いて10分ぐらいのところにある私立図書館に行ってみた。
遠野にならではの資料がたくさんあるだろう との私の期待はあっさりと裏切られた。
到着早々に回も期待を裏切られてしまったが旅にハプニングはのこれも旅の面白さだ。
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「博物館へゆく」
私はすぐ隣の博物館に入った。
その後、遠野昔物語村にも行ってみたが村内にある遠野物語研究所で図らずも係員の方が誰と話が弾んでしまいお茶までご馳走になってしまった。
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「遠野YH」
再び駅に戻った私は少し早かったがこの日の宿遠野ユースホステルへ向かうことにした。
ユースホステルまでは駅から一ノ渡、恩徳行きのバスで 約15分。
似田貝下車徒歩10分である。
これは私が初めて遠野に来た時以来ずっと変わっていなかったので、この日も私は程なく来た 恩徳ゆきのバスに 何も考えずに乗り込んだ。
だがこれが数分後に 私をハラハラさせることになるとは 思いもよらなかった。
バスは 穀町 上組町 すぎて 早瀬橋を渡った。
この道をまっすぐ行けば 似田貝に着く。
10年ぶりとはいえ 私にとっては何度も通ったことのあるよく知った道だった 。
事件はバスが市立病院前に着いた時に起こった。
ユースホステルに行く前に立ち寄ったカッパ淵。
数ある遠野の名所の中で私が最も好きな場所。
遠野にきたら毎日一度は必ず足を運んでいた。
小川のほとりに小さな祠があるだけのはっきり言って何の変哲もない場所である。
腰を下ろしてぼんやりと川の流れを見つめていると時の経つのを忘れてしまいそうになる。
とにかくいつまでいても飽きないのだ。
この感覚はおそらくわかる人にしかわからないと思うが。
常堅寺の山門をくぐり本堂の裏に回るとカッパ淵橋が目に飛び込んでくる。
この橋を渡るとすぐに河童淵である 。
だが私が初めて遠野を訪れた時にはこの橋はなく、そのはるか前方にかかる名もなき小さな橋まで大きく迂回しなければならなかった。
とはいえこの川の幅はおよそ2 M ってなので走り幅跳びよろしくジャンプできそうな気がしないこともない。
というわけで昔は本気でジャンプを楽して試してみるものが時々いたと言う。
遠野ユースホステルで聞いた話では15人チャレンジして13人失敗したらしいが。
私はカッパ淵橋は渡らず、あえて昔行った道を通ってカッパ淵へ行った。
黄昏れ時のカッパ淵は雪で覆われ、人が訪れたような形跡は見られなくなった 。
ベンチは雪こそ積もってなかったものの、濡れていたので座れなかった。
私が来てからも周囲に人の気配はなくただ静寂だけが私の周りを包んでいた。
私は祠の中を覗き込んだ。
そこにはカッパの人形とともに阿部与市さんの 写真が飾られていた 。
カッパ淵の主 ……。
として頭の訪れる人々の間で有名だった、阿部与市さん 。
私も2回ばかりお会いしたことがあった。
話好きで楽しいかただった。
だから先に入った遠野物語研究所で この2月に阿部余市さんが亡くなられたことを知った時、私は祠に手を合わせ、カッパ淵の主の冥福を祈った。
遠野に来たのは10年ぶり、ユースホステルに泊まるのもこれが実は7年ぶりだ。
久しぶりに会った遠野ユースホステルのペアレントさんは私のことを覚えていてくださった 。
この日のホステラー(宿泊者)なんと私一人 。
ユースホステルならではの旅人たちの出会いと交流を楽しみにしていた私は少し残念だった。
ペアレントさんは私を覚えていてくださった。
このことが私には凄く嬉しかった 。
今回のために私はかつて遠野を訪れてた時のアルバムを何冊か持って行った。
遠野ユースホステルではいつも沢山のホステラー(宿泊者)との出会いがあった。
一緒に遠野の街をサイクリングしたこともあった可愛い女子大生。
手元にあるのは昭和六十年のもの。
思い出がいっぱい詰まったアルバムを見ながら私は夕食後ペアレント夫妻と夜遅くまで談笑した 。
あの頃に比べると遠野ユースホステルもホステラー(宿泊者)数が少なかった少なくなったそうだ 。
特に JR の周遊券が廃止されてからは 後は急速に落ち込んだという。
翌朝、ペアレントさん見送られてユースホステル出発した私は まずカッパ淵へ向かった。
その途中、観光施設ではなく実際に一般の人が住んでいる曲がり家が保存されているところを見学した。
屋根はトタンだった。
私が初めて訪れた頃はまだ藁葺き屋根だった。
至る所に修復された痕があったがユースホステルの近くの駅のまがり屋があったのは驚きだった。
家はまだ残っていたが遠野ユースホステルで聞いた話では今は空き家になっていてるという。
この次来るときはどうなっているのだろう 私を心配になった 。
このカッパ淵もまた静寂に包まれていた。
ただベンチだけは昨日と違って座れるようになっていた。
あーのんびり。♪
ここで川の流れだけを眺めながらぼんやりと過ごし、こうして
なーんにもしない、♪♪♪
至福の時間を過ごすなんて 私はもう 最高だった。
このような過ごし方自体すっかり忘れてしまっていた。
京都に帰れば、スーパーで惣菜をつくる日々。
さて、朝のカッパ淵も静寂にに包まれていた。
昨日とは 違って座れるようになっていた・ 笑。
ここで川の流れだけは眺めながらぼんやりとして過ごすひととき。
私は何もしないで時間を過ごすなんて。
もう何年もしていなかったしこのような過ごし方自体すっかり忘れてしまっていた。
あの頃の私は旅の一日をただ列車に揺られるだけで潰してしまったこともあった 。
学生時代、私は京都から大間崎、恐山まで鈍行列車の旅を行ったことがある。
あの時代。
中島みゆきの「悪女」が新宿の巨大なディスプレーで流れていた時代。
あの頃とは随分、時代は変わった。
やがて来たバスで東の駅前に行った私はすぐにレンタサイクルを借りようとした。
ところがこの時期はまだ雪が残っているため原則として貸し出ししないという。
そこで私は近くを回るだけですから と強引に貸してもらった。
朝から天気が良くすっかり雪が溶けていた。
そのため私は絶対にサイクリングできると確信していたのだ。
そして目指したのは昨夜遠野ユースホステルで聞いた、
遠野ふるさと村……!
ここを目指した。
新しくオープンした施設だ。
さっきバスで来た道を引き返し あの交差点を左折してひたすら北に走る。
福泉寺を超えてさらに北神を続け遠野駅から約45分で到着した 。
若干のアップダウンがあったものの道路に積雪はなくまた車も少なかったので快調に走れた 。
ふるさと村の 広々とした敷地内に点在する 曲がり家を一つ一つ見て歩く 。
観光用に整備されているとはいえ 私はここで初めて曲り家の中をじっくり見ることができた。
この辺りは 道路以外まだ一面の雪だった。
昨日と同様にさほど寒いとは思わなかった。
村内の食堂で昼食をとり 再び自転車にまたがる。
食事といえば 以前は遠野駅の前以外は 食事のできるようなところはなく、サイクリングにはユースホステルでおにぎりを作ってもらっていた。
それがこのような駅から遠く離れた場所でも食事ができるなんて遠野も変わったものである。
以前はサイクリング用の小さな標識だけだったが 今遠くからでもわかるような大きな看板が多くなっていた。
10年で遠野は変わった。
遠野物語の観光に力を入れようとする気持ちはよくわかる。
でも私は何だか複雑な心境だった 時代は変わった。
遠野の人々にとってはこんな私の気持ちなど よそ者の勝手な戯言でしかないだろうけど。
帰りはまっすぐ行きに戻らず 駅から約2 km ほど西にある 卯子酉様まで足を伸ばした。
卯子酉様もカッパ淵と並んで私が頭ので最も好きな場所である。
だがここも小さな祠には似つかわしくなかった。
時代はほんとうに変わった。
以前は 供養の小さな標識だけだったが、今は遠くからでもわかるような大きな看板が多くなっていた。
あたりの 観光に力を入れようとする気持ちはよくわかる。
でも私は何だか複雑な心境だった 。遠野の人々にとってはこんな私の気持ちなど よそ者の勝手な戯言でしかないだろうけど。
大きな駐車場と公衆便所がすぐ横にできていた。
公衆便所はありがたいが 駐車場まで作られては遠野が観光地化されていくようで寂しくなった。
もっともっと走っていたかったけど 私が遠野を去る時が刻一刻と近づいている。
卯子酉様から 元来た道を引き返し 駅に戻った。
全走行距離は 約30キロ。
私の中でのサイクリングとしては短い方だった 。
レンタサイクルを返却し 待合室でコーヒーを飲みながら 列車の到着を待つ。
昨日着いた時は 積もっていた駅前の雪。
わずか1日の違いで かなり溶けていた。
やがてえ改札が始まると 私は駅前の風景をしっかりと目に焼き付けて ホームに出た。
私は約10年ぶりに東の旅した。
そして久しぶりに遠野ユースホステルに泊まりペアレントさんと話ができた。
さらに短い時間ながら 遠野の町を自転車で走った その全てが純粋に嬉しかった。
走るディーゼルカーの窓の外をふと見ると ちょうど遠野から二つ目の岩手二日町駅を通過するところだった。
了
また、書きます