神の声を聞く話
少年は決意した。
今日こそ告白の日であると。
意中の先輩へ想いを伝える日だ。
作戦は立ててあるし占いもバッチリ。
いざゆかん、決戦の地へ……!
「……いってきます」
緊張した面持ちで自宅を出た少年、高町秀俊はいたって普通の高校二年生だ。
今は辛気臭い顔をしているが、これは昨晩深夜まであらゆる恋愛成就の占いを試していたことによる寝不足と、Xデーを迎えた緊張によるものだ。いつもはもう少しだけハンサムである。
本当にちょっとだけだが。
「……」
彼は一緒に登校する友人を持たないが、それは彼の家がそれなりに郊外に位置しているからだ。
彼以外の乗客がいないバスに乗り、20分ほど揺られると最寄り駅に着く。そこから電車でさらに20分。
つまるところ電車に乗るまでは話し相手など当然おらず、表情に気を使う必要もない。自然体で、むすっとしたまま整理券を取って座席に腰を下ろす。
「なるほどな。信じられんが現実のようだ」
高町は胸中に渦巻く感情を処理しきれず思わず独り言を漏らす。
先輩には前日に屋上にて大切な話があるとは伝えてあるし、以前一緒にリアル脱出ゲームで遊んだから距離感も悪くないはずだ。しかし、どうしてもそのような下準備の末にこのXデーを迎えられたことが信じられない。この胸の高鳴りは現実であっても、その現実感はどこか作り物のようで……。
「おい。お前、話がある」
そうつぶやく彼の周りには誰もいない。先輩に話しかける予行演習だ。
非常にぶっきらぼうな言い方だが、これでは成功するものもしないだろう。改めて言い直す。
「聞いてんのか。お前だ、しらばっくれるんじゃねえ」
……あまり言い直せていないな。おかしい。
コホン、非常にぶっきらぼうな言い方だが、これでは成功するものもしないだろう。改めて言い
「そこの声だ。俺の頭の中に聞こえるお前だよ」
非情にぶっきらぼうな言い方だが、これでは成功するものも
「強調しても無駄だ!無視してんじゃねえ!!」
ならば君もせめて句読点までは待ったらどうなんだ!?おい、こっちは地の文やってるんだぞ空気を読め。
……突然大声を出した乗客に運転士がどうしました?と声をかける。高町はあわててかしこまった。
「すみません運転士さん……偉そうに喋りやがって」
もちろん後半は小声である。
高町は自分でもなぜ叫んだのかわからなかった。きっと今日という日に緊張しているのだろう。深呼吸して、今日の作戦をもう一度確認する。
「お前は何者なんだ。なぜ俺の行動を全部実況していやがる」
……はぁ。なあ、地の文が『深呼吸をして』と言っているんだから深呼吸しろよ。なぜそんなに反抗的なんだ。
「質問に質問で返しているんじゃねえよ。そっちが質問に答えたら俺も答えてやる」
分かった分かった。あのね、さっきから言っているように私は地の文担当なんだ。天の声とかナレーションとか呼び方はいろいろあるが君の挙動を読者に報告するのが仕事でね。本来は登場人物である君が私を認識することも私に人格が与えられることもなかったと思うのだが、なぜか今はそうなっている。
さあ話したぞ。今度はこっちの質問に答えろ。
「……お前正気か?というか俺は正気なのか?こんな妄想に取り付かれてしまうなんて馬鹿げてる」
高町は天の声の質問に答えた。
「ちっ……俺には家を出たときからお前の声が聞こえている。なぜか俺が昨日までやっていたことを知っていて、それを耳元で実況しているアホがいることはすぐに分かった。そんでそのアホがムカつくんで、試しに話しかけてみたというわけだ」
我ながらイカレているとは思うが、っておい!俺の言葉をそっちで吸収しているんじゃねえ……と、高町はやや長めのセリフと共にため息をついた。うん、ついたことにしておこう。
高町は聞こえる声が少なくとも自分より権限の強い存在のものであることを認識し、口をつぐんだ。
いいね、やりやすい。ずっと黙っていろとは言わないからこっちの事情をおとなしく聞いてほしい。
「……わかったよ」
高町は静かに首肯した。
よし。とりあえず君に私の声が聞こえていることは分かった。だが先ほど話したようにこれは異常事態なんだ。なにか、こうなった原因に心当たりはないか?
「うーん、しいて言うなら……」
高町の脳裏をよぎったのは昨日の夜のこと。恋愛成就に効果があるという占いを一通り試していたのだが、どうもいい結果が出なかったので『運命の声が聞こえる』という怪しげな占いをやってみたのだ。
ちなみに結果はやはりバツ。彼は自分の運命に嫌われているとさえ思った。
「なあ、これ俺に聞く必要あったか?たぶんお前が話そうと思ったらそこで全部書けるよな」
私も最初そう思ったのだが、どうも文脈が用意されていないとこちらからも情報を参照できないようだ。それも考えてみれば当然のことで、私はただ用意された台本を読んでいるにすぎないのだから渡されていないものは読めない。そしてその台本は、君が行動することによって用意される。試しになんかやってみろ。
「……」
高町はなんとなくリュックを開けた。本当になんとなく、意味なく。だがすこしだけ緊張はほぐれた気がした。脱力感、とも言える。
こんな感じだ。
「はいはい、なるほどね。ちなみにお前は黙っていられないのか?」
明らかにイラついている声に、不思議な声はううん、と唸ってから回答した。
いま試しに黙ろうと思ったんだけど一行が限界だった。しかも一行飛ばしたせいでそろそろ場面が変わるぞ。
「はぁ?そんなむちゃくちゃなのかよ」
いくらなんでも、と高町が二の句を継ぐ前にバスのアナウンスが耳に入った。降りる駅だ。
彼は嘘だろ、とつぶやきつつ慌てて荷物をまとめる。
「まだ10分くらいしか乗っていないぞ!?」
そう主張する彼のことを運転士は奇異なものを見る目で見た。その表情からは運転士には通常の通りに時間が運行したことが示唆されている。
「うわ……運転士さんから嫌われたら俺は明日以降どうやって学校に行けばいいんだ」
高町は過ぎ去ったバスの後ろ姿を眺めて肩を落とす。
なるほど、ヒントは出せるんだな。
「ぜんぜんありがたくねえ……クソ、お前を消す方法はないのかよ」
高町はスマホで調べても某イルカを消す方法しか出てこない。それもそのはず、彼以外には地の文は認識されていないのだから。だが、地の文の主にヒントを聞くことはできるらしい。
えっとな、物語がひとつ終われば原則として地の文はおしまいだ。だから物語の終わりにたどり着けば、私たちはお互いから解放されるだろうな。
「えっ、死ぬまでついてくるのかよ」
高町は老衰で死にゆく自分の頭の中にまで聞こえる声を想像し震えた。こんなものが毎日続けば途中でノイローゼになってしまうだろうと。
……失礼な奴だな君は。君が世界を認識できるのは誰のおかげだと思っているんだ。
「少なくともお前じゃねえな」
高町は突然トラックが突っ込んでくるのを見……これ以上記述できないだと?
なるほど、介入できる部分には制限があるみたいだ。
「やべえことを試しているんじゃねえよ!」
思わず叫んでしまい、高町は口を押えて周りを見る。幸い、まだ同級生の姿は見えない。
……まあ、物語って言っても今日一日の告白までがせいぜいじゃないか。ただの凡庸な人間一人の人生まるごとの物語なんて私一人で担当できるものか。数か月分でも大変だというのに。
「ぐっ……よかった半面今日くらいしか盛り上がりがないのか俺の人生」
反射的に唸ってしまうが、しかし思い直してみると人生があまりに山あり谷ありでも嫌な気はした。高町はどちらかというと平穏な人生を望む身であり、こんな特殊な状況とはさっさとオサラバしたいのだ。
さっさとオサラバね、私もだ。こんなに疲れる地の文担当は初めてだからな、早く終われるならそれに越したことはない。
……ん?
「何だよ。何か策はあるのか?」
独り言をブツブツ呟いているうちに高町は学校に着いた。
道中のことはほとんど覚えていないが、それもそのはず。彼はずっと告白の脳内練習をしていたのだ。おかげで用意していた言葉はかなりすらすらと言えそうである。
「おいちょっと待て。確かにいま学校に着いたが勝手に飛ばすんじゃねえ」
午前中の授業は上の空。友人から話しかけられても発表順が回ってきてもなんだか的を射ない返答が返ってくるのみ。
すぐに皆が高町の様子がおかしいことを噂し始めたが、当の彼が我に返ったのは昼過ぎの弁当を食べている時のことであった。
どうだ?
「授業を受けた記憶が全部飛んでいやがる……」
弁当を前にまたも独り言を言い始めた高町にクラス中から視線が突き刺さる。明日になれば熱が出ていたとかそんな感じで誤魔化せるはずだが、いま現在において状況はまるで拷問だった。
「耐えろ……ヤツがすぐに時を飛ばしてくれるはず」
独り言を言いながら高町は弁当をかき込む。いつもならあっという間の休み時間は、まるで無限に伸びた時間であり、永遠の牢獄に捕らえられたような錯覚さえ持ち始めた。
「今すぐその嫌がらせをやめやがれ!今すぐだ!」
叫びながら起き上がると、もうクラスには誰もいなくなっていた。HRが終わり、放課後になったようである。彼が知る由もないが、クラスメイト達は常日頃寝れば元気になると主張していた高町を信じて寝かせたままにしたのだった。決して今日一日の言動にドン引きで近づくのも嫌だったとかそういうことじゃない。
いやいや、すまんね。でも貴重な体験だっただろう?地の文でも君の行動は今日一日の奇行であると認識されたと記述してあるし、明日からはきっと元通りさ。
「し、死にてえ……明日から絶対いじめられる」
高町は悲観的になりながらも、半ばヤケクソな感情が湧き上がってくるのを感じた。そう、そろそろ作戦決行の時間である。
忘れていないよね?
「そうだった!ありがとうよ。というかもしかしなくても俺の告白にオチがついたら物語とやらは終わりか?」
地の文に感謝する日が来るとは思っていなかった高町はその存在に感謝しつつ、昼寝後の冴えた頭で解答を導き出した。あとは屋上にて先輩へ告白するだけだ。
カバンの中にきちんと手紙が入っているかどうかを確認する。昨日の夜にかなり手の込んだ力作を完成させたのだ。
……完成させたのだが。
「なあ、これも嫌がらせってことは無いよな」
高町の顔から冷汗が噴き出る。カバンをひっくり返しても、持ってきたはずの手紙が無いのだ。
いや、私じゃない。というかその手紙はきちんと渡してもらわないと困るのだ。こちらからはその手紙の中身や場所にだけはぜんぜん介入できないし。それを先輩に渡せば、きっと告白はうまくいくはずなんだけど……。
「さらっとネタばらししやがるなオイ。というか本当にないぞ?」
再びカバンを覗き込んだ時、高町はひとつ思い当たったことがあった。
……どうだ、思い出せたか。
「ナイスアシスト……あ」
バスだ。
高町は自分が軽率にカバンを開けた場面を思い出した。あの時手紙を落としたに違いない。
えーっと……この文章が出てきた以上、たぶん君は本当に手紙をバスの中に置いてきちゃっていると思うよ。
「オイオイ勘弁してくれよ!俺の計画が……なぁ計画は手紙が無くてもうまくいきそうなのか?」
まさに神頼み。しかし聞こえる声は否定を返す。
私の想定だと君が手紙を渡して先輩がその場で読み上げるように命じ、熱心さに心を打たれた先輩がサディスティック魂を刺激されて承諾に至るって感じだったんだ。しかもこれを話せているってことは……。
「その展開はありえないってことかよ!ま、まあ先輩がサディスティックな可能性もうやむやになっているならいいんだけど……」
ああ、でもどうしたら。高町は誰もいない教室で頭を抱えた。
……いや、もう行くしかないだろう。展開的には、どっちかというとぶっつけ本番の方がおいしいじゃないか。
「え、マジで言ってるの?本気でぶっつけ本番にする気?」
地の文からの返答はない。高町は逡巡した末、とうとうアドリブで作戦を決行することに決めた。
屋上の扉が目の前にある。開けた先に先輩が待っているはずだ。
「お前よりにもよってこんなところでスキップを使うなよ!」
涙目になって叫ぶ高町に、しかし聞こえる声は冷酷だ。
いや、だってもうこれ以上引っ張ってどうするんだ。君がどうなるのかは分からないが、さっさと済ませてしまえば物語は終わるんだろう?というわけでドアを開けさせてもいいか?
「駄目だ駄目だ!ああ畜生、あんな占い信じなきゃよかったぜ!!」
後悔先に立たず。そう言い聞かせる声が高町の脳内に反響する。
大丈夫だ、たぶん。私はこの先の台本をまだ渡されていないが、君ならアドリブで何とかなるんじゃないか。ほら、どうせ先に進まなきゃいけないなら自分の意思がいいと思うぞ。それとも私が開けるか?
「ぐぐぐ……い、行くしかないのか。なら、でも、うーん……」
高町はドアの前で完全に停止した。正直一日が十分尺に化けてしまっただけでもかなり精神的に来るものがあった。そこで準備が水泡に帰しアドリブでやれと言われても脚がすくんでしまうのみなのだ。
ならしょうがない、私が開けるぞ。
「あっちょ……!」
姿の見えない声の主を押しとどめるように高町が伸ばした手はドアに当たる、その寸前であちら側からドアが開かれた。
「うおっ、高町か?」
目を丸くして俺の目の前に立っていたのは先輩だ。一瞬わけがわからず、俺は自分の手が先輩の胸に軽く触れていることに気づくのが遅れた。
「あっ!?ご、ごめんなさいってうおおおお!?」
動揺のあまり飛びのいたその先は階段。俺は背中から転がり落ち、踊り場の壁に激突して停止した。
「い、痛い……」
「おいおい大丈夫か君」
慌てて階段を駆け下りてきた先輩の手を借りて起き上がる。冷静でおとなしい、暇になったらどこか遠くを見つめているようなミステリアスな先輩の手は、それこそミステリアスに柔らかく温かかった。
「君に呼び出されて来てみれば約束の時間になっても来ないから、もしかして教室で寝ていたりするんじゃないかと思って呼びに行くところだったのだ」
「そ、それは、すみませんでした……」
「いや、いいんだ。そうしないといけない気がしていてな。それよりも君、怪我は?」
「擦り傷とかは少々ありますけど、平気ッス」
あー!畜生雰囲気もなにもあったもんじゃない!ここからアドリブで挽回とか無理じゃなかろうか?どうしよう、ここはいったん引いて仕切り直しを……。
その瞬間唐突に、さながら天啓のごとく、あるアイデアが思い浮かんだ。
「先輩、今日ヘンな夢とか見ていませんか」
「なっ、何のことだ」
「明晰夢とか、そういう強く覚えているタイプの夢ですよ。例えば……」
俺はスカートのポケットから絆創膏を取り出しかけている先輩の手を指さした。
「僕が階段から転げ落ちるのを夢で見たり、とか」
「これは、その、いつも用意していたというか」
「僕が遅れてくることとか、教室で一人放置されて寝ていることも知っていたりしませんでした?」
「……まさか、本当に?」
いつもは無表情な先輩が口をぱくぱくとさせている。
なんということだ。
つまるところ今日ずっと聞こえてきた声の主で、俺の身に様々な怪奇現象を引き起こしていたのは先輩だったのだ。
正しくは先輩の夢、なのだろうけれど。
「えっと……君が、その、ずっと愛の告白を練習していたこととか、それが私に向けたことであることは、夢で見た」
「その結末はどんな感じでした?」
「君は私の前で愛の手紙を読み上げる。その直前で目が覚めた」
「たぶん先輩が読み上げさせるんですよね、それ」
「な、え、え、いや……」
動揺する先輩は表情もそうだが耳がいつもより赤くなっている。
なるほどな。
「……すまない、その通りだ」
そして最終的に謝った。
「……」
「……」
気まずすぎる。
えーっと、えーっと。
打開、打開策を!なにか!
先輩に恥をかかせないための、手は……。
そうか、俺が、もっと恥をかけばいいのではないか!?
「親愛なるあ、天音!天音陽子先輩へ!」
俺が選んだのは、頭の中に残っていた手紙の朗読だ。
これなら先輩が夢で見た通りになる。恥ずかしいのは俺で、有利なのは先輩だ。
目をつぶり、一気に読む。
「高町秀俊、よりっ」
噛みっ噛みながらも読み上げ切り、薄く目を開けてみる。
先輩は読み上げを始める前の姿勢でそのまま固まっていた。
「先輩?」
「あ、ああ。すまない。すこし、圧倒されてしまった」
「すみません……」
「いや、いいんだ。いいんだ……」
先輩は指でこめかみを抑え、悩んでいるようだ。
まさか、返事をこの場でくれるつもりなのだろうか。
しかもめっちゃ悩んでいる。
ど、どうして悩んでいるんだろう。微妙、微妙ってことか。
確かにシチュエーションはかなり、というか最悪だ。いくらすでにそこそこ仲がいいからって、こんなやり方はないだろう。
しかも今日の俺は緊張のあまり記憶喪失と幻聴を繰り返した身。後者はともかく前者は本当に俺が緊張で記憶を飛ばしていたとしか思えない。いまの朗読だって一瞬で省略されたような気分であるから、その中身で俺は正直何を言ったのか分からないのだ。
「高町、秀俊」
びし、と指をさされ自然と背筋が伸びる。
評決の時間だ。
「今週末、博物館の特別展示がある」
「……はい?」
「そのときに、きちんと私の夢を見て予習してくることっ」
それだけ言って先輩は去って行ってしまった。
なんだ、どういうことだ?
これはOKなのか?
個人的には、主観的にはそう解釈したいところだが。
ああ、今になってあの幻聴……もとい地の文が恋しいぜ。
「私の夢を見て……ふむ」
まあでも、その時になれば分かることだ。
とりあえず今は週末の博物館デートのことを考えておこう。
それこそ、先輩のことでも夢に見ながら……。
2時間くらいかな。
他の作品もよかったらドウゾ~。