六話
再会から数日が過ぎた。あの日、先生たちは探索帰りだったため持ち帰った素材の加工を行うために休息日に当てられていた。俺はまだそれらに係われなかったため、都市の散策としばらく滞在するための買い物を行った。
厳命されたのは森への探索は一切の禁止のみ。大森林は一部で死の森だとか、冒険者喰いの森などとも呼ばれるらしく、週に一回でも通えば1年でも一人前、5年でベテランと呼ばれるほどに死亡率が高いことで知られている10年以上となるとこの街でもなかなかお目にかかれないらしい。
その話を聞いたときに二人に年数を聞けばパドは「本格的に入り始めてからは4年目」との事で、ティヨーラに関してはすまし顔で「12年」とだけ答えた。
その経歴にギョッとした顔とともに、鳥人も普人も15歳で成人を迎えることが頭によぎったが「年齢の方でつっこんだら倉庫行きだ」と即座に脅され、その際もしれっとした顔で紅茶をすすっていたのがやたらと恐ろしかった。
なお、鳥人の表情は読みにくいので雰囲気での話なのだが。ちなみに倉庫には防犯用でこの家で一番の防衛呪術が仕込んであるらしい。
鳥人種、文字通りに鳥を人型にした人類種である。大別して腕部が翼になっているものと背に生えている物がいるが、ティヨーラは前者だ。肩甲骨の辺りから脇の背側をなぞるように羽があり、それが手首まで続く。普人種であれば小指、薬指に当たる骨が長く羽の先端になっている。飛行の際にはこれを伸ばして飛ぶが、普段は畳む様にして腕に沿う形にしているらしい。そのため、指に関しては見た目3本となっている。
彼らは卵生で産まれる。女性は(種族差で変わるが)数ヶ月ごとに体内に卵を作り、卵管から排出するのだが、性交に関しては必要なときにだけ行うためにそれ自体を目的とすることはない。子供が必要な際はほぼ100%妊娠が可能なことと快楽もほぼ受けないとの事で、彼らの夫婦はプラトニックな付き合いがほとんどである。
また、「おつとめ」によって生み出された無精卵は大体の場合は破棄されるが、普通の鶏卵と同じようにして食されることもある。見た目のいい鳥人の卵はソコソコの値段で売れるらしくギルドでの買い取りもあるらしい。当人たちの感覚では有精卵でないなら、切った爪や髪の毛と同じ様な扱いらしくそのことを問題に感じてはいないらしい。
飲み屋で会った黒羽の鳥人は惚れた女の卵なら毎日でも食べたいとか言っていたので、そのあたりの感覚はずいぶんと普人種とかけ離れている。
それでも、一部には気にする者もいるため、卵の生成を停止する魔術もあるらしく「これがそうだ」とティヨーラが服のすそをめくって見せてくれたのだが、羽毛の奥に魔術陣が紫の刺青で彫ってあった。曰く「腹の羽を一通り毟られるのがいやなので二度とやらん」らしい。
後日パドが補足として話してくれたのは「ティーラはもてるからなー、卵とか争奪戦だったらしいぞ」とのこと、それにうんざりした為、彼女は停止陣によって止めているのだそうだ。なので卵自体についても大勢の鳥人と同じく普通に食べるし売買にも関心はないとのこと。
見分けについては、有精卵は体内で生成する過程で無精卵よりもかなり大きくなるらしく、片手に乗れば無精卵、両手ではみ出るのが有精卵というザックリとした民間判別方法がある。むろん正式なものや魔術での物もある。が、大体の場合は生んだ当人はわかっているものなのだから活用の場は少ない。
なぜそんなことをわざわざ森についての忠告を受けたのかと言えば、懐具合を気にしていたのがバレバレだったらしく、生活するに当たって必要なものを購入するためにと銀貨を数枚ほど手渡された。
それを見たパドが市街の案内を買って出てくれたため連れ立っての買出しにでることになった。
「おごらないぞ?」
「大丈夫だって、箱物脚物は備え付けのがあるから、多少良いもん食って帰ったってよゆーだ、よゆー。な?」
「いや、余ったら返すから」
「気にすんなって、これからは一緒に冒険すんだろ。そう言うとこで返せばいいんだよ。財布の根っこは一緒だって」
そんなセリフと一緒に肩を抱くようにバシバシと叩かれながら二人で街路を歩く。タオルや着替え、食器なども買い足した。変わったものと言えば、パドの勧めでいくつかの呪術用具も入門品を中古で購入した。
時折パドの知り合いに冷やかされながら屋台を摘み、いろんな区画の説明を受けた。お勧めの鍛冶工場や旨い飯処に甘味処、酒の安い店に高級料亭、肉を食うならこっちで、魚ならあっちだとか。あそこだけは残飯みたいなのが出てくるからやめとけなどなど。方々を歩き回って昼を回った頃に一軒の店に入って食事にすることにした。
入ったのは再開の酒場、森の湊亭。やはり半分ほどの席が埋まっており、客層も品がいい部類だろう。帯剣しているものでも振る舞いに荒さが見られない。
「ここのオーナーが元警邏隊でな。そのツテの客も多いからここじゃ皆、借りてきた猫みたいなもんさ。多少割高なのはあるけど、その分ゆっくり飯が食えるから重宝してるぜ。ちなみにルーのヤツが一部出資してるから、うち等はちょろっと割引が効く」
俺の視線に気づいたパドが店の奥に座る初老の男性に手を振りながら説明してくれる。どうやらあれがオーナーらしい。調理場に立ったりはしないのだろうかと思ったが、帳面仕事が主で、バーテンもキッチンスタッフも雇いらしい。今もテーブルにはいくつかの紙束が積んである。
カウンターに座った俺たちは仕事の少ないバーテンと雑談をしながら昼食を取った。先日のバーテンダーとは別人だったが、昼夜でシフトが変わったり料理補助としてキッチンにいたりするらしい。何人かは住み込みで、二階が寮のようになっているらしく、ウェイトレスの女の子たちも住んでいるらしい、などといった話をしながら街の流行や森に出ている冒険者たちの動向などを聞いた。
家の周囲の環境からなんとなく感じていたが、この街は貴族らの別荘地でもあるらしく年間でも少なくない人数が訪れるらしい。街としてはかき入れ時だが店としては食材の仕入れに苦労すると溢していた。
この街の冒険者は大きく分けて4種類になるらしい。森か海かで2つ、それぞれに採集をメインにする者がいて、海上では廻船の護衛として同乗していくつかの港を巡る者、森では害獣駆除をメインにする者がいる。そのほか細々とした街中の雑務を日雇いで行う者や、農場の護衛などに雇われている者もいるが少数派らしい。どの冒険者も専門となる傾向が大きくそれなら狩人や漁師を名乗る方がいいのではとおもうが、本職の漁師や狩人は成人男性の背丈を越える蟹だとか猪だとか、刀剣振り回しながらの切った張ったが必要になる様な獲物を狙うことはほぼない。違いを指摘するならそこだろう、と。
ルーティエたちは廻船護衛以外の全てを行う珍しい冒険者との事だった。もっとも彼女の好奇心ゆえであるため、冒険者としての仕事と言うかは疑問の入る余地がある。とはいえ比率は森が大半であることは間違いないようだった。
そして彼女らの場合は、指定の薬剤に調合した上で卸すため、通常の冒険者よりも桁一つ、時には二つ以上違う報酬を得ているらしい
故郷の仕事で言えば、木を切り出して運搬加工して家を建てて売るところまでと全部やっているのだ。小屋なら小屋の、豪邸なら豪邸の価格で、それらに係わるはずの「中抜き」部分も丸ごと稼ぎになるのが大きい。もっともそれの小規模なものを旅の道中で俺もやっていたわけだが、腕前や道具の有無で作れる種類が限られていたため、高額になる様な薬は扱えなかったのだが。
パーティではなく雇用と言う形をとっているのも、その報酬の大半がルーティエの腕に対して支払われているためだという。
「だからあんたの扱いはどうなるのかねぇってはなしよね。雇用主の弟子ってなると、契約上はあたしらよりも立場が上になるしさー」
食後のお茶を飲みながらそう切り出したのはパドだったが、言われてみれば確かにとも思う。少なくとも衣食住に関しては、今の待遇を見れば不安はない。それ以外の報酬としては、今日受け取った銀貨はあるが、お小遣いのようなものだろうか。徒弟の報酬は一般にその知識と技だ。休みなどのも基本的にないと聞く。しかし、先生のことを考えれば冒険報酬からいくらかの分配があるきもする。扱いが先任二人と同じなら多少面白くない部分も出ることだろう。もっとも今日までの付き合いでそこまで気にするような質ではないことも感じているが。
「自分としてはペーペーの新人扱いで飯が食えればあとは気にならんですけどね」
「……なに語尾あらたまってんのさ」
先任がとか考えたせいが微妙に物言いに違和感が出てしまったようだ。噴出すパドを小突いて続ける。
「まぁ、なんにせよ。確認しといた方がいいかな。帰ったら話してみよう」
「ま、それが無難よねー。ってわけで午後は港のほう行こうか、上がったばっかの貝とか焼いてる屋台があんのよ」
「まだ食うのかよ」
そんな休日をすごした数日。主に先生の蔵書を読んだり、レポートを読んだりしつつ、食事時に今後の話などをつめながらすごしたが、ようやく森に入る日がやってきた。
俺の装備は旅の間に誂えた物だが、メイスと丸盾に革鎧と厚手のコートだ。それに対して3人の格好は先生が普段と変わらない布製の上下に前開きのフードつきローブとブーツとグローブは頑丈そうな者だ。採集用のナイフ以外に武器らしき物はない。その代わりに保存容器は随所に付けられている。
ティヨーラは服装に関しては先生と変わらないが、服とローブの間に革鎧を挟んでいる。武装は弓を腰の弓筒とでも言うのか、専用の皮製の入れ物に入れており、そのほかには小さめのナイフを持っていた。
パドに関しても基本の服装に宝石つきのワンドを3本ほど腰のベルトに挿して終わりだ。ティヨーラのグローブが弓用の指貫になっている以外は武器以外がほぼ一緒と言ういでたちで、それもティヨーラの翼を除けば顔以外の露出がほぼない状態である。
「パド、買い物に付き合ったんだろう?教えなかったのか?」
ティヨーラが呆れたようにパドに問いかける。本来なら、俺も似たような格好をしている予定だったのだろうか。下半身こそ露出はないが肩から先が篭手以外の部分露出している。肩は取り回しで邪魔に感じていたし、手先はメイスを握る手に違和感を感じるようになるため着けることが少ない。一部の棘植物などの採集用に持っているくらいだ。
「いやー、ルーとも相談して最初はこれで行こうってなったんだよ。な?」
同意を求められた先生はニコニコと頷いて見せる。
「カールがこれまでやってきた成果、のような物も見てみたいですし。出来上がった型を崩すようなことにもなるかもしれませんしね」
「それならば、構いません」
そういってチラリとこちらを見たティヨーラの目に哀れみがあったように思うのは気のせいだろうか。
気のせいではなかった。
森に入ってしばらく、道々にある北方にはない草花を解説されながら進み。その幾つかを先生の指示のもと採取していく。
そんな中で指定された藪の中に咲く花を採ったところ。積み上げて保存方法について聞こうとした瞬間、立ち上がりかけたまま足から力が抜けていくのを感じる。いや、足だけではなく全身から力が抜けてそのまま地面に倒れこむ。
辛うじて動く目で見上げれば、ティヨーラは眉間を押さえて頭を振り、パドは腹を抱えて笑い、先生は苦笑いをしながら俺の口元に何かの薬を流し込んだ。
そのまま花を摘んだ腕にも別の薬品をかけて、俺の身体をそばに歩きに立て掛けるように座らせる。
「いいですか、カール。この花はヒエロと呼ばれる花です。とても香りがよく、香粉などにもされて珍重されるので、す、が、一見するとただの茎か蔦かという生垣になっていますが、葉の部分にとても細かい棘が生えていてこれが強い麻痺性の毒を持っているのです。」
いつものように指を一本立ててそれを左右に振りつつ解説する先生の横で何度も頷くパドが妙にイラつくが、未だに指一本動かない。
「その細かさは触った感触以外は痛みどころか刺さったことさえ気がつかないほどです。通常の毒がそんな微量で、成人男性が一瞬で昏倒するほどの毒性を持つ事ははっきりと異常です。なぜか!という答えを先に言うと魔法毒なのですよ、これ」
まほう?魔法?MAHOU?
「葉にも茎にも蔦にも根にも棘にも、当然花にも。毒物は一切含まれていないのです。しかしこの棘に刺さると、最悪死にいたるほどの麻痺が起こる。つまるところ、この花は植物の形をした魔物なのです」
魔物?視界の端に映る蔦草を視線だけで眺める。
「(この草が魔物?)」
「現に根から切り離された葉は、たとえ擦り付けたとしても麻痺毒を発生させることはありません。枯れてしまっていても同様です」
そう言って引きちぎった草の一部をパドの頬で一撫でしてみせる。ふいを打たれたパドはあわてて距離をとるがその姿に麻痺の兆候はない。
「なぜこんな真似をするかというとですね、カール。この森にはこういった植物が多く居ます。たまたまヒエロが一番に見つかったのでこれを使いましたが、結局のところ、危険な植物が多いから肌を隠せといったところで、それではいまいち危機感を与えないのです。採集の折、戦闘中、花を摘む時にでも注意を怠れば、死に繋がるというのを実感する方がいいと判断しました。私が居ればこの辺りの毒ではそうそうどうにかなることはないですしね」
そう言って言葉を切った先生の変わりにパドが前に出てくる。
「まぁ、つまり、今日はおっかなびっくりして歩けよってことさ。ちなみにだけどな」
そう言ってわざわざ手袋をはずして剥き出しの腕を蔦の中に差し込んでガサガサ動かしてみせる。そのまま腕を抜き、パタパタと叩いて袖と手袋を戻す。
麻痺の兆候はない。
「実際の植物毒じゃないこいつは、抗魔術で打ち消せるって事よ。即効性や毒の強度はやばいが、くらった後でもレジストできるんだ。森の中でも可愛い方さ。玄関で床掃除してから何度か教えたろ?」
そういえば、やたらと苦い薬液を先生と二人して飲ませてきて、香を焚いたりしつつ幾つかの魔術呪術について教わっていた。実際ものになった物はないが、単純に向けられた魔術の気配などを感じる事などを重点にして行い、その中に向けられた物を弾くないしは、耐えるという物もあった。
そのときの気配を思い出して目を閉じる。ゆっくりと呼吸して集中すれば、確かに身体の中に違和感がある。それも徐々に薄れているようではあるが、意を決して体の内側の中心から外に向けてマナを押し出すようにして力をこめる。
まるで古くなったら蜘蛛の糸を払うようにハラハラと解きほぐれて消える麻痺毒の残滓。大量にマナを消費したのかドッと疲れたような感じがした。
見れば3人が驚いたようにこちらを見ている。
「カールは実践派ですね。家じゃあほとんどできてなかったのに」
「あれだな、本番じゃないと力が出ないタイプ」
「何はともあれ、一応初級魔術師見習い昇格といったところか。おめでとう」
そう、単純に身体の中でマナを動かす事ができれば魔術師見習いを名乗れるのはどこの国でも同じで、師匠の許しを受ければ「見習い」が取れるのがならいだ。
普人種ではこの見習いすら極々少数で、故郷の村には一人も居なかった。そんな魔術師見習いなれた喜びよりも、俺は
「うぉえぇぇぇ……」
自分でやったことながら、身体の内側を引っ掻き回される様な感触に、朝食を地面にぶちまけた。
「まぁ、普人なら誰もが通る道だな。むちゃくちゃ気持ちわりぃしな、あれ」