一話
俺生まれたのは、比較的平和な時代の、近隣諸国で比較的上位に位置する国家の、比較的裕福な山岳部にある、建材と端材を用いた木炭製造を主産業とした林業で生計を立てる、人口数百人の村だった。
平和と言っても当時どこの国でもあったように隣国とは大小の摩擦を抱え、魔物や異種族とも小康状態であったらしい。とはいえ、即座に戦火の広がる様子はなく、つまりは平和であった。
しかしながら街道を行ったとしても盗賊の類や、獣に魔獣といった脅威はしっかりと存在し、人間の広げた壁付きのテリトリーから大きく離れるのはそれだけでリスキーであり、輸送には護衛をつけるのが当たり前で、個人がフラフラしていればそれは迂遠な自殺とも言えた。
そのために俺の決断は家族どころか親戚筋や近隣住人を丸ごと巻き込んでの大反対で、半ば夜逃げのようにその村を抜け出したのだった。きっかけは、
その頃の俺は大人たちの枝打ちに着いて山に入っては、折を見て取った薬草を薬士の婆さんに持って行き、小遣い代わりの干し芋や煎り豆を貰うのが日課になっていた。初めの頃こそ同年代の子供も我先にと草むしりに精を出したものだったが、取れた薬草類の品質が悪いと小遣い所か「もったいないまねをするな」と擂り粉木でぶん殴られたものだ。
そんなものだから飽き性の子供たちはそのままでも持ち帰れば夕餉になるキノコや木の実を集める様になり、子供で薬になる植物を集めるのは、積極的にと付けるならば自分を含めても数人しか居なくなっていた。それでも、食事時以外に小腹を満たしてくれる婆さんの芋は得がたいもので子供内では通貨のようにさえ扱われた。
その旅人が村を訪れたのは冬も差し迫った晩秋の事だった。旅人は大きな両肩掛けの行李を背負い、草色のローブと一体のフードを目深に被っており、住居区画を隔てる壁門(山岳部で林業を営むこの村では家屋を集めて獣、魔物除けに丸太組みの壁でもって、ぐるりと囲んでいた。また畑は家庭菜園を除き壁の外にある)で番役の小父さんと押し問答をしているようであった。
「おじさん、行商さんじゃないの?」
干し芋を齧りながら近づくと俺はそう問いかけた。うちに来る行商は大抵が馬車引きだ、材木を主産業にしているため当然ではあるが、それ以外でも手すきの大人がこさえた木工細工を目当てに来る単身徒歩の行商もいるにはいる。今回もその類だろうと思い声をかけたのだ。小口の行商人は婆さんの薬も扱うので、それらが売れれば素材を集めた自分らのお駄賃にも色が付くので歓迎される来客だった。
「んにゃ、どうも流れの薬士さんらしいんじゃが、ワシじゃぁ話がようわからんでな。エンロヤの婆さん呼んできてくれや。あと村長もたのまぁ」
小父さんはそれだけ言って、行李の薬士を門脇の椅子代わりになっている丸太に誘う。その姿を見ながら、わかったとだけ返事をして今来た道を駆け足で戻る。こう言う時にだらだらすると客にも村の大人にも印象が悪い。「いい子」でいれば何かと助かると言うのは、短い人生でも十分な教訓となっていた。主に干し芋の枚数で。
二人を呼んで戻れば薬士は行李とフードを下ろし、小父さんと談笑していたようだ。その小父さんの鼻の下が地面に着きそうなほど伸びている。
それもそのはず、その薬士は俺も話は聞いたことがあっても見たことはないミルクのような髪と旅路を感じさせない白い肌の美女だったのだから。
年のころは先日、麓の村に嫁いでいった姉よりもやや上か、職業も考えれば20を回っていてもおかしくないだろうか。つるりとしたストレートの髪から覗く耳がツンととがっていて、彼女の種族が知れて思わず口が動いていた。
「エルフ……」
その呟きでこちらに気が付いたのか、薬士のエルフは丸太から腰を上げて深々とお辞儀をして見せた。その時彼女には10を少し回った程度の俺など風景の一部ほどにも眼中になかったはずで、そのお辞儀も村長と婆さんに対してのものだったのだろう。
簡単な自己紹介のあと、来村の目的になった段で年長二人の顔に渋いものが浮かぶ。曰く、厳冬期の山で取れる素材が欲しいので冬季の滞在を希望しているとのことだった。多少の保存食は持ち込んでいるのと、薬士としての働きに、ここでは手に入らない類の薬も提供してくれるという。
この村の冬は厳しい。子供など埋まるほどに雪は積もるし、林業主体で食料の自給が乏しいため保存食も人数割りの買い付けである。一人分とはいえ一冬分となるとかなりの量になる。また、それらを提供することで得られる対価がまた不透明なのだ。
薬士としての働きといっても、婆ちゃんがいるため最低限以上に足りているのだ(修行中の弟子はいるが、数には入れられない)、そしてその腕前となると信用してもよいものか。同様の理由で手にないらない薬とやらも、となるのだ。(その時は鼻水たらしながら眺めていたが、おそらくそんな心境だったのだろう)
その場の空気で断られると思ったのだろう。薬士のエルフは村長が断りを述べる前に、そのほっそりとした指先を見せ付けるように立てた。
呪文などなかった、周囲の目が集まった瞬間、オレンジ色の炎が立ち上った。人間1人なら飲み込みそうなほどの大きさになった炎は現れたのと同様、一瞬で立ち消えた。
「癒術も扱いますよ。このあたりは冬眠しない熊が出るとか。ご希望ならば狩人にも用心棒にもなれますよ」
このご時勢、女の一人旅、それも美貌のエルフとなれば、今日の無事がその実力の証明といってもよかった。それを加味してか、しぶしぶながらも年長二人は頷いた。振り返ってみれば、断った挙句が、実力者の「ハライセ」となっては、との思いもあったのかもしれない。
そんなこんなで、やたらと長ったらしい名前(今だに全て覚えていない上に復唱しても舌を噛む)の薬士エルフは一冬の宿をこの村でとることになった。
名前は、略称の愛称としてルーティエと呼ぶことになった。
彼女には買い付けの商人が泊まるために誂えられた小屋を与えられた。隊商用なので大きく広いが、いくつかある個室を選んで荷を降ろしたようだった。
俺は家が最寄りのために、そのまま細々した決まりなどを説明しつつ村を案内して回る。普段でもこの小屋を使う客がいればうちが案内役だ。
宿屋ではないのは、不定期に泊まる客では生計が成り立たないためで、小屋だけの貸し出しで追加を払えば飯炊きなどを村の女衆が担当した。
そのため、客がいなければ掃除などの管理をしつつ、方々の手伝いに回るのがうちの家業であった。そのためこの時、親は人手の足りない現場の仕事と冬支度で忙しくしており自然と彼女の担当は俺がすることとなった、と言っても初日に案内をした以外は随時、必要なときに声をかけられることくらいで、しばらくは特に何をするでもなく日々が過ぎていったため、俺も家庭菜園の水遣り、雑草取りなどをしつつ村の子供たちと遊びまわっていた。
客が一人増えたからと言って事件などそうそう起こるものではないのだ。