英雄の街に祝福を
「ほら、見えてきたよ」
馬車の窓からユートが指さす先に、平原の中にそびえ立つ高い壁が見える。
あの中が王都の中心部だ。
フォルテラント王国、王都ルトブルグ。
休日の朝、ユートに連れ出され、1時間ほど馬車に揺られてここまできた。
ユートは、窓から入ってくる風と共に、車内に爽やかなキラキラ笑顔を振りまく。対して、いつも通り夢見も寝起きも悪かった私は、機嫌も気分もとても悪く、揺れで吐きそうなので黙っている。
村を出てから、魔術学院の外に出るのは初めてだ。
部屋に残してきたキズナはどうしてるかな。
壁の入り口の門番は、ユートの顔を一目見ただけで私たちを通した。
街に入り、馬車から降りると、人混みに迎えられた。
入り口付近には市場が広がっており、取引の声が盛んに飛び交っている。
「ほら! 今日はオレンジが安いよ!」
「この首飾り、奥さんに似合うよ! いい色だろう! 今しかないよ!」
喧噪に飲み込まれ、なんだか目眩がする。
都の外れにあり、なんだかんだで静かな王立魔術学院とは様子が全然違う。
こんなに大勢の人々が暮らしている様を見るのも初めてだ。
「やっぱり昼前に来れて良かった。この辺の出店は、午後になると店を畳んじゃうからなあ」
ユートはうきうきと楽しそうに店を覗いている。
ぼんやりとしている私は、行き交う人たちに何度もぶつかられてしまう。
――なんだこの女、邪魔だな。
憎々しげに睨まれる。
雑踏の中、たくさんの人々の声と思念が押し寄せてくる。
――キモイ奴が歩いているなあ……。
――あそこの店、繁盛しやがって。なんでうちには客が来ないんだ。
――ちょっと、あの女誰? もしかして浮気?
何が本当に口に出された言葉で、どれが私の妄想の言葉で、どれが自分に向けられた言葉なのか判別がつかない。
気持ち悪い。気持ち悪い。
俯いて佇んでいると、ユートがなにやら飲み物の入ったコップを手渡してきた。
「はい、これを飲むと気分がさっぱりしますよ、姫」
馬車酔いしていることに気付いていたのかな。
藁にもすがる気持ちで口をつける。
「あ……美味しい……」
そのままごくごくと一気に飲み干す。胸のむかつきがすーっと取れていく。
ユートは飲み終わったコップを私から受け取り、屋台に返し、
「ほら、はぐれないように」
私の右手をぎゅっと握ってきた。
大きくて、暖かい。
人混みへの不安が消えるわけではないけれど、知っている人の手はなんだか安心するな、と思った。
市場を抜け、洒落たレストランで早めの昼食を取り、家屋が並ぶ裏通りの路地に来た。
このあたりは人通りも少なく、だいぶ静かだ。
周囲と比べて少し立派な、旗がいくつも垂れ下がった建物の前で立ち止まる。
『ヴァレオン家の栄光・資料館』
「うちだよ」
扉のプレートを指し、ユート・ヴァレオンがそう言う。
建物の中は、外からの印象よりだいぶ広かった。
私たちの他に来館者はいないようだった。
「この資料館は、世間に我が家の威光を知らしめるために、先代の当主が作ったのさ」
入り口から順に、ユートの一族の歴史が展示されていた。
中心に一番スペースを割いて、偉大なる先祖、勇者アレム・ヴァレオンの功績が讃えられていた。
魔王がその強大な力でいかにこの地を恐怖で支配したか。
勇者たちがどのような冒険の果てに魔王を討伐したか。
魔王に狂わされた獣たち、命も物も何もかもが奪われて荒れ果てた国、民衆の絶望、魔王の棲む山での死闘――。
豊富な資料で、私のような物知らずにもその伝説をくまなく啓蒙する。
ご先祖様のことだけでなく、英雄王子のこともだいぶ持ち上げてあって、貴族の外交術というか、抜け目ないと思った。
ハルマとソラヤの先祖については、おまけ程度に説明が添えられていた。
さすがに現在の彼らの情報はなかったけれど、ソラヤの家系の特殊さについては記載があった。本当に一代一代、一人ずつ繋いでいるらしい。
「――ユートか」
静かな館内に低い声が響く。
声のした方を見ると、ユートにそっくりな、目元を少しキツくしたような男性が階段を下りてくるところだった。年の頃は、25ぐらいだろうか。
「兄さん、来てたんですか」
ユートが返す。
男は見下すような、値踏みするような目で私を見る。哀れみと蔑みが混じる。
嫌な目つきだ。
思わずユートの大きな背中に隠れる。
「もう少し屋敷の方にも戻ってこい。母さんが寂しがる」
「考えておきます。兄さんが元気そうでよかった」
男は皮肉っぽく口元を歪める。返事もなく踵を返し、建物から出て行った。
ユートはその背中を切なそうに見つめていた。
街の中心にある小高い丘に登ると、てっぺんの広場にどこか見知った顔の銅像が4つ並んでいた。
中心に英雄王子、それを囲むように三人の勇者の像だ。
花を抱えた女性が、王子の像の前で目を閉じて静かに祈っていた。
銅像の足元には、それぞれ山のように花が添えられている。大勢の人たちの手によって捧げられたのであろう。
祈りを終えた女性がこちらに気付く。ユートの顔を見るとはっとなり、頭を下げながら一束の花を差し出してきた。ユートはそれを恭しく受け取り、女性を見送った。
銅像の裏、丘の端の柵に寄ると、眼下に街の賑わいが見える。
「俺たちのご先祖様は、この国を守り、この繁栄の礎を作った。今日の平和は、ご先祖様たちの手によるものだ」
活気溢れる街を、目を細めて見るユート。青い髪が風に揺れる。
「あれから100年。人々は未だに伝説の勇者たちに深い敬愛を寄せ続ける。俺もご先祖様の偉業を、心から尊敬している」
彼は自分に言い聞かせるように言い、手元の花に視線を落とした。
私は人の流れを眺めながら、黙って聞いていた。
これを作り、守った人たち、か。
すごい、すごいことなのだろう。
右手を見ると、別の丘の上に立派なお城が見えた。
あそこに私を魔術学院へ誘ったあの王子様も住んでいるのだろう。
今、彼は、何をしているのだろうか。
門に戻る途中、ユートは高級そうな店に入り、凝った作りの櫛といい匂いの油と綺麗な紅いリボンを買ってくれた。
「これで髪の手入れをするといい」
なんだ。やっぱり髪ぐちゃぐちゃでキモイって思ってたんだ。
あのお兄さんに、自分の連れがあんな目で見られて恥ずかしかったのかな。
なんだか素直に喜べず、微妙な表情でユートを見る。
「寝る前に軽く編んでみたらどうだ? そうしたらあんまり絡まないよ。こうやって……」
そう言って私の髪に優しく触れてくる。
少し気持ちよくて、心の中にざわつきとドキドキが入り混じる。
「……そんなこと、誰も、教えてくれなかったし……」
恥ずかしさを堪えきれず、むくれて答える。
ユートは手を私の頬に当てた。
「その顔も可愛いけど、笑ってくれるといいのに」
見つめられて思わず目をそらす。
可愛い? 私のどこが?
「……なんでそんなに私によくしてくれるの?」
珍獣を、面白がっているの?
「君のことが好きだから」
「だから、なんで……」
「理由なんている? 一目ぼれって、そういうものじゃないのかい? 俺は、自分の感じたこと、自分の心を信じているだけだよ」
ユートは真っ直ぐな瞳で言う。
あまりに綺麗な宝石のような紫色で、吸い込まれそう。
そんなことを言われても。
信じるなんて気持ち、分からないから。
あと2話ほどで序章が終わる予定です。