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お兄ちゃんの憂鬱

「ここが……ハルマの実家?」


 私たちは、街からそのまま丘を越えて、ハルマの家に来た。

 あの資料室にあった勇者たちの情報から、ユートが場所を調べてくれたのだ。

 その裏には森が広がり、街道からも外れていて、周囲に他に建物は見当たらない。

 街からは使い魔の足で1時間。すっかり夜も深くなっていた。

 美しく蔦のはう、白い門をくぐる。

 月に照らされる庭が広がり、その先にお屋敷というには少しこじんまりとした、4階建ての邸宅があった。

 表からは、建物はきちんと手入れされている様子がうかがえる。

 しかし、人の気配がない。いくら遅い時間とは言え、あまりに静かだ。

 念のため、扉をノックする。待てども反応はない。

「どちらにしろこんな時間だから、本来は表から入るつもりはなかったけれど……。いくらなんでも妙だ」

「ジェレル家は、外国に行っているというような話を聞いたことがあるぞ」

「使用人も残さずに行くのは考えにくいが……」

 ソラヤとユートの会話を聞きながら私は、ハルマも妹は遠くに行っていると言っていたな、と思った。

 ハルマはここには帰ってきていないのだろうか。


 そのまま私たちは建物の裏に回った。

 そこには信じられない光景が広がっていた。


 建物の半分が、なかった。

 正確には、天井は残っていたが、壁と中身が壊滅状態であった。

 そして、そこに――


「ハルマの、ドラゴン……」


 あの巨大な、ハルマの使い魔のドラゴンが寝ていた。

 月明りに、鱗が神秘的に輝く。

 ここから召喚していたのだろうか?

 その身体の下には、魔法陣のようなものの端がちらりと見える。

 ドラゴンは私たちに気付き、片目だけを動かして私たちをギロリと睨んだ。

 私は恐怖にすくみ上り、ユートの後ろに隠れる。


<なんだ。お前たちは>


 ドラゴンが首を上げ、話しかけてきた。

 口は動いておらず、私たちの脳内に直接響くように語り掛けてくる。

 

「……ハルマ先輩の居場所を、知らないか?」

 ユートがドラゴンに訊ねる。

 ドラゴンは私たちを値踏みするように見る。

 キズナを見たところで、鼻をピクッとさせた。


<……あいつは城にいるだろう> 


 私たちは顔を見合わせる。

 やっぱり、あそこから帰ってきていないんだ。

「生きてはいるのね? 無事なのね?」

<もちろんだ。ワシのこの眼で見えている>

 私は少しだけほっとしたが、すぐに別の不安が頭をもたげた。

 今、どういう状況なんだろう。

 ソラヤはずかずかとドラゴンに近づき、恐れ知らずにも詰問した。

「何故お前は助けにいかない。主人が危険に晒されているのだろう? お前ならすぐに飛んでいけるだろう」

<危険? 誰がだ>

「……ハルマさんは困っていないと言うことか?」

<あいつがワシの力を必要とするときは、自分で呼ぶだろう。今はその時ではない>

 再び顔を見合わせる。

「……ねえ、この家には誰もいないの? あなただけ?」

<そうだ>

「他の人たちは? ハルマの家族は? 使用人は?」

 ドラゴンは眠そうに答えた。

<あいつの家族など、ワシは知らぬ>


 ドラゴンの背後を見る。

 家族の肖像画がいくつも壁に飾られていた。

 家長らしき人。少し古めかしい男性。

 幼いハルマと幼い妹――。


 ドラゴンは大あくびをして、また首を寝かせた。

「おい! まだ聞きたいことが……!」

 ソラヤは声を荒げるが、ドラゴンは目を閉じてもうぴくりとも動かなかった。

 これ以上の質問に答えるつもりはない。煩わせるな。

 そういうような態度だった。


 ドラゴンに話を聞くのをあきらめ、私たちはバラバラに家の中を調べた。

 完全に倒壊して家としての機能を失って中は風雨に晒されているのかと思ったけど、割合きちんと整っていて、しっかりと四方の壁が全て残っている部屋もいくつかあった。

 そのうちのひとつに、私はキズナと入ってみた。

 天蓋付きのベッド。ドレッサー。華麗なドレスを着たお人形。

 女の子の部屋のようだった。

 私はドキドキしながら大きなクローゼットを開ける。

 たくさんのドレスの中に――ハルマの部屋の肖像画で見た、白いワンピースがあった。

 私はそれを取り出し、鏡の前で自分の身体に当てる。

 ……ふわふわ。

 とてもじゃないけど、こんな可愛らしいもの、私には着れない。

 キズナはそんな私に構わず、ひとりでぶつぶつとドラゴンに対する感想を述べていた。

「近くに来ていた使い魔の狼たちに救難信号を発せたのは、使い魔同士の本能みたいなものなのですが、アレは無理ですね。わたくしの連絡など届くはずがない」

 そしてキズナはふと口元を歪め、不敵に笑った。

「確信しました。あいつは……喰った人間ですよ」

「あいつって……?」

 不穏な響きに、思わず振り返る。

「以前言ったでしょう? ハルマは現代の三人の勇者の中で、一番”魔”に近いと」

 心臓が、大きな音を立てる。心がざわつく。

「あいつは喰った。魔王様が勇者の力を喰らおうとしているように。人の力を喰って、人ならざる力を得た。なかなか面白い」

 ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべる。


 喰った?

 そんなはずはない。

 あの優しいハルマがそんなことをするはずがない。

 じゃあ何? キズナは、ハルマが、自分が力を得るために、自身の家族を手にかけたって言うの?

 そんなはずはない。

 キズナの勘違いだ。思い込みだ。

 ハルマは私を大切な妹だと言った。家族だと言った。

 私に対する態度からしても、家族に対して、そんなことをする人ではない。

 ……でも。

 私はハルマとの思い出をいろいろと思い出していた。

 ハルマが、自分のことを正統なる勇者だと言ったときのことを思い出す。

 あっさりと自分だと認めたこと。

 家族の反応を教えてくれなかったこと。

 そして何より――

 昔はあんな性格じゃなかったって話を――


 私は嫌な想像を、必死に振り払った。

 私はワンピースを見つめる。

 あの、肖像画の少女の笑顔を思う。


 愕然として力が抜けたまま、ぽてぽてと歩き、他の二人と玄関ホールに集合する。

「何かめぼしいものはあったか?」

「いや、たいした成果はない……。日記でもあればよかったんだが」

「とにかく。城に行く準備をして、ハルマを連れ帰ろう」

 ユートと話していたソラヤは、私を見てはっとした。

「どうした? 顔色が悪いが」

「ううん……。なんでもない」

 私は慌てて鞄を後ろに回した。


 私は、ハルマを信じる。

 そう強く思った。



 学院に戻るころには、もう夜が明けようとしていた。

「少し休め。授業に出るかどうかは自分たちで決めろ」

 ユートは私とソラヤに指示をする。

「ドラゴンのあの様子では、今すぐハルマの命がどうこうなることはないだろう。かと言ってのんびりしている場合ではないが……。……3日。3日後に、また城に行く。それまでそれぞれ、出来ることを準備していてくれ」

 ユートは何か計算をして言った。

 私たちはこくりとうなずく。

 そしてそれぞれの部屋に戻った。





 それから三日後。

 ユートが手配した馬車をソラヤが駆り、私たちはもう一度城に着いた。

 たった数日のことなのに、城はその姿をまったく変えていた。

 壁は紫色に気味悪く光り、塔の上部には黒い霧がかかり、重苦しい空気が漂ってくる。

 この周辺だけ、気温も異常に低い。

 私は着ているコートの前を押さえた。

 ここまで明らかに異常な状態は、街からだってはっきりとわかるし、今頃はきっと大騒ぎだろう。

 私は人々の恐怖と不安が伝わって、また自分の身体が発熱するのを感じた。 


 城門の跳ね橋は下りていたが、門番の姿が見えない。

 私たちは馬車を止める。

 私、キズナ、ユート、ソラヤが順に下り、周囲を警戒しながら、正面からお城に入っていった。

 人気(ひとけ)が全くない。

 城にいた人たちは、どうなってしまったんだろう?

 

 玄関ホールに入ってすぐの正面の大階段を上り、大きな扉を開く。

 広い部屋の奥の玉座に、王子が足を組んで座っていた。

 王の間だ。

 その隣の、本来は王妃が座るであろう椅子に、ハルマがいた。

「ハルマ!」

 私は思わず名前を叫んだけど、反応はかえってこなかった。

 彼は時折見せるあの冷たい目をして、ただ黙っていた。

「……どうしたの、ハルマ。ねえ、返事をして!」

「やあ、よく来たね。イミナさん。やっぱり、儀式を受けたいかな?」

 凛とした声が、部屋に響く。

 王子の声は元に戻っていた。

 しかしその目は、不気味な光を湛えている。

「ハルマ先輩をどうした」

 ソラヤは背中の剣の柄に手をかけて言う。

「私が本来の力を取り戻すまで、私のことを手伝ってくれるそうですよ」

 王子は肘掛けに頬杖をつき、見下すような目でこちらを見る。

「嘘だ!」

 ソラヤは叫んだ。

「それが嘘じゃないんですよ。知りたいですか? ハルマのこと。そうですね。教えてあげてもいいよ。私が誰よりも知っているから」

 王子は私たちを嘲笑うように言った。

 そして、語り始めた。

「ハルマはね。小さな頃から特別に、魔術師学院で育ったんだ。その血筋と、才能を認められてね。本人も勉強以外にあまり興味がなかったようだし、それでなんの問題もなかった。でも数年前、家族のささやかな宴が開かれることになってね、久しぶりに実家に帰ることになったんだ。ただ、ハルマが家に着いたときに彼が見たものは、巨大な魔物がその10人にも満たない親族を全て襲い終わったところだったんだ」

 私は王子の話に息をのむ。

 ユートは後ずさった。

「その崩壊した家と無残な状態の家族に、ハルマは初めて自分が家族を愛していたことに気付いたんだよ。馬鹿なやつだ」

 王子はクククと笑う。

「魔物は次のターゲットにハルマを見定めた。ハルマの使い魔だった小さな竜も、ハルマを守ろうとして弾き飛ばされた。ハルマもこのままでは命が危ないと絶望しかけたところで、突然、家族たちの遺体だと思っていたものたちから謎のオーラが飛んできたそうだ。

 彼は、自らの家族に、その力を、その命を、無理矢理()()()()()んだ。

 たまたまご学友の賓客として招待されていた私がその場に到着したときは、そこには魔物の血の海の中に立つハルマがいた。

 ハルマは一族全てを犠牲にして手に入れた力で、それを撃退した」

 私は言葉が出なかった。

 恐る恐るハルマの顔を見たけれど、彼はただ生気の消えた顔で沈黙を守っていた。

「それはジェレル一族の、勇者の血を途絶えさせないための最期の力だったのか。それしか方法がなかったのか……。

 ――しかし、当時正統なる勇者の後継者であった父から力を奪うため、自分をその英雄の立場に据えるために家族を殺したと世間に思われる可能性がある。彼に落ち度がなくてもね。あの平和な時代、暴れる巨大な魔物が現れるなんて、ほら話のようだった。そうでなくても、勇者の一家の惨殺事件は醜聞になる。誰にも知られるべきではない。

 私は呆然としている彼のために、その全てを内密に処理した。世間的にはジェレル家はただ外国に行っているように思わせた。そして廃人のようになっていた彼を、一時的に王宮で世話をした。私とハルマだけの秘密だ、何も問題はないとね。

 ……まあ、そもそも、魔物に家族を襲わせたのは、この私だとも知らずにな!」

 語る声は、途中から次第に魔王の声に変化していた。

「ああ! あの日は、妹の結婚の祝いの集まりだったか! 本当は全員殺してやるつもりだった! 私の記念すべき、転生後に初めて作った魔物でね! しかし、ハルマのその力に惚れたのだよ! これをいつか、私の口で喰ってやろうとな! その昔この私を倒した勇者の血は、どれだけ美味いだろうか!」

 魔王の声が響き渡る。

 キズナが興奮し、私の横で魔のオーラを揺らしている。


 彼は玉座から立ち上がり、マントを翻し、つかつかとハルマの方へ歩いた。

「あの、全てを失ったことに気付いてハルマの意識がもうろうとしていたとき、私は洗脳のカギを植え付けたのだ。いざというときに、私に従うように」

 王子がハルマの頬を撫でる。

「さあ手伝え。私と一緒にあいつらを倒そう。そして最後に私に喰われるんだ」


 ハルマの口がかすかに動いた。

「リリ……」

 うわ言のように言う。


 私は決意に表情を固め、コートを脱いで後ろに投げた。

 その下に着ていた、白いワンピースがふわりと揺れる。


 ハルマの目が、動いた。


「ハルマ()()()()()

 私ははっきりと発音する。

「守ってくれるって言ったよね。私のことを、守るんでしょう? その血に深く、刻み込まれているでしょう?」

 私は少し考え、言葉を変えた。


「――今度は守って」

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