初めては優しくして
朝食を終えた四人と一匹は、私とソラヤの学ぶ教室に着いた。
私とのつかの間の別れを、ハルマとユートは大げさに惜しんだ。
ユートは握った手に力を入れなかなか離そうとせず、ハルマなんて「お兄ちゃんは寂しいぞ」と、また頭ごと抱きしめてきた。
身長差で息が苦しく、殺す気かと思う。
まったく、油断ならない。
扉を開けると、淀んだ悪意の空気が私を襲ってきた。
――授業が遅れるの、あの子のせいじゃない?
――なんかイライラする…。
――うぜえ。キモイ。
生徒たちの言葉が脳内に響く。
それぞれの使い魔たちがこちらを睨む。キズナがしっぽを小刻みに振る。
雰囲気に気圧されて、食べたものがあがってきそう。
バサッ!バサッ!
突如大きな音がして教室の窓を見ると、包みをくわえた小型のグリフォンが入ってきた。
ソラヤの使い魔だ。
ソラヤはグリフォンから受け取った荷物を教室の真ん中の机に置くと、そのとなりを指さし、私に座るよう促した。
私はいつも、彼の隣で授業を受けるよう強いられている。
「……ここじゃなきゃ、だめ?」
「僕の目が届かなくなる」
じゃあもっと端っこの席を選んで欲しい。ど真ん中なんて居心地が悪すぎる。
「別に、そんな、見てもらわなくても……」
「イミナくんと僕はクラスが同じ。君は学院にきたばかり。僕はクラスで最も魔術の習得が進んでいる。面倒を見ることになんの疑問点がある?」
「はあ」
そう言われるとそうなのかもと思う。
私にかまってくる人たちの中でも、ダダ甘なオーラ全開のハルマやユートとソラヤではちょっと様子が違う。
あくまで合理的で正しいことだからやっているだけだ、そこに情はない、そういう態度だ。
でも、私が今まで出会ってきた人たちは、そういう割り切りすら見せなかった。親であった人たちが私とろくに口も利かなかったように。
だから、いくら筋が通っているようでも、その裏を感じてしまう。
ソラヤは眼鏡を押し上げた。
「四六時中監視されるのが嫌なら、少しは魔術の習熟段階を進めてくれ。そうすれば生活にまで口出しはしない」
「段階……」
「魔力の儀も、まだ受けていないのだろう?」
魔力の儀。
魔術師たちは自身の魔法の腕を磨く中で、より多くの魔力を使うための儀式を受ける必要がある。
一度、大きめの魔力で身体を貫かせることで、扱える魔力のキャパシティを増やすのだ。
第一段階は、もうクラスメイトで受けていない人は一人もいない、ごく初歩的なもの。
これを受けない限り、私の使える魔法は小さな明かりを灯す程度から先へ進めない。
だから、逃げていても仕方ないのだけれど――。
「受けなきゃ、だめ……?」
「魔法の基礎は学んだだろ。受けても構わない段階だよ。僕から教師に申し込んでおくか?」
だって、魔力の儀って、無理矢理にエネルギーを通すから痛いんでしょう?
それにあくまで「受けても構わない段階」であって、「受けるべき段階」じゃないんじゃないの? まだ、早いんじゃない?
そもそも私は他人を信用していないのに、そんな怖いことを自分の体にさせられない。
ぐるぐると考えているうちに、いつの間にか授業が始まっていた。
1時限目は、薬草学だ。
慌てて教科書を開くと、年老いた教師が蔑むような視線をこちらに向けた。
年齢から垂れ下がった瞼と深い皺が、その瞳から受ける不快な印象をより強める。
あの人に身を委ねたくないな、と思う。
「それで、僕を?」
「適任かと。ハルマさんはイミナくんに優しいですし。教師にも許可を取ってきました」
放課後。私はソラヤに連れられてハルマの研究室に来た。
そうか。教師じゃなくても、研究員も儀式を出来るのか。
ハルマなら、教師たちよりはマシかも。
「光栄だな」
「イミナくんをよろしくお願いします。それではイミナくん、僕は自習室へ行くから」
そう言ってソラヤはさっさと出ていき、私はキズナと一緒に部屋に残された。
ハルマはソラヤに渡された書類にさっと目を通し、それを机に置いてから椅子から立ち上がった。
キズナが不安そうにぐるぐると鳴く。
「その子、まだ話せないんだっけ?」
ハルマはてきぱきと準備を進めながら話しかけてくる。部屋の一角にひかれていた布を取り、床をあけた。
「キズナ? 簡単な言葉は話せるけど、私と二人きりじゃないとあまり……」
「そうか。イミナの魔力が強くなれば、もっとたくさんお喋り出来るようになるよ」
「今のままでもいいんだけど……」
ろくなこと言われなさそうだし。
なんだか落ち着かなくて、部屋を見回す。
ハルマの研究室に入るのは初めてだ。
私の部屋の倍は広く天井も高く、壁面いっぱいの棚にはたくさんの本や不思議な瓶や石がみっしりと収まっている。机の上にも、堆く本と書類が積まれている。
「心配? 大丈夫。第一段階なんて、ちょっと痛いかな?ってくらいだから」
ハルマは何やらキラキラとした砂のようなもので魔法陣を描き始めた。
「……ハルマは、どこまで受けたの?」
「最終段階までだよ」
「最終段階って、魔力の大きさに耐え切れず廃人化する人や体が吹き飛んでしまう人もいるって言う……」
怯む私にハルマは微笑んだ。
「僕は特別。まあ、一般的な魔術師は、第一段階さえ受けていれば十分なんだから、これ以上怖いことはないよ」
そうは言っても、たった一度でも、怖いことは怖い。
拭いきれない不安に視線を泳がせていると、机の上の書物の隙間に小さな肖像画が置かれているのが見えた。
女の子?
私と年がそう変わらなそうな肖像画の少女は、ハルマそっくりの柔らかい茶色の髪の毛をふたつに結び、白いワンピースを着て、花のような笑顔をしている。
「……ああ。妹だよ」
私の視線の先に気づいたハルマが言った。
「妹?」
いたの? それなのに私にこんな態度なの?
「……今は遠くにいるんだ」
そう言った瞬間、ハルマの黄色い瞳から感情が消えたように見えた。
ハルマにエスコートされ、魔法陣の中に立つ。
「さあ始めようか。大丈夫だよ。ほら、力を抜いて」
彼はそう優しく笑って私の両腕を握るけど、私の脳裏にはさっきの冷たい横顔が残っていた。
顔が引きつり、体はこわばる。制服の裾をぎゅっと握る。
キズナは側をぐるぐると歩き回ってる。
ユートの言葉がよみがえる。
――ハルマ先輩がこんな人間だとは知らなかった――
この人は、本当に、何を考えているんだろう?
まったく――油断ならない。
接続障害が多いですね……